家庭やオフィスなどあらゆる生活シーンに無線通信機器が広がっている。小売店や倉庫、工場などでは、商品や部品などの管理に、RFIDタグを使った無線通信システムが広く利用されるようになった。これとともに発生する機会が増えているのが電波干渉の問題である。電波を発する機器同士が、互いに影響を与え、読取精度や読取スピードの低下などの現象が起こる。RFIDタグを利用した店舗・物流の変革に取り組む東芝テックが、この問題を解決する有力な対策として採用したのは、10年以上にわたってAGCが温存していた、透明なのに電波を遮蔽・吸収することができるガラスの技術だった。

「つながらない技術」は重要課題

AGC
建築ガラス アジアカンパニー
産業ガラス部長
井上 誠二氏

AGCが2021年に発表した透明電波遮蔽・吸収ガラスパネル「WAVETRAP®」は、高い透視性を維持しながら電波を遮蔽・吸収する透明ガラスパネルで、透明な特殊薄膜を、ガラスの表面に形成する技術を使って実現したものだ。注目すべき特徴が大きく2つある。一つは、電波を遮蔽しながら、特定の電波だけを選択的に吸収する特性を備えていること。ガラス表面に形成する特殊薄膜や合わせガラス構造の仕様を変えることで、吸収する電波の波長を設定することができる。電波が飛び交っている空間をこのガラスで囲んでしまえば、その空間に飛び込む電波を遮蔽し、囲まれた領域内で余計な電波を排除できる。一方、囲まれた領域内で使用している波長の電波を吸収するので、使用している電波が領域外に漏れない上、領域内での電波干渉の問題を根本的に対策できる。「多種多様な電波が飛び交う中で、狙った相手だけと通信し、それ以外のモノとはつながらないようにする技術も、つなぐ技術と同等以上の重要な課題です。WAVETRAP®は、その解決に貢献する製品です」(AGC 建築ガラス アジアカンパニー 産業ガラス部長の井上 誠二氏)。

AGC
建築ガラス アジアカンパニー
産業ガラス部 新事業推進チーム リーダー
田中 剛氏

もう一つの大きな特徴は、透明であることだ。電波を遮蔽する機能だけならば、金属を使えば済む。ただし、金属の場合は電波を吸収するのではなく、反射する特性があるので、金属で囲った内部で反射した電波が必要以上に遠くまで飛ぶ、干渉してしまうなどの問題を招く可能性がある。一方、電波吸収体と呼ばれる材料もある。例えば発泡性樹脂にカーボンなどの導電性材料を含浸させた材料である。研究開発施設等にある電波暗室の壁材として使われている。これらの材料の大きな問題は、囲ってしまうと内部が見えないことだ。実験室など特殊な環境ならば問題ないかもしれないが、人間の生活シーンで使うとなると、それでは済まない。できるだけ目立たず、視線も遮らない方が望ましい。こうした要求に応えることができるのがAGCの透明電波遮蔽・吸収ガラスである。「同じ特性を備えた透明な材料が市場に見当たらなかったことから、実用化のメドが立ったときに、この特徴が付加価値になるという確信がありました」(AGC 建築ガラス アジアカンパニー 産業ガラス部 新事業推進チーム リーダーの田中 剛氏)。

「製品化の糸口が見えない」

東芝テック
リテール・ソリューション事業本部
ソリューション企画開発センター
SCMソリューション商品部 RFIDソリューション担当
下川 サヤカ氏

研究開発メンバーが大きな可能性を感じたという技術だが、この技術の製品化に向けた動きが始まったのは基礎技術開発から10年以上たった2019年だった。有望な用途がなかなか見つからなかったのと、用途アイデアがあっても需要が見込めなかったからだという。そのまま製品化しても、特徴を生かせる用途と結びつかなければ市場価値は生まれない。市場投入した最初のタイミングで、役に立たないというレッテルを貼られてしまうと、評価を下げるどころか、その先の可能性をそこでつぶしてしまうことになりかねない。だから慎重に構えた。そして基礎技術を開発してから、10年以上もの間、具体的応用が見えず製品化できないまま、時間だけが過ぎていった。

2019年、これまで製品化に至らなかった過去の研究成果の中から有望な技術を洗い出す活動が、研究開発部門と事業部門の間で始まった。そのとき、電波遮蔽・吸収ガラスの技術が事業部門担当者の目に留まり、再び製品化に向けた動きが始まった。「世の中で多くの無線機器が使われるようになったことから、電波のふるまいを制御する技術のニーズが高まっているはず。今ならば製品化に向けた突破口となる応用を見つけることができるはずだと思いました」(井上氏)。

そこで同氏は、社内外で幅広く用途を探索。そこで挙がってきた一つが、無線通信を使って記録した情報を読み取ったり、逆に書き込んだりできるRFIDタグを利用したシステムだった。早速市場を開拓すべく、2019年夏にRFIDタグを使った応用システムを開発し、店舗や物流の領域に展開していた東芝テックに売り込みに行った。だが、東芝テックと共同で商品化を探ったものの、実現できずにいた。

ところが2020年1月、東芝テック リテール・ソリューション事業本部 ソリューション企画開発センター SCMソリューション商品部 RFIDソリューション担当の下川サヤカ氏から田中氏に突然連絡が入った。「新しく開設するショールームに採用したい」と。

目玉の設備で発生した問題

そのショールームとは、2020年10月、東京・品川にオープンさせた「TEC 01 SIGHT SHOWROOM(テック・ゼロワン・サイト・ショールーム)」である(図1)。発売前のコンセプトモデルや新技術を顧客にいち早く披露するための施設で、そこで顧客から吸い上げた意見を商品開発に反映するために設けた。この施設内には大きく2つのエリアがある。一つは、スーパーマーケット、レストラン、アパレルショップ、製造、物流倉庫などの利用シーンを再現し、そこで東芝テックの技術を体感・検証できる「商業再現エリア」。もう一つ、顧客が自社の商材を持ち込んで、東芝テックのRFID技術の効果を自身の用途で体感、検証できる特別な実験ラボ「TEC UX Lab」を併設した。

図1 東芝テックの「TEC 01 SIGHT SHOWROOM」

だが、このTEC UX Labで大きな問題が浮上した。TEC UX Labに設置するRFIDシステムと、隣接している商業再現エリアで使われているRFIDシステムの間で電波読取エリアの区分けが難しいことだ。TEC UX Labは検証の場であるため、RFID読取システムはTEC UX Labの中にあるRFIDタグのみを読み取らなければならない。商業再現エリアに展示されているサンプルの衣服に付いているRFIDタグをも読み取ってしまえば、RFIDの読取を正しく検証することができないためだ。もちろん、2つのエリアに電波を遮蔽する設備を設ければよいのだが、ここに一般の生活シーンでは使われない特殊な外観の部材を使って、せっかくショールームとして再現した利用シーンの雰囲気を台無しにすることもできない。「ショールームですから、見た目がとても大切です。景観を壊さない透明な材料で、不要な電波を遮断かつ反射もさせないことはできないかと考えていました」(下川氏)。そんなときに東芝テック社内から聞こえてきたのが、AGCから売り込みがあった電波遮蔽・吸収ガラスの技術だった。

ユーザーとの協創で製品へ

東芝テック
リテール・ソリューション事業本部
ソリューション企画開発センター
SCMソリューション商品部
部長
渡辺 勝利氏

下川氏の提案を受けて、東芝テックとAGCは共同で、電波遮蔽・吸収ガラスの特性を東芝テックの要望に合わせて最適化する作業が始まった。東芝テック側では、RFID関連商品の研究部門と技術部門、そして商品企画で構成するプロジェクトチームを結成。AGCと直接コミュニケーションを取って技術を詰められる体制を整えた。「当社では、これまで既存材料の利用を前提とした応用開発がほとんど。今回は、材料開発の段階から、両社で検討を重ねて逐次改良を繰り返して対応を進めました。実はかねて、こうしたアジャイルな開発スタイルを取り入れたいと思っていたので、AGCとのコラボレーションはその思いを実践する千載一遇の機会だったのです」(東芝テック リテール・ソリューション事業本部 ソリューション企画開発センター SCMソリューション商品部 部長の渡辺勝利氏)。

製品化を見据えて技術をブラッシュアップする機会を必要としていたAGCにとっても、東芝テックとのコラボレーションは、渡りに船となる話だった。「電波遮蔽・吸収ガラスの特性は実験室で確認していましたが、実はそれは600mm角の小さな試料での話。東芝テックとのコラボレーションでは、ショールームの壁材のような大面積の建材で機能を検証できました。このおかげで自信を持って市場に展開できるようになりました。RFIDタグの読取で用いる920MHz帯の電波は、使用環境によってふるまいがどんどん複雑化します。実際にショールームに設置したことで、これまでの自社での評価手法が妥当だったことを改めて確認できました」(AGC 技術本部 材料融合研究所 有機材料部 複合化部材チームの川上玲美氏)。

AGC
技術本部 材料融合研究所 有機材料部 複合化部材チーム
川上 玲美氏

両社の努力によって、所望の特性を備えた透明電波遮蔽・吸収ガラスが完成。実際にTEC UX Lab の各所に導入された。TEC UX Labは、このガラスパネルで囲むことで、無関係な電波による干渉を受けたり、外部に影響を与えたりすることを防ぎながら、開放的な空間を演出することができた。エリア内の部屋を仕切る壁にも電波吸収材として使用し、隣の部屋が見えないように透明なガラスを視線を遮る材料で覆った。「ガラスメーカーの視点からは、透明なガラスをわざわざ覆い隠すという発想はありませんでした。下川さんに、電波を吸収する材料を薄くできるメリットだけでも十分市場価値があることを発見していただき、応用の可能性が一段と広がりました」(田中氏)。

一気に広がる応用の可能性

こうした経緯を経て完成度を高めた透明電波遮蔽・吸収ガラスの技術にAGCは、「WAVETRAP®」シリーズと名付け2021年に製品化。現在、着々と製品ラインアップの拡充を図っている。

現在展開している製品の一つは、高い透視性を保ちながら、反射によって電波を遮蔽する特性を実現した「WAVETRAP® S(Shielding)」(図2)。薄い2枚の板ガラスもしくは樹脂パネルの間に、肉眼では存在が分からないほど細かい金属メッシュを埋めた特殊接着層を挟み込んだ構造を持つ。透過性を示す開口率は約70%で、1GHzの電波の場合、60dBの電波遮蔽性能を持つ。各種電子機器、医療機器、輸送機器、生産設備や各種検査室、電波暗室などの開口部や間仕切りなどへの応用を想定している。

図2 幅広い周波数の電波を遮蔽するガラス「WAVETRAP® S」

もう一つが、東芝テックのショールームに導入されている、高い透視性と特定波長の電波を吸収する特性を兼ね備えた「WAVETRAP® AS(Absorption & Shielding)」である(図3)。可視光線透過率は約55%、920 MHzの電波を対象にした電波吸収性能は16dB、1GHzの電波での電波遮蔽性能は60dBである。なお、吸収帯域は、使用環境や応用に応じて設計可能である。

図3 特定周波数の電波を吸収し遮蔽するガラス「WAVETRAP® AS」

AGCは、WAVETRAP® ASの応用をさらに広げる技術も準備している。まず、工場や各種施設などでのローカル5Gの応用を想定して、Sub6(4.6~4.9GHz)帯の電波を吸収する商品を開発中だ。さらに、WAVETRAP® ASとは逆に、特定波長の電波だけを透過させる特性を持つ「WAVETRAP® ST(Selective Transmission)」の投入も計画している。例えば携帯電話やWi-Fiなどの電波は透過させながら、有害もしくは障害を引き起こす電波を遮断するような用途に活用できる。

コラボレーションは続く

「東芝テックのショールームへの導入が完了し、WAVETRAP®の製品化も実現しました。しかし、これが両社のコラボレーションのゴールだとは考えていません」(井上氏)。既に東芝テックとの間で、これから量産するRFID関連製品の特性に合わせたWAVETRAP®の開発を進めている。

「倉庫などで利用している多数のRFIDタグからデータを一括読み取りする装置は、現状では無関係な電波の干渉を受けないよう、厚みのある電波吸収体で覆っていることが多い。その内部はトンネルのようになっており暗く閉鎖的な空間になっている。このため、そこに入って作業する人は、圧迫感を覚えるなどの声もありました。WAVETRAP®を応用すれば、そこが明るい開放感のある現場になるでしょう」(渡辺氏)。今後、この技術を展示会などで披露して、来場者から意見を募り、さらにこの技術の応用を広げる考えだ。

電波を利用する機器は、年々増加の一途をたどっている。こうした中、電波環境を整える技術の発展に大きな期待が寄せられている。「これまで、WAVETRAP®を『電磁波遮蔽・吸収ガラス』として紹介していましたが、これからはお客様の様々なニーズに合わせて電波を制御するということで、『電波制御ガラス』と呼ぶつもりです」(井上氏)。暮らしや社会の光・視環境を改善しながら、飛び交う電波の環境を整える技術として、さらに進化・発展させる考えだ。

「TEC 01 SIGHT SHOWROOM」は東芝テックの商談用の施設であり、東芝テック担当者による完全予約制です。一般公開は行っていません。

※部署名・肩書は取材当時のものです

share -

最上部に戻る

関連記事