高齢者クラウド
高齢者が社会を支える。 「モザイク型の就労モデル+IT」で実現

“多くの高齢者を少数の若者が支える”という少子高齢化社会の構図は、日本の未来に不安を投げかけている要素だ。しかし、この問題を解くカギがあった。元気な高齢者を新しい労働資源としてとらえ、積極的に社会参加を促すという逆転の発想だ。その実現のために東京大学とIBMが中心となって研究しているのが「高齢者クラウド」だ。高齢者クラウドを構成する、AI(人工知能)をはじめとするテクノロジーの活用を通じて働きやすい環境を提供する就労モデルや、高齢者が社会参加しやすいプラットフォームとはどのようなものか。プロジェクトマネージャーである東京大学の廣瀬通孝氏のもと、研究プロジェクトをリードしている東京大学の檜山敦氏、共同研究を行っているIBMの小林正朋氏の二人に話を聞いた。

元気な高齢者の力で超高齢社会を支える

高齢者クラウドに取り組んだ経緯について教えてください。

檜山 学生時代は現実空間に情報空間を持ち込みたいという動機から拡張現実、AR(Augmented Reality)に関心があり、ウェアラブルコンピューターの研究を行っていました。その研究で博士号を取得し、最初に携わった仕事がITとロボットを活用した高齢者の生活支援だったのです。2006年のことでした。

 取り組み始めてすぐに高齢者の方の声が大きくて元気なことに驚かされました。そして「彼らは支えられているだけの存在なのか」と疑問を感じました。そんなときに科学技術振興機構のプロジェクトの説明会でIBMの視覚障がい者支援のプレゼンテーションを拝見してその活動に興味を持ち、声をかけさせていただきました。

檜山 敦氏

東京大学
先端科学技術研究センター
身体情報学分野 講師 博士(工学)
檜山 敦

小林 IBMは以前からアクセシビリティーの研究を行っていました。障がい者だけでなく、高齢者や非識字者を含めて、テクノロジーをうまく活用することで、より多くの人が社会との接点を持てるのではないか、という視点からの研究です。

 檜山先生たちからお話をいただき、双方の関係者を集めて静岡県にあるIBM 天城ホームステッド(研究施設)で一晩中議論しました。そこで出てきたのがクラウドコンピューティングの力で高齢者の活力をクラウドソーシング的に生かすプラットフォームを構築しようという発想です。当時、「クラウド(Cloud)」「クラウド(Crowd)」という2つの言葉が注目され始めた時期であり、ITの力と人間の力の両方を活用するという意図で「高齢者クラウド」という名前をつけました。

小林正朋氏

日本アイ・ビー・エム株式会社
東京基礎研究所
アクセシビリティ&ヘルスケア
高齢社会工学 担当 博士(情報理工学)
リサーチ・スタッフ・メンバー
小林正朋

高齢者クラウドの特徴はどんなところにあるのでしょうか。

檜山 モザイク型の就労モデルを取り入れたことです。多くの高齢者は定年退職前のようにフルタイムで一つの企業で働き続けることを望んでいません。短い時間だけ自宅の近くで、ときには遠隔の好きな場所から働いて自分のスキルが生かせる無理のない働き方が都合がいい。その環境をITで実現しようというのが高齢者クラウドです。

(図)モザイク型の就労モデル

(図)モザイク型の就労モデル
「スキルが生かせる仕事を数時間だけ働く」を組み合わせたものがモザイク型の就労モデルで、それをITで実現したものが「高齢者クラウド」だ

 当時、千葉県柏市で東京大学高齢社会総合研究機構が主導する就労セミナーがありました。それに参加した人たち向けに柔軟な働き方を実現するツールを提供するための開発の着手からプロジェクトを始めました。2011年から13年にかけてインターフェースやテレプレゼンス(遠隔コミュニケーション技術)などの基礎技術を研究し、13年から具体的なシステムを開発、17年から社会実装の段階に入っています。

シニア人材と企業をつなぐ2つのシステムを開発

高齢者向けということで工夫したのはどんなところでしょうか。

小林 地域就労のためのサイトを作っても、個々のスキルのデータがなければマッチングできません。ところが高齢者はSNSで積極的に情報を発信することも少なく、受け身の姿勢で使っています。そこで、たくさんの情報を引き出すため、一問一答で情報を聞き出す「クエスチョンファースト」という手法を取り入れました。カード形式で質問をしたり、自動応答電話システムで質問を投げかけるということもやってみました。

檜山 実際に質問を投げかけてみると、こちらが困るくらい熱心に答えてくれました。用意した数千件の質問が不足するほどでした。

小林 本当に熱心でした。テストのために50人の方に3カ月間参加してもらったところ、全体で3万件の回答が得られました。多い人は1人で数千件の質問に回答してくれました。質問を自動生成する仕組みを取り入れたくらいです。想像以上に情報が集まりましたね。

檜山 テレプレゼンスには遠隔操作ロボットも取り入れました。地方に住んでいる「ITに興味はあるけど教えてくれる人がいない」というシニアに、都市部に住んでいる「ITを教えるのがうまいシニア」が遠隔で教えるという実験を行いました。このとき、話している人の視線に合わせて遠隔カメラを動かして臨場感を演出しました。

小林 普通のテレビ電話で講義を行ったところ「先生が遠くに感じる」という意見があり、距離感を縮めるために遠隔操作のロボットを使いました。半年間やってみて、先生が窓をのぞくように画面をのぞくと遠隔操作でロボットがその方向を向くという「のぞき窓UI(ユーザーインターフェース)」にたどり着きました。これであれば、先生は操作を意識することなく遠隔地にいる生徒と目を合わせて講義を行うことができます。

檜山 敦氏、小林正朋氏

社会実装という点ではどんなことを行ってきたのでしょうか。

檜山 アウトプットとしては2つのシステムができあがりました。シニア人材と企業からの経営相談をマッチングする「人材スカウター」と、地域における人材と仕事やボランティア、生涯学習などの求人情報とのマッチングを行うウェブアプリ「GBER(ジーバー)」です。ともにこれまでの研究を生かした内容となっています。

小林 人材スカウターの特徴はインタラクティブな検索プロセスを取り込んだことです。ハイスキルな人材を探す場合には唯一の正解はありません。試行錯誤しながら多面的に人材を探していく必要があります。そのためにAIを使って暗黙知を検索に反映させ、専門的な知識のない人でも検索のためのキーワードを見つけ出せるようにすることを試みました。

檜山 GBERについては2016年から千葉県柏市で実証実験を行ってきました。質問の回答から得た個人の興味や関心を「人物プロフィール」として抽出できるようにしたことにより、希望する時間や地域の中でどんな活動があるのか簡単に探せるようなっています。

 アナログで対応しているシルバー人材センターなどでGBERを活用すれば、業務の効率化につながります。今年からは熊本県でもGBERの導入が進められています。

モザイク型就労で柔軟な働き方を実現

今後はどのような展開をお考えでしょうか。

檜山 新しいプロジェクトが科学技術振興機構の未来社会創造事業に採択され、昨年11月から取り組んでいます。テーマは「人材の多様性に応じた知的生産機会を創出するAI基盤」です。高齢者だけでなく、障がい者や非正規雇用者、ライフイベントに直面する人たちに対象を広げていきます。仕事の単位を細切れにして、例えば数時間でも、その瞬間に働ける人材と結びつけるモザイク型就労は、労働力を社会全体で見た時に最終的には大きくするものです。そのためにはジョブの分析ということが新しいテーマになってきます。

小林 働き方改革というのは法制度的な側面が強く、いきなり変えろと言われても難しいところがあります。ただ、働く現場と人材をつなぐテクノロジーが確立されれば、モザイク型就労のような個人のライフスタイルや、スキル、趣味嗜好に合わせた、より柔軟な働き方が導入しやすくなります。柔軟な働き方は体力にも経験にも多様性がある高齢者にとってふさわしい働き方ですが、若い人たちにもどんどんそういう新しい働き方が広がっていくと思います。

  • 檜山 敦氏

    「高齢者だけでなく、障がい者や非正規雇用者、ライフイベントに直面する人たちに対象を広げていきます」

  • 小林正朋氏

    「働く現場と人材をつなぐテクノロジーが確立されれば、モザイク型就労のような柔軟な働き方が導入しやすくなります」

檜山 今まで新卒採用で行ってきたメンバーシップ型と呼ばれる雇用形態は、職務が定義されないままフルタイムであらゆる仕事をこなして働けないと正社員として働き続けられない世界でした。しかし、多様な境遇の人が社会参加するためには、無理のない範囲で職務単位で仕事に従事するジョブ型の雇用形態が必要になってきます。仕事とのつながりをゼロイチではなく人それぞれのグラデーションを持って維持できる世界が必要です。それを実現していくための新しい技術を開発していきたいですね。

小林 高齢者の就労は狭い意味では人材業界のビジネスです。ただ、人と社会との接点をどう増やしていくかというテーマは他の業界からも注目されています。IBMは多くの業界とのつながりを持っています。研究の次のフェーズとして、サスティナブルな仕組みにしていくためにもできることは多いはずです。この研究が世の中全体を変えていくきっかけになるようにこれからも一緒に新しい仕組みを作っていきたいと思います。

高齢化社会に向けたIBMの取り組み
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