APUを選んだ娘

東京の中高一貫校で中学から弓道部に所属し、高校3年間は東京都代表として毎年インターハイ、国体に出場していた。スポーツ推薦で入学できる大学は多数あったが、別の可能性と選択肢を模索していた時に、高校の担任から「あなたにぴったりの大学がある」とAPUを紹介された。子供の時から語学に興味があった娘は、オープンキャンパスでAPUを訪れ、一目で虜になった。タイやカナダの大学への留学を経て、国際協力に携われる機関の職員になることを夢見ている。

APUに送り出した母

若い頃はライターとして活躍し、子育てを終えてから書道講師の道に。娘が小さい頃から海外旅行に連れて行ったり、語学教室に一緒に通ったり、娘のその後の進路に影響を与えてきた。APUのことは娘の担任に紹介されるまで知らなかったが、オープンキャンパスに同行して即座に娘を別府に送り出すことを決意。別府や大分の人たちがAPUの学生を仲間として受け入れ応援してくれている姿に安心し、東京に戻ってくるたびに一回り大きくたくましくなっている娘の姿に目を細めている。

学生たちのプレゼンテーションのうまさに、ぐっと引き込まれました

娘/鈴木桃:中学・高校と三鷹市にある明星学園に通っていました。高校の担任の先生にAPUを勧められて、高校3年生の11月のオープンキャンパスの時に初めて母と一緒にAPUを見に行きました。キャンパスに着いてバスを降りた時に、一目惚れしたんです。ああ、もうここしかないなって。APUにはバスに乗って行ったのですが、その車内にいるのは日本人だけではないし、聞こえてくる言葉も英語でも日本語でもない。ああ、こういうところで勉強してみたい、と思いました。

幼稚園の年長さんの時に母と2人でニューヨークに旅行しました。現地で「Water please」って言ったら通じたのがとても嬉しくて、それがきっかけで外国語に興味を持ち始めました。その後小学校1年生から6年生まで英語劇団に入っていて、4年生の時にはロサンゼルスでの海外公演に参加することができました。小学校5年生の時には、世田谷区がオーストラリアのバンバリー市と姉妹都市の関係を結んでいて、そこに毎年小学生を何人か2週間送り込むプログラムがあって、そのメンバーにも選ばれて参加しました。

中学から弓道を始め、国体とかインターハイに出ていたので、大学受験の時にはスポーツ推薦もいただけたのですが、6年間本当に真摯に弓だけと向き合ってきたので、大学では新しい挑戦をするのもいいなと感じていました。高校3年生最後の国体には満を持して臨みたかった。他のことは考える余裕がありませんでした。そんなときに、担任の先生が「あなたにぴったりの大学があって、指定校推薦枠があるよ」と教えてくださいました。それで飛行機に飛び乗って、オープンキャンパスを見に行ったんです。

両親は、全く知らない地方の大学だし、しかも大分にあることに最初は難色を示していました。地元の東京にいっぱい大学はあるのに、わざわざ家を離れる必要はないんじゃないかって。それでとにかくオープンキャンパスに行こうよって母を誘って見に行ったら、母も「ここは楽しそうだね!!」と態度が変わったんですよ。

父は私が決めたことには反対しませんでした。しかも、入学式の前に別府に来た時にこの場所に惚れてしまって。別府の人がすごくいい、ここに4年間住むのはすごくいいんじゃないかと言ってくれました。

第68回国民体育大会スポーツ祭東京2013に出場し6位に入賞した。

第68回国民体育大会スポーツ祭東京2013に出場し6位に入賞した。

母/鈴木ゆう子:娘は中学で、まだできたての弓道部に入部し、道場もないような場所で毎日練習に明け暮れていました。高校の3年間は国体の東京都の代表選手だったので、3年生の秋まで弓道を一生懸命やって、その後彼女が行きたい大学を再検討した時に、高校の担任の先生がAPUを紹介してくださいました。それで、オープンキャンパスに一緒に行ったんです。

山道をずっと登って行って、バスを降りたらまず英語が耳に飛び込んで来て、そのあとカフェテリアに入ったら、周りからいろいろな国の言葉が聞こえてくる。それで私もだんだん楽しくなりました。オープンキャンパスのGASSの学生スタッフたちのトークがすごく楽しいし、プレゼンテーションがすごくうまい。

東京にある大学のオープンキャンパスにもいくつか伺いましたが、いずれもプレゼンテーションがあまり魅力的ではなかったんです。それに比べてAPUの学生たちのプレゼンテーションのうまさはなんだろう、とまずそこでびっくりするとともに、この大学はいいなとぐっと引き込まれてしまいました。

最初の頃は授業でグループになってと言われた瞬間にトイレに駆け込んでいました

娘/鈴木桃:APUにはACCESSという入学前に実施される短期留学プログラムがあります。そのプログラムに参加してアメリカの大学に2週間行ったのですが、その時に一緒だったAPUの仲間がすごく個性の強い人たちだったので、これからの大学生活は絶対楽しくなるなと思いました。そういう期待を持って入学して、1回生の時は学生寮のAPハウスに入ったのですが、シェアルームのルームメイトはドイツ人、最初に共有のキッチンに集まった人たちはベトナム人や中国人で、こういう環境がAPUでは当たり前の日常なんだなと、改めて感動したのを覚えています。

1回生の夏に言語イマージョンというAPUのプログラムに参加して、タイのマヒドン大学に短期語学留学しました。バンコクの郊外にあるのですが、そこで貧富の差を目の当たりにしました。こちらには大学教授が住んでいる家があるのに、すぐそばにスラムのような地域があってそこに暮らしている子供たちは食べるものにも不自由し、十分な教育も受けていない。そういう現状をなんとかしたいと思って、開発学に関する授業をいくつかAPUで履修しました。

どこかもっと開発に関して深く学べるところがないかと探していた時に、JICAで働いている知人に開発を学ぶならどこがいいですかと質問してみたら、それならイギリスかカナダがいいよと教えてくださいました。いろいろ探した末に学部レベルで開発が学べる大学がカナダにあったので、1年ほど交換留学して、昨年の6月に戻ってきました。

その大学では支援という上からの目線ではなくて、共生して同じ目線で一緒になって、貧困を是正するにはどうすれば良いか、どうすれば現地の人たちを巻き込んで開発を進めていけるかなどの手法を、20人ぐらいの少数のメンバーと一緒に学ぶことができました。

一緒に学んだ人たちは、地元のカナダ人はもちろん、中米、南米、アフリカからも来ていました。私はまだ2回生だったのですが、大学院生や4回生がとるような授業にも参加し、ディスカッションをしたり、プレゼンテーションしたり、論文を書いたりと、今までで一番勉強した時間でした。

交換留学だったのでIELTSの基準点は厳しく、必死で勉強したので、英語はなんとかなるかなと思っていましたが、最初はルームメイトが何を話しているのかすら分からなくて。授業のグループワークは3人1組でやることが多かったのですが、言葉ができないので友達がいない。みんなと話ができない。私は中学・高校とも部活がすべてでしたので、クラスでは比較的おとなしく、リーダーシップをとることはありませんでした。留学して授業に出てみて、突然、中高でのクラスの立ち位置を思い出しました。

恥ずかしい話なのですが、最初のうちはグループワークになると、トイレに駆け込んで終わるのを待つ、みたいな状態でした。でも、そうする自分が自分ではないみたいですごく悔しくて。結構な挫折感を味わったのですが、そこからなんとか立ち直ろうと思って、自分からきっかけを作ってクラスの人に話しかけるようにしました。英語があまり得意ではないと言ったら向こうがちゃんと待ってくれるようになって、徐々に英語の力もつき、友達もできて、演劇のサークルにも入って、なんとか円滑な留学生活を送れるようになりました。

何かが変わったなと思ったのは、留学してから4カ月目にルームメイトの実家に遊びに行った時です。最初はネイティブの人が普通の速さで喋るので少し難しいなと思っていたのですが、滞在4日目の朝に普通に話していることがすっと理解できたんです。それからちょっとたってから「あなたの寝言が英語になったね」ってルームメイトから言われました。

母/鈴木ゆう子:APUに入学してから娘の英語力と企画力が上がっているのにはびっくりしました。英語に関しては入学後、さらに留学するためには自分の英語力が足りないことに気がついて、死に物狂いで勉強したのでしょうね。

企画力という点では、こんなエピソードがあります。私が自分の誕生日に別府旅行にいくと言ったら、「じゃあお誕生日プレゼントに」と、国際学生と国内学生に1時間ずつ書道の授業ができるよう、大学と交渉してくれたんです。書を通じた国際交流ができ、とても思い出深かったですね。

APUの学生たちはどんどん自分で企画を立てて、それを実現していきますよね。自分でお店をやったり、自分の周りの人を巻き込んで新しいサークルを立ち上げたり。自分がやりたいことがあれば、なんとかそれを実現する方策を考え、行動を起こして周りを動かす力がすごいと思います。

娘も授業で鍛えられるだけではなく、周りの学生たちのそういう様子を見て、自然に企画力を身につけているのでしょうね。

いざとなったら向こう岸まで自分の力だけで泳いで行く力を身につけなければならないと、娘も考えているみたいです。その力をすでに得たかどうかは別にして、とにかく自分の力で泳ぐんだという態度や心構えはAPUに入って養われたと思います。

カナダのSMU(セントメアリーズ大学)にて。交換留学生たちとお茶会の風景。

カナダのSMU(セントメアリーズ大学)にて。交換留学生たちとお茶会の風景。

娘はどこに行ってもなんとか生きていけるんだなと実感しました

娘/鈴木桃:APUの良さの1つは、一人ひとりの宗教や文化が違うということが当たり前に受け入れられていることでしょうか。例えばイスラム教徒や、キリスト教徒など、宗教を信仰している人は日本ではマジョリティーではないですよね。でも、それはAPUでは普通で、イスラム教徒の子がいたら豚肉料理はやめようとか、飲み会ではなくてご飯会にしようとか、自然に合わせることができる。

一般的な日本の社会の中では異質なものとして捉えられがちなことが、ここでは当たり前です。普通の学校なら変わっていると言われる子もいっぱいいますが、そういう子もここでは異質ではない。今まで自分が非日常だと思っていたようなことがありのまま受け入れられていることが、すごく魅力的だと思います。

女性と男性についても同じですね。APUの中では普段から性差について意識させられる場面はほとんどありません。女性だとか男性だとかあまり関係なくて、やりたいことがあったらそれに向かって頑張るだけ。そこに性別の差はありません。国籍についてもそうです。一般的な日本の社会では外国人と日本人を区別して考えることが多いですが、ここにいるのはAPU生であって、彼らは特別な存在ではないんです。

留学から戻ってきて淵ノ上英樹先生のゼミに入ってから、平和とかレジリエンス(復元力)について、興味を持つようになりました。熊本の震災の時には、アパートの4階の自室にいてすごく揺れて、その後に避難所での生活を体験したこともあって、ストレスの多い環境にさらされた時の精神的な復元力、回復力であるレジリエンスについて深く探求してみたいと思いました。卒業論文は平和学とレジリエンスを絡めたテーマで書くことにしました。

そろそろ就職を考える時期なので、大学院に進むか就職するかかなり迷いました。留学経験者向けのキャリアフォーラムなどにも出てみたのですが、どうしても国際協力に携わりたいという夢が捨てきれずにいます。国連などの国際機関やJICAなどに就職したいと思い、今は大学院進学に照準を合わせています。

お父様は漫画家の鈴木みそさん。時おり作中に桃さんが登場する。

お父様は漫画家の鈴木みそさん。時おり作中に桃さんが登場する。

母/鈴木ゆう子:娘の周りのAPU生がうちに遊びにきた時にご飯を一緒に食べたりすることがあります。みんなすごく勉強していますし、面白いし、ものすごくたくさん引き出しがある。こういう子供たちと接することができ、娘のおかげで広がった世界が本当に楽しいです。

国際学生でも英語基準でもなかったうちの娘は、最初、特に英語の勉強が大変そうでした。入学後も続けていた弓道で娘が大分県大会に別府市の代表で出た時に応援に行ったことがあります。明日は大会なのだから今日はこれくらいでやめておけばとアドバイスしても、どうしても今日これだけはやっておかないといけないと言って、船を漕ぎながらも英語を勉強しているんです。それを見た時に、こういう風にこの子は勉強していたんだと知りました。

九州には、仕事で何回か赴いたことがあった程度で、娘がAPUに入るまでは別府のことをほとんど知りませんでした。APUに入学すると1年目は寮生活でしたが、2年目からは市内にアパートを借りて暮らします。アパートから歩いてすぐそばに公民館があって、温泉がついていて、組合員になったら好きなだけ温泉に入れます。それは、地元の人たちとの裸の付き合いのきっかけでもあって、近所の人たちはみんな顔を知っている。これはいざという時にものすごく心強いと思っていました。

熊本の震災があった時に避難所で娘が周りのおじいちゃん、おばあちゃんにすごく不安だと打ち明けたら、「大丈夫、温泉の色が変わったら本気で逃げよう」とおっしゃってくださったそうです。昔の言い伝えが残っているんですね。だから、親としては1人で離れて暮らしている娘がそういうご近所付き合いをさせていただいていることがすごく安心で、それは別府ならではだと思います。

ご近所さんだけではなくて、別府やひいては大分県の人たちがみんなAPUのことを応援してくださっているのも心強く感じました。入学式の時に別府のお寿司屋さんに入ったら、「豊後水道をくぐり抜けてきた鯵や鯖がこんなに美味しいのは、荒波に揉まれてきたからだ。APUで4年間過ごしたら、こういう風になる。普通の鯵や鯖とは違うんだ」と言ってくださったり、弓道の応援に行く時に娘のアパートの隣の美容院に行ったら、「まだご飯を食べてないでしょう。腹ごしらえをしてから応援に行きなさい」と、おにぎりと干物を出してくださったり。大分県は外国人留学生の数で京都と1位2位を争っていますが、日本の他の地域から来た学生も含めて垣根がなくて、みんな仲間だという意識を持っているようです。そうやって受け入れてもらっているからこそ、APU生も別府や大分に貢献しようと思うんでしょうね。

娘が2回生の時でした。2人で香港に旅行に出かけた時に、娘がマカオのホテルのセーフティーボックスの中にAPUの学生証と免許証を忘れてきてしまったんです。すごい波に揺られながら船でマカオから香港に戻った直後に気がつきました。娘が最初に何をやったかというと、SNSでAPUの仲間に「今、誰かマカオにいる?」って呼びかけたんです。マカオに誰かいたら、その人にキープしておいてもらえばいいからと。

世界中に仲間がいて、「助けて!」と言えるのはなんてすごいことなんだろうと思いました。日本人はなるべく他人に迷惑をかけないように、と教えられて育ちます。でも、私は娘が小さい頃から他人に迷惑をかけても構わないから、掛けた迷惑は必ずお返ししなさい、そして誰かに迷惑をかけられることをいとうのではなく、迷惑大歓迎、それは自分を育てる糧にもなるからねと教えてきました。だから、誰かにちゃんと「助けて!」って言えたことがとても嬉しかったですね。

結果的には香港には仲間がいたのですがマカオにはいなくて、娘が1人でマカオに学生証を取りに行くことになりました。往復6時間くらい、私は大丈夫だろうかと心配しながら待つわけですが、無事に娘が帰ってきて夕食を食べながら話を聞いたら、これがまた驚きです。

結局、娘は香港行きの最終の船にようやく乗れたのですが、最初は違う船に乗る列に並んでいたようです。彼女は列に並ぶ前にタイから来た団体客の人たちと雑談をしていたそうなのですが、そのタイの団体の人たちに助けてもらって正しい列に並ぶことができ、無事に香港に戻ってきました。娘はタイ語ができてすごくよかったと振り返っていました。

この香港旅行の時に、娘はどこに行ってもなんとか生きていけるんだなと実感しました。

東京からAPUに入学している子供たちは、偏差値とは違う基準でAPUを選んでいると思います。良い選択だと思います。ただ、受験で偏差値を重視する傾向は親もその責任の一端を担っています。結局、親が望むから高校としても偏差値の高い大学を推す傾向がありますから。親の価値観が変わるのがこの状況を変える一番の早道なのでしょうね。

世界基準で考えれば、偏差値以外の選択肢があります。親が意識を切り替えれば子供に大きな可能性を与えてあげることができます。18歳にして故郷を出て別府に向かうこと、そこからまた海外に出て行くことは、親としては寂しいし、心配でもあります。でも、これから子供たちが世界を舞台に生きていくために本当に必要な環境は何かと考えたら、自ずと答えが出てきます。親としては、寂しいという感情より、その理性が勝ったというところでしょうか。

娘はいつも家に戻ってくるたびに一回りたくましくなっています。豊後水道をすごい勢いで泳いでいます。私は娘をAPUに送り出して本当に良かったなと思います。

お母さまは東京で書道ラボ「天」を主宰されている。

お母さまは東京で書道ラボ「天」を主宰されている。

CONTENTS

株式会社コンシリウム 代表取締役。東京藝術大学美術学部大学院修了 西洋美術史専攻。日経アート編集長、日経デザイン編集長などを歴任。

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株式会社コンシリウム 代表取締役。東京藝術大学美術学部大学院修了 西洋美術史専攻。日経アート編集長、日経デザイン編集長などを歴任。