ソフトウェアが進化をけん引する新しい概念のクルマ「ソフトウェア・デファインド・ビークル(SDV:Software Defined Vehicle)」が、自動車産業の新たな発展の方向を示すキーワードとしてクローズアップされてきた。「CASE」と呼ばれる自動車業界の4つの大きなトレンド。すなわち「コネクテッド(Connected)」「自動化(Autonomous)」「シェアリング(Sharing)」「電動化(Electrification)」のトレンドが進んだ時に、クルマがソフトウェア・デファインドの世界にシフトすることが見えてきたからだ。ソフトウェア・デファインドの概念は、クルマのアーキテクチャだけでなく、産業構造や市場の競争原理にも大きな変化をもたらす。ここでは、SDVが業界にもたらすインパクトとともに、自動車産業の新しい時代に向けたビジネス基盤構築のアプローチについて述べる。

近年、自動車業界では「CASE」に関わる分野の競争力強化に向けた動きが活発化している。その一方で、ポストCASEの時代を見据えて、いち早く事業体制の変革に取り組む動きも出てきた。これまでのビジネスモデルの延長では、大きな変革期を乗り越え、継続して競争力を維持することが難しいからだ。

マイクロソフト コーポレーション
自動車産業担当ディレクター
江嵜 智行 氏

自動車業界に向けたITシステムの構築に長年わたって関わり、業界のトレンドに詳しいマイクロソフトコーポレーション 自動車産業担当ディレクターの江嵜智行氏は、「ソフトウェア・デファインドへのシフト」が自動車業界にもたらす変化は、とてつもなく大きいと語る。「スマートフォンがいわゆる“ガラケー”をディスラプト(破壊的な勢いで業界から駆逐すること)しました。“デジカメ”がフィルムカメラをディスラプトしたのも私たちは目撃しています。これらと同じことがクルマにも起きる可能性があります」(江嵜氏)。つまり、情報システムと常時つながっているコネクテッドが当たり前となり、OTA(Over-the-air)によるソフトウェアアップデート技術が普及すると、市場でユーザーがクルマをアップグレードすることができるようになる。これこそがSDVの姿である。クルマとクラウドが商品として一体化しソフトウェアで特徴や機能が決まるクルマである。

サーバー、ネットワーク、ストレージなどを仮想化技術で抽象化してコンピュータリソースをソフトウェアで操作管理する「ソフトウェア・デファインド」という概念は、必ずしも新しい言葉ではない。すでに情報・通信の世界では広く認知されている。さらに近年、自動車開発においてソフトウェア開発が占める領域が目立って増えてきたころから、自動車業界においてもソフトウェア・デファインドという言葉が使われるようになった。ただし今、SDVがもたらす価値を従来の延長で捉えるとそのインパクトの大きさを過小評価してしまう恐れがある。「従来ソフトウェアは、ハードウェアを中心に構築されたクルマの機能の一部を補完するために用いるもの、あるいはハードウェアの隙間を埋める役割を担うものに過ぎませんでした。今、焦点になっているソフトウェア・デファインドへのシフトは、クルマが、ハードウェア中心のシステムから、クラウドと一体化したソフトウェア中心のシステムへとシフトし、同時にクルマの外と繋がることが当たり前になるということです。つまり、クルマのあり方・価値の再定義といえるでしょう」(江嵜氏)。

クルマのアーキテクチャが激変

SDVを実現するには、ハードウェアとソフトウェアがDecoupling(分離)された次世代の「E/E(電気/電子)アーキテクチャ化」が必須となる。つまり、車両の物理的な安全性・耐久性を担保するハードウェアの領域と、クルマの特徴・機能を定義付ける様々なアプリケーションを実装するソフトウェアの領域が切り離される。さらに将来はクラウド上に配置された多くのソフトウェアが車両のハードウェアを制御するようになるだろう。実は、この特徴が産業に与える影響は大きい。アプリケーションに関するソフトウェアの領域は、ハードウェアに比べて技術障壁が格段に低いので、自動車以外の分野から参入する企業が増える可能性があるからだ。

「移動体としてのクルマの安全性や量産技術の信頼性を確保することが最重要であることは、今までと変わりません。ここはハードウェア中心の領域なので、豊富な経験や実績を持つ自動車OEMなど既存企業が、これまで蓄積した技術やノウハウをコアにして有利に差異化を図ることができるでしょう。一方、社会的価値や消費者体験にインパクトを与える付加価値を創出することによる差異化はソフトウェアの領域で担うことになります。ここで自動車業界・業際を越えた異業種連携のエコシステムが生まれ、新たな社会的価値やビジネス上の価値が次々と生まれることが期待できます」(江嵜氏)。

このケースはスマートフォンの事例に近い。ハードウェアとソフトウェアが結合していた携帯電話がスマートフォンに発展したとき、通信システムとしての基本的な機能を提供するハードウェアと、多彩な機能を提供するソフトウェアが分離され、スマートフォンは多彩なアプリ(ソフトウェア)を実行するプラットフォームになった。この仕組みができたことによって、アプリの市場が生まれ、その拡大とともにスマートフォンは通信機器の枠を超えて多様な進化を続けている。これと同じことがクルマで起きるということだ。

さらにSDVは、クラウドと連携するコネクテッドが前提になっている点も重要な特徴である。クラウドだからこそ提供できる莫大なコンピューティング・リソースを活用しながらクルマ単体では実現できなかった多様な機能を実現できる。「例えば、クルマ単体で認識できるのは、車載カメラやレーダー、LiDARなどのセンサーで認識できる数百メートルの範囲に限られます。ですが、クラウドと一体化すれば、さらにその先の進行方向の道路状態・渋滞・天候情報など街全体を鳥瞰することができ、一台一台のクルマのコンテキストに合わせた、『クルマ×ドライバー×環境』の三位一体のリアルタイム相互連携が実現可能となります。いわば、クルマにとってクラウドがもう1つの『インテリジェントセンサー』になると言えます」(江嵜氏)。

SDVへのシフトにより激変する市場の中で有利に事業を展開するうえで、今後はソフトウェアが大きなカギを握るのは間違いない。このため、すでに一部の自動車OEMやサプライヤは、SDV時代に向けてソフトウェア開発を強化する動きを見せている。その一例が、ドイツのフォルクスワーゲン(VW)である。同社は2019年6月に、新たなソフトウェア開発の専門部署立ち上げたことを明らかにした。同部署のミッションは、車載ソフトウェアと同社が管理するクラウドで構成する、大規模なソフトウェア・プラットフォームをいち早く実現することだ。

業界業際を越えたエコシステムのプラットフォームとして

クルマの主流がSDVへと移行する動きは、遠い将来の話ではない。早ければ2025年頃にも顕在化する可能性がある。

SDVへの転換を後押しする動きは大きく2つある。1つは、CASEの進展である。

CASEのトレンドが進むと、従来の領域を超えてクルマがさらに進化する。例えば、クルマを含む様々な個人の乗り物と、電車やバスなどの公共交通がシームレスになって一体化し、社会や人々にとって最適な移動手段をサービスとして提供する「MaaS(Mobility as a Service)」の概念が具現化されていく。ICT(情報通信技術)を駆使して都市を支えるシステムの全体最適を追求する「スマートシティ」にもクルマが組み込まれる。

そうなると、クルマが様々な外部のシステムと密接に連携することから、そこで浮上する様々な課題やニーズは、自動車OEMのみで対応できる範囲を超える。自動車OEMは、多様な業界を巻き込んだエコシステムを構築し、それぞれの業界の技術やノウハウをクルマのシステムに活用しなければならない。このための仕組みを、もっとも合理的な形で実現できるのがクルマ自身のSDV化である。ハードウェアから分離されたソフトウェアの領域に、様々な業界の技術やノウハウを実装することができる。

SDVへのシフトを後押しするもう一つの要因は、社会環境の変化である。例えば、「サステナビリティ」を重視する機運が世界全体で高まっている。もはや、かつてのように優れた機能や性能を追求するだけでは自動車産業は市場の支持は得られない。「クルマに対する社会の要求が厳しくなっていることから、『クルマ=モビリティーはどうあるべきか』を改めて考えて、クルマを再定義することを自動車産業は迫られています」(江嵜氏)。

さらに、世界規模の新型コロナウイルス感染拡大という事態がSDV化に拍車をかける可能性がある。「コロナ禍に直面し、いまが不確実な時代であることを世界中で多くの人々が認識しました。これとともに環境の変化に迅速かつ柔軟に対応できる能力を重視する考えが様々な分野に広がっています。パンデミックに限らず、自然災害、地政学リスクなどの不確実性に柔軟・迅速に対峙できる構えをどう作るかが、今後多くの分野で重要課題となるでしょう。これとともにハードウェア中心からソフトウェア中心へのシフトが加速すると見ています」(江嵜氏)。

ここにきてSDVの時代に向けて自動車産業が大きく変化しようとしている。こうした中で、既存の自動車OEMや自動車に関連する企業が競争力を維持しつつ成長を続けるために、いま何をすべきなのか。後編では、自動車OEMをはじめ、新しい時代を迎える自動車関連企業が直面する課題と将来に向けたチャレンジについて言及する。