音楽に詳しくない人でも、何度かは必ずこの人の曲を耳にしているでしょう。また、音楽室の肖像画などで彼の顔を見たという人も多いはずです。世界の音楽家の中でも知名度トップ10に入るであろう作曲家ベートーヴェン。その年収は、いかほどだったのでしょうか?

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どんなことをした人だった?
改めて経歴から…

ベートーヴェンプロフィール

履歴書

履歴書

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功績とビジネススタイルは?

主な功績

  • 功績

    ベートーヴェンの祖父と父は、ともに宮廷音楽家でした。ただ、父・ヨハンは音楽家としてはあまり成功せず、酒に溺れる日々を過ごしていました。ヨハンは、わが子が自分のようにならないよう、4歳になったばかりのベートーヴェンを厳しく指導し、毎日2~3時間もピアノを練習させます。寝ている時でもたたき起こして練習させたこともありました。それが良かったのか、悪かったのか、ベートーヴェンは7歳の時に音楽会にデビューし、「神童」と呼ばれました。10歳のとき、ピアノ・オルガン奏者のネーフェ(1748~1798)に入門。正式に音楽の教育を受けます。そして、13歳で宮廷奏者として生計を立てるまでになったのです。

  • 功績

    ベートーヴェンは20代後半から耳が聞こえづらくなり、難聴(聴覚障害)に悩まされるようになります。それは年を重ねるごとに悪化し、ほとんど何も聞こえなくなってしまいました。しかし、今に残る名曲の数々は、耳の聞こえなくなった後半生に作られたものです。ハンデを抱えても、なおやむことのなかった音楽に対する執着と情熱が、彼に作曲を続けさせたのでしょう。(難聴について、詳しくはコラムをご覧ください)

  • 功績

    ベートーヴェンが生きた時代は、まだ音楽は「宮廷貴族に聴かせるもの」という概念が強く、一定の様式に縛られていたとされています。しかし、彼はその枠から抜け「フリーの作曲家」として活動。堅苦しい形式を取り払い、ピアノの名曲『エリーゼのために』などに見られるような自由な音楽的手法を取り入れ、その音楽は大衆にも愛されました。後にショパン、チャイコフスキーなどの著名な作曲家たちが「ロマン派時代」を築き、ベートーヴェンはその先駆者といわれます。音楽の価値を高めた革命家でもあったといえるでしょう。彼の葬儀には2万人もの市民が詰めかけましたが、その中にはシューベルトの姿もありました。1846年、幼少時から彼を尊敬していたワーグナーは、当時は忘れられていたベートーヴェンの『交響曲第9番』を演奏し、名曲として定着させました。

  • 功績

    CD(コンパクトディスク=12cm)の最大収録時間は、約75分。なぜ、60分でも70分でもなく、75分なのでしょう。それは、開発元のソニーが「オペラの幕が途中で切れてはいけない。ベートーヴェンの『第九』も入らなくては」という意見を採用したため。74~75分の尺があれば、クラシック音楽の95%が1枚に収まるそうです。CDの発売は1982年。ベートーヴェンが亡くなってから155年後のことでした。

ベートーヴェンのビジネススタイル

難聴に屈せず、努力を重ねて不朽の名曲を作り続けた

不撓不屈(ふとうふくつ)の精神力

幼いころは、父親のスパルタ教育にもめげず、演奏家として大成。成人後も、難聴という困難と向き合い、名曲の数々を作り上げました。その精神力はまさに不撓不屈。

努力家

天才肌といわれたモーツァルトとは違い、ベートーヴェンの場合は何度も楽譜を書き直し、苦悩した末に曲を完成させました。そのために健康を損なうことにもなったのですが、いわば彼は努力型の天才といえそうです。

孤高の音楽家

孤高というと、あまり良いイメージはないかもしれませんが、生涯独身でもあった彼は、まさに孤高の音楽家。その実力から見れば、良いパトロンを見つけ、リクエストのままに曲を作れば安泰だったはずです。しかし、ベートーヴェンは自分の信念を貫きました。大衆に向けた自由な作風の曲を作り続け、フリーランサーであり続けたのです。

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ベートーヴェンの気になる年収は…

年収

年収

年収

当時、作曲家が貴族に音楽を「献呈」すると、その見返りに「献呈料」が支払われました。
その値段は作曲家のレベルによっても違いましたが、
ベートーヴェンの場合は生前から相当に名前が売れていたので、
交響曲1曲あたりに500フロリン(約500万円。1フロリンは現在の日本円で1万円程度)だったそうです。
そのほか、出版社に対しても楽譜を販売し、原稿料を得てもいました。
ある年は、ピアノ・ソナタ3曲の出版料が450フロリン。
さらに、宮廷での音楽レッスン料や演奏料などの収入が1回につき10万円程度あり、
それらを合計すると、1年で大体1500万円ほどになったそうです。

また1809年、ルドルフ大公などの大貴族たちが、年金として4000フロリン(4,000万円)の援助をベートーヴェンに申し出ました。
当時、ベートーヴェンはドイツ・カッセルの宮廷楽長に招かれ、
ウィーンを去ろうと考えていたのですが、これによりウィーンにとどまって作曲活動を続けます。

しかし、この年金はフランス軍の侵攻による景気低迷や、
貴族たちの事業失敗などが原因で支払いが滞るなど、満足には支払われなかったようです。
得られたのは、この4000フロリンのうち、ルドルフ大公が支払っていた1/3程度の1,500万円ほどであったと考えられます。
年収は上述した献呈料などと、その年金の推定収入を足して算出しました。

文・上永 哲矢(うえなが てつや) 
参考文献:『ベートーヴェンの生涯』『Sony History』ほか

DODAキャリアアドバイザーからのコメント

もしベートーヴェンが現代のビジネスパーソンだったら

聴力を失いながらも自分なりに工夫を重ねて音を感じる手段を得、作曲に全身全霊で取り組んだベートーヴェン。その強い目的思考と情熱からは、勢いのあるベンチャー企業の社長を彷彿とさせます。ベートーヴェンを現代のビジネスパーソンとしてとらえると、あるひとつの問題の解決、もしくは目的のために起業した社長。ゴールに到達するため、さまざまな挑戦をし続け成長していく組織になるのではないでしょうか。ただ、社長が一つの目的にだけ目を向けていると組織のメンバーのことが見えなくなってきてしまうので、ベートーヴェン社長のかわりに組織の人事や福利厚生をしっかり考えてくれる補佐がいてくれるといいでしょう。

また、当時の常識にとらわれない自由な作曲スタイルから、ベートーヴェンは企業内の新規事業の立ち上げにも向いている人材ではないでしょうか。自身で立ち上げた部署のCXOなどで、保守的な組織に新しい風を吹かせる存在になりそうです。一方で、ひとりで黙々と仕事に取り組むことが好きだった人物なので、ほかの社員一人ひとりを気に掛けなくてはならない中間管理職の仕事は苦手かもしれません。

200年前の音楽家を現代のビジネスパーソンに当てはめてみる、というのはなかなかない試みではありますが、起業家や事業責任者の方など、「自分と似ているかも?」と思った方、いらっしゃるのではないでしょうか。

内藤 久亮

パーソルキャリア株式会社
DODAキャリアアドバイザー

アドバイザー

2010年に大手広告会社に法人営業担当として入社。法人向けに広告掲載提案を5年経験。その後2015年にパーソルキャリア株式会社に入社し、ハイクラスの企画・マーケティング人材の転職支援を行っている。

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