2015年に世界最高峰カーレース復帰以来、低迷が続いたホンダ。ターニングポイントとなったのは、2018年に導入した新燃焼方式によるICE(内燃エンジン)の進化だ。2019年6月、オーストリアGPで13年ぶりの優勝。劇的な復活を遂げた。そしてホンダのラストシーズンとなる2021年、新骨格PU(パワーユニット)を投入。これが熾烈を極めたトップ争いを勝ち抜く原動力となった。新PUの短期間開発を支えたのが、ハイブリッドクラウドによる大規模計算サービスの実現だ。ホンダの快進撃を支えた、2つの技術的ブレイクスルーとは。

世界最高峰カーレース復帰後、低迷が続いたホンダ
新燃焼方式の開発で逆襲図る

本田技術研究所
HRD Sakura
パフォーマンス開発グループ
グループリーダー
高橋 真嘉

ホンダの世界最高峰カーレース参戦は、革新技術への挑戦の歴史でもある。四輪自動車メーカーとして歩みはじめたホンダは1964年に世界最高峰カーレースに初参戦するも、1968年に一度撤退。1983年に復帰し、1986年初のコンストラクターズ・チャンピオンを獲得した。悲願達成とともに、日本のものづくり技術の高さを世界に証明した瞬間だった。

その後、ホンダは撤退と復帰を繰り返した。再び参戦した2015年の挑戦では、かつてないほど高い技術課題と向き合うことになる。エコ化・低炭素化の波がレースにも押し寄せる中、2014年のレギュレーション改正において、レーシングカーの心臓部である動力に関してエンジンからPUへの大転換が実施されたからだ。

本田技術研究所 HRD Sakura パフォーマンス開発グループ グループリーダー 高橋 真嘉 氏は当時を振り返る。「2015年の参戦に向け、2013年からPU開発に着手しました。これまでの高回転・高出力の自然吸気(NA)エンジンは、吸気と排気により馬力を出すというものでした。2014年のレギュレーション改正では、排気量のダウンサイジング化(小規模化)や、エネルギー回生などの環境技術が導入されました。世界一の速さを競うマシンの動力において、単純な馬力からエネルギー効率へと開発の力点が大きく変わったのです」。

復帰後、ホンダはしばらく低迷が続いた。ターニングポイントは、2018年のロシアGPにて、スペック3で新しいコンセプトの燃焼方式を導入したことだ。世界最高峰カーレースのPUユニットはICEに加え、運動エネルギーを回生するMGU-Kと、熱エネルギーを回生するMGU-Hのエネルギー回生システムが動力装置となり、ターボチャージャーと組み合わされている。ICEに関して、レギュレーションにより1回のレースで使える燃料使用量と最大燃料流量には制限がある。ハイブリッド・エンジンの一次エネルギーとなるICEの性能向上を実現するため、2017年夏から新燃焼方式の開発に着手したという。

「従来のICEでは副室ジェット燃焼を採用していました。シリンダーの中心に配置されている副室内で着火すると、副室の噴口から出るジェット火炎が外側に向かって花びらのように広がっていきます。課題は、噴口から距離の遠いシリンダー周辺部まで燃焼が広がるのに時間がかかることです。しかし、レギュレーションにより着火するスパークプラグは1つしか使えません。新燃焼方式では副室ジェット燃焼に加え、シリンダー周辺部にある未燃焼ガスを自着火させる仕組みをつくり、噴口と周辺部の両方から燃焼することで高速燃焼を実現しました」(高橋氏)

熱効率のブレイクスルーを実現した新燃焼方式により、ICE性能は大幅な進化を遂げた。その成果は、2019年6月のオーストリアGPの13年ぶりの優勝、同年7月のドイツと11月のブラジルで頂点に立つ快進撃へとつながる。

シミュレーションの遅延は競争力の低下に直結
計算機システム基盤にパブリッククラウドを活用

本田技術研究所
HRD Sakura
パフォーマンス開発グループ
矢野 博之

世界最高峰カーレースは開発スピードを競う場でもある。ホンダのPU開発は、PU開発が本格化する1年以上前からR(Research)開発と呼ばれる先行開発を行う。開発の質やスピードを高める上で、R開発と、レースに実践投入するための開発を行うD(Development)開発の間のギャップを、いかに最小化するかが重要なポイントなる。

本田技術研究所 HRD Sakura パフォーマンス開発グループで性能設計やシミュレーションを担当する矢野 博之 氏は「設計、テスト、検証を物理的に繰り返していては多くの時間を要します。テスト結果をもとに仮説を立ててシミュレーションを行い、技術課題の本質を掴むことが大切です」と話し、こう続ける。


「先行開発においてすべての要素でテスト結果が得られるわけではありません。効率的かつ効果的にテストを行うためにもシミュレーションは必要です。新燃焼方式のようにコンセプトが大きく変わった場合は、多くのテスト結果から多角的な考察が求められるため、シミュレーションの重要性はより高まります」(矢野氏)

R開発とD開発のギャップはハードウエア面でも生じると高橋氏は話す。「R開発では単気筒でコンセプト通りに燃焼するかを検証し課題をつぶします。最初からV6をつくると、どこに課題があるのかが分かりにくいためです。R開発の段階でシミュレーションによりV6のPU環境を構築、検証した上でD開発を行っています」。

シミュレーションの遅延は競争力の低下に直結すると矢野氏は強調する。では従来の課題は何だったか。「日々シミュレーション数が増加する中、HRD Sakuraがオンプレミスで有しているスーパーコンピューターの実行可能上限を超えるケースも出てきました」(矢野氏)。リソースが空くまでの待ち時間のロスは大きな課題だったという。オンプレミスの限界が見えた2017年、シミュレーションの計算機システム基盤として同社はパブリッククラウドの導入検討に入った。そこで Azure が選ばれる。

「私たちの本業は性能を向上することです。計算機システム基盤の構築に労力をかけられないため、緊密にサポートしてくれるパートナーとしてマイクロソフトを選択しました」。同社がマイクロソフトの Azure を採用した理由について、矢野氏はこう語る。

最初は Azure のリソースを簡単に利用するために、マイクロソフト支援のもとGUI(Graphical User Interface)を作成したという。「多忙なエンジニアにとって、GUIの操作を覚えるだけでもストレスを感じてしまい、Azure は当初全く利用されませんでした。使い勝手はそのままにクラウドのリソースを活用するため、オンプレミスとクラウドをシームレスに連携する仕組みの構築が求められました」(矢野氏)。

ユーザーの使い勝手を損なうことなく、クラウドのリソースを活用できる仕組みを構築しエンジニアの利用促進を図った

新骨格PUの短期間開発を可能にした
ハイブリッドクラウドによる大規模計算サービス

Microsoft Corporation / マイクロソフトコーポレーション
Sir. HPC/AI Specialist / シニア HPC/AIスペシャリスト
田中 洋

この仕組みの構築は容易ではなかったと矢野氏は話す。「当社から要望を出し、それに対してマイクロソフトが提案するというやり取りを何度も繰り返しました。また、膨大な計算量を Azure 上でスムーズに実行するためのシステムの工夫など、様々な課題を1つ1つクリアしていきました。マイクロソフトとHPCソリューションズの支援がなかったら実現できなかったと思います」。

Azure 上での計算処理性能を強化するべくCPUの変更を行ったと、マイクロソフトの田中洋氏は振り返る。

「2019年に、Azure はAMDのサーバーCPU『EPYC(エピック)』を採用しました。インテル以外にもう1つ、AMDという選択肢が増えたわけです。2018-2019年に実施したベンチマークの結果では、EPYCが既存インテルCPUよりも優秀でした。大規模計算サービスを支えるシステム構築中のタイミングだったことから、HRD Sakura様に『より良い選択肢があるので変更しませんか』と、ベンチマークのデータも提示し提案を行い、最終的に切り替えのご決断をいただきました」

CPU切り替えに際して、パフォーマンス向上のために1つのCPU内に多数のプロセッサコアを搭載するメニーコアのメリットを活かしたという。「Azure においてHRD Sakura様の大規模計算サービスに対して、EPYCは120コアを利用できる構成となっており、従来のインテルは16コアでした。EPYC Azure VMのコア数を有効活用できるように、CFD(流体解析)アプリケーションの実行プロセスを見直し最適化を図りました」(田中氏)。

日本AMD株式会社
コマーシャル営業本部
セールスエンジニアリング担当
マネージャー
関根 正人

並列処理を行う高スレッド化に対応したCFDアプリケーションとEPYCは親和性が高いと、日本AMDの関根正人氏は付け加える。「AMDはEPYCを活かすべく、主要なCFDアプリケーションベンダーとの間でチューニング作業を共同で行っています。また、インテルと比べてL3キャッシュの容量が圧倒的に大きいことも、アプリケーション高速化のポイントとなります。2022年春にはL3キャッシュを3倍にする3D V-Cache™ 登載 第3世代EPYC もリリースしました」。

性能を出すためには、ネットワークとCPUの両方が重要になる。「Azure が採用する、超高速・低レインテシのノード間接続(サーバー同士の接続)を実現するInfiniBand(インフィニバンド)とEPYCの組み合わせは、ハードウエアのパフォーマンスを最大限に引き出します。また、AMDは技術革新のスピードも魅力です。HRD Sakura様の大規模計算サービスにおいて、EPYCの第3世代まではベンチマークテストで確認しました。今回、CPU変更・およびメニ―コアを生かしたアプリケーション実行方法の見直しに伴う改善によりトータルで計算処理時間を半減。計算処理スピードの向上により、開発業務の効率化とともに創造的時間の創出を実現できました」(田中氏) 。

CPU変更に伴う改善で計算処理時間を半減。開発業務の効率化とともに創造的時間の創出を実現できた

2019年夏、HRD Sakuraはオンプレミスとクラウドをシームレスに連携した「ハイブリッドクラウドによる大規模計算サービス」の提供を開始。新しい仕組みにおいて、オンプレミスの実行可能上限を超えた要求は自動的に Azure で実行。計算結果だけをオンプレミスに戻し、スーパーコンピューターの画面から利用できる。

オンプレミスとクラウドをシームレスに連携。オンプレミスで実行可能上限を超えた要求は自動的にクラウドで実行される仕組みだ

「Azure 上に構築している計算システム基盤は、ICE向けのCFD(流体解析)として世界最大規模です。普段利用するスーパーコンピューターの画面パラメーターで、サーバーの設定をオートにしておく。これだけでユーザーはオンプレミスとクラウドを意識することなく、必要な時に必要なシミュレーションをすぐに実行できます」(矢野氏)

2020年10月、ホンダは2021年シーズンをもって世界最高峰カーレース参戦を終了すると発表した。「2021年シーズンはなんとしてもチャンピオンを獲得したい」というチームや開発者の思いを乗せ、ホンダは大きく設計刷新した新骨格PUを投入。コロナ禍で一時凍結していたPU開発を解除し、本来2022年用に開発していたものを1年前倒しで使うことになった。新PUの短期間開発では、ハイブリッドクラウドによる大規模計算サービスの活用が大きく貢献したという。

「2020年は、2019年のPUをベースに改良して使っていました。2021年は全く新しい仕様のPUを採用しています。開発では検討するパラメーターも非常に多くありました。計算システム基盤のブレイクスルーとなったハイブリッドクラウドによる大規模計算サービスを構築できていなかったら、新骨格PU開発はやりきれなかった可能性があります」(高橋氏)

矢野氏にとって世界最高峰カーレースは「究極のエンジンをつくりたい」という子供の頃からの夢を達成する舞台でもあった。「PU開発に携わったことで、夢に一歩近づけたと思っています。ホンダの参戦は終了しますが、世界一の技術への挑戦はこれからも続きます」。

高橋氏は続けて話す。「開発プロセスの変革、新しい燃焼方式の開発、クラウドを活用した計算手法など、自らチャレンジし可能性を開いていく。これらが競争力の源泉です。撤退は残念ですが、培ってきた開発手法や方法論は今後につながると信じています。また、モータースポーツ界による社会貢献に、私自身も尽力していきたいと思います」。

2021年シーズンのホンダは順調に優勝を重ね、白熱したトップ争いを繰り広げてきた。そして最終決戦となる第22戦。アブダビGPでレッドブル・ホンダが、ラスト1周までもつれたレースを制し、優勝。ホンダのチャンピオン獲得、実に1991年以来の快挙だった。

有終の美を飾ったホンダ。最後のチェッカーフラッグは既に振られたが、それで終わりではない。ゴールのさらに先へ、ホンダとエンジニアが歩む革新技術への挑戦という道程は続く。

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