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Vol.9 家業を継ぐことの面白さを 若い世代に伝えたい ログズ 武田悠太代表に聞く

生まれたときから後継ぎ

伊藤もともと家業を継ぐつもりだったとおっしゃいましたが、小さい頃からご両親に後を継ぐように言われて育ったのですか。

武田現在の丸太屋は私の曾祖母が1953年に設立しており、今年で65年になります。次の代は一人娘である私の祖母しかおらず、結婚相手の祖父は医師だったために当時の番頭が会社を経営しました。この頃、事業がうまくいかず大きな借金を作りました。

武田家は母の代も姉妹3人でしたので、婿として迎えられた父が現在、丸太屋の社長を務めています。父は以前の負債を返しながら事業を拡大してきました。

私の代は私と妹2人の3人兄妹。私が唯一の男子だったため、生まれたときから後継ぎとして育てられました。私は父から「俺はあくまでスイッチ(一時のつなぎ)だ。お前が事業を承継できるようになんとか借金を返済していく」と聞かされてきました。

祖父や母も同様で、武田家全体の空気が「お前が後継ぎだ」と私に繰り返し語っている感じでした(笑)。

伊藤そんな後継ぎとしてのプレッシャーがかかり続ける中で、よく家を飛び出しませんでしたね(笑)。

武田私は後継ぎという立場が嫌いではありませんでしたが、自分がほかの生き方をする可能性も常に考え続けました。自分がやりたいという感情が湧き出すようなことをやっていくべきなのか、それとも自分が(後継ぎとして)やるべきと定められていることをやっていくべきかをずっと悩み続けてきました。

後を継ぐという道から外れたことをしても、おそらく両親は許してくれたのではないかと思いますが、今思えば、私自身は自分の選択肢が後継ぎ以外にないと考えるように、自らを強いてきたように思います。

ログズ1階にある服飾雑貨の現金問屋にて

伊藤家を継ぐ以外にやりたい仕事は何かあったのですか。

武田子どもの頃はピアニストになりたいと思い、小学生のときは桐朋学園大学附属の音楽教室に通って首席を争ったこともあります。当時はピアニストを目指したいと思ったときもありました。

しかし、小学校6年のときに両親から、ピアノという個人プレーを極めても会社の代表は務められないからと受験を勧められ、國學院大學久我山中学高等学校に進みました。会社をまとめるにはチームプレーを学ぶほうがいいと言われ、ラグビー部に入りました。

その後、慶應義塾大学に進みましたが、本当に家業を継ぐべきかをまだ悩み続けました。自分の気持ちを納得させようと、自転車で日本を縦断したり、バックパッカーとして世界一周したりして旅を続け、あまり勉強はしていませんでした(笑)。

ただ、ここで様々な経験をして、どこまで行っても自分は自分でしかなく、自分はやるべきことをやるしかないと腹落ちし、自分は会社を継ぐのだとはっきり思えるようになりました。

ですから、大学を卒業してアクセンチュアに入るときには、後を継ぐために経営の知識を学べる仕事を選びました。

伊藤大学時代の経験から、お父様の仕事を継ぐということに納得したのですね。

武田実際は、父の仕事を継ぐというより、会社を継ぐことは自分のためにあらかじめ用意された席に座るような感覚だったのです。子供の頃から、丸太屋の後継ぎは自分だと言われ続けてきましたから。

私のやるべき仕事は、ログズを経営しながら、丸太屋を衣料品問屋から生まれ変わらせるための新たな事業の柱をつくることです。私は丸太屋の取締役でもありますが、父が元気なうちは、旧来からの事業である衣料品問屋の部分はそっくり父とその部下の方にお願いし、私は新しいものを生み出せる事業だけに取り組んでいます。

たとえば、丸太屋では2軒のビジネスホテルを経営していますが、ホテル事業については私を中心に大規模な事業再編を行っています。デザイナーや料理人をはじめとしたクリエーターの協力の下、部屋の内装、食事、アメニティーを充実させるだけでなく、ワークラウンジ、レストラン、ギャラリー、アカデミー、スペシャルティーコーヒーなどクリエーティブな要素を付加した次世代のビジネスホテルを企画していて、2019年4月にオープン予定です。