大きな変革期を迎えた自動車産業では、新しい時代に向けた革新的な取り組みが、異分野も巻き込みながら着々と進んでいる。こうした状況を受け、次世代自動車産業のニーズを先取りしたソリューションである「ソフトウエア・デファインド・ビークル(SDV:Software Defined Vehicle)」を展開するマイクロソフトの江崎智行氏と、技術とビジネスの両面から自動車産業の動向を長年にわたり取材している、技術ジャーナリストのオートインサイト代表 鶴原吉郎氏が、自動車産業にかかわる日本企業が採るべき成長戦略のキーポイントや直面する課題について議論した。前編では、業界が置かれている状況を多角的に分析。後編では、自動車産業新時代を勝ち抜く具体的なアプローチについて言及する。

マイクロソフト コーポレーション
自動車産業担当ディレクター
江崎 智行 氏

江崎氏 自動車産業の変化が、思っていたよりも早く進んでいるように感じています。グローバルIT業界の視点で長年にわたって自動車産業にかかわってきました。10年前に「2020年の自動車産業の将来展望」を描いた際に、「つながるクルマ(コネクテッド)」という方向、クルマの所有から利用への動き、消費者中心のシームレスな移動手段をサービスとして提供するMaaS(Mobility as a Service)」の概念、異業種連携のエコシステムの重要性などを指摘していました。定点観測しながらお客様の変革をご支援していく中で、当時の私たちの頭の中にあったビジョンは、着実に現実のものになっています。

ただし、変革のスピードが当時思っていたよりも早い。特に2021年に入ってからは、コロナ禍においてさえも加速度を増しており、トレンドの大きな潮目が目前に迫っていることを感じています。例えば、自動車業界の4つの大きなトレンドを表す「CASE(Connected、Autonomous、Sharing、Electrification)」に加え自動運転を巡る様々な取り組みの中で、パイロット段階から商用化に向けて動き出すプロジェクトが急増しています。

鶴原氏 確かにそうですね。日本の自動車業界でも、2021年前半だけで大きな出来事が立て続けに起きています。2021年3月にホンダから、世界で初めてシステムが運転を行うレベル3の自動運転システムを搭載したクルマが商用化されました。2021年4月には、トヨタからハンズフリー運転を可能とする運転支援システムを搭載した車両を販売するとの発表がありました。ただ、自動運転や運転支援は、人命尊重の観点から商用化に向けて当初考えられていたより慎重に進んでいると感じています。一方で、私が予想よりも早く進んでいると思うのは、EV(電気自動車)化です。

当初、2030年まではハイブリッド車(HEV)でCO2規制に対応できると考えていた日本の自動車メーカーも多かったのではないでしょうか。グローバルで脱炭素化の社会的要請が高まる中、ヨーロッパ各国や中国は、2030年に向けて非常に高いEV比率の目標を掲げています。米国最大の自動車メーカーであるGM(General Motors)も、2035年までに乗用車と小型トラックの全モデルをEV化する計画を打ち出しました。2020年10月、日本政府は国内の温室効果ガスの排出を2050年までに「実質ゼロ」とする「2050年カーボンニュートラル宣言」を発表。日本の自動車業界もいま、対応に迫られています。

重要な視点は、カーボンニュートラルへの対応が単なる環境保護にとどまらず、EVを機軸とした自動車産業の構造変革をもたらすということです。EVの開発競争が激しさを増す中、日本の自動車メーカーは生き残りをかけた正念場を迎えています。2021年4月にホンダが2040年に世界での新車を全てEVとFCV(燃料電池車)とするとの計画を公表したのは、危機感の表れだと考えています。また、サプライヤーもカーボンニュートラルを見据えて動き出しています。国内最大手の部品メーカーであるデンソーは、電動パワートレーンや運転支援システムの事業に注力し、エンジンなど既存技術の分野は、段階的に縮小していくという2035年に向けた戦略を発表しました。

取り残されるか、変化を味方につけるか

江崎氏 EV化が進むことで、「クルマ」の概念が変わるはずです。それに伴って産業構造が変わるのは当然ではないでしょうか。マイクロソフトでは、次世代のクルマの概念を指す言葉として「SDV(Software defined Vehicle)」を打ち出しています。SDVは、ソフトウエアで特徴や機能が決まるクルマです。情報システムと常時つながっているコネクテッドが当たり前となり、OTA(Over-the-air)によるソフトウエアのアップデート技術が普及すれば、クルマが市場に出た後でも、ユーザーが自分の好みやコンテキストに合わせてクルマの機能を変更・選択ができるようになります。

これを前提に、SDV時代に向けて「ソフトウエア・デファインド・ジャーニー」というロードマップを描きました。「ソフトウェア・デファインドの世界」を実現する為には、「守りと攻め」の両輪でのデジタル・ケーパビリティ―の強化が必要となりますが、そのロードマップに欠かせないのがデジタル・バックボーンとしてのクラウドの役割です。クラウドだから提供できる莫大なコンピューティング・リソースや、IoT、AIなどの先進技術が、クルマに新たな価値の創造を可能にします。

ロードマップの背骨となるのはSDVの実現に欠かせないクラウド

技術ジャーナリスト
元日経Automotive Technology編集長
鶴原 吉郎 氏

鶴原氏 SDVへの移行の過程で、危惧するのは淘汰される部品メーカーが出てくる可能性があることです。SDVでは、部品レベルにおいてハードウエアとソフトウエアが分離され、統合されたECU上で複数の部品を制御するソフトウエアが動作するようになるため、これまでECUと制御ソフトを一体で供給していた部品メーカーにとっては、付加価値の減少につながるからです。SDVでは、無線通信を使ってデータの送受信を行うOTA(Over the Air)によりクルマの機能がアップデートされるため、サイバーセキュリティの観点からもECUの統合圧力がかかります。一方で、統合ECUを開発・製造するメガサプライヤー(大手部品メーカー)にとっても、巨大な統合ECUをどういう手法・組織で設計するのかは大きな課題です。すでに、トヨタとデンソーは統合ECUの開発に向けて社内組織の改革を進めています。デンソーではリカレント教育を行い、統合ECU開発に向けて人材の育成にも積極的です。

PCの Windows、スマートフォンのAndroidやiOSのように、SDVにおける“OS”とも呼べるビークルOSの開発競争も始まっています。フォルクスワーゲンはvw.OSを実用化し、トヨタはArene OSを開発中です。自動車メーカーとしては開発の効率化に加え、自社向けのソフトウエア開発環境を整えることによって、アプリケーションのベンダーを囲い込むことを狙っています。一方で、部品メーカーやアプリケーションのベンダーにとっては、複数のビークルOSへの対応といった新たな課題への対処が必要になります。

江崎氏 今後さらにコモディティ化されていくハードウエア・プラットフォームの上に、フレキシブルなソフトウエア・サービスを開発しカップリングするSDVでは、プレイヤーも大きく変わります。重要なポイントは、これまで登場してこなかった2つのタイプのライバル企業の存在です。1つは、EV専用メーカー。米国EVメーカーのテスラは、OTAによるサービスをいち早く商用化しSDVの世界をすでに具現化しています。

もう1つが、異業種からの参入です。アップルiPhoneの組み立てを担う台湾の鴻海精密工業を有するフォックスコン(Foxconn)は、EV開発に向けたハードウエア・ソフトウエアのオープンプラットフォーム(MIH EV Open Platform)を立ち上げ、あらゆる分野から参加企業を募りプラットフォームを介したアライアンスによってイノベーションを狙います。ソフトウエアで付加価値を高めるSDVのコンセプトは、スマートフォンのビジネスモデルと同じ考え方です。フォックスコンがiPhoneで培ったノウハウを活かし、EV/SDV/AD(自動運転)による新市場を席捲してしまうのではないか、自動車産業にかかわる日本企業は、“今”このオープン戦略に向けた有効な手を打たなければ、取り残されてしまうのではないかと危惧しています。

鶴原氏 変化に挑む上で、危機意識はとても大切です。少し前まで日本の自動車業界では、EV化はエンジンがモーターと電池に置き換えられるだけという認識が一般的でした。しかしEV化のビジネスにおける重要な点は、クルマの持っている価値や業界地図を大きく変えてしまうところにあります。これからは、ライバル企業は業界の中だけとは限りません。鴻海精密工業のように、様々な分野の企業とコンソーシアムを組み、技術のオープン化戦略で自動車分野に参入する企業もあれば、日本電産のように様々な技術を持つ企業を買収することで「ワン・ストップ・ソリューション」を提供しようとする企業もあります。こうした新規参入企業は、既存企業とは異なる戦略を自動車産業に持ち込もうとしています。

開発環境の再整備は不可避

鶴原氏 江崎さんがご説明されたソフトウエア・デファインド・ジャーニーの中で、クラウドベースのデジタルバックボーンというキーワードが出てきました。SDVの実現に向け、マイクロソフトは具体的にどのような役割を果たしていくのでしょうか。

江崎氏 マイクロソフトは、自ら自動運転車を作ることはなく、データが常に顧客の管理下にあることを保証し、ブランドとカスタマーエクスペリエンスが顧客に帰属することを保証しています。ソフトウエア開発者が求めるシームレスな開発環境を提供するのがマイクロソフトの役割です。広く一般ユーザー向け、いわゆる市民開発者(Citizen Developer)向けには、「Microsoft Power Platform」を提供し、Power BI/Power Apps/Power Automateにより、AI/BIを利用した新たなサービスの迅速な開発、ローコード開発を支援します。クルマ開発に従事するソフトウエアエンジニア(Pro Developer)向けには、CI/CD-AI/ML-HPCまでのエンドツーエンドのワークフローをシームレスに最適化する開発環境を提供していきます。オープンソースの開発プラットフォームGitHubとAzure DevOpsを連携したパイプラインマネジメント、さらに自動車業界に特化した機能拡張にも取り組み、SDV化に向けたソフトウエア開発生産性・効率化のための最適な開発環境の提供を目指しています。

具体的な話として、2021年1月末から同年2月中旬にかけて、マイクロソフトは欧米で3つの戦略的パートナーシップを発表しました。

1つめが、GMと同社傘下の自動運転開発会社Cruiseとの提携です。マイクロソフトのクラウドやエッジコンピューティングプラットフォームを活用し、Cruiseは自動運転ソリューション・モビリティー事業の商用化を目指します。マイクロソフトのクラウド Azure が選択された理由の1つとして、「自動運転商用化の取り組みは、Tech RaceではなくTrust Raceである」と評価されていることがマイクロソフトの位置づけ・役割を端的に表していると思います。

2つめが、フォルクスワーゲングループとの提携です。両社が連携してクラウドベースの自動運転開発プラットフォームを構築。開発プロセスの簡素化、グループ各社に対する自動運転ソリューションのスピーディな展開を可能とします。

3つめが、自動車機器サプライヤー最大手のボッシュとの提携。車両とクラウドを連携するSDVプラットフォームの開発に取り組み、業界全体のSDV化へのシフトを促進するため、オープンエコシステムとしてのアプローチ、重要コンポーネントのソースをGitHub上での公開も視野に入れます。

自動運転やOTAの商用化などの取り組みは、コロナ禍で一時的にスローダウンしたのですが、2021年に商用化に向けた動きと、コロナ後に向けた攻勢の機運が一体となり、一気にSDV実現に向けてスピードアップしてきたと感じています。

マイクロソフトは開発環境を提供する。あくまで、自動車メーカーや部品メーカーと競合することはない

SDVの進展は、産業構造やクルマの価値を大きく変え、これまでクルマをつくってこなかったIT企業の参入など、業界地図を一新する。後編では、SDV時代に向けてクルマの価値を再定義し、多様化する顧客ニーズに応えるCX(顧客体験)戦略など、日本の自動車メーカーや関連企業が自動車産業新時代を勝ち抜くための具体策について考察する。

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