市場変化が激しくなる中、売り手側からの一方的なアプローチでは大きな成長は見込めなくなりつつある。顧客のニーズや期待を上回る価値を提供する――。これからはそこが主戦場になる。そうした中、SAPは従来のビジネスモデルの殻を破り、顧客の成功を第一に考える独自のアプローチを推進している。今回はその取り組みと顧客企業の“生の声”を紹介し、顧客を起点とした変革と共創の重要性とそのポイントについて取り上げてみたい。そこには「顧客」や「SAP」だけでなく、それを「社会」にも広げていくという「三方よし(売り手よし・買い手よし・世間よし)」の考え方が、垣間見えてくる。
――SAPジャパンは中長期ビジョンの中で「お客様の成功にとってなくてはならない存在」になることを掲げています。この目標を打ち出した理由や背景を教えてください。
佐野:デジタル化の進展によって、お客様の価値観は大きく変わりつつあります。シェアリングエコノミーはその象徴でしょう。例えば、車は所有せず利用する。車を持つことが重要なのではなく「速く快適に移動する」「ドライブを楽しむ」といった“体験”に大きな価値が置かれるようになっています。
ITに対する考え方も同じです。SAPが大切にしているのはバリュー(新たな価値)とカスタマーエクスペリエンス(顧客体験)です。SAP製品を導入するだけでなく、売り上げアップやコスト削減、人材配置の最適化など、お客様が求めるビジネス成果の「成功」まで責任を持つ。そして製品の提案、販売、運用、サポートに至るすべてのタッチポイントで快適な体験をお届けする。こうした考えに基づき、私たちのビジネスのあり方や考え方も、これまでとは大きく変わっています。
藤井:お客様とSAPの関係だけでなく、「社会」という視点も大切にしています。お客様が実現した変革の成果を広く伝播させていくことで、産業界から日本を元気にしていきたい。SAP製品は基幹システムとして幅広く利用されているため、社会全体に貢献していくことは、私たちの重要なミッションと考えています。
佐野:こうしたSAPの考えは、有名な近江商人の「三方よし」や「商売十訓」に近いものがあります。「売り手よし、買い手よし、世間よし」はまさにSAPが目指しているもの。「売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる」「無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ」という哲学にも我々が目指すビジネスに通じるものがあります。
宇田川:SAPのビジネスはクラウド型にシフトしていますね。そうなると導入拡大を目指す一方で、顧客のサービス活用の充実やチャーンレート(解約率)をいかに下げるかなどが重要になる。だから価値と顧客体験の向上に注力しているわけですね。かつては各局面で顧客ニーズをつかんでセールスをかける、いわば“点”のビジネスでしたが、それを“線”でつなげていく必要がある。これを実現しようとすると、組織や従業員のアクションやマインドセットを変えていく必要がありますね。
佐野:その通りです。SAPは昨年からグローバルで新たな取り組みを開始しました。まず組織についてですが、これまでは営業、サービス、サポート、パートナーエコシステム部門などの組織が縦割りでサイロ化していました。部門をまたいだ横串でプロジェクトを見ることができなかったため、お客様と接点を持つこれらの部門を1つに統合し、カスタマーのために活動するグローバル約4万人の新組織であるカスタマーサクセス部門を編成しました。
新しい組織を動かすためには、マインドセットも新しくしなければならない。そこでグローバル共通のスローガン「C1 S2 L3」を打ち出しました。これはお客様が1番(Customer first)、SAPが2番目(SAP second)、LOB(SAP社内の事業部門)が3番目(LOB third)ということを端的に表したものです。判断に迷ったときには、まずお客様のことを第一に考える。次にSAPとして全体最適を目指し、最後に各事業部門としての売り上げや利益を考えていきます。
この活動を支えるオペレーション・フレームワークも策定しました。これはSAPソリューションの採用、導入、活用、拡張の各段階で、お客様の成功を実現するためにSAPがエンドトゥエンドで伴走していくというフレームワークです。お客様にとって真に価値あるソフトウェアを提案・販売する。時間価値を重視して迅速にシステム導入を実現し、日々の業務でSAPソフトウェアを使い倒してもらって目指した価値や目標の実現に貢献する。その中でお客様とSAPとの関係性を拡大・拡張することを目指します。
宇田川:なるほど。どんなに価値のあるサービスを提供しても、顧客体験が低ければ、良好な関係性は築けませんからね。
組織が新しいことをやろうとすると、既存ビジネスで成果を上げてきた人からすると脅威に映ることがあります。自分の強みが失われるかもしれないと考えるからです。皆が新たな取組に前向きにチャレンジするようになるには、きちんと論点を整理することが重要です。
これは当たり前のようで、実はやっていない会社が多い。ビジネスモデルは示しても、プロセスは現場任せ。その点、SAPは事業内容や組織を変えるだけでなく、組織を動かすためのマインドセットまで踏み込み、それを支えるビジョンや枠組みも示している。非常に意義のある活動だと思います。
藤井:価値と顧客体験の向上に向けて、SAPジャパンでは特に中堅・中小企業の変革の支援に力を入れています。もちろん、大手企業の変革も支援していますが、日本企業のほとんどを占める中堅・中小企業が変わらなければ、日本全体の変革も進まない。そうした想いが強くあるからです。実際、SAPでは多くの企業変革をサポートしています。テクノホライゾン様との共創はその代表例です。
――テクノホライゾンでは、何を目的に変革を行っているのでしょうか。
竹内:当社グループは、オプトロニクス(光学)とエレクトロニクス(電子)の技術を事業に生かすオプト・エレクトロニクスメーカーとして事業展開してまいりました。現在は、「映像&IT」および「ロボティックス」を活用して企業や人々に役立つ商品・サービスを積極的に展開し、「ベンチャー企業の機動力」と「大手企業の力強さ」を兼ね備えた企業になるべく第二の創業期にあります。メーカーとして、もちろん製品としての優位性を高めていくことは重要ですが、モノ売りのビジネスだけではいずれ成長に限界がきてしまう。そこで現在、モノをベースにしつつユーザーの課題を解決するソリューション会社への進化を目指しています。近年では、AV事業領域でのソリューション事業会社やセキュリティ事業会社などの買収を積極的に進め、既存の技術やアセットとの相乗効果によるソリューション開発に取り組んでいます。
――この目標に向けてSAPとともにITインフラの改革を行っているわけですね。
竹内:その通りです。以前はグループ企業ごとに、それぞれ生産システム・販売システム・会計システムなどで業務管理を行っていましたが、事業が複雑になればなるほど、全体の収益が見えにくくなります。こうした課題を解消するため、統合的な経営インフラの必要性を感じ、約10年前にSAP ERPを導入しました。
さらに主要グループ会社の経営管理の効率化、基本業務プロセスの統合などを目的として、SAP S/4HANA導入プロジェクトを2018年4月に開始。約1年でシステムを稼働させました。これにより、月次決算が早期化されるだけでなく、業務ルールの標準化も進みました。生産現場の見える化で在庫が極端に減り、生産スループットも大幅に向上しています。
現在はグループ全体のSAP環境を段階的に発展させているところです。具体的には今年から主要グループ会社の経営統合とともにプライベート版SAP S/4HANA Cloudを稼働させており、さらにSAP ERPとSAP S/4HANAのインスタンス統合を進めています。これが実現すれば、製造現場のIoTデータとの連携、顧客への販売データを基にした市場動向データ、経営マネジメントのデータなどを総合的に活用可能になり、データドリブンな業務や経営が可能になるはずです。
宇田川:将来に向けたビジョン実現のためSAP環境を含めたITインフラを高度化しているわけですね。その中でSAPの対応や御社との関係性も変化してきているのでしょうか。
竹内:それは実感します。ERPを提供するベンダーではなく、変革を支援してくれる共創パートナーとしての存在感が大きくなっています。
変革を目指すには、まず互いが目指す山が一致していることが重要です。SAPはそのすり合わせから伴走し、山を登るにはどういう選択肢があるかを一緒に考えてくれる。グローバルの実績で培った知見や先行変革モデルを基に、新事業や共創のアイデアを共有していただき、それを具現化するための仕組みづくりに関わる思考のヒントを得ることができました。
上流工程の変革はコンサルティングファーム、システムの作り込みはSIベンダーに依頼するのが一般的ですが、私たちが求めているものはそれとは少し違います。製造現場や業務、経営のデータを組み合わせ、新しい価値を創出することです。
グループのSAPシステムの自社導入を通じ、その構築ノウハウは自社で培ってきました。ものづくり企業として工場や販売の現場もよく分かっています。それを経営管理の仕組みやデータとどう連携させれば、どんな価値が生まれるか。こうしたテーマに他社の事例紹介やDXに関わるグローバルな知見を提供してくれるSAPは非常に貴重な存在です。
宇田川:顧客目線で新しいソリューション開発を目指し、そのために多様なデータを活用したデジタル化を進める。テクノホライゾンの変革はSAPが進めている変革の取り組みと共通する部分が多いですね。自らが変革を進めているから、クライアントの課題にも実感を持って支援できるのではないでしょうか。それがSAPの存在感の大きさにつながっているのでしょう。
――テクノホライゾン以外でも、共創によってビジネス成果の創出に成功しているケースもあるそうですね。
佐野:工具や作業現場用機具などの卸売企業として知られるトラスコ中山様の取り組みはその好例です。同社の経営哲学は非常にユニークです。通常は在庫を極力持たないことが理想とされますが、同社は常に在庫を用意しておく。お客様が求める商品をタイムリーに提供する「在庫ヒット率」をKPIにしているのです。
この精度を上げるため、SAP S/4HANAを中心とする新システムを2020年1月にリリース。これをベースに工具や資材の調達サービス「MROストッカー」を実現しました。これはいわば“富山の置き薬”の工具版サービス。お客様が現場で必要になるものをAIで予測し、発注前に現場まで届ける。それを使うか、使わないかはお客様次第で、使った分だけ料金をいただくというモデルです。
お客様が求めるものは既に現場にあるので究極の即納が可能です。需要予測にAIを活用することで、人の判断より高精度な予測が可能になり、在庫ヒット率も90%以上を達成しています。
竹内:これは大きな価値創造ですね。SAPの知見の詰まったこうした変革事例は、変革を目指す中堅・中小企業にとって刺激になります。中堅・中小企業は人材不足でDXがなかなか進展しない部分はありますが、SAPとお付き合いしていく中でアイデアが浮かぶ。私たちも既存事業で培われた受託型の経営基盤を変革しながら、自分たちが市場を切り拓いていくビジネスモデルの創造に取り組んでいます。
宇田川:いま提供できるものを提供していけばビジネスは回っていきますが、そうすると「そもそも自分たちは何をやろうとしていたのか」という原点が穿(うが)てなくなる。ビジネスの成長の余地を自分たちで狭めてしまう恐れがあります。トラスコ中山の取り組みは、そこを掘り返したところが重要なポイントですね。その時に、アイデアだけでなく、それを形にするITの仕組みまで整えないと、具現化されないのでフラストレーションしか残りません。だから、掘り下げと具現化の両面から価値創造に貢献するのがSAPとのビジネスにおける大きな特徴といえそうですね。
――SAPジャパンは以前からユーザー会「JSUG」の活動を支援しています。成功に向けて、活動内容も変化しているのですか。
佐野:JSUGは1996年に設立された、SAPユーザーが自ら運営するユーザーコミュニティです。具体的にはSAP製品の最新機能や先進事例を紹介する「エデュケーション」、会員同士の情報交換を促し知見を高める「ネットワーク」、そしてSAPへの意見や要望を話し合う「インフルエンス」という3つを柱で活動を展開しています。あくまで主役はSAPユーザーであり、SAPジャパンは情報や場の提供を通じ、この活動を支援する立場です。
以前はお客様の企業価値向上をミッションとしていましたが、近年は業界・社会全体の発展を考える方向に活動がシフトしています。日本企業が海外で戦うためにはどうすべきか。ユーザー、パートナー同士の共創促進の場へと変わりつつあります。SAPもこうした変化を踏まえ、共創を支援する情報や施策の提供に力を入れています。
藤井:活動は非常にオープンです。SAPを導入されていない企業にも参加していただき、共創の可能性を探求しています。
竹内:同じような課題を抱える企業が、どんな取り組みを進め、どうやって課題を解決したか。貴重な経験を直に聞けるので、大変参考になります。実際、当社でチャレンジを試みたものの対応に迷った時、JSUG会員から実践的なアドバイスをいただいたこともあります。様々な事例やノウハウを共有できる点はJSUGの最大の価値だと思います。今後のビジネスの創造に向け、こうした横のつながりも大事にしていきたいと考えています。
宇田川:顧客による顧客のための変革・共創を支える。JSUGというコミュニティの活動はその基盤の1つになっているわけですね。ユーザー主導の運営で20年以上も活動が継続しているのも驚きです。SAPを単なるベンダーと位置付けていたら、ほかの企業や業界・社会のために貢献しようとは思わないでしょう。
今回の企画を通して、SAPがなぜ変革に取り組み、何を目指しているのかがよく分かりました。システムを提供する存在ではないということです。顧客の内側にあるニーズを満たすための存在ではなく、一緒に課題を発見し、そこに対処する方法を共創し続けるパートナーとしての関係を目指しているのだなと。そこにデザイン思考などを使いながら、組織や業務プロセス、人事評価まで具体化していく。そうした思想を日々の習慣としているのだと思います。
今回得られた知見を私の研究テーマである企業変革に生かし、日本企業のイノベーション創出に貢献する。今回の取材を通して、私自身、その想いが以前にも増して高まりました。ありがとうございました。