新幹線の長時間移動に新たな価値を JR東海とAGCが協創した5Gガラスアンテナ窓

リモートワークやSNS、動画配信、AIの活用など、インターネットは仕事や暮らしに欠かせない存在となった。場所を問わず安定した通信環境が求められる今、そのニーズは高速走行中の新幹線車内でも変わらない。

東海旅客鉄道(以下、JR東海)は、グリーン車を超える上級クラス座席「Supreme Class」を発表。その実現を支える技術の一つが、AGCと共同開発した5Gガラスアンテナ窓だ。窓ガラスに透明アンテナを組み込み、高速走行中でも安定したインターネット接続を可能にする。開発に携わった両社の担当者に、その導入背景と開発の舞台裏を聞いた。

多様化するニーズに応える、
新たな上級クラス座席

開業以来60年以上にわたって、日本の大動脈として生活と経済・社会を支え続けている東海道新幹線――。その圧倒的な輸送力と秒単位で動く正確な運行基盤、開業以来大事故を起こしていない高い安全性により、日本の社会・経済を支える基幹インフラとなっている。

東海旅客鉄道株式会社
新幹線鉄道事業本部
車両部車両課 担当課長
伊東 隼氏

2026年10月、JR東海は、グリーン車よりもさらにハイエンドな上級クラス座席「Supreme Class」を、東海道・山陽新幹線「N700S」の一部車両に導入する。長距離移動の時間をより有効活用できる快適・便利な時間へと変えたい顧客の要望に応える新サービスだ。

「これまでJR東海では、『のぞみ』を1時間に最大13本運転するなど、輸送力の充実に注力してきました。その一方で、現代の生活様式や働き方の変化などを背景にして、移動時の過ごし方が多様化してきています。新幹線への乗車自体を楽しみにしているインバウンド客の方々も増えました。ニーズの変化に応える乗車体験を提供するため、新幹線における新たな座席の在り方を検討してきました」とJR東海で新幹線車内の環境改善に取り組む伊東隼氏は語る。

プレミアムな乗車体験を支える
AGCの5Gガラスアンテナ技術

時速285kmと極めて高速で走行する新幹線。とはいえ長距離移動を前提とする交通手段のため、乗車時間は自然と長くなる。長時間過ごす環境を、単に移動だけに終わらせず、より快適で便利なものにすること。この点は、新幹線の価値を持続・強化するための最重要課題となっている。

乗客が新幹線を利用する目的は、ビジネス、帰省、旅行など様々だ。乗客の年齢・ライフスタイル・国籍なども多岐にわたる。このため、一人ひとりの乗客が座席の環境に求めることも、当然のように千差万別になる。Supreme Classでは、多様な期待により高いレベルで応えるため、照明や空調、音量などを個別調整できるようにするといった工夫を盛り込んだ。ただし、Supreme Classが目指す上質な顧客体験を実現する上で、欠かせない要素があった。それが、安定したインターネット通信環境の実現である。

図1 東海道・山陽新幹線N700Sにて、新たに2026年10月から開始予定の上級クラス座席「Supreme Class」イメージ

生活からビジネスまで、今やインターネットはあらゆる場面に浸透し、人々はそれぞれの目的に応じて多様なサービスを日常的に利用している。こうした利用シーンの広がりに伴い、移動中においてもストレスなく通信できる環境への期待が高まっている。

一方、高速で移動する新幹線の車内では、地上の基地局から届く電波を安定して捉えることが技術的な課題となる。上質な乗車体験を実現するために、こうした環境下でも高品質な通信を維持できる仕組みが求められていた。

これらのニーズに応えるためSupreme Classには、窓ガラスに電波の送受信機能を付与するAGCの「5G対応透明ガラスアンテナ(以下、5Gガラスアンテナ)」が初めて採用された。これにより沿線基地局からの電波を窓ガラスのアンテナで効率よく受け止め乗客が利用するパソコンやスマートフォンに安定したインターネット接続を提供できる。

ガラスメーカーならではの視座で
通信環境の課題に挑む

JR東海では、これまでにも沿線の固定基地局との間で電波を送受信するWi-Fiルーターを車両内に設置し、そこを経由してインターネット接続を可能にするサービスを提供してきた。ただし、基地局との電波のやり取りは、荷棚の奥に設置した棒状アンテナで行っていたため、電波の障害物となる車体越しでの接続となっていた。また、刻々と変わる沿線基地局との距離や位置関係により、接続状況が安定しない場合があった。

そこで新たな選択肢として浮上したのがAGCの5Gガラスアンテナだ。窓そのものに5G通信用のアンテナ機能を持たせることで、電波が車内のWi-Fiルーターに届くまでの減衰を抑制し、沿線の基地局とのより安定した通信を実現する。アンテナ素子に微細なメッシュ状導体を用いることで、車窓の景色を損なうことなく通信性能を高められる点も、この技術の大きな特徴だ。

図2 上級クラス座席向けに採用された、AGCの5Gガラスアンテナ
車窓からの眺望と通信性能を両立するため、AGCとJR東海が検討を重ねた

窓ガラスにアンテナ機能を付与する技術の歴史は意外と古い。AGCにおいても1970年代後半から、自動車用ガラスにAMやFMラジオ放送を受信するアンテナを組み込む技術開発と製品化に着手してきた。

当時、ガラス上のアンテナの技術開発は電気技術の専門家であるアンテナメーカーの仕事とみなされ、ガラスメーカー自ら技術開発に乗り出すのは異例のことだった。それでもAGCが自社開発にこだわった理由は、自動車に通信機能が当たり前に搭載される時代が到来し、ガラスに新たな価値が生まれる可能性を見据えていたからだ。

自動車用ガラスにアンテナ機能を付与するに際しては、ガラスとしての安全性を確保するとともに、乗員の視界や車体のデザインを損なわないことが求められる。さらに、車種ごとに車体構造や窓の仕様が異なるため、設計条件に合わせたきめ細かな調整が必要になる。単にアンテナ機能を実現するだけでなく、こうした要求を満たせる技術でなければ実用化は難しい。AGCは1989年に自動車用ガラスを製造する愛知工場内に電波暗室を導入して以来、知見を深めながら、ガラスアンテナの技術とノウハウを着実に蓄積していった。

今では自動車用ガラスにテレビ放送、カーナビ、キーレスシステム、携帯電話など、多様な無線通信技術に対応するアンテナを自在に組み込める技術を確立している。加えて、ガラス内部に銅線を封入する方法に替わる、導電性の銀ペーストで描いたアンテナ線を印刷・焼成して高いアンテナ特性と自由度の高い素子形状を実現できる技術を開発。現在の自動車用窓ガラス向けアンテナの業界主流の技術になっている。

顧客との対話を重ね、磨き上げた5Gガラスアンテナ

AGC株式会社
オートモーティブカンパニー マーケティング室
信岡 淳氏

自動車用には自動車固有の、そして新幹線用には新幹線固有の窓ガラスの在り方がある。「弊社は長年、新幹線用の窓ガラスを開発・供給してきた実績があり、自動車向け透明アンテナでも技術開発や実装の経験を重ねてきました。しかし、新幹線の窓ガラスへの透明アンテナの適用は初めての挑戦でした。JR東海様に透明アンテナ技術を紹介した当時から、新幹線の窓ガラスは強度や品質などの要求水準が高いことを認識していたので、窓ガラスへのアンテナ機能の付与が簡単な仕事ではないことは覚悟していました。その一方で、透明アンテナのさらなる応用範囲拡大への道を開く、チャレンジすべき仕事であるとも感じました」と新幹線への5Gガラスアンテナ導入を提案したAGCの信岡淳氏は言う。

車内の通信環境改善に向けて、AGCは5Gガラスアンテナを2020年ごろに提案したが、JR東海は、AGC以外からもガラスアンテナ以外の通信安定化に対する様々なソリューション提案を受けていた。実際の車両を使用したフィールドテストを実施してアンテナ性能などを検証したJR東海は、最終的にAGCの技術を採用することに決定。

採用を後押しした、長年培ったAGCのガラス技術への信頼

決め手は何か。「鉄道車両の窓ガラスが満たすべき技術要件を熟知しており、新技術導入に伴う課題を克服できるのではという期待感があったからです」と、パートナーの選定に携わった伊東氏は語る。

AGC株式会社
オートモーティブカンパニー
アジア事業本部 技術開発統括部
ファンクショナルソリューショングループ
マネージャー
橋本 直樹氏

高速走行する新幹線は、トンネルに入った時やトンネル内で対向列車とすれ違った時に気圧の変化が乗客に不快感(耳の痛みなど)を与えないよう、航空機と同様に気密性を確保している。その結果、車体が膨張と収縮を繰り返すため、窓ガラスには気圧変動による荷重が繰り返しかかる。加えて、耐候性や振動などへの耐久性も必須だ。アンテナ機能を付与する一方で、こうした部分は妥協なく維持する必要がある。

今回採用された5Gガラスアンテナは、新幹線用の窓ガラスに専用設計したものとなった。「新幹線に要求される耐久性と気密性、さらには交換を容易にするメンテナンス性を担保し、しかも車体側の設計変更を最小限に抑えながら、高性能なアンテナを組み込む必要がありました。その実現に向けて、弊社のアンテナ設計チームやメカ設計チームとJR東海様、さらには車両メーカー様との間で、役割分担と密な相互連携をしながら、要件を満たす技術をすり合わせ、開発していきました」と、アンテナ開発に携わったAGCの橋本直樹氏は振り返る。

加えて、車窓の景観が損なわれないよう、アンテナ素子の構造・形状とその配置にとことんこだわった。まずアンテナ素子には、微細なメッシュ状導体を用いて目立たないように改善した。また、新幹線の座席から見る眺望は、沿線に防音壁が設置されていることから、自然と窓の上方を見ることになりやすい。ところがアンテナ性能を高めるためには、少しでも窓の上方にアンテナを配置する必要があった。

「眺望を損なわずアンテナ性能を高める位置を決める作業は、試行錯誤の繰り返しでした。アンテナの位置をJR東海様と共に、座る姿勢や頭の位置などを変えながら、1ミリ単位で微調整して決めました」と橋本氏は振り返る。

図3 5Gガラスアンテナの通信環境。窓の上方にアンテナを配置することで、室内の反射・回折を経ず、強度を維持したまま沿線基地局からの電波がWi-Fiルーターに届く

開発したアンテナは、新幹線N700S系16両編成の確認試験車(J0編成)に実装。東京-新大阪間でフィールドテストを繰り返し、通信性能などを検証した。その結果、従来の棒状アンテナで通信性能が落ちていた区間でも、より安定した通信ができることを確認した。

素材と技術が拓く、新たな価値創造へ

JR東海は、これからも新幹線の座席に新たな選択肢を継続的に用意していく計画だ。2026年10月にサービス提供を開始する個室タイプ「Supreme Class Cabin」に加えて、半個室タイプの「Supreme Class Seat」も2027年度中に導入予定。そこでも5Gガラスアンテナによって通信環境を改善し、ビジネス利用からエンターテインメント、インバウンド客による観光・移動情報の利用まで、多様なニーズに応えていく。

新幹線のように安全性と信頼性が最優先となる社会インフラは、ともすればリスク要因になりかねない新技術の導入をためらいがちだ。しかし、「私たちは、社会や時代のニーズに応える新たな価値を生み出すため、技術の選択肢を広げ続けています。5Gガラスアンテナもその一つです。安全性を徹底的に検証した上で、積極的な導入を進めていきます」と伊東氏は語る。

一方AGCも、ガラスと化学・エレクトロニクスを融合した総合技術力をもって、素材に新たな機能と価値を付与することに未来の可能性を感じている。信岡氏は今後の抱負を述べる。

「AGCでは、ガラスの可能性を広げる取り組みを長年続けてきました。今回、新幹線の窓ガラスにも、まだ新たな価値を生み出せる余地があることを改めて感じました。これからも窓ガラスの進化を通じて、移動をより便利で快適にする技術開発に挑戦していきたいと考えています」

【特設サイト】AGCの鉄道用5Gガラスアンテナ 【プレスリリース】AGCの「5G対応透明ガラスアンテナ」が東海道新幹線N700Sの上級クラス座席専用Wi-Fiサービスに採用

※部署名・肩書は取材当時のものです

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