次代を拓く企業  TOP INTERVIEW
						Penguin Tokyo株式会社 代表取締役 関根 佑輔氏

Penguin Tokyo株式会社 代表取締役 関根 佑輔氏

資生堂ジャパン、JTB、東京メトロなどのマーケティング変革を多数支援

コンサル、広告代理店では成し得ないマーケティングの変革に挑む

戦略立案から実行支援、さらには人材育成まで一気通貫でサポートする、マーケティングのプロフェッショナル集団が業界に旋風を巻き起こしつつある。今までになかった“マーケティングブティック”を標榜するPenguin Tokyo株式会社が提供する、骨太のマーケティング事業について、同社で代表取締役を務める関根佑輔氏に聞いた。

高いスキルを持つプロが集う“マーケティングブティック”

広告代理店でもなければ、コンサルティングファームでもない。ツールベンダーでもない——今までになかった新たなタイプのマーケティングのプロフェッショナル集団が業界に大きなうねりを生み出しつつある。

Penguin Tokyoが標榜するのは、“マーケティングブティック”だ。創業2年目、社員数は10名強(2019年8月時点)と小規模ながら、高いスキルを持った職人が呼び寄せられた小さな“ブティック”のように、戦略コンサル、広告代理店、事業会社などでの豊富な実績、経験を擁す社員が集う。

その強みを生かし、「戦略コンサルと広告代理店、事業会社の融合を目指し、従来のプレイヤーでは成し得なかったマーケティングの変革を一気通貫でサポートしていくことをミッションに掲げています」と語るのは代表取締役の関根佑輔氏だ。

関根氏はこれまでPanasonicで海外市場向けマーケティングに携わった後、コンサルティングファームのアクセンチュア戦略グループでマーケティング戦略立案・実行を担当。さらにアクセンチュア インタラクティブでサービス開発に従事するなど幅広い分野に携わってきた。

華々しいキャリアを捨て、社名の由来でもある、まだ誰も飛び込んでいない海に飛び込む“ファーストペンギン”の道をなぜ選んだのか。そこには事業会社、コンサルティングファームでキャリアを積んだ関根氏だからこそ、日本のマーケティング業界に対する課題意識とジレンマがあったという。

Penguin Tokyo株式会社 代表取締役 関根 佑輔氏
Penguin Tokyo株式会社
代表取締役
関根 佑輔

Panasonicにてヨーロッパ市場向けのプロダクトマーケティングに携わった後、アクセンチュア戦略グループに移り、新規事業開発やマーケティング戦略立案・実行などを支援。アクセンチュア インタラクティブ転籍後は、サービスデザイン、ブランドコミュニケーション戦略立案、マーケティングサービス開発などに従事。8年間の戦略・マーケティングコンサルタントとしてのキャリアを経て、2018年にPenguin Tokyoを共同設立、代表取締役に就任。

マーケターが抱える課題を真正面から解決したい

その1つが、テクノロジー偏重によるひずみだ。近年、進化を遂げてきたマーケティング・テクノロジーは指数関数的に急増し、顧客データの可視化・分析などを基にした“データドリブン”なマーケティングを実現してきた。

だが、その弊害として「本来、手段であるはずのテクノロジーの導入やデータ活用自体が目的化し、フォーカスすべき経営課題を見失う“戦略なき戦術”に陥るケースが散見されます」と関根氏は指摘する。「急速に拡大していたマーケティング・テクノロジーも、その成長・循環は一巡しています。バズワードやトレンドに惑わされず、テクノロジーの投資対効果も経営全体を俯瞰し、シビアに検討することが肝要です」。

2つ目にサービス提供側の課題を挙げる。「マーケティングの本質は、いかに人の心を揺り動かし、行動を変容させ、広くブランド・サービスの価値を世に届けるかにあります」と関根氏。そのためには戦略立案から施策実行まで、テクノロジー、クリエイティブなどすべての要素を融合し、全体最適化を図っていくことが必須だ。

しかし現状は、戦略立案はコンサルに、クリエイティブ制作や媒体選定は広告代理店に、ツールはベンダーに、といった具合で役割ごとに機能が分かれ、それらを束ねる機能がない。そのため、「思い描いた戦略が、いざ実行となると、うまく歯車が回らないケースが多いです」。

3つ目に挙げるのが、マーケティングを担う人材リソースの不足だ。企業によっては、マーケティングを統括するCMOなどを設置するケースも増えているが、プロのマーケターを育成するための明確なプログラムやキャリアパスが存在しない企業がまだまだ多いのが実情だという。結果、外部パートナーに任せきりで、コストばかりが出ていくという事態にもなりかねないと指摘する。

さらに、かつてのコンサルタントという第三者の立場では「昇進するほど最後までクライアントに伴走してともに実行できないという限界や、自身の汗や成果にかかわらず固定のコンサルフィーがかかるビジネスモデル」にも疑問を感じていたと関根氏。そこで、同じ課題意識を持っていたアクセンチュア時代の同僚であり、共同創業者の取締役副社長・勅使川原晃司氏とともに独立に至ったという。

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