キリンホールディングス
常務執行役員 CSV戦略部長
藤川 宏 氏
早稲田大学大学院経営管理研究科
早稲田大学ビジネススクール 教授
入山 章栄 氏
キリンホールディングス
常務執行役員 CSV戦略部長
藤川 宏 氏
早稲田大学大学院経営管理研究科
早稲田大学ビジネススクール 教授
入山 章栄 氏
企業を取り巻く環境が複雑化するなか、多様なステークホルダーとの関係を築き、
その声を経営に活かすことが求められている。
2013年からCSV※1経営を実践するキリンホールディングスは
ステークホルダーエンゲージメントを、さらに重要な価値創造プロセスとして位置づけていく。
なぜ、こうした取り組みが企業価値を高めるために必要であると捉えているのか。
経営学者の入山章栄氏と、同社常務執行役員 CSV戦略部長を務める藤川宏氏の対話から探る。
※1 Creating Shared Valueの略。共通価値の創造。
社会的ニーズや社会問題の解決に取り組むことで社会的価値の創出と経済的価値の創出を実現し、成長の次なる推進力にしていくこと。

藤川 宏 氏
1987年、キリンビール株式会社に入社。営業・留学・マーケティング・秘書などを経験後、複数のM&A業務に携わる。豪州、シンガポール、ミャンマーなどに駐在し、事業経営を経験。2017年キリンホールディングス人事総務部長、19年から3年間公益財団法人日本サッカー協会(JFA)への出向を経て、22年よりCSV戦略部長、24年常務執行役員に。国内外のステークホルダーと信頼関係を築き、キリングループをCSV先進企業に成長させることを目指す。

入山 章栄 氏
慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所でコンサルティング業務に従事後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院にてPh.D.(博士号)を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授。13年から早稲田大学大学院 早稲田大学ビジネススクール准教授。19年より教授。専門は経営学。
近年、多くの企業がステークホルダーエンゲージメントに力を入れ始めている。自社の事業活動に関わる様々なステークホルダーとの関係を構築し、その意見を経営に反映させる取り組みだ。企業戦略としてステークホルダーエンゲージメントが重視されるようになった理由はどこにあるのか。取り組まないことによるリスクは──? そんな問いかけから始まった入山氏と藤川氏の対談は、キリンの目指すCSV経営のあり方にまで話題を広げていく。
入山 企業は、なぜステークホルダーエンゲージメントに取り組む必要があるのか。答えはシンプルで、これをやらないとイノベーションが起きないからです。企業にとってのステークホルダーは株主だけでなく、お客様や従業員、地域社会、環境と多岐にわたります。そうした様々なステークホルダーと交流し、学びを得ることが、イノベーティブな体質をつくっていく。対話を進めていくなかで、組織の透明性も向上していきます。つまり、ステークホルダーエンゲージメントの実施は、企業と社会の価値を高めることにもつながるわけです。
藤川 キリングループは多くの大衆消費財を扱っているため、商品を買ってくださるお客様の声を聞くというのはこれまで当たり前のこととしてやっていました。また、環境問題への取り組みも早い段階から始めています。ただ、これが事業価値につながるということに、当時は気づいていなかったと思います。
入山 キリンさんはマイケル・ポーターが提唱したCSVに感度高く反応し、どこよりも早くCSV経営に舵を切っています。その姿勢から、ステークホルダーエンゲージメントにも先駆けて取り組んでいる印象があります。

早稲田大学大学院経営管理研究科
早稲田大学ビジネススクール 教授
入山 章栄 氏
藤川 株主様に向けたエンゲージメントは数多く実施してきましたが、今後はより網羅的に行っていかなければならないと考えています。私たちのCSVパーパスは、「酒類メーカーとしての責任」を前提とした「健康」「コミュニティ」「環境」の社会課題に取り組むこと。これを果たしていくためには、あらゆるステークホルダーと対話をしていく必要があるからです。
入山 キリンさんが大切にしているステークホルダーを教えてください。
藤川 CSVの実現に向けては、「お客様」「株主・投資家」「ビジネスパートナー」「地球環境」「コミュニティ」「従業員」の6つのステークホルダーとの関わりが重要だと考えています。そのため、お客様や株主様はもちろん、NGOやNPO、サプライヤーから地域コミュニティまで、様々な方と対話や共創の機会を設けています。

キリングループではCSVの実現に向けて、
事業を通じた6つのステークホルダーとの関わりを
重視している。
入山 多様なステークホルダーの共感を醸成することは、事業価値の向上にもつながります。
藤川 キリングループは今、事業ポートフォリオを「食から医にわたる領域」にまで広げています。これを理解していただくためにも、ステークホルダーエンゲージメントは重要なプロセスだと捉えています。
入山 ビール会社が横並びだった時代が終わり、各社がそれぞれの個性を模索しているなかで、キリンさんは最も大胆な変革を進めていると外から見て感じています。ビールとお酒だけでなく、今では医薬品やヘルスサイエンスの領域でも成功されている。その一方で、企業と商品を結び付ける強烈なブランドがないと、何の会社かわからなくなってしまう懸念もあります。
藤川 たしかに、「一番搾り」のように商品名からパッと企業が想起されるブランドは酒類事業に偏っていて、「キリンといえば、ビール」のイメージが強いのは事実です。でも実際には、ヘルスサイエンス領域の「iMUSE」も伸びているし、医薬品事業はグループの重要な収益基盤となっています。
入山 どれも社会課題の解決に直結し、各ステークホルダーにもたらす影響も大きい事業ですね。
藤川 これらを貫く1本の軸がCSVだと考えています。私たちが目指すのは、「食から医にわたる領域で価値を創造し、世界のCSV先進企業となる」こと。このビジョンをステークホルダーのみなさまに正しく伝えていきます。ステークホルダーの理解と共感にはまだまだ道半ばであり、これからも大きな課題です。

キリンホールディングス
常務執行役員 CSV戦略部長
藤川 宏 氏
CSVの実現に向け、グループのあるべき姿を体現していくために、キリングループでは様々なステークホルダーとのエンゲージメントを重ねている。直近では、社会課題解決型商品である「キリンビール 晴れ風」や「キリン 氷結®mottainai」の発売を機に、お客様やビジネスパートナーを対象としたエンゲージメントを実施。そこで得られた知見とは──?
入山 17年ぶりの新ビールブランド「晴れ風」は、どういう意図で開発されたのですか。
藤川 これは、商品を通じた「晴れ風ACTION」という取り組みで日本の風物詩や地域文化に貢献していこうという考えのもと生まれたブランドです。地域の桜や花火大会などの伝統の維持・継承や自治体の関係人口増加など、地域社会の発展やコミュニティ形成につながるCSV経営の実践例です。
入山 なるほど、まさに事業価値と社会価値の両立につながる商品ですね。
藤川 CSV型商品としては、規格外などで青果販売できない果物を使った「氷結®mottainai」シリーズも立ち上げています。フードロスの低減に貢献するとともに、1本につき1円を寄付することで、果実農家さんの持続的な生産をサポートするのが狙いです。
入山 だから「mottainai」と、商品名でもわかりやすく取り組みを表現しているんですね。

「晴れ風」は、「ビールとしてのうまみや飲みごたえ」と「飲みやすさ」を両立させたバランスの良い味わいに加え、「晴れ風ACTION」への共感により、発売から約3カ月で300万ケース※2を突破。おいしいのに規格の観点で廃棄される果実を「モッタイナイ果実」と位置づけ、期間限定商品に使用した「氷結®mottainai」シリーズ。※2 大びん換算
藤川 先日は、こうした取り組みに対するお客様の意識調査や、ビジネスパートナーである流通の方々とのエンゲージメントを実施しました。そこで明らかになったのは、多くのお客様が環境や社会にいいことをしたいと考え、エコバッグやごみ拾いなど身近なアクションを起こしていること。ただし、それ以上の行動となるとハードルは高く、誰もが手軽に参加できる仕組みづくりを企業に期待していることがわかりました。その意味でも、「晴れ風」や「氷結®mottainai」で取り組む社会課題はわかりやすく、多くのお客様にご賛同いただくきっかけになったのだと感じています。
入山 ビールは比較的、商品サイクルが速い商材だと思いますが、一方で社会課題の解決には時間がかかる。このギャップを埋めるためにも、2つのブランドはこの先も長く展開していくお考えなのでしょうか。
藤川 目の前に社会課題がある限り、キリンとしてはずっと続けていきたいと思っています。
入山 回転の速い事業の中にも長期の時間軸を設けておくことは大切です。ぜひ続けていただきたいですね。流通の方々との対話では、どのような気づきが得られましたか。
藤川 社会課題に関する意識や行動には、世代差があります。なかでも、今の中学2年生と3年生を境に意識の差がはっきり現れるという、流通様からのご発言にはハッとさせられました。これは、小学校でSDGsの教育が始まった時期に起因するようです。社会課題に対して感度の高い世代が消費者として増えていく中で、お客様のライフタイムバリューを高めて、いかに共感を育んでいけるか。グループ全体で考え、経営戦略に組み込んでいく必要があります。
入山 僕らの世代とミレニアル世代でも感覚が違うのだから、Z世代よりさらに下の世代となると考え方もまったく変わってくるでしょうね。
藤川 ええ。同時に世の中も変化していくので、未来を見据えながら、今できることをしていかなければなりません。ヘルスケアの領域でいえば、「iMuse」ブランドを中心に免疫ケアの重要性を広めていくことも、CSVの大事なミッションです。キリンでは地域コミュニティと一緒に勉強会を開催するほか、免疫について学べる教材を小学校に無料で提供するなど、様々な取り組みを行っています。

ステークホルダーエンゲージメントから得られた学びやインサイトを経営戦略に反映させるためには、どのような視点や取り組みが必要となるのか。それを探る次の対談では、キリングループが今抱えている課題や、目指す未来につながるヒントも見えてきた。
入山 キリンさんのように、多様なステークホルダーとのエンゲージメントを推進していくと、それを事業戦略に落とし込む際に葛藤が生じるケースもあるのではないでしょうか。
藤川 おっしゃる通り、部門や機能によって主に対峙しているステークホルダーが違うので、バランス調整は大変です。キリンとしてはマルチステークホルダーを対象としているのに、マーケティングはお客様、生産部門はビジネスパートナーに偏重するなど、事業部や各部署に落ちていく段階でどうしても粒度が小さくなってしまう点は、課題として認識しています。現在は全社を通じた方針づくりに向けて、ディスカッションを進めているところです。
入山 マルチステークホルダーに対応していくためには、組織や部門の壁を越えた取り組みが必要です。課題を現場だけで解決しようとするのではなく、もっと横断的に捉えていかなければならない。そのためには企業理念やパーパスが必要。キリンさんの場合は、CSVという太い柱があるので、これを軸とした従業員エンゲージメントに突破口が見出せそうです。
藤川 まさしく今その方向で動いている真っ最中で、今後も様々な対話の機会を設けていく予定です。
入山 海外のPR会社ともよく議論するのですが、社内外で方向性を統一していくには、PR(Public Relations)、IR(Investor Relations)、GR(Government Relations)、ER(Employee Relations)で一貫して同じことを発信していく必要があります。そうしないと、すべてのステークホルダーに共通するストーリーを語れないからです。

藤川 それでいうと、キリングループでは海外のIR説明会にCSV戦略部のメンバーが参加して、投資家と直接対話する機会も多いですね。また、重要な経営諸課題を決める際にも、海外の機関投資家の幹部などを招いた検討会議を行っています。
入山 見せる資料は、社内と外部で変えているんですか。
藤川 同じものを使用しています。同じ資料でも、立場や視点が違えば、異なる評価につながり、非常に興味深い結果が得られます。そのご意見を反映したものを取締役会で議論し、最終的なグループマテリアリティ(経営諸課題)に落とし込んでいくという流れです。
入山 それは素晴らしいですね。まさにPR、IR、GR、ERの一体化につながる取り組みをされています。普通はそれぞれに別の資料を用意するので、見せる相手によって中身が変わってしまうんです。でも同じものを提示し続けていけば、内容もブラッシュアップされていくはずです。
藤川 とくに意識してやってきたわけではないのですが、長期経営ビジョンを策定するにあたっては多様なステークホルダーの視点が重要だと考え、このようなプロセスを選択していました。
入山 長期経営ビジョンの発信はどのぐらいの頻度で行っているんですか。
藤川 10年ごとです。今は2035年に向けた長経の検討を始めていて、現行で目指す「食から医にわたる領域での価値創造」を、次の10年ではさらに加速させていきます。基本的にはどの事業も祖業のビールに端を発する、発酵やバイオテクノロジーに関連したものなので、お客様や市場の共感は得られやすいと考えています。
入山 将来も継続して、発酵・バイオテクノロジー企業として社会に貢献していくイメージですか。
藤川 そうですね。生涯にわたってみなさまのウェルビーイングに貢献できるCSV企業でありたいと考えています。もちろん、達成には時間もかかるでしょう。その点をご理解いただくためにも、やはりステークホルダーエンゲージメントを丁寧に重ねていくことが大切だと考えています。
事業変革やステークホルダーエンゲージメントは時間を要するものだが、キリングループはこれからも着実に積み上げていく。その先に目指すのは、世界のCSV先進企業になることだ。ここでは、国内外のステークホルダー経営の潮流を紹介しつつ、キリンの未来を展望する。
入山 ステークホルダーエンゲージメントが世界中で注目されるようになったきっかけは、2019年に米経営者団体ビジネス・ラウンドテーブルで提唱された「ステークホルダー資本主義」に始まります。でもこれは、日本人にとっては決して目新しい発想ではないんですよ。
藤川 日本には「三方よし」の文化がありますからね。ステークホルダーが多様に存在することは、企業にとっても当たり前の感覚として受け入れられています。このマルチステークホルダーという観点から、日本と海外の違いをどうご覧になっていますか。
入山 そもそもアメリカがステークホルダー資本主義と言い出したのは、それまでの株主至上主義を踏まえてのこと。米国企業にとって、会社とは株主のために存在するものだったからです。一方、日本はマルチステークホルダーの考え方が根付いていた故に、株主への意識が希薄だと言わざるを得ない。ここが弱いままだと透明性が上がらず、ガバナンスの低下を招いてしまいます。その点は世界の潮流から遅れているし、早急に改革しなければならない部分です。
藤川 どちらも良し悪しはあるということですね。キリングループでは、目指す姿を実現するためには各ステークホルダーとの協働が不可欠であると考え、透明性、公平性、継続性をもって対話や情報開示を行うとともに、適切なガバナンス体制を構築しています。それでも我々のやろうとしているポートフォリオ変革には時間がかかるため、中長期で見守っていただきたいという思いはあります。
入山 マルチステークホルダーエンゲージメントで大切なのは、誰かの意見を聞いてどこか1カ所を変えるのではなく、目指す姿に向けて会社全体で変革していくこと。時間がかかるのは当然です。そして変革の方向性を決めたら、従業員をはじめとしたステークホルダー全員が“腹落ち”するストーリーを示すことが重要です。腹落ちすれば、変革は必ず進みます。
藤川 2013年からCSV経営に舵を切り10年以上続けてきて、腹落ちの重要性は肌身で実感しています。「キリンはCSVでやっていくんだ」という意識は、着実に醸成されていると感じています。
入山 キリンさんはこれまで一貫してCSV経営を掲げていて、少しもブレない。そこは本当に強いと思います。腹落ちが生まれると、未来に向けた投資ができるからです。それはすなわち、イノベーションにつながる投資です。イノベーションが起こることで、さらなる価値向上も期待できるでしょう。
藤川 私たちはつねに10年後、20年後の未来を見ています。それには想像力が必要です。この想像力を育むためにも、社外の多様な方々の話を聞いて刺激を受けることが大切です。キリングループはこれからも、事業領域や地域によって異なる様々なステークホルダーと対話し続けることで、よりよい未来を共創していきたいと考えています。
入山 キリンさんは、僕の目から見ても明らかに変わったと思います。もうビール会社の一言では決して括れなくなってきた。じゃあヘルスケアの会社かというと、それだけではない。グループ全体の事業や取り組みを集約すると、やはりCSV企業という表現が最もふさわしいと感じます。これからもCSV経営の先進企業として、多様なステークホルダーと共に日本の企業をリードしてくれることを願っています。
CSV経営を推進していくためには、
ステークホルダーとの対話が欠かせない。
だが、社会課題の複雑化に伴い、
ステークホルダーも多様化している。
キリングループは、早くから株主や投資家との
エンゲージメントを実施してきたが、
マルチステークホルダーに向けての
取り組みはまだ始まったばかりだ。
そこには課題も多く、道のりは長い。
今後はIRのみならず、
マーケティングや営業組織など
あらゆる部門で様々なステークホルダーに
向き合っていく必要があるだろう。
多様なステークホルダーと対話し、
共創し続けることで、
キリングループはこれからも新たな価値を
社会にもたらしてくれるに違いない。
