APUを選んだ娘

宮崎市内にある大手私立大学付属高校に通い、東京の大学に進学することを考えていた。父の仕事の関係で、外国人や外国の文化に触れる機会も多く、国際系の学部を志望していた。高校の担任に勧められたのは開学直後のAPU。最初は乗り気ではなかったが、キャンパスを見に行って即座に入学を決意した。卒業後は金融機関に勤めたあと、APUで知り合った夫とともに北京に留学。留学中のさまざまな経験から日本経済の再興に寄与したいと経済産業省経験者採用試験を受け、倍率数百倍の難関を突破し、忙しい日々を送っている。

APUに送り出した父

宮崎医科大学(2003年宮崎大学と統合)でドイツ語を教えながら、トーマス・マンとギュンター・グラスという2人のノーベル賞作家を中心にドイツ文学を研究してきた。その間に文部科学省の在外研究員として、2度のドイツ留学を経験。日本がグローバル社会で他の国と対等に付き合っていくには、議論を重ねて相互理解に至ることができる人材を育てる教育が必要と考えていた。開学直後のAPUの教職員や学生が高い理想を掲げてその実現に向かって努力している姿に共感し、娘に進学を勧めた。

自分たちが伝統を作るという経験は、他の大学には求められませんでした

娘/大羽真由:APUを知ったきっかけは、高校の担任の先生が「受験を考えてみないか」と勧めてくださったからです。それは高校3年生の10月くらいのことで、ギリギリのタイミングでした。当時は東京の大学を受けることしか考えていなかったので、最初はあまり乗り気ではありませんでした。でも、とりあえず親にパンフレットを見せたら、「結構いいと思うよ」と言ってくれて、父と大学を見に行くことになったんです。

当時、開学したばかりだったので建物は綺麗で、しかも山の上にあって。キャンパスにいる人たちが日本人ではなくて、何だか異国に来たような印象を受け、すぐに魅了されたんです。それで、「ここに進学しよう」と、もう即決でした。

もともと父が大学のドイツ語の先生で留学経験があったり、趣味で週末にドイツ語を教えていたりしたので、小さい頃から結構外国の方や海外との繋がりがあって、国際的な学部には興味があったんです。

実際に入学してみたら、期待を裏切らない環境でした。2000年に開学したばかりで、私は2001年に入学したのですが、キャンパスには2学年の学生しかいなかったこともあり、同学年やサークルの仲間だけでなく、学部や学年を超えて仲良くなり、APUの学生全員と仲が良かったような印象があります。

当時から国内学生と国際学生の割合はほぼ半々で、別府の高台に小さな地球がある、そんな感じですね。各国から来た留学生は本当に優秀で面白い人が多かったですね。夫は同じ年の9月に入学した、イランからの国際学生です。夫がイラン出身だからというわけではありませんが、印象に残っているのは、サウジアラビアやヨルダン、イランなどの中東からの国際学生です。中東のみならず、世界中から集まったAPUの卒業生とは今でも行き来があります。

他の大学のことはよく分かりませんが、APUの学生一人ひとりが参加する授業スタイルが印象的でした。高校までは受け身で授業に参加してきたので、学生が主体的に参加することで進行していくAPUの授業では、自分から発表したり自分の意見を言うことに慣れていなくて、最初はすごく戸惑いがありました。

私の入学時の英語は、中学・高校で身につけた、基本的な読み書き能力はあったと思いますが、間違いなく国際的に通用するレベルではありませんでした。当時は言語ラウンジという場所があって、授業の間の空いた時間を過ごす国際学生の溜まり場のようになっていて、APUの中でも特に海外の雰囲気が漂っていました。国内学生でも帰国子女の学生は抵抗なく積極的に入っていけましたが、私は最初そこに入るのにすごく勇気がいりました。

イラン人の夫(ジャハニ・モルテザ)はAPUの同期生。

イラン人の夫(ジャハニ・モルテザ)はAPUの同期生。

父/大羽武:APUの名前は開学の時に新聞で報道されていたので、知っていました。立命館が地元の支援を受けながら、別府に新しい大学を創設する、という内容でした。別府という、それまで国際的な教育機関とはまったく繋がりのない観光地に大学ができるということに正直驚きました。何かこれまでにない大胆な大学を作るという意欲を感じましたね。

立命館アジア太平洋大学という壮大な大学名に象徴されていますが、アジア太平洋地域のリーダーを養成するという高い建学の理念を掲げる新しい大学が、将来の日本が進むべきグローバルな道を大学教育の中でどのように実現していくのか、国際学生が違和感なく溶け込んでAPUの中でモチベーションを高めていくことができるのか、就職にあたっては保守的な日本企業が果たしてどれだけ国際学生を受け入れることができるのか、など期待と危惧の念を抱いて新聞報道を読んだことを覚えています。

娘に進学を勧めたのは、何よりもまだ開学2年目で大学も教職員も学生も高い理想を実現すべく、「一つ屋根の下」で懸命に努力していると思ったからです。みんなが連帯感を持って燃えているわけです。その一員になってこれから自分たちが伝統を作っていくという経験は、他の大学には求めることができませんでした。

それに加えて国際性とか語学力のことを考えました。APUは国際学生が半分で、授業は英語と日本語の2言語でやる。英語・日本語それぞれを学ぶ語学の授業もあって、授業以外でも国際学生と国内学生が混ざるわけですから、自然に英語力は伸びますよね。そして、国際学生とのネットワークができ、異文化理解も自然に身につきます。そういう環境は他の大学ではなかなか得られません。

最初にキャンパスを訪れ、別府湾を見下ろす高台にそびえる雄大なキャンパスを目の当たりにした時には、建学の精神をそのまま体現しているようで逞しい印象を受けました。地元別府の海と温泉のほか、すぐ裏にある湯布院、杵築の武家屋敷、臼杵の石仏群、青の洞門がある耶馬渓、福沢諭吉の中津市、宇佐八幡宮、美しいやまなみハイウェイと雄大な阿蘇山など、ちょっと足を伸ばせば日本文化を代表するような歴史的名所や大自然がいっぱいある、素晴らしい場所だと思いました。

君には意見がないのか、と言われて変わりました

娘/大羽真由:高校生の頃はあまり積極的に自分から前に出て行くような性格ではありませんでした。でも、入学してから大きく変わったと思います。変わらないとあの環境の中では生きていけないんです。チャンスはたくさんあるけど、自分で手を上げないと誰かに取られてしまうということを目の当たりにするのがAPUです。友人たちがいろいろな活動をしているなかで、自分は一体何をやっているんだろうと考えるわけです。それで、模擬国連に議事録を書かせてもらう形で参加したり、東京の国連大学でインターンシップをしたり経験を積みました。

変わったきっかけは、複数の国際学生と話している中で自分の意見や意思を明確に示さないと、君には意見がないのか、と言われてしまうからです。授業の中でもディベートがあるので、そこでもしっかり自分の意見を言わないといけない、という気持ちが培われました。

高校生までは、本当に受け身、受け身で来たので、自分で何かを考えて、考えたことを自分の中で消化するだけで、それをアウトプットするということはやっていませんでした。そこが大きな違いです。以前は、これを言ったら周りの人はどう思うだろうか、などと考えていたのですが、今は周りがどう思おうと自分の意見なんだから言おうというふうに変わりました。

自分の意見を表明しようと思うと、やはりそのテーマについて幅広く勉強して、自分の考えをまとめてからでないとできないですよね。だから本を読んだり、いろいろな人の話を聞いたりということは今でも続けています。今は職業柄2年か3年で部署の異動があります。そうするとまた新しい産業分野を担当して、数十年その産業分野の業務に携わっている人たちと議論しなければならない時が来ます。だから常に勉強して、自分の中で消化して、自分の意見を持ってそれを言語化するという、APUで身につけた習慣が今の仕事に生きていると思います。

第7回日独エネルギー環境フォーラム(独環境省内のベルリンの壁の前にて)。

第7回日独エネルギー環境フォーラム(独環境省内のベルリンの壁の前にて)。

父/大羽武:ドイツでは大学生になると親元を離れ、精神的にも経済的にも自立して生きていくようになります。しっかり自分の考えを持ち、社会の中で自分が生きていく道を切り開いて行かなければなりません。自信と能力を身につけて、相手に理解してもらえるように自分の考えを論理的に過不足なく表現でき、人間的にも豊かに成長して、寛容な感覚を持った国際人として生きていけるようになればいいねという話を、娘が入学する時にしました。

それまで主にテレビや書籍を通じて外国人や外国文化を理解していた環境から、いきなりさまざまな言語や文化が混在するAPUというリアルな世界を体現した大海に入りましたが、娘は溺れることもなく上手に泳ぐ術を身につけてなんとか成長していったようです。

自分をしっかり表現し、周りと調和しながら相互理解していけるような精神が学生時代に培われたと思います。娘には何よりAPUが合っていたようです。

APUは世界標準を授業においても課外活動においても実践しています

娘/大羽真由:私たちの時は先輩が作ってくれた道や誰かが実践した前例がなく、山の上で全部自分たちで一から作っていたんです。そのおかげで勉強はどうか分かりませんが、コミュニケーション能力はかなり高くなったと思います。APUでは、日常会話が世界規模での議論に必然的になるので、このグローバル規模での会話力、あるいは自分たちで企画を立てて、イベントをするためにどこで必要なものを調達すればいいか、どうやって予算を持ってくればいいか、大学とどう交渉すればいいか、学生をどうやって巻き込んでいくか、そういう形でのコミュニケーション能力や実行力はすごく身についたと思います。

繰り返しになりますが、このようにいろいろな経験をしたことが今の仕事に役立っていると思います。やはりこれだけグローバル化が進んでくると、日本だけでは物事を考えられなくなっています。世界の中で日本はどういう位置付けにあって、何が強みなのかを考えていかなければならないので、いろいろな側面から日本を見るという、APUで培った視点は仕事に生かせています。

APUに新興国から来ている国際学生は、国を背負って来ているような人が結構います。実際に30歳くらいで入学されたカンボジアの方は、日本でいうと衆議院議長のような仕事を今されています。だから意識が全然違うし、卒業後の活動が違います。新興国から来ているとても高い志を抱いている国際学生は、優秀だと奨学金など金銭面でのいろいろなサポートが得られるので、勉強がアルバイトみたいなものなんです。ものすごく勉強していましたよ。

逆に先進国から来ている学生の中には、自国に超エリート大学があるのにわざわざAPUに来ている人もいるんです。そういう人たちはユニークネスが必要だということが分かっているんですね。自国の名門校に行く人はいっぱいいて、その中のワン・オブ・ゼムになるのか、それとも自分はエリートなんだけれども、人と違うことをやってオンリー・ワンになるのか。

そういう国際学生を見ていると、とても刺激を受けました。こんなに多様性に富んだ刺激的な大学生活を送った学生の卒業後の進路はとてもユニークで、日系大手企業に就職する人はもちろんですが、起業する人もいれば、グローバルカンパニーのランキング100内の企業に就職する人、ジョブホッピングでキャリアアップを続ける人、世界的に有名な大学院に進学する人など、本当に多種多様です。今でも年1回程度の同窓会などのイベントで会うと、刺激を受けます。世の中の変化に対応できる柔軟性と勇気、グローバルな視点で俯瞰してみる習慣が身につきました。

今受験を控えている高校生は、10年後、20年後に自分はどうしていたいのかを考えて、またその時の世界がどうなっているのかよく考えて大学を選ぶといいのかなと思います。最近は技術の発達のおかげでどこにいても情報は得られるんですよ。どこにいても仕事はできるし、情報へのアクセスもできるので、都会じゃなければいけないということはもうなくなってきていると思います。

父/大羽武:日本の企業が世界の中でもっと認められ、重んじられるためには、日本社会に根強く残っている成功体験や慣習が、いかに国際社会では過去の遺物であるか、ということを認識する必要があると思います。

そのためには論理的で迅速な意思疎通や意思決定、透明性が必要不可欠です。コミュニケーション手段として積極的に英語を採用することや、外国人を重要な地位に登用することが必要ではないかという話を娘としています。

最近は多くの大学がグローバル教育を標榜し、英語力の養成に力を入れ、それを大学の特色としてアピールするようになりました。でも、その中には単に在学中に1年間、あるいは数カ月留学することを必修化しているだけの大学もあります。

私自身は宮崎医科大学の学生にドイツ語を教えながら、主としてトーマス・マンとギュンター・グラスという2人のノーベル賞作家を研究してきました。その間に2度にわたって文科省の在外研究員としてドイツに留学しました。その私が大学に期待するグローバル教育とは、もちろん手段としての高い英語能力は必要最低条件ですが、むしろ日本人の意識やコミュニケーションのあり方を変革するような教育です。そうでなければ世界では通用しません。

日本には「以心伝心」という言葉があります。しかし、日本以外の国では「はじめに言葉ありき」です。自分の考えや利害は自分で表現し、相手に理解してもらわなければ世界では生きていけません。自分の考えを冷静に論理的に発言し、相手の意見を冷静に聞いて理解し、決して感情的にならずに議論を重ねて相互理解に至る。これが世界標準です。

APUはその世界標準を授業においても課外においても実践しています。国際理解を深め、明日の世界観を形成して世界に飛躍していける教育環境にある大学です。学生一人ひとりの高い意識、教職員一人ひとりの熱心な指導と情熱は、新しく入学してくる学生に信頼と自信を与え、希望に溢れた未来を約束してくれることでしょう。

入学式の日、父が撮影した記念写真。

入学式の日、父が撮影した記念写真。

CONTENTS

株式会社コンシリウム 代表取締役。東京藝術大学美術学部大学院修了 西洋美術史専攻。日経アート編集長、日経デザイン編集長などを歴任。

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株式会社コンシリウム 代表取締役。東京藝術大学美術学部大学院修了 西洋美術史専攻。日経アート編集長、日経デザイン編集長などを歴任。