人口減少に直面する我が国が経済を持続的に成長させるには、国民1人当たりの名目GDPを伸ばさなければならない。しかし、その額は停滞を続けている。成長の原動力として頼みの綱はデジタル技術だが、日本はその競争力でも伸び悩んでいる。「残念ながら、アメリカをはじめとするデジタル先進国の“周回遅れ”であるという現実を直視せざるを得ません」とデロイト トーマツ グループの松江 英夫氏は語る。
政府も、これまで現状打開に向けたいくつもの施策を講じてきたが、効果はあまり表れていない。先ごろ経済産業省によって公開された「DXレポート2(中間取りまとめ)」にある通り、95%の日本企業がデジタルトランスフォーメーション(DX)に未着手で、89%の従業員にデジタル教育の機会が用意されず、IT予算の8割がレガシーシステムの改修に使われているのが現実だ。
「デジタル化が進まない背景には“内向きなタコツボ型”という日本の特質があります」と松江氏は指摘する。これは、縦割りのセクショナリズムが強く風通しが悪い組織、あるいは既存のルールを守ることを過度に重視し、新しいルールをつくろうとする意識が希薄な社会のことを指す。それらは過去の日本を成長に導いた特質だが、成熟化した社会においては足かせになっているという。
「デジタルによる変革が急務ですが、その際はタコツボをただ壊すのではなく、創造的な破壊をすべきです。求められるのは、日本社会に今ある強みや良さを抽出して、デジタルの力でつなぐこと。そして、そこから新しい価値を生み出すことです」(松江氏)
松江氏が指摘する日本の強みや良さとは、様々な産業の基盤となっている技術力や成熟した社会インフラ、安全・安心に対する意識の高さなどである。そのような「在るもの」をデータ化して連携させれば、「無きもの」を生み出すことができる。この「価値創造サイクル」を回すことが、これからの日本が目指すべき道筋になる。
既に特定の分野では、この価値創造サイクルを回すことで新しいものを生み出したケースが登場している。その一例が、情報セキュリティ関連のルールをいち早く構築した自動車産業の事例だ。
自動車や工場のデジタル化、IoT化が進むにつれ、コネクテッドカーや自動運転車などを狙うサイバー攻撃が増加。情報セキュリティをいかに担保するかが議論されるようになった。日本はその課題に対して政府関係機関と自動車関連団体が協調し、情報の共有・分析、さらにはサプライチェーン全体のセキュリティ強化を進めてきた。
「これにより、世界に先駆けて自動運転のセキュリティ関連ルールを構築し、2020年4月に道路運送車両法を改正。日本の公道でのレベル3の自動運転(条件付き自動運転)が認可され、それに対応した自動運転車が市販されるに至りました」と松江氏は紹介する。
成果を導くことができた要因は3つあるという(図1)。
有用なデータを取り出し、連携させることで新たな価値を生み出す。それを日本全体の仕組みにしていく上では、産官学民の垣根や既存のセクター・業界の壁を越えた「新たな公(おおやけ)のリーダーシップ」が欠かせない
1つ目は「官民連携によるオーナーシップ」である。関係省庁や有力自動車メーカーがそれぞれ当事者意識を持ち、官民一体となって課題解決に取り組んだ。2つ目が「オープンな仕組み」。サプライヤーまでを含む裾野の広い連携により、情報をオープンに共有する体制を構築した。そして3つ目が「革新的なルール」だ。世界標準を見据えた法律改正が早期になされた。「これら3つの要因がそろうと、前述した価値創造サイクルが機能するようになります」と松江氏は述べる。まさに、成功に向けたお手本のようなケースといえるだろう。
一方、注視したいのは、価値創造サイクルを回すスタートラインが「データの取得」であることだ。日本ではいまだ多くの業務が紙で処理されている。また、仮にそれらをデジタル化・データ化できても、柔軟につないだり共有したりできるかは別の問題だ。例えば自治体はそれぞれ異なるシステムを採用しており、そのままデータを連携することは難しい。さらに、つないだデータを価値に変えるのは人だが、日本にはデジタル人材が不足していることも問題となるだろう。
「人材についても、『在るもの』を生かして『無きもの』を創ることは可能です」と松江氏は強調する。もとより日本人は基礎学力が高く、年齢の高い人ほどビジネスに関する豊富な知見や経験を有している。足りないのは、データサイエンスやデータモデリング、AIエンジニアリングといったデジタル領域の知見やスキルだ。デジタル教育の機会が乏しいために、これまで十分な数のデジタル人材が育ってこなかった。
「教育に力を注げば問題が解決するわけではありません。真に能力を発揮できるようになるには、学んだ内容を現実のビジネスに結び付ける実務訓練が不可欠です。そうして初めて、ビジネス/デジタル両方の能力を備えた、新しい価値を生み出せるデジタル人材になれるのです」(松江氏)
また、育ったデジタル人材が社会で活躍するには、そのための場となる産業の創造も欠かせない。そこでデロイト トーマツ グループは、民間企業や教育機関、政府や地方自治体などと共同で、官民連携プラットフォーム「Area Digital Transformation Organization(ADXO)」を構築することを提唱(図2)。デジタル人材の育成と産業創造が同時に進む仕組みを構想している。このADXOを通じて、産官学民の垣根や既存の業界の壁を越えた取り組みを展開。かかわる全員が当事者意識をもって価値創造に臨む「新たな公(おおやけ)のリーダーシップ」を育むことを目指している。
「“周回遅れ”の現状は直視しなければいけません。その上で、そこから日本らしいDXを実践していく。在るものを生かし、無きものを創るプロセスで、日本が持続的に成長できるようになれば、それがひいては私たち一人ひとりのWell-Beingにつながっていくのです」(松江氏)。同グループの提言は、デジタル立国・日本の1つの理想形を示すものといえるだろう。
デジタル人材の育成と産業創造を同時に行うプラットフォーム上で、民間企業や教育機関、政府や地方自治体などが密接に連携する