
企業の評価や行動基準はただ一つ「もうかっているか」であり、DX(デジタルトランスフォーメーション)も利益に寄与するものでなくてはならない——。競争戦略やイノベーションの専門家である一橋ビジネススクールの楠木建特任教授は、こう断言する。「経営者は人手不足を経営不振の言い訳にしてはいけない。むしろ変革の好機だ」とも言い切る楠木氏に、経営課題への向き合い方、改革の進め方を尋ねた。(聞き手は日経BP総合研究所 イノベーションICTラボ 大和田尚孝)
——日経平均株価の最高値更新や物価高、マイナス金利の解除といった最近の動きは、日本企業にどんな影響を及ぼしそうですか。
大前提として、「日本企業」という主語は使わないほうがよいと思います。高度経済成長期のように、多くの日本企業に共通する成功パターンのようなものがあった時代は、日本企業という主語で多くの企業を括り、議論することの意味がある程度はあったかもしれません。しかし現在は市場が成熟し、顧客のニーズが多様化して、企業の多様性も高まっています。こうした中で、事業立地や経営スタイルが異なる企業を一括りにしても、見えてくるものはありません。
現在の株高はもちろん喜ばしいことですが、抽象的な「日本企業」がそれをもたらした訳ではありません。日本に本社を持つ上場企業の一部が、好業績を記録したことが理由です。

日本以外の国で、国全体で見た企業の競争力を議論しているケースは、私が知る限り、それほどありません。日本ほど、国単位での取り組みを意識している人が多い国は少ないでしょう。例えば、日本人の多くが自国の国内総生産(GDP)の国別順位を知っていますが、これは世界的に珍しいことです。
こうした事実は日本人が自国に対するコミットメントが強い、という特徴を表しており、当然良い面もあります。しかし企業経営について考える場合は、本来企業が持っている個別性を軽視するなど、デメリットが大きいと考えています。
——個別の企業については、どのような基準で評価すべきでしょうか。
シンプルに長期利益です。長期で利益が出ているということは、(企業が世の中に)独自の価値を提供できていることの最大の証明です。より詳しく言えば、競争の中で長期的に利益を出せたか、ということになります。
企業が多くの利益を出せば、多くの法人税を支払うことになります。(税引き後の利益を原資に)自社の賃上げもできるし、社会的な目的のために富を再分配する行為にもつながるわけです。
別の言い方をすると、企業の存在意義は「存在しなくなったときに悲しむ人がどれだけいるか」です。ある企業が同業種の競合に買収されて社名がなくなる、というケースはよくあります。その際に「悲しい思いをするのは創業者だけ」ということがあります。例えばある小売業の店名が、より規模が大きく、ブランド力が高い企業のものに変わることは、顧客や従業員にとって喜ばしいものである場合が多いはずです。
——その場合、店名が消えた小売業は「存在しなくなったときに悲しむ人がいない」、つまり存在意義があまりなかった、というわけですね。
ええ。このように考えるとビジネスは非常にシンプルです。経営者は物事を難しく考えすぎず、利益を出すことにまい進していただけたらと思います。複雑、高尚、深刻なこと、哲学的なことには会社の外で取り組んでください(笑)。
——「長期的に利益を出す」ことを目指すうえで、企業はDXにどのような意識で臨むべきですか。
よく言われるように、デジタルはあくまで手段です。目的は長期的な利益の創造です。手段と目的を取り違えないようにすることが大切です。この前提を踏まえたうえで考えるべきなのは、デジタルを使うことによってコストが下がる、もしくは売り上げが増える、これらのいずれかにつなげることです。
この本質は、デジタル活用に限りません。会社の中で誰かが「これこれの新しい取り組みをしよう」と発言した際、「それを実行するとなぜもうかるのか」と必ず問いかけてください。それに答えられない場合は、取り組んではいけません。
DXによって実現できることは、今までのビジネスの延長線上にあるものです。SaaS(Software as a Service)などのデジタル財を提供するIT企業などを除き、DXは既存のビジネスを補強する手段です。
——コスト削減については、DXのうち「D」、つまりデジタル化によって実現しやすそうです。
例えば、はがきを出すのを止めて電子メールを使うようにした、といった行為は、アナログのものをデジタルで置き換える「デジタル代替」と呼べます。このことをDXと呼んでいるケースも多いと思います。
デジタル代替は今に始まったことではなく、これまで長く続いてきたことです。目新しいことではありませんが、コストを下げるという結果が出るのであれば取り組むべきです。
——売り上げを増やすのはDXの「X」、トランスフォーメーションということですね。
そうです。顧客がより多くの商品を購入してくれるようになったり、これまでとは違う顧客層に購入を促せるようになったりする施策がトランスフォーメーションです。こちらがDXの本筋だと私は見ています。
DXという魔法の杖を振ると、これまで誰も見たことがないような商売ができる、といったことはまずありません。大半の(うまくいく)DXは、強いビジネスがあって、そのビジネスをより強くするためのものです。
——既存のビジネスをDXによって強くした例を教えてください。
ファーストリテイリング傘下のジーユー(GU)は、店舗の販売員を「おしゃリスタ」というインフルエンサーのような立場にして、売り上げを伸ばしています。おしゃリスタは自身をモデルにしてスタイルのヒントや服のコーディネートを示し、店舗や公式SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などで発信しています。
ある女性販売員は、店舗とSNS経由でのEC(電子商取引)を合わせて、1年間で数億円の売り上げにつなげたそうです。もちろん、GUの商品や店舗、公式SNSアカウントの発信力といったインフラがあってできていることですが、それでも10年前は店員1人がこのような売り上げを生み出すことは考えられませんでした。優れたコーディネートを提案するというアパレルビジネスの基本をベースに、デジタルを上手に組み合わせて売り上げを伸ばした好例でしょう。
GUは売り上げの多い販売員の売り方や顧客との対話の方法などを動画に撮るなどし、社内システムでシェアする取り組みもしています。これも、売り上げを伸ばすDXの一環と言えます。ただし、DXは戦略の構成要素の一つです。GUが練り上げてきた戦略ストーリーの文脈に置いてはじめてDXは意味を持ちます。
——優れた社員を増やすために、経営者は何をすべきでしょうか。
社員の活躍に合わせて、柔軟に給料を増やすことですね。今は、自身の活躍が給料に見合っていないと考える人が、どんどん会社を辞めています。とても健全な時代になったと感じます。
昔は労働組合の春闘など労働争議が盛んでした。でも、よく考えてみると、おかしな関係です。というのも、社長と社員が互いに、会社を辞めない前提で行動していました。経営者は社員の忠誠心に甘えて、給料を十分に増やしてきませんでした。転職が少なく、労働市場が機能していなかったため、経営にも規律が働かなかったわけです。
今は状況が変わり、社員は不満があれば辞めていきます。これにより、経営に規律が働くようになってきています。
人手不足こそ、ここ10年間で起きた最も良い社会変化だ。私はこう考えています。人手が足りないから給料を上げようという発想になるし、デジタルに投資して効率を高めようという結論にたどり着きます。
——働き手は、どのような心構えで臨むべきですか。
給料の支払いが悪いと思ったら、すぐに交渉するか、転職するかすべきでしょう。よく「働きがいのある仕事」などと言われますが、働きがいとは、突き詰めると仕事内容か給料しかありません。

仕事内容が良いかどうかは、人によって変わります。一方で給料は客観的な次元にあります。少ないと感じたら状況を変えるように動くべきです。今までの経営者は社員が辞めない前提で給料を抑えてきたので、働き手がその状況を変えようと動くことは、経営に規律を生み、社会を良くすることにつながります。
そもそも経営の規律の源泉は、顧客の評価を受ける競争市場、株主の評価を受ける資本市場、社員や労働者の評価を受ける労働市場の3つです。このうち、競争市場や資本市場はしっかりと機能するようになっており、いよいよ最後の労働市場が規律を発揮する段階にきています。
ずっと昔から、人の力は企業の稼ぐ力の根幹を成しています。勘の良い経営者は「そろそろ社員の給料を上げないと長期的に見て損になる」と気づき、給料を上げ始めていますよ。
——人的資本経営が叫ばれているのも、そのような文脈からでしょうか。
それはそうなのですが、「人的資本」という言葉を理解していない経営者が散見されます。資本とは、将来に価値を生むものを指します。現金や財宝など、今価値を持っているものは富であり、資本ではありません。
多くの経営者が勘違いしていますが、人件費を多く払うこと自体は、人的資本経営ではありません。給料という形で労働に対して後払いするのは、人的資源(労働力)を買っているだけです。
資本とは、先払いで投資することです。人が生み出す将来の価値に期待して処遇を決めるので、期待に応えてください、ということです。人的資本経営を実践するためには、経営者が先に動いて、気前良く払うことが大切です。
——テクノロジーが進化すると、人手不足は解消され、むしろ人が不要になるとの見方があります。
戦後80年間、メディアは一貫して「人間の仕事がなくなる」と書いてきました。コンピュータやインターネット、ロボット、AI(人工知能)などが登場するたびにです。そして今は生成AIに仕事が奪われると。
でも、これまでは仕事がなくなりませんでした。今後も同様に仕事がなくならないことは明らかです。人はその時過ごしている時代を「他の時代にはない強烈な変化が起きている」と捉えてしまいやすいのです。
どの時代を見ても、全面的に良い環境だったり、悪い環境だったりすることはありません。それなのに、例えばやる気のない経営者ほど、失敗の原因をマクロ環境のせいにします。「経営が悪い」と言う経営者はいませんよね(笑)。結局は全て言い訳です。
経済のエンジンは企業。企業のドライバーは経営者です。経営は重要かつ厳しい仕事なのです。大変だと思う人は降りるべきです。長期利益の創造に向けて気概を持つ人だけがやるべき仕事だと思います。