
従来のコンピューターとは全く異なる原理で、圧倒的な計算能力を実現する「量子コンピューター」。その実用化がいよいよ見えてきつつある。この領域の研究・開発を先導する1社であるNECは、イベント「NEC Visionary Week」内で量子コンピューターの動向を紹介するパネルディスカッションを開催。現在までの経緯や先行事例、今後の発展などについて、アカデミックおよびITベンダーのトップランナーが語り合った。
量子コンピューターがビジネス、
社会に新たな可能性をもたらす
西原量子コンピューターへの期待が高まっています。背景にあるのは、従来のコンピューターの性能限界です。AIやビッグデータに対するニーズの高まりや、環境問題、SDGs(持続可能な開発目標)といった複雑化する社会課題に対応する上で、大規模なプロセッシング能力が必要になってきました。そんな中、リープ(飛躍)をもたらす技術として量子コンピューターが注目されているのです。
そもそも量子コンピューターは、大きく2つの方式に分類できます。1つは、イジングモデル(磁性体の性質を表す統計力学上のモデル)に基づいた物理法則を利用して問題を解く「アニーリング方式」。もう1つは、従来のコンピューターの上位互換を目指す「量子ゲート方式」です。
私たちNECは、このうちアニーリング方式の開発・実用化に向けて取り組んでいます。これは、従来のコンピューターでは計算に膨大な時間がかかる「組み合わせ最適化問題」の処理に特化したもの。これまで提供できなかった様々な新しい価値を提供できるようになるとみています。
蔡量子ゲート方式についても、欧米を中心に着実に研究開発が進んでいます。こちらも、我々が暮らす世界の常識とはかけ離れた「量子力学」をベースとしたもののため、仕組みを簡単に説明することは困難です。ただ1つ言えるのは、従来のコンピューター同様、ビット数が増えるほど性能は高まるということです。
量子ゲート方式の研究では、量子ビット数が53になると従来のコンピューターの性能を超えることが分かっています。そして、現時点でその数字は既に達成されています。
森本IBMは毎年少なくとも2倍ずつ性能を向上させています。2020年に65量子ビットのチップの開発に成功しました。2021年には127、2022年には433量子ビット、2023年には1121量子ビットを実現する予定で、現在も開発を進めています。少し前まで、量子コンピューターは研究上の夢物語だといわれてきました。しかし現在は、実際にそれをデバイス化し、制御・操作できる段階に来ています。また、来年にはクラウド経由で利用できる量子コンピューターと、ハードウエア研究のための量子コンピューターの2台を日本国内に設置する予定です。まさに今、私たちはイノベーションの入り口に立っているといえるでしょう。

東北大学
大学院情報科学研究科 准教授 兼
株式会社シグマアイ 代表取締役
大関 真之氏
統計力学を柱に量子アニーリングと機械学習の両者にまたがる研究活動を展開。アカデミア人材の活躍の舞台を世に広げるため株式会社シグマアイを創業し、新しい形の産学連携のスタイルを模索する。
大関おっしゃる通りですね。また別の観点では、私は量子コンピューターが持つ省エネ性にも注目しています。量子の動きは、電力を使うことなく普遍的に起こっている現象です。量子コンピューターはそれを利用した仕組みゆえに、消費電力が非常に少なく済む特性を備えているのです。
「もっと高い処理性能が必要だが、環境負荷低減の観点で、エネルギーの大量消費は許されない」――。そんな課題を抱える企業や研究機関は少なくありません。量子コンピューターは、そうした人々のやりたいことを具現化し、新たな道を開く技術でもあると考えています。
製造、物流、システム構築などで
複数のユースケースが登場

日本電気株式会社
取締役 執行役員常務 兼 CTO
西原 基夫氏
1985年NEC入社。各種製品開発および研究開発に従事。研究部門(グローバル7拠点)を統括し、全社の技術戦略、知財戦略を担う。2016年執行役員、2019年より執行役員常務 兼 CTOを経て現職。
西原となると、期待されるのがビジネス現場での実用化です。それに向けた第一歩として、NECは実証環境として使える高性能コンピューター「SX-Aurora TSUBASA Vector Engine」を提供開始しました(図1)。大規模演算や計算処理の飛躍的な高速化が実現できるこのマシンを、将来的には、カナダのD-Wave Systemsのクラウドプラットフォームと連携することも検討中です。これが実現できれば、誰でも気軽に、量子コンピューターをサービスとして利用できる環境が具現化できると考えています。

図1 実証環境として提供開始されたシミュレーテッドアニーリングマシン (ベクトルコンピュータ利用)
また現在は、量子コンピューティング技術を活用した複数のユースケースが国内で登場しています。そのいくつかを紹介しましょう。
製造領域複数ラインの組み合わせに基づく電子基板製造計画を最適化
NECは、グループ企業のNECプラットフォームズにおける電子基板の製造工程で、量子コンピューティング技術を活用する実証検証を行っている。もともと電子基板の生産計画立案には、長年の経験とノウハウが求められる。加えて、昨今は少量多品種生産や納期短縮などへの要請が増大し、適化を図ることがますます困難になっていた。そこで同社は、工場のSMT(表面実装)工程において、複数の製造ラインの組み合わせを考慮した生産計画の最適化を、量子コンピューティング技術の計算に基づいて実施している。
「従来は人が約1時間かけて作成していた生産計画を、10分で作成できるようになりました。また、熟練技術者が立てた計画よりも、ムダを数%抑えられることも実証されています」(西原氏)。これは、工場の生産量アップやコスト削減に直結する結果といえる。今後は、別の工場や、SMT以外の工程にも展開することで汎用化を進める予定だ。
物流領域大規模配送計画の策定に適用し、走行距離や配送時間を最適化
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、EC関連の物流が急増している。配送業務の現場はひっ迫した状況にあるが、この課題に適用することで、配送ルートの最適化や配送車両台数の利用効率向上を図る。
例えば、ある物流事業者は、数十台の車両で約1000の地点に荷物を届けている。「どの車両がどのルートで回るか」は、車両台数やドライバーの労働時間の最適化のカギになるが、従来のコンピューターでは、膨大な組み合わせの中から最適解を見つけることが難しかった。そこで、「道路幅と車幅」「荷物量と積載量」「燃料」「運転手のスキル」「渋滞する場所」「踏切の位置」など、様々なパラメーターを踏まえた組み合わせ最適化問題として計算。従来の配送ルートよりも距離と時間を10%ほど削減できる新ルート案を導出できたという。
IT領域AIの支援によってシステム開発技術の高度化を図る
ITベンダーにとって、顧客のビジネス課題を解決するための提案力・技術力は競争力を支える生命線となる。一方、現場では人材不足が進行。日進月歩で進化するテクノロジーの特質や強みを理解し、顧客への提案に組み込む上では、現場を支援するための仕組みが不可欠になっていた。そこで、量子コンピューターとAIを用いて、膨大なソフトウエアやサービスの組み合わせ提案を実施。自動計算により、適切なシステム設計を導くことに取り組んでいる。
災害時に避難経路を提示する
システムなども実現可能に
西原ほかにも小売、金融、広告、素材開発・創薬、など、量子コンピューティング技術は多様な領域への適用が期待されています(図2)。

図2 NEC量子コンピューティング技術適応領域の広がり
工場のライン稼働の最適化、配送計画や乗務員のシフト計画の最適化など、「組み合わせ最適化問題」が当てはまる様々な課題の解決に役立つと期待されている

日本アイ・ビー・エム株式会社
研究開発 執行役員 最高技術責任者
森本 典繁氏
日本IBM入社以来、ハードウエア開発、MITメディア・ラボを経て東京基礎研究所。その後IBMワトソン研究所で上級副社長補佐を経て2009年に東京基礎研究所所長、2015年IBM AP地域CTO、2017年研究開発統括、執行役員、2020年日本IBM CTOに就任。
森本IBMは慶應義塾大学および複数の国内企業と一緒に、産業界での応用が期待されている分野について共同研究を行っています。例えば、膨大な原子、分子の分析・シミュレーションが必要な創薬や、製造業における材料開発はイノベーションが期待できる分野ですね。また、不確定要素を集めて計算できるという意味では、金融、マーケティング分野のリスク計算への応用も期待されます。さらに、AIで大規模な機械学習を行う際の計算の加速化にも、量子コンピューターは貢献してくれるのではないでしょうか。
西原当社もそう考えています。また、より私たちの生活に近いところでも量子コンピューターは活躍してくれます。これについて、大関先生はどのように見ておられますか。
大関私は、量子コンピューターを自然災害リスクの低減に生かせないかと考えています。在席する東北大学および私が立ち上げた民間企業であるシグマアイで、津波から避難する際の最短経路を提示するシステムの研究開発を進めているのです。
具体的には、スマートフォンを使って現在位置をクラウド上のアニーリングマシンに送ると、避難場所への最短経路が即座に計算されて表示されます。使う側の感覚は既存のスマートフォンアプリと同じです。高度なIT知識がなくても、誰でも量子コンピューターを使えるような仕組みを模索しているところです。
量子コンピューターの未来は
「使う人」のアイデア次第
西原蔡先生は、NEC在籍時の1999年に世界で初めて固体量子ビットの動作を実証されました。それから約20年、いよいよ量子コンピューターが手の届くところへやってこようとしています。ぜひ先生からも、実用化に向けた期待をお話しください。

物理学科 教授 兼
理化学研究所 創発物性科学研究センター
チームリーダー
蔡 兆申氏
NEC基礎研究所で主席研究員を歴任。2001年より理化学研究所の巨視的量子コヒーレンス研究チーム、超伝導量子シミュレーション研究チームのチームリーダーを兼務。2015年4月より東京理科大学理学部第一部の教授に就任、現在に至る。
蔡ありがとうございます。ただ、どんな技術の歴史を振り返っても、研究者による「こんなことに役立つ」という予想はほぼ当たったことがないようです。つまり、技術の実用化は、使う側の人がどんなアイデアを思いつくかにかかっています。未知の領域がまだ多い技術だからこそ、いかに画期的なことを考え出すかが、その未来をつくるのだと思います。
森本私も、その通りだと思います。恐らく今日、私たちが語ったような使い方は、次の世代にとっては当たり前のものになるはずです。量子コンピューターを日常的に使う時代に向けて、現在の企業は、ぜひ量子コンピューターを実際に使って、いろいろなことを試してほしいですね。
「自社の課題は何なのか」を考え、
利用目的を明確化する
大関様々な話が出ましたが、結局のところ、量子コンピューターの効果を引き出したければ、「自社の課題は何なのか」をまず考えることが肝心です。課題を可視化することで、テクノロジーが役立つところも見えてきます。使い方次第で、可能性は無限に広がっていくはずです。
今後、次世代通信5Gが普及すれば、膨大なデータの取り回しも容易になります。そうすれば、活用範囲は一層広がります。ここ5年から10年のうちには、化学や人工知能、機械学習の領域で大きなブレイクスルーがあるのではないでしょうか。それが現実になるよう、皆様と共に頑張ってきたいと思います。
西原私たち企業や研究者、そして社会に暮らす皆さんが一体となって、これからも有用なユースケースの探索を進めていきたいですね。今日はいろいろなお話をありがとうございました。
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NEC 量子コンピューティング推進室
qc@info.jp.nec.com