日本マイクロソフトに与えた気づきとは?

日本マイクロソフト株式会社
テクノロジーセンター
エグゼクティブアドバイザー
小柳津 篤 氏
2011年3月11日、東日本大震災が発生した。公共交通機関が止まり、電話回線がパンクした。東北地方はもちろんのこと、関東や北海道を含む広い範囲で都市機能が麻痺した。多くの企業と同様に、日本マイクロソフトの社員も出社できなくなった。しかし同社の内情は、他社とは少し違っていたという。
「震災を機に、ほぼ全員がテレワークに移行しました。まずは自身と家族の安全確保が第一です。しかしそれが落ち着いたら、出社せずに自宅で業務を継続する。それが当時の樋口泰行社長の方針でした」(日本マイクロソフト株式会社 テクノロジーセンター エグゼクティブアドバイザーの小柳津篤氏)。
震災の2カ月前、日本マイクロソフトは都内5カ所にあったオフィスを品川の新社屋に統合した。その際にネットワークを刷新し、内線電話網をICTに置き換え、手続き型業務をアウトソース、机の配置もフリーアドレス化、社内外で付加価値の高いネットワーク型業務が滞り無く実行できる環境整備を進めていたのだ(このような働き方をMS社ではフレキシブルワークと呼ぶ)。
ただ、環境整備が進んでも人や組織の習慣は容易には変わらず、出社前提/面談重視の雰囲気が大勢を占めていた。推進チームは移転前年から意識改革の必要性を感じポスター/マニュアル/ビデオ/説明会など様々な啓発活動を続けていたが手ごたえという意味では「2割反対、8割無関心」(小柳津氏)だったという。
だが、3.11が起きた。交通網は麻痺し出社はできず、お客様が被災される中、業務を止める選択肢は無い。
「フレキシブルワークの準備を進めていたとはいえ、いきなり全社員が出社しないなどまったくの想定外でした。想定外なので練習もしたことがありません」(小柳津氏)。
それが、震災が起きた途端、数日でほぼ全員が在宅勤務を体験した。さらに、この体験から通勤時間や家族との過ごし方等について各自それぞれの気づきがあった。この経緯から、小柳津氏は大きな気づきを得たという。「順序が逆でした。意識改革より行動変容が先。行動と体験が変わった時にはじめて何かに気づいたり期待したり納得する。これが意識改革です」(小柳津氏)。
同時に、こうした意識改革には個人差が大きいことも知った。「早い人は数時間でメリットを実感し、フレキシブルワークを積極的に活用するようになります。その一方で、2年経っても馴染めない人がいました」(小柳津氏)。
震災によりフレキシブルワークはいったん進んだが、時間が経つにつれて以前の働き方に戻ろうとする社員が出てくる。そこで、日本マイクロソフトでは2012年に1日、2013年と2014年は3日、2015年と2016年には1週間という具合に、オフィスを強制的に閉鎖してフレキシブルワークを強く促す期間を設けた。行動を変えれば意識が変わる。そのコンセプトにより、フレキシブルワークはしっかりと根づいていった。
もちろん、フレキシブルワークは「会社に来るな」という意味ではない。「いつでも、どこでも、誰とでもコラボレーション」という意味だ。
生産性の向上に欠かせない選択肢
マイクロソフトがフレキシブルワークを強く推進するようになったのは10年以上前のことだ。震災も新型コロナウイルスも関係ない。同社がフレキシブルワークを求めた理由は何だろうか。
「ビジネスモデルの変化です。ビジネスが複雑化して業務が増える一方で、社員を無限に増やすわけにもいきません。天才的な才能を集められるわけでもない。平均的な能力の社員が組織力によって生産性を高めるには、ネットワーク型の組織マネジメントが必要です。フレキシブルワークとは、それに不可欠な社員間のコラボレーションを支える仕組みなのです」(小柳津氏)。

マイクロソフトの売上と生産性の推移。棒グラフが売上、折れ線グラフが生産性=従業員一人当たりの売上を示す。ビジネスモデルが変化する中で、組織の仕組みや働き方を変えて業務効率を高めてきた
ビル・ゲイツ氏がトップだった時代は Windows パソコンの販売、スティーブ・バルマー氏の時代は法人向けコンピューティング、サティア・ナデラ氏になってクラウドを中心とする消費型ビジネスへとビジネスモデルが目まぐるしく変わった。
「10年以上前、一括大型契約の時代は1つの商談に10人ほどで対応できました。しかしクラウドビジネスになると、1社のお客様でも複数の部署を相手にするようになります。商談数が5倍近くに増えたうえ、1つの商談に数十人のスタッフが協力することも珍しくなくなりました」(小柳津氏)。
10年前と今とでは、仕事のやり方が野球とサッカーぐらい変わったと小柳津氏は語る。かつては順番に打席に立ち、監督のサインに従い、配球ごとにうまくゲームを進めれば勝てた。しかし今は競争環境も顧客の期待値も要素技術も激しくかつダイナミックに変化する。いちど笛が鳴ったら、そのダイナミズムの中で社員同士がコラボレーションしスピーディーに戦わなければ生き残れないのだ。

ビジネス環境の変化で企業の勝ちパターンが変わった。社員のコラボレーションが成功へのカギとなり、「いつでも、どこでも、誰とでも」を実現するフレキシブルワークが必須となっている
「コラボレーションを効果的に進めなければならない中で、フレキシブルワークは唯一絶対と言えるほどの選択肢になっています」(小柳津氏)。
かつて多くの日本企業では、テレワークは育児や介護などで出社できない社員を救済するための仕組みと考えられていたかもしれない。しかし今は、生産性を高めるために全員が取り組むべき必須のワークスタイルになっている。認識を変える必要がありそうだ。
「テレワークのさらなる徹底」
フレキシブルワークが浸透している同社において、コロナ禍は「さらなる徹底」をもたらした。
2020年4月7日に安倍晋三首相が緊急事態宣言を発令した時、同社の出社率はすでに1.7%になっていた。これだけフレキシブルワークが進んだ同社でも、不可能と言われていた部署がある。一部の顧客サポート部門だ。
この業務では、オペレーターの手元にいくつかのデバイスが必要となる。その環境を自宅で再現するのは難しく、フレキシブルワーク化が難しい領域と考えられていた。
しかし、中国で主要な都市がロックダウンされた際、現地のサポート部門も在宅勤務に移行せざるを得なくなった。デバイスの内バーチャル化できるものはできる限りバーチャル化し、どうしても必要なものだけをトラックで社員の自宅に配布したという。
これを機に、困難とされてきたサポート部門のフレキシブルワークが可能になった。中国でのノウハウを米国にも展開し、5つの拠点で働いていた1000人ほどのサポート部隊が約4日間で在宅勤務へ移行したという。
実効性の高いDXを支援
コロナ禍対策のために、多くの企業が競い合うようにテレワークを導入している。もちろんそれは、喫緊の課題としてしっかりと対応すべきだ。しかし、企業がテレワークを必要とする真の目的はそこではない。変化が激しく先の読めないビジネス環境において、必要な競争力を確保するためのインフラなのだ。
マイクロソフトは今後、顧客企業を3つの柱で支援していく。「Remote Everything」「Automate Everywhere」「Simulate Anything」だ。「Remote Everything」とは距離を制約から価値へと変えること。「いつでも、どこでも、誰とでも」のコラボレーションを可能にし、生産性を向上させるためのインフラを整える。「Automate Everywhere」とは、人工知能やロボットで自動化を進め、業務効率をさらに高めることだ。そして「Simulate Anything」とは、ビッグデータと分析によって先の見えない時代の道しるべを得ることである。
「当社はこの3つを他社に先駆けて推進し、すでに浸透させつつあります。その過程で体験してきた成功例や失敗例、反省やノウハウをテクノロジーと一緒に提供できるのが当社の強みだと考えます」(小柳津氏)。
他社に先駆けて自社がまず試し、そこで得た経験とノウハウを顧客に提供することで、机上の空論ではない実効性の高いデジタルトランスフォーメーション(DX)を支援していく考えだ。