日経クロストレンドフォーラム 2026
トレジャーデータ

データとAIを「自らの手」に
~東横INNの変革から紐解く、自走するロイヤルユーザー戦略~

「MAを導入したものの、外注依存で施策が後手に回る」。そんな状況を打破すべく、東横INN 元CMO中澤氏が現場の操作性を最優先したMA乗り換えの舞台裏を明かした。なぜマーケターがデータとAIを「自分で直接動かせること」が不可欠なのか。顧客体験をその場で最適化する、真の自走戦略の全貌に迫る。

東横INNが挑んだ
顧客体験とブランド価値の再構築

日本最大級のホテルチェーンの東横INNはリピーター比率が高く、多くのロイヤルユーザーに支えられてきた。一方で、コロナ禍で打撃を受け売り上げが半減し、大きな転機を迎えていた。その変革を担うために2021年にCMOとして入社したのが、現在ミレマーケティング代表・ブランド変革アドバイザーを務める中澤千代子氏だ。

中澤氏が取り組んだのは、リブランディングとデジタル接点の刷新に加え、マーケティングの仕組みそのものを見直した。狙いは、ロイヤルユーザーとの関係をより深め、LTVを高めるためだった。こうした取り組みを通じて、売り上げは1,800億円まで回復(2026年3月期)。その原動力になったのが、ブランド価値と顧客体験の再構築だった。

「東横INNはリピーター比率が非常に高いホテルです。しかし、そのロイヤルユーザーのリテンションレートが一時下がってきていました」(中澤氏)

東横INNは国内350店舗、海外を含めると367店舗を展開している(2026年7月末現在)。地域によって販売状況や宿泊ニーズは異なり、利用する顧客層もさまざまだ。そのため、全国一律の施策ではなく、エリアや店舗、さらには顧客一人ひとりに合わせたコミュニケーションが求められていたという。

ミレマーケティング
代表/ ブランド変革アドバイザー

中澤 千代子 氏

「エリア、店舗、そして顧客ごとに細かくセグメントし、素早く施策を打てるようにしていきたいと考えました」(中澤氏)
その思いが、マーケティング改革の出発点だった。従来利用していたMAでは、セグメント作成や配信設定などを外部に依頼する場面が多く、改善施策をスピーディーに回すことが難しかったという。日々変化する需要に対応するには、マーケター自身がデータを分析し、アジャイルに施策を実行できる環境が必要だった。

改革実現のために東横INNが踏み切ったのが、MAのリプレイスだ。
「とにかく内製化したかったんです。目標は、1年で自分たちだけで動けるようになることでした」(中澤氏)

操作性を重視し
トレジャーデータのMA基盤を採用

改革を支えるために東横INNが採用したのは、トレジャーデータが提供するCDP(Customer Data Platform/顧客データ基盤)とMAを組み合わせたマーケティング基盤だ。トレジャーデータは、3人の日本人がシリコンバレーで創業した企業で、国内シェアNo.1(※)のCDPを展開し、著名な投資家からの出資も受けながら事業を拡大してきた。ノーコードでデータの分析やセグメント作成ができるなど、マーケター自身がデータを活用しやすい環境を提供している点も特徴だ。

※出典:ITR「ITR Market View:メール/Webマーケティング市場2026」 CDP市場:ベンダー別売上金額推移およびシェア(2017~2025年度予測)

図表

中澤氏は、システム選定で最も重視したポイントについてこう振り返る。 「マーケターが自ら使えて、分析までできることが一番大きなポイントでした。セグメンテーションも分析も、SQLを書けなくても直観的に扱える点です」(中澤氏) この仕組みにより、顧客データの蓄積から分析、セグメント作成、メールやLINEによる配信までを一連の流れでつなげることで、施策実行までのスピードを高めた。顧客データは販売分析だけでなく広告施策にも活用されるため、データ連携のしやすさがマーケティング全体のスピードを左右する。「データをためる」だけではなく、「すぐに動かせる」ことが重要だったのである。

図表

中澤氏は、CDPとMAを組み合わせて導入した理由についても説明する。
「データウェアハウスは全社のデータを蓄積・管理するための基盤です。一方、マーケティングでは、お客さま一人ひとりにメールやLINEを配信したり、公式サイトでリアルタイムにコミュニケーションしたりする必要があります。マーケターが自らデータを扱い、すぐに施策へ反映するには、独自にCDPを活用する方が効率的でした」(中澤氏)

販売分析だけでなく、広告施策にも同じファーストパーティーデータを活用できることから、データ連携の効率も大きく向上したという。データを「ためる」だけでなく、「すぐに動かせる」ことが、東横INNが目指したマーケティング改革には欠かせなかった。

トレジャーデータ Chief AI Officer兼Head of AI Professional Servicesの當摩和也氏も、「誰がデータを使うのか」という視点が重要だと語る。

「CDPはマーケターが使うものです。エンジニアの知識がなくても、マーケター自身がデータを活用し、AIを使いながら施策を実行できることに価値があります」(當摩氏)

マーケターが顧客データを理解し、その場でセグメントを切り、施策を実行する。東横INNが目指した「自走するマーケティング」は、まさに現場が自ら動ける環境づくりだった。

トレジャーデータ
Chief AI Officer 兼
Head of AI Professional Services

當摩 和也 氏

AIを「相談役」から「実務家」へ

「AIは単独では、相談役にしかなりません。生成AIは優れた推論能力を持ちますが、企業独自の顧客情報や行動データがなければ、最適な判断や施策の実行までは行えません。トレジャーデータが目指しているのは、『知覚』『記憶』『知能』『実行』の4つを組み合わせたAIです。音声など現場の情報を取り込み、顧客データを長期的に蓄積し、そのデータを基に推論し、実際のマーケティング施策まで実行します。AIは『考える』だけではなく、マーケティング業務を支える『実務家』として機能します」(當摩氏)

図表

一方、中澤氏は「AIを積極的に使うべき時代だからこそ、人が担うべき役割もより重要になる」と話す。自身も独立後、複数のAIを「部下」のように活用し、業務スピードを大幅に向上させているという。しかし、AIに任せられない領域もある。「なぜその戦略を選ぶのか」「なぜそのブランド価値を伝えるのか」といった意思決定や判断は、人が担うべき仕事だと語った。

ロイヤルユーザーを離さない
ブランドづくり

中澤氏は、リブランディングで重要なのは、既存顧客との関係性を損なわないことだと話す。
「リブランディングでは、新しい顧客層を意識するあまり、それまで築いてきたブランドの価値や既存顧客との関係性が損なわれてしまう失敗も少なくありません。まずはブランド資産を整理し、東横INNがこれまで積み重ねてきた価値を改めて定義しました。その上で、その価値を一貫して届けられるよう、ブランドと顧客体験を再設計しました」(中澤氏)

ブランド価値を再定義した後は、それを顧客とのあらゆる接点で一貫して体現できる仕組みづくりを進めた。予約サイトやアプリ、メールなどのデジタル接点だけでなく、ホテルでの接客やサービス、さらには従業員へのインターナルブランディングまで含めてブランド体験を設計。顧客データを活用したCRM施策やリアルな接客を組み合わせることで、デジタルとリアルの両面から一人ひとりに最適な顧客体験の提供を目指したという。

AIの進化は加速し続ける。しかし、その価値を最大限に引き出すのは、AI任せではなく、人が目的や戦略を定め、データとAIを自らの手で動かす姿勢だ。そうした「自走するマーケティング」への変革こそが、AI時代の競争力を左右していくはずだ。