JALは、2017年4月に施行された国の新たなパイロット訓練・審査制度「CBTA(Competency Based Training and Assessment)プログラム」を適用した。CBTAプログラムは、従来の国が定める項目に従って実施してきた訓練・審査とは異なり、航空会社が主体となって訓練や審査の内容を改善できる制度で、国の認可を受けて導入できる。そのCBTAプログラムの下で、「EBT(Evidence-based Training)」を日本の航空会社として初めて導入した。EBTとは何か、そして従来の訓練・審査とは何が違うのか、JAL 運航本部 パイロットの荻政二氏と片桐潔志氏に、渡辺真理さんが話を聞いた。

経営破綻を転機ととらえパイロットの訓練を世界水準へ改変

日本航空株式会社
運航本部 運航訓練審査企画部 定期訓練室
室長 777機長
(兼)777訓練室 飛行訓練教官
荻 政二

渡辺:新しい訓練としてEBT(Evidence-based Training)を日本の航空会社では初めて導入されたということですが、まず、EBTについて教えていただけますか。

荻:EBTは、その名の通り証拠に基づく訓練です。前提として、航空機や航空関連技術の変化があります。

日本航空株式会社
運航本部 運航訓練審査企画部 定期訓練室
室長 777機長
(兼)777訓練室 飛行訓練教官
荻 政二

渡辺:第1回、第2回で整備部門の方にお話を伺った際、最新の機種は自動化が進み、故障予測も可能になっているとうかがいました。

荻:その通りです。航空機が自動化され信頼性が高まり、事故の要因の多くがこれまでのエンジントラブルなど航空機の故障そのものの問題から、航空機が予想外の状態となった際に対処を誤るような人的エラーに移行しています。

渡辺:具体的には、どのような内容でしょうか。

荻:たとえば、航空機の計器に予想外の表示が出た際、その原因がわからず、原因追及に集中しすぎて機体が正常ではない姿勢になってしまい失速するというような事故が起きています。弊社ではこのような事故は起きておりませんが、この場合、パイロットが航空機の状況が把握できておらず、今何をすべきかの優先順位付けができていないために、最も重要な「航空機を安全に飛ばす」ということがおろそかになってしまったわけです。

渡辺:なるほど。いわゆる「操縦ミス」というよりは、「誤った判断」のような人的エラーが原因になることが増えているということなのですね。

荻:そうです。従来の訓練は、突然エンジンが停止したといった事態にどう対応するかといった操縦訓練が中心だったのですが、それだけではあるべきパイロットは養成できないという時代になっていました。この課題は世界的に認識されており、そのような課題に対応するために海外で導入が進んでいたのがコンピテンシー(高いパフォーマンスにつながる行動特性)に基づく訓練「CBT(Competency Based Training)」です。JALでは日本の航空会社にさきがけて、2013年にCBTを取り入れた訓練を構築しました。その後、もう一度世界を見渡したところ、CBTのひとつである新たな訓練が世界で始まっていることがわかってきました。それが、EBTです。これは、実際の運航データや事故・インシデント事例、訓練データ、パイロットへの調査、学術研究といったデータを集め、それらのデータを解析することで向上させるべきパイロットのコンピテンシーを分析し、航空会社全体や個々のパイロットの課題を可視化しながら、その課題に対処するための効果的な訓練と審査を行うものです。

渡辺:JALは、なぜいち早くEBTに移行できたのでしょう。

日本航空株式会社
運航本部 乗員サポート部
調査役機長
片桐 潔志

片桐:訓練というのは、パイロットである限り受け続けなければならない人生を共にするパートナーのような存在です。訓練には、大きく分けて機長や副操縦士を養成する養成訓練と、各パイロットのコンピテンシーを維持・向上させるために定期的に実施される定期訓練などがあり、これらの訓練は日々実施されています。このように日々行っている訓練内容をある日を境に突然変えることは不可能です。

日本航空株式会社
運航本部 乗員サポート部
調査役機長
片桐 潔志

渡辺:毎日、何かしらの訓練が続けられているので無理ということでしょうか。

片桐:そうです。私たちは、訓練や審査を変えなければならないという問題意識をずっと持っていました。どのようにして変えようかと考えていたところ、2010年経営破綻により養成訓練が完全に停止しました。これが旧態依然とした養成訓練をがらりと変えるための大きな転機となりました。一方定期訓練は日々実施されているので、年度が変わるごとに少しずつ変えていきました。

後輩たちにすばらしい未来を手渡すため意欲のあるメンバーが集結

渡辺:訓練・審査はどのくらいかけて変えていったのですか。

荻:訓練改革が運航本部で承認された2011年から海外調査を実施しました。当時は経営再建中だったので資金が限られており、調査メンバーは安いモーテルに相部屋で宿泊するような状況でした。海外調査での情報を基に2012年4月からCBTのトライアルを実施しました。その後、2012年夏に機長養成訓練を再開する方針が決定され、そこから一気に新たな訓練・審査をデザインし、2013年3月にスタートしました。

渡辺:つまり、経営破綻に対する社会的責務を果たしていく一方で、期せずして訓練がストップしたことを転機ととらえて抜本的な改革に着手されたのですね。訓練のやり方は各航空会社が決めて行うものなのですか。

片桐:本来、訓練・審査は国が定める要件に基づいて行われます。海外では航空会社と監督官庁が連携して訓練を変えていました。しかし、日本ではなかなかそういうムードにならず、旧態依然の訓練が続いていました。そこでJALは、国が定める要件を満たした上で独自にCBTに取り組んで、その成果と有効性を監督官庁と共有し、官民連携して新しい制度を構築していこうと考えました。

渡辺:おっしゃる通り技術は急激に進化し、なかでも航空機はその最先端にあります。一方で、法規を変えるスピードは現実に追いつかない面が否めません。訓練の根底にある精神は継承されるとしても、どうやって時代に合わせて変えていくかは至難ですね。それに取り組もうという機運は、パイロットの皆さんの「変えなければ」という自発的な気持ちが集結して行われたのでしょうか。

片桐:そうです。少し前から、変えなければという自発的なモチベーションが、訓練・審査を担う組織の一部のパイロットや地上職から発生していました。そこに、やる気のある人たちが必然的に集まって草の根運動的に取り組みが始まりました。たとえば、データベース(DB)も必要になるのですが、あるパイロットが自費でDBソフトを購入し、勉強して初期のDBをつくり上げていきました。

渡辺:前回チーフCAのお二人にお話を伺った際、CAはホスピタリティを実現しながら、非常時にはリーダーとして避難誘導を行い、機内で急病の方がいらっしゃる際には看護師のような役割を担うなど広い職域について教えてくださいました。お二人も、パイロットという難関を突破し、進化する飛行機の操縦をしながら、同時にシステムの構築やデータ解析、さらにそれを広めるといった全方位的な役割も受け持って現在も進行形でなさっているのですね。

荻:訓練を変えていった時期は、確かにそういうエネルギーが必要でした。それを一人で全部できる人はなかなかいないので、たまたま必要と思われる人たちが集まったというのが実態です。DBについては先ほど紹介したパイロットがDBソフトの存在を知っていたので、それを学んで自分でDBを構築するスキルを身につけていきました。世界の訓練制度を学んで周囲を啓蒙したり説得したりするのが得意だったのが片桐さんです。また、従来の訓練は航空機のスピードとか姿勢など数字に表れてわかりやすい操縦のスキルが中心だったのですが、たとえば車の運転でも「この先渋滞しているから、どう迂回していくとスムーズなのか」といったことを考えるスキルもパイロットには必要なのです。この考える部分のスキルの訓練も必要な時代になってきました。そこで、操縦のスキルであるテクニカルスキルに加え、状況を把握する力や判断力、コミュニケーション力などのノンテクニカルスキルについても訓練することにしました。しかし、ノンテクニカルスキルをどう定義し訓練するかは非常に難しく、それを世界から情報を集めて体系を整理したのが、実はパイロットではない地上職だったというのは驚きです。私は、訓練の組織にいて、これらのスキルを持った人たちをつなぐ役割を担いました。全員がスーパーマンだったわけではないのです。

訓練をより効果的なものとするため、パイロットが自らデータベースを駆使し、多様かつ膨大な情報を分析。

訓練をより効果的なものとするため、パイロットが自らデータベースを駆使し、多様かつ膨大な情報を分析。

渡辺:一人のスーパーマンではなくチームが集結して、例えばアベンジャーズのようなウルトラスーパーチームが自然発生した、そんな印象を持ちます。フライト業務に従事しながら、経営破綻という危機を迎えた時に、会社に対しての思いやご自身の仕事に対しての思いを再認識なさったうえで、再構築するだけのより一層のエネルギーを皆さんがお持ちになったということでしょうか。

荻:あの時を振り返ると、みんなですばらしい未来を想像していたんですね。毎朝業務前に未来を想像し合い、語り合っていました。こうなれば、きっとこういう未来になる。みんなが頑張って成功した暁には、みんなが効果的な訓練を受けられる、我々のような苦労を後輩たちは受けなくて済む、そういう夢を共有できたので、そこに向かってエネルギーを集約して頑張れたと思っています。

渡辺:それはとりもなおさず、お客さまの安全に直結することですよね。パイロットの訓練というのは、なかなかお客さまからは見えない部分ですが、航空会社にとって最も大切な要素のひとつだと実感します。

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