
世界中の企業が今、米中衝突による「地政学リスク」を前提にビジネス戦略を全面的に見直す必要に迫られている。地政学リスクというと生産の際のサプライチェーンや、販売先の市場の状況に関わる話だと捉えられがちだ。だが、実際にはそれ以外にも様々なリスクがある。代表例が、海外へソフト開発を委託する「オフショア開発」に関わるリスクだ。地政学リスクがソフト開発にもたらす影響について考える。
オフショア開発に関わる地政学リスクを考える際、今最も注目すべきは中国にまつわる動きだ。中国は20年以上にわたり、日本企業の主要なオフショア委託先であり続けている。
Nikkei Asiaの2025年4月の報道によると、アリババ集団や字節跳動(バイトダンス)、騰訊控股(テンセント)など中国の大手ネット企業が、米エヌビディアの半導体「H20」を大量に確保していることが分かった。
H20はエヌビディアが中国向けに性能を落として設計したAI(人工知能)向けの半導体だ。米トランプ政権は同年5月、新たな半導体規制を導入し、H20の中国への販売を事実上禁止した。アリババやテンセントの動きは、この規制を見越したものだったわけだ。
米国は前バイデン政権の時代から、中国のAI開発力向上を防ぐため、先端半導体の輸出を規制してきた。エヌビディアはこの規制をかわすために、先に紹介したH20やH800といった性能を落とした半導体を中国に提供するなどしてきた。だがここに来て、性能を落とすことで規制の抜け穴をつくことができないよう、制裁が更に強化された形だ。
中国側もただ手をこまねいているだけではない。中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)は2025年5月、AI向け半導体「アセンド」シリーズの新型「910C」などを投入し、エヌビディアの代替えを狙う考えだ。
今後中国において、AI向け半導体の代替えがうまく進むかは未知数だ。その結果にかかわらず、ここで日本企業が認識すべきなのは「中国で最先端のシステムやデジタルツールを活用している場合に、ある日突然その利用が難しくなることが起こり得る」という事実だ。
ここではAI向け半導体についての動きを述べたが、今後は半導体のような部品やハードウエアだけでなく、米国製のソフトウエアの利用が難しくなったり、米国から提供されるSaaS(ソフトウエア・アズ・ア・サービス)の利用に制限がかかったりする可能性もある。
現在の世界情勢から考えると、中国企業のデジタルサービスを活用することによるリスクをあらかじめ想定しておくことが必要な状況になったと言える。もちろん全く利用してはいけないというわけではない。自社の競争力強化に役立つサービスや、オフショア委託先が存在するのであれば、活用するという選択肢もあり得るだろう。ただし、使い続けることができなくなるかもしれない、というリスクを想定し、そのリスクに備えておくような、先を見越した取り組みが求められそうだ。
リスクが発生し得る対象国は中国だけに限らない。情勢の変化次第では、他の国のデジタルサービスの活用やオフショア委託についてもリスクが高まり得るという認識が要るだろう。
米中の緊張関係以外にも、日本企業における海外へのシステム開発の委託に影響を与える可能性のある動きがある。日本政府が2024年5月に運用を開始した「基幹インフラ役務の安定的な提供の確保に関する制度(通称、基幹インフラ制度)」だ。
基幹インフラ制度は、国の基幹インフラと考えられる重要設備が、外国からのサイバー攻撃の脅威にさらされることを防ぐためのものだ。制度においては、日本国内の社会インフラを担う様々な業界の大手ユーザー企業を「特定社会基盤事業者」と認定している。
特定社会基盤事業者は特定のシステムを導入する際、「供給者」と呼ぶ開発委託先について、情報やリスク管理措置の実施状況などを届け出ることが必要だ。情報とは、名前や住所、所在国、議決権の5%以上を直接保有する者の氏名・名称や保有割合、役員の国籍、パスポートの写しなどだ。サービス提供のためのシステムを設置する場所も事前に申請する。
特定社会基盤事業者は現在、電気、ガス、石油、水道、鉄道、貨物自動車運送、外航貨物、港湾運送、航空、空港、電気通信、放送、郵便、金融、クレジットカードの15業種だ。今後は医療が追加される可能性が高い。
繰り返しになるが、基幹インフラ制度は重要インフラを国外のサイバー攻撃から守ることを目的とした制度だ。そのため特定社会基盤事業者が国外のベンダーにオフショア開発を委託する場合、審査が厳しくなる可能性が十分にある。
制度開始からのこの1年で、供給者としてオフショア委託による国外ITベンダーを認めた例、もしくは認めなかった例があるのか。内閣府の担当者に問い合わせたところ、2025年5月の時点では「審査の内容については外部に公表しない方針だ」ということだった。
現段階でどのような影響が生じているかは不透明だ。だが、制度の成り立ちを考えると、現時点でオフショア委託に対して厳しい判断を下している可能性はある。仮にそうでなかったとしても、今後の国際情勢などに応じて審査が厳しくなることは十分にあり得る。
ここ数年の世界情勢の影響で、中国へのオフショア委託に依存するリスクが高まっている、という指摘がよくされるようになった。一方で、本サイトの調査からも分かる通り、依然として中国への委託意向を持つ人が多い(https://special.nikkeibp.co.jp/atclh/ONB/24/fptjapan_gih/p23/)。
実際に取材している中でも、中国の委託先の技術力や日本語力、人材リソースの豊富さは、現在でも日本企業から高く評価されていると感じる。こうした状況において、中国に多くの業務を委託している日本企業が、すべての委託を他国に一気に切り替えるのは現実的ではないだろう。
中国への委託に限らないが、オフショア開発における地政学リスク対策の1つは、1つの国に委託を集中せず複数の国や地域を併用することだ。本サイトが行った先の調査によると、現在はベトナムへの委託意向を持つ人が最も多く、インドがそれに続いている。中国以外の受け皿も増えてきたと言える。
仮にすぐに委託先を増やしたり、委託先を切り替えたりするのが難しい場合でも、できることがある。委託先における現状の業務やシステムのドキュメント化を進めることだ。これらのドキュメントがそろっていれば、委託先を変更する場合の作業がスムーズに進みやすい。何らかの不測の事態に陥り、突然既存のオフショア委託先が利用できなくなるような場合にも、被害を最小限に抑えるために役立つはずだ。