1979年、萩原氏は25歳の若さで綱屋の前身となる精肉小売業の「つなやミート」を創業した。当時、成長期にあったスーパーマーケットでは、生鮮産品を各テナントに依存する形で店舗運営が行われていたため、つなやミートはチェーン展開を目指して着実にテナント店を増やしていった。
しかし、店が20店舗ほどに増えたころ、生鮮産品の直営化が進み、肉の小売業の将来に疑問を持ち始めた。そこで、精肉業で培ってきた技術と肉を仕入れる目利き力を生かして、焼肉に特化した飲食事業に軸足を移すことを決め、87年に綱屋を設立。90年に福岡市内に焼肉ヌルボンをオープンすると、サービスへの徹底したこだわりが支持され、綱屋は順調に店舗数を増やしていく。
「5店舗ほど展開したときに地産地消や農業の6次産業化が注目されるようになり、福岡県でもブランド牛“博多和牛”の出荷が始まりました。これを一頭買いで提供することで、より地域に根差した運営が可能になり、店舗の数も15店舗まで増えました」
焼肉店は換気効率がいいこともあり、綱屋の店舗はコロナ禍においても堅調な経営を続けていたが、萩原氏の胸中ではある思いが大きくなっていた。
「私ももう68歳。40年以上走り続けてきたので、数年前から心身共に“金属疲労”を感じるようになりました。娘婿への事業承継も考えたのですが、彼はベトナムで立ち上げたステーキハウスの事業に打ち込んでいるので、それを尊重したい。もはや残された方法はM&Aしかないと考え、2021年2月に地元の地銀で常務を務めていた知人に相談し、事業の譲受先として紹介されたのがJR九州さんでした」
最初は耳を疑ったという萩原氏だが、安定した経営と今後の成長を考えると申し分のない相手だった。というのも、飲食店が成長するには人材力、財務力、そして出店立地という3つの物理的な要素が大きいと考える萩原氏にとって、どの観点から見てもJR九州ほど期待の持てる相手は考えられなかったからだ。
「とくに出店立地については、なかなか好条件の物件に巡り合うのは難しいのですが、JR九州さんなら私たちよりも豊富な情報を収集できると期待しています。私が育ててきたヌルボンという店は、従業員にとっては生活を成り立たせる職場であり、お客様にとっては大切な人と大切な時間を味わう特別な空間です。こうした会社としての文化をつくり続けていくことが、飲食事業で生き残る道だというのが私の考え方ですが、今回、縁あってJR九州さんがこうした私の考えに共感し事業を引き継いでくださることになり、とても感謝しています」
一方、JR九州はこれまでも、事業承継に悩む地元の食品製造・販売やレストランの運営を行う企業を子会社化することで、販路や業容の拡大を図るとともに、地域への送客を強化し、地域観光の発展に貢献してきた経験がある。「JR九州としても、綱屋さんから飲食事業を引き継ぐことで得るものは大きい」と話すのは、JR九州100%出資で設立されたヌルボンの仲氏だ。
「これまでJR九州では駅ビルや駅周辺で飲食事業を展開してきましたが、コロナ禍によって顧客の激減を経験した今、人流への影響が少ないヌルボンの郊外型の店舗展開には私たちが持っていないノウハウがあり、とても魅力を感じています」
仲氏はJR九州時代にクルーズトレイン「ななつ星in九州」の開業にも携わった人物だが、綱屋とJR九州の経営姿勢や企業文化には、どこか共通したものがあると感じているという。
「綱屋さんの“まごころを込めたおもてなし”という社風は、“世界一のおもてなし”を目指すななつ星と根幹の部分が同じだと感じます。博多和牛や野菜などに地元の食材を使うことで、九州の食文化をしっかり広めていこうという経営姿勢も、JR九州と似ています。実はJR九州の行動指針に『誠実』『成長と進化』『地域を元気に』という3つがあるのですが、この誠実という言葉には“手間をかけよう”という意味が込められています。サービスにひと手間かけることがお客様に感動を与えるという企業文化のようなものが、両社に共通する重要な背景だと思います」
もう一点、仲氏が綱屋の店舗運営で大きなアドバンテージを感じたのが、各店舗の店長が地域に愛される存在になっているということだった。
「JRの駅長はその地域とのコミュニケーションという意味で、地域に愛される取り組みをすることが大切なミッションになっているのですが、私は当初、駅長のような店長を育てようと考えていました。ところが、ヌルボンの店長たちはすでに地域にしっかり溶け込んでいて、地域に愛される存在になっているのです。商圏が広い郊外型店舗では、いかにリピーターを増やすかが重要になってくるわけですが、このような店長がいるとお客様がすぐに戻ってきてくれるので、緊急事態宣言明けの回復も早かったですね」
コロナ後を見据えた飲食事業の多角化を図り、沿線と郊外のにぎわいづくりにも貢献するというのが、今回の事業譲受の大きな目的だっただけに、これは仲氏にとってもうれしい誤算だったに違いない。
「事業承継のために新会社をつくる際、経営理念や営業方針をどうするかということを考えましたが、結局、親会社のJR九州とヌルボンは根底の部分の経営理念が同じなので、何も変える必要はないという結論に至りました。というのも、M&Aや事業承継というのは結婚相手を探すようなものなので、組織文化や企業文化といったものが融合できないと、そもそもその関係はうまくいかないと思うからです。ただ、これまでは萩原会長のカリスマ性や強いリーターシップで店を引っ張っていたわけですが、これからはその想いを土台にしながら、組織として力を発揮できるような会社になっていかなければなりません」
まずは福岡県ナンバーワンの焼肉店を目指し、数年後には肉の王国である九州でナンバーワンを目指すと仲氏は目を輝かせる。
博多和牛などの地元「九州産牛」をはじめ、米や野菜など地産地消の食材にこだわりを持ったメニューを提供。「まごころを込めたおもてなし」でリピーターから熱い支持を集める。精肉事業で培った目利きや加工技術を生かしたセントラルキッチン事業も展開しており、セントラルキッチンの活用によりグループ全体の飲食事業の効率化を図る展開も見据えている。