日経ビジネス電子版Special

~平時からの備え、必要な司令塔機能および国内外連携~

新型コロナウイルス(COVID-19)感染症のパンデミックに見舞われ、その予防ワクチンおよび治療薬の研究開発が喫緊の課題となっている。感染症についてはこれまでも、薬剤耐性(AMR)を示す病原微生物の多様化等が問題視され、新規治療薬の開発体制拡充の必要性が繰り返し指摘されてきた。しかし、その整備は世界的にも進んでいない。2020年11月にオンライン開催となった第7回日経・FT感染症会議のランチセッションでは、産学官それぞれで感染症対策に関わる4氏が、COVID-19やAMRへの対応、今後の展望について議論した。Vol. 1ではパネリストによる基調講演のポイントを紹介する。

  • モデレーター
    原田 亮介 氏
    日本経済新聞社
    論説主幹
  • 演者
    舘田 一博 氏
    日本感染症学会 理事長
    東邦大学 医学部
    微生物・感染症学講座 教授
  • 演者
    正林 督章 氏
    厚生労働省 健康局長
  • 演者
    柏倉 美保子 氏
    ビル&メリンダ・ゲイツ財団
    日本常駐代表
  • 演者
    中山 讓治 氏
    日本製薬工業協会 会長

Fighting against AMR Pathogens and Emerging Infectious Disease
—— Development of Novel Antimicrobials and Diagnostics ——

舘田 一博 氏
日本感染症学会 理事長、東邦大学 医学部 微生物・感染症学講座 教授
舘田 一博 氏

 臨床現場では薬剤耐性(AMR)菌の問題が確実に進行しており、まさにサイレントパンデミックといった状況です。日本では2016年に2020年までのAMR対策のナショナルアクションプランが策定され、取り組みが進められました。
アクションプランでは、われわれが取り組むべき方向性として「診断法や新しい治療薬の研究開発の推進」が盛り込まれましたが、残念ながら、この施策はあまり進んでいません。

 その要因の1つは、抗菌薬や感染症治療薬は開発しても利益がなかなか上がらず、企業にとってビジネスになりにくいことです。この問題は、サイエンスだけでは解決できません。産学官が連携しながら知恵を出し合い、インセンティブを用意することが必要です。

 このインセンティブには、研究開発の資金援助などの承認取得までを支援するプッシュ型インセンティブと、新規開発を推進し承認取得後も支援するプル型インセンティブがあります(図1)。特に最近は、創薬が難しい抗菌薬のような薬剤の開発促進にはプル型のインセンティブが必要とされ、本会議のAMR部会でもそれが議論されています。わが国では国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の医療研究開発革新基盤創成事業(CiCLE)などで、プッシュ型のインセンティブは拡充されつつありますが、プル型のインセンティブはあまり見当たりません。しかしAMRは世界的な問題ですから、危機管理の視点から産学官が連携し、プル型インセンティブを導入し、積極的にその解決に取り組む必要があります。

研究開発のためのプッシュ型とプル型のインセンティブ
図1:研究開発のためのプッシュ型とプル型のインセンティブ

 他方、COVID-19の出現で診断法に変化が見られます。たとえば、これまで2~3日を要した感染症の診断が30分程度で可能になり、病原体の種類やAMRかどうかまでわかるようになってきました。そうした技術の確立で、より狭域のスペクトラムの抗菌薬も適切に使用できるようになります。

 また、COVID-19の治療では宿主側のサイトカインストームを抑制すること、すなわちHost-directed Molecular Targeted Therapyも新たな方向性に加えられました。皮肉な結果ではありますが、大きな災禍をもたらしているCOVID-19パンデミックが、新たな創薬の方向性を生み出しつつあるといえます。

Strengthening Future Measures against Communicable Diseases through PPP
—— Towards the Prompt Supply of Essential Therapeutic Drugs and Vaccines ——

正林 督章 氏
厚生労働省 健康局長
正林 督章 氏

 治療薬をめぐる行政の取り組みは、研究開発の推進、開発された薬剤の迅速な審査と薬事承認、承認を得られた薬剤の確保に大別できます。今回のCOVID-19関連では、現状で承認されている治療薬の確保と、流通の仕組みづくりを進めています。

 一方、ワクチンはまだ開発されていませんが、やはり研究開発、生産体制の整備、十分量の確保が取り組みの中心になります。ワクチンについては、菅義偉内閣総理大臣は2021(令和3)年前半までに全国民に提供できる数量を確保すると宣言しています。そのため、メーカーとの供給契約やメーカーの損失に対する補償、そのための法的措置などを進めるとともに、接種体制の整備も検討しています。COVAXファシリティーという国際的な枠組みにも参加しています。

 COVID-19の治療法、ワクチン、診断に用いるPCR検査や抗原・抗体を調べる新たなクロマトグラフィー、ECMOも含めた治療機器やシステムの研究開発等にこれまで当てられた予算は、総額1481億円です(図2)。その中には、COVID-19の患者検体のゲノム解析などの基盤技術開発の費用も含まれています。

図2:新型コロナワクチンの開発状況
図2:新型コロナワクチンの開発状況

 ワクチンの開発は海外が先行していますが、国内の生産体制の整備促進のための支援も行っています。たとえば、ワクチン生産体制等研究整備事業を立ち上げ、一定の要件を満たすメーカーには生産ラインの整備に財政支援を行っています。また、通常のプロセスではワクチンの生産に何年もかかるため、生産ラインの整備と承認のプロセスを同時並行的に進めることも考えています。

 そのための緊急整備事業として、1377億円の予算を計上しました。このほか、国立感染症研究所の検査体制、アジア地域の臨床研究、治験のネットワーク構築、CEPI(感染症流行対策イノベーション連合)やGavi(ワクチンと予防接種のための世界同盟)などのワクチン開発のための国際的な枠組みに対する財政支援も行っています。さらに、コロナ禍を教訓に、将来の新規感染症のパンデミックに備えていくことも重要と考えています。

All Lives Have Equal Value
Efforts to Combat Infectious Diseases through International Cooperation

 ゲイツ財団では毎年、SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)の進捗状況を『ゴールキーパーズ』というレポートで公表しています。2020年は財団にとって非常に悲しい結果が多くの統計で示されました(図3)。

図3:COVID-19パンデミックによって大幅に後退したSDGsの進捗
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柏倉 美保子 氏
ビル&メリンダ・ゲイツ財団 日本常駐代表
柏倉 美保子 氏

 たとえば、過去20年間で世界の貧困は確実に減少してきたのですが、今年初めて増加に転じました。特に5歳以下における貧困の増加が目立ち、栄養不良による成長阻害も増加の兆しがあります。さらにCOVID-19だけでなく、HIVやマラリアなどの他の感染症の発生状況もネガティブな傾向にあり、ワクチンの接種率も2020年前半の25週間に25年前の水準に後退しました。

 ゲイツ財団はワクチン開発に尽力してきましたが、世界の先進国が先にワクチン確保に動いた結果、先進国は国の人口の2.5倍のワクチンを確保しているのに対し、途上国では人口の14%程度しか確保できておらず、大きな格差が生まれています。今あるワクチンを先進国が独占するのではなく、途上国にも公平に供給できれば、感染症による死者数は現在より半減すると推算されています。AMR対策も含め、国際協調が重要だということです。

 COVID-19対策における国際協調のメカニズムでは、ACTアクセラレーターがあります。これは、ワクチン、治療薬、検査キットの3点を、途上国も含めて公正・公平に供給していくための世界で唯一の取り組みです。ワクチンは2021年の終わりまでに20億回分を全世界に、治療薬は2021年の中盤までに2.45億回を、検査キットは2021年の中盤までに5億件をそれぞれ低中所得国に供給することを目標にしています。

 一方、正林局長も言及されたCOVAXファシリティーは、ワクチンのバイヤーズクラブのような組織で、現在184カ国が参画しています。日本はCOVAXに先進国で初めて参加を表明した国です。また日本は、途上国へのワクチン供給の助成にも貢献しています。マルチラテラリズムを基本にグローバルなリーダーシップを発揮され、国際協調の流れを重視している日本に、ゲイツ財団はとても期待しています。

Efforts and Challenges in Controlling Infectious Diseases from Industry Perspective

柏倉 美保子 氏
日本製薬工業協会 会長
中山 讓治 氏

 COVID-19の治療薬の開発期間を短縮するために、わが国の複数の製薬企業はすでに承認された化合物の転用、すなわちリポジショニングの可能性について検討を進めています。一方、ワクチンについては、基礎研究、非臨床試験、臨床試験等の並行した実施や、開発の成否が分からない段階から生産設備構築を準備することにより、製品提供までの時間を短縮できるように取り組んでいます。加えて、メッセンジャーRNAやDNAなど、これまでにない新しいモダリティーを活用したワクチンの開発や新たな生産方法にも各社が取り組み始めています。

 ただ、COVID-19の感染が仮に収束しても、必ずまた新たな感染症は出現します。そこで、平時から国家戦略としての感染症対策を統括する司令塔機能が必要ではないかと考えています。この司令塔が長期的な視点で感染症対策の戦略を立案し、関係省庁を取りまとめ、自治体や医療機関に明確な方針を示すことができれば、より有効な感染症対策が可能になると思います。

 感染症対策では、AMRも大きな課題です(図4)。このまま何も手を打たなければ、2050年には年間1,000万人がAMRで死亡すると予想されています。しかし、AMRの発生はある程度予測が可能です。WHO(世界保健機関)とCDC(米国疾病管理予防センター)は、特に脅威となる菌種を特定しています。そうした菌種に対する新薬の研究開発を優先的に進めれば、重大な社会問題となることを防げるはずです。

高まるAMRの脅威
図4:高まるAMRの脅威

 2020年7月、今後10年間で2~4品目の新規抗菌薬を開発することを目標に、世界の製薬企業20社以上が共同でAMR Action Fundを立ち上げました。しかし、AMR治療薬は開発に成功しても、事業として継続するために必要な利益の確保にはなかなか直結しません。なぜなら、次のAMRを生まないためにその使用が極力制限されるからです。

 そうした状況下でAMR治療薬の研究開発を促進するためには、プル型インセンティブの導入が必要不可欠です。感染症対策ではこのほか、産学官連携による技術革新や人材育成、製品の安定供給のための基盤整備、国際連携も重要課題です。以上のような課題を網羅的に解決するためにも、感染症対策を統括する司令塔をぜひ立ち上げていただきたいと思います。