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心理的安全性の高まりが現場発のDXを活性化 感謝体質の組織が変革を巻き起こす

社員の心理的安全性を高めることは大切だが、一歩間違えると過剰な「慣れ合い」を生み、組織が緩んでしまうのではないかと考える経営者は多いようだ。そうした懸念とは裏腹に、心理的安全性を高め、現場発のDXを活性化させている企業がある。その取り組みに迫った。

部門の“横のつながり”の
弱さに課題を感じる

株式会社カクイチ
代表取締役社長
田中離有
1962年、長野県生まれ。慶応義塾大学商学部卒。1990年、米国ジョージタウン大学でMBA取得。カクイチに入社。2001年、同社代表取締役副社長。14年、同社5代目として代表取締役社長に就任。

 カクイチは、1886年(明治19年)に長野県で創業した老舗企業だ。

 銅鉄金物の小売商として産声を上げ、時代の変化とともに問屋、メーカーと業態の幅を広げてきた。130年以上の歴史の中で取り扱う製品・サービスも変わり続け、現在ではガレージや物置、農業用ホースのほか、太陽光発電、体に優しい建材やミネラルウォーター、高齢化が進む地域の移動手段としてのMaaS(モビリティー・アズ・ア・サービス)まで、幅広く提供している。

 「時代ごとに生まれる新たな社会的課題の解決に専念した結果、製品・サービスの種類が多くなってきました。広範囲にわたる事業は、明治の時代から、ベンチャー企業として絶えず革新に挑み続けてきたカクイチの足跡だと言えます」と語るのは、同社代表取締役社長の田中離有氏である。

 一方で、2014年に5代目社長に就任した田中氏は、その事業の広がりが社員同士の“横のつながり”を弱めているのではないかと感じた。

 「機能別、専門別の組織に分断され、本社のほか、3つの工場、28の営業拠点、77店舗のショールームと働く場所もバラバラなので、他の部門の人や仕事に無関心になる傾向が強かったのです」と田中氏は振り返る。

組織風土を変えるため
「情報の民主化」を推進

 幅広い事業を手掛けるカクイチには、異なる事業同士が結びつくことで“化学反応”を起こし、新たなイノベーションを創発できる環境がある。

 社長になった田中氏は、その恵まれた環境を何とか生かしたいと考えたが、部門をまたぐ社員同士のつながりが希薄な状態では実現困難であった。

 また、長い歴史を持つカクイチには、トップダウン型の組織風土が根付いており、社員たちには「言われたことだけやればいい」という受け身の気持ちが強い傾向にあった。そうした心理的安全性の低さも、自由闊達なコミュニケーションの中から生み出されるイノベーションの阻害要因となっていた。

業務フローの改善について、異なる部門の社員同士が知恵を交換した後にUniposで交わしたやり取り。田中氏は「感謝されるよりも、するほうがエネルギーは上がりやすい」と考えており、より多くの感謝を発信した人を評価する制度も設けている

 これらの課題を解決するため、カクイチは18年にビジネスチャットのSlackを導入。デジタルが苦手な社員に使い方を教える「ITアンバサダー」を各部門に任命し、多くの社員に興味を持ってもらうため「肥満解消」や「美顔」といった業務以外のタスクも設定するなど、あの手この手で活用を促した。

 目指したのは「情報の民主化」である。「部門や上下関係を越え、会社や業務に関するあらゆる情報が共有できるようになったことで、他の部門や部下が『何に困っているのか?』が分かるようになりました。すると『それなら、こういうやり方があります』というアドバイスが自然と飛び交うようになったのです」(田中氏)。

 「情報の民主化」はトップダウン型の組織風土も打ち壊した。経営陣が発信した情報も社員全員に伝わるため、中間管理職が不要となり、19年には課長職を廃止した。組織がフラットになったことで対話はますます活発になり、現在では約400人の社員が月間約6万件のメッセージをやり取りしている。

困り事を解決してあげたい
という気持ちが強まる

 カクイチではなぜこれほどコミュニケーションが活発化したのか? 実は、Slackに先駆けて、社員同士が感謝の言葉とともに、ささやかな報酬を贈り合えるUniposというサービスを導入していた。

 一般的に、Uniposのようなサービスだけを導入しても風土改革が進まないことが多くある。田中氏はその理由を「組織を横断するようなイベントや関わりがない縦割り組織では、活動がマンネリ化して誰も使わなくなる。組織やチーム内の縦と横の関わりや活動量を増やし、Uniposによってその循環を強めることこそ風土改革が進む秘訣である」と語る。

 カクイチは「情報の民主化」と同時に心理的安全性を向上させることで、組織内の縦と横の関わりを増やしコミュニケーションを活性化させた。

 「Uniposの良さは、感謝する人とされる人だけでなく、すべての社員がそのやり取りを見て、素晴らしいと思ったら拍手やメッセージを送れる点です。これによって会社全体が『感謝体質』に改善されたことが、心理的安全性の向上に結びついています」(田中氏)

 Uniposで高まった心理的安全性を土台として、Slackによる助け合いのコミュニケーションは盛んになり、助けられたことへの感謝がUniposで送られるという好循環が生まれている。

 この好循環の中で、カクイチでは現場発のDXが次々と創発されている。

 例えば、太陽光発電事業の申請では膨大な情報を手入力する必要があるが、大変そうな姿を見た社員がRPAの活用を教えたところ、業務効率が飛躍的に改善された例があるという。他にも、社員同士が互いの知恵を持ち寄って業務やサービスをデジタル化させた例は、枚挙にいとまがないそうだ。

 田中氏は、「心理的安全性が高まると、社員同士の『慣れ合い』が生じるのではないかと危惧する経営者もいるようですが、むしろ『困り事を早く解決してあげたい』という気持ちが強まる効果が大きいのではないかと思います」と語る。現場が能動的にイノベーションに取り組む環境が整ったことが、何よりのメリットだと感じているようだ。

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「感謝体質」が闊達で変化に強い組織を育む

エール株式会社
取締役
篠田 真貴子

カクイチの取り組みでは「感謝体質」というコンセプトに注目した。私たちはつい「感謝されたい」ほうに意識が向くが、逆に「感謝すること」に力点を置いている。感謝とは能動的な行為だ。周囲に意識を向けるので好奇心が生まれる。言語化を通して価値観も自覚され、自己理解が進む。「褒める」は上下の関係にあるが感謝はフラットだ。これが「体質」になるほど浸透し、闊達で変化に強い組織になったのだろう。