「データ」が企業経営における重要資産となって久しい。現在は、組織内のビジネスデータに加え、IoTやSNS、オープンデータなどのデータソースも次々登場。多様なツールがクラウド上で提供されており、ユーザーは目的に応じて、いつでも好きなものを利用できるようになっている。一方、だからこそ忘れてはいけないのが「データをどうビジネス成果につなげるか」という視点である。そのために必要な人材の育て方や、あるべき組織の姿、活用すべきソリューションとはどのようなものなのか――。これを考える機会として、日経クロステックは「データサイエンティスト・ジャパン2020」をオンラインで開催した。ここでは当日の模様を概括する。
「データサイエンスとは、大量のデータから有益な示唆を抽出することで、経営改善や社会における意思決定を図っていく方法論だと考えます。しかし、データサイエンティスト教育を取り巻く現状を顧みると、十分に理解が深まっていない面もあるように感じます」と指摘するのは横浜市立大学 大学院の山中 竹春氏だ。
例えば、データサイエンス教育を進めるための方法として、学生に統計学を学ばせる大学は珍しくない。また、学生が利用するテキストについても、統計学を主体とした内容のものが数多く見受けられる。あたかも統計学そのものが、データサイエンスと同義のように捉えられている印象だ。
「データサイエンスから導き出される答えについても、私の考え方からすれば決して1つではありません。しかし、『解が一意でないものをサイエンスと呼べるのか』というご指摘を受けたこともあります。この問題を解くカギは、マイケル・ギボンズの『モード論』にあります」と山中氏は述べる。
モード論では、いわゆる伝統的な学問体系を「モード1」と定義。これに対して、具体的な問題解決を目指すミッション・オリエンテッドな文脈から研究テーマが設定される学問を「モード2」と定義している。「データサイエンスは、社会の期待をどれだけ満たせたかで評価される『モード2の科学』と位置付けられます。超少子高齢化をはじめとする日本の現状や、将来像を踏まえた生産性向上を目指すにあたっては、モード2の科学の重要性が一段と増しています」と山中氏は話す。
もちろんこれはモード1かモード2かという二者択一の話ではない。古典的な統計学は、データ分析の基礎理論でもある。モード1の無いところにはモード2も存在しない。しかし、この両者がきちんと区別されていないところに「日本のデータサイエンス教育の問題がある」と山中氏は警鐘を鳴らす。
実際のデータ分析業務も、統計学や情報学を駆使する「データサイエンス力」だけでは不十分。データサイエンスの実装や運用を支える「データエンジニアリング力」や、具体的なビジネス課題を整理・解決する「ビジネス力」が不可欠だ。
こうした状況を背景に、横浜市立大学では東京理科大学、明治大学と共同で「文理融合・実課題解決型データサイエンティスト育成事業」を展開している。ここでは、例えば、行政側に立ち「税金の未回収額を10%削減」といった現実に即したテーマを設定。その解決に向けてどうすべきかを学生に考えさせるPBL(問題解決型学習)を実施している。また、政策分野だけでなく、企業やプロスポーツチームと協同で、実際のビジネス課題を解決する取り組みも実施。非常に実践的な内容であるため、学生の学習意欲も非常に高いという。
「加えて本学では、自治体向け/社会人向けのデータエキスパート育成コースなども開講しています」と山中氏は話す。
「AI戦略2019」を発表するなど、最近では政府でもAIやデータサイエンスを教育に取り入れる動きを加速させつつある。「当研究科でも、『未来はデータで見えてくる。』という考えのもと、引き続き次世代を担うデータサイエンティストの育成に力を注いでいきたい」と山中氏は今後の抱負を述べた。
データ活用をビジネスの中核施策と位置付け、データサイエンティストの育成に力を入れている三井住友海上火災保険(以下、三井住友海上)。理系で、プログラミングが得意な人材というイメージが一般的なデータサイエンティストだが、データの分析結果は業務の現場で使われてこそ価値が出る。そのため、「ビジネス力」も重要なスキルの1つだと同社は定義している。
「ビジネス力に文系・理系は関係ありません。つまり、比較的人数が多い文系人材をどうやってデータ分析になじませていくかが、データ活用戦略を加速する重要な手立てになると考えています」と同社の木田 浩理氏は言う。事実、木田氏自身も文系出身のデータ分析人材である。
この方針のもと、木田氏はかつて所属していた企業でCRMマーケティング担当者とコールセンター担当者を抜擢し、教育を進めた経験がある。
具体的には、ノンプログラミングでモデリングまで可能なGUIツールを活用するとともに、問題解決のフレームワークやコミュニケーション力、プレゼンテーション力の向上を図った。その結果、約3カ月でデータサイエンティストの基礎的な素養を習得。現在は、それぞれ別の企業で一線級のデータサイエンティストとして活躍しているという。
「育成のポイントは、分析スキルや統計知識だけで評価したり、いきなり高度なレベルを求めたりしないことです。粘り強く教育を続け、モチベーションの維持・向上を図ることが肝心です」と木田氏は強調する。
同社では、データ分析人材育成施策としてアクチュアリー(保険数理人)をデータサイエンティストに育成する取り組みを進めている。この職種は数理統計学に強く、日ごろから多くのデータに接しており、社内で最もデータ活用に馴染みやすいと考えたためだ。さらに人材のすそ野を広げるため、東洋大学情報連携学部と提携した人材育成プログラムも展開。全社員のデータ分析力強化にも取り組んでいる。
また、同じく同社が力を入れているのが、データサイエンティストと業務現場の“つなぎ役”を育てることだ。近年「ビジネストランスレーター」という新たなデータ人材として注目されている。
同社が「データ分析層」と呼ぶこの人材は、ビジネス上の課題をデータ分析で解決するための企画を立案する。「ビジネス力がカギとなるこの仕事も、文系人材が活躍できるポジションの1つです。『うちは文系出身ばかりだから』と、データ活用をあきらめる必要はまったくありません」(木田氏)。
こうして高めた組織のデータ分析力を、ビジネス変革につなげる活動も進めている。テクノロジーの力でビジネスリスクを可視化し、解決につなげる「RisTech(リステック)」の取り組みがその1つだ。同社が有する保険データをデータサイエンティストが分析し、地震や水害対策、工場の事故の予兆把握などに役立てることで、安全・安心な社会の実現に貢献する。
データサイエンティストは理系人材の専売特許ではない。「むしろ、文系・理系それぞれの得意領域を生かして、二本柱で変革を進めていくことが重要です」と木田氏は語る。三井住友海上のチャレンジは、データ分析人材の不足に悩む企業の明るい道標になるだろう。