フューチャリスト。京都大学大学院で人工知能を研究。マッキンゼー・アンド・カンパニーやNTTドコモ、グーグル、リクルート、楽天など数多くの企業で新規事業立ち上げを担う。経済産業省対外通商政策委員、産業総合研究所人工知能センターアドバイザーなどを歴任。著書は『ITビジネスの原理』『ザ・プラットフォーム』『アフターデジタル』『ディープテック』など多数。
日本企業が進めているDXには、「業務DX」「事業DX」「価値DX」 の3つが混在している。この分類は西口一希氏(M-Force共同創業者、Strategy Partners 代表)が提唱した概念である。「業務DX」は、今ある業務をデジタル化することで自動化したりコスト削減につなげたりする段階。例えば、従来、書類にハンコを押していた稟議(りんぎ)をデジタルに置き換えるのは、この業務DXに当たる。
次の「事業DX」は、現在の事業をデジタル世界へと持っていくこと。ビジネスをオンライン化することで物理的制約を超えた規模拡大が可能になったり、データを取って個別最適化できるようになったりと、既存のビジネスをデジタルによって強化できる。従来はCD-ROMで販売していたパソコンソフトをダウンロード販売に切り替えるのが、事業DXの一例だ。
日本で「DX」と言えば、この2つをイメージする人が多いが、「本質はそこではない」と尾原氏は指摘する。本来、DXとは「デジタルシフト」ではなく「デジタルトランスフォーメーション」、つまり非連続な変革を起こすことだ。「これまでは提供できなかった価値」を、デジタルを使って顧客に提供していくことが最終目標となる。
価値DXの例として尾原氏は、中国で6億人が利用しているという「平安(ピンアン)保険」を挙げる。保険会社は顧客がケガをしたり、病気になったりしたときに、後からお金を提供する。つまり、顧客との接点は事後、発生する。
ところが平安保険のアプローチは違う。顧客を健康にするために、事前にさまざまな施策を打っている。例えば顧客に万歩計を配布し、歩くだけでポイントがもらえる仕組みを導入した。ポイントを獲得するためには1日1回アプリを利用する必要があり、顧客は自然と健康に関する情報に触れるように設計されている。
さらに医師による年中無休のチャットを使った無料問診サービスを提供。「本来病院に来なくても大丈夫な人」の受診を減らす一方で、本当に必要な人はアプリ上で病院の予約ができる。このように健康に関する総合的なサービスを提供することで、平安保険は医療費の削減に貢献し、顧客への保険金の支払額を抑えた。その結果、顧客が払う保険料も低額に設定できるようになった。
これまで傷病という「点」でしか顧客をサポートできなかったが、デジタル技術によって、ずっと顧客に寄り添う「線」で支援できるようになった。それにより、平安保険が提供する価値も「『トラブル時のお金の憂いを消す』から、『人生における健康の憂いを消す』という保険会社が本来実現したかった価値へと変化した」と尾原氏は解説する。
このように、デジタル技術を活用して「自分たちは本来、どんな価値を提供するための存在なのか」という点にまず立ち戻り、その後に提供する価値を広げていくのが「価値DX」だ。ただし、DXのゴールである「価値DX」にたどり着くためには「業務DX」や「事業DX」を着実に実行し、価値DXができる体質となっていることが前提となる。