
半導体大手のロームは、主力事業であるSiCパワー半導体の製造現場に生成AIを導入し、QCD(品質・コスト・納期)の大幅な向上を実現した。開発したのは、製造データの抽出から解析、原因考察、改善提案までを自然言語で一気通貫に行うAIエージェント「ReflexAgent」だ。この取り組みを支えたのが、生成AIエージェントの開発を手掛けるGenerativeXである。人の経験と勘に頼らざるを得なかった膨大かつ複雑な製造データ分析を、生成AIはどう変えたのか。早期から生成AIの可能性に賭け、ベンチャーマインドで挑んだロームの舞台裏と成功の条件に迫る。
ローム株式会社
IT統括本部 システム開発部
統括課長
渡辺 耕太氏
2022年末にChatGPTが登場して以降、様々な分野で生成AIのビジネス活用が進んでいる。大きな期待を寄せている業界の1つが製造業だ。製品設計支援、品質検査、作業マニュアルの作成など、従来は熟練者の経験や手作業に頼らざるを得なかった業務が、生成AIによって自動化・高度化されつつある。そうした中、先進的な取り組みで業界をリードしているのが、半導体大手のロームだ。
「ロームグループでは以前からRPAツールやデータの利活用を促進し、生産性向上に取り組んでいます。生成AIに関しても、2023年末ごろより全社的活用を始めています」。こう話すのは、ローム IT統括本部の渡辺 耕太氏だ。IT統括本部はクラウドを含む全社のIT環境をマネジメントする部署である。
同社の生成AI活用は「共通業務」「部門業務」「特化型業務」の3つの領域で進めている。「共通業務」はどの部門でも共通に存在する議事録作成、Web検索情報の要約などへの活用だ。「部門業務」は複数部門に広く存在する業務が対象で、内製チャットボットによる問い合わせ業務の効率化などが進んでいる。「特化型業務」は高度なドメイン知識を必要とする業務が対象だ。「この一環として、SiCパワー半導体のQCD向上を目指しました」と同社 SiCWP技術部の澤井 泰氏は述べる。
SiCパワー半導体とは次世代材料「シリコンカーバイド(SiC)」で製造したパワー半導体であり、主に電気自動車のモーター駆動回路に使われる。シリコン(Si)ベースの半導体に比べ、電力損失が少ないため、走行距離が大幅に向上する。電気自動車の普及と発展に欠かせない技術として近年、注目が高まっている。また、直近ではAIサーバ向け電源市場においても、消費電力低減への貢献が期待されている。
SiCパワー半導体のQCD向上のミッションを担うのが、澤井氏の所属するSiCWP技術部である。半導体の製造工程は非常に複雑だ。材料の特性や電気抵抗など、様々なデータを工程ごとに収集しており、それぞれの値は製造プロセスの進行とともに追加される。そのため、製造データは膨大な量に及ぶ。
「例えば、製品の特性がある期間で悪化したとしても、どの要因が影響したのかを特定するのは簡単ではありません」と澤井氏は話す。影響因子は数多く、経験豊富な半導体エンジニアであっても解析に時間を要するのが実情だ。
SiCパワー半導体は開発サイクルも早まっている。従来4~5年おきだったが、今後は2年を目途に新世代をリリースする予定だ。しかし、車載製品は長期間の安定供給が求められるため、生産体制をすべて新世代にシフトできるわけではない。「新規開発と前世代の開発・サポートを並行的に進め、なおかつQCD向上を図るのは至難の業です」と澤井氏は打ち明ける。
製造データ活用を難しくしている要因は、工程の複雑さや開発サイクルだけではない。工場ごとの“言語”の違いも大きな課題だった。SiCパワー半導体の製造拠点である福岡・宮崎の両工場は、工場の成り立ちが違うため、ベースとなるシステムが異なる。そのため、同じ意味のデータでも別々の“言葉”で管理されているケースがあった。「エンジニアがその“言葉”を解釈してデータを整理・抽出する必要がありました」(澤井氏)。
ローム株式会社
SiCパワーデバイス事業本部
SiC生産統括 SiCWP技術部 課長
澤井 泰氏
こうした課題の解決策として、澤井氏は早くから生成AIに着目していた。活用方法を模索している時、ある展示会でGenerativeXの存在を知る。同社が開発した生成AIアプリの、自然言語で指示するだけでデータを抽出・解析し、高解像度のインサイトを得られる点に強い可能性を感じた。「この技術を使えば、データ分析を効率化できるだけでなく、質そのものを高められるのではないか」と考えたという。
展示会が開かれたのは2023年11月のこと。GenerativeXがその年に創業したスタートアップだと知り、澤井氏は驚いた。「それだけ新しい会社でありながら、完成度の高い技術と対応スピードを備えていた。その点に強く惹かれました」と振り返る。
こうして両社がタッグを組み、「ReflexAgent」の開発プロジェクトがスタート。同年12月には、両社でコンセプトを固めた。目指したのは、分析フロー全体を一気通貫で担う生成AIアプリだ。「自然言語で指示するだけで、必要なデータの抽出から解析、可視化、レポーティングまで行える。そんな仕組みを実現したいと考えました」と澤井氏は話す。
AIスタートアップのGenerativeXがなぜ半導体分野の業務を理解し、課題解決のコンセプト設計まで踏み込めるのか。同社 執行役員の大森 雅仁氏は次のように話す。
「当社メンバーはコンサルティングファームや投資銀行など、クライアントワークを生業とする企業の出身者で構成されており、多様な業界のドメイン知識を持っています。私自身も、前職のコンサルティングファームで製造業系のプロジェクトを中心に手掛けてきており、半導体技術に関する一定の知識を持っています。こうした強みを生かして、ローム様の課題と実現したいことを深く理解し、ソリューションイメージを具体化していきました」
株式会社GenerativeX
執行役員
大森 雅仁氏
2024年1月から、両社はReflexAgentのPoCを開始した。まず取り組んだのが、生成AIが半導体領域の知識を正確に扱えるようにするための「データカタログ」の整備だ。技術論文や社内ドキュメント、製造工程のエビデンスを基に整備されたカタログは、AIへのモデル追加学習ではなく、問い合わせのたびに必要な情報を動的にプロンプトへ差し込む仕組みとして機能している。これにより、半導体の仕組みや材料特性、専門用語といった深いドメイン知識を、AIが文脈に応じて参照できるようにした。
要件定義と検証は、アジャイル的な手法で進めた。まずゴールを共有した上で、「データ抽出」「可視化」「解析力の実装」と、段階ごとにテーマを定めたPoCを約3カ月単位で繰り返していったのである。
背景にあるのは、生成AIの急速な進化だ。数カ月単位で性能が大きく変わるため、その時点で使える技術を業務にどう落とし込むかを常に検証する必要がある。「生成AIの進化を捉えながら、“今できること”を確認し、段階的にスケールしていきました」と大森氏は話す。検証結果は週次でロームに報告し、進捗と課題を共有した。
こうした取り組みを重ねた結果、ReflexAgentはデータを分析するだけでなく、不良の原因について仮説を立て、その妥当性まで検討する「考察」の領域に踏み込めるようになった。不良発生の原因について質問すれば、適切なアルゴリズムで影響因子を探し、それを重要度ランキングにして不良原因を考察する。なぜ重要度が高いか・低いかという理由まで提示する。「AIの進化を取り入れることで、このプロセスを一気通貫で行うことができるようになりました」(大森氏)。
ReflexAgentを現場で本格的に使うためには、もう1つ重要な課題があった。製造データを安全に扱うための環境整備である。この作業はIT統括本部と連携して進め、特に重視したのが「データガバナンス」だった。
工場の製造データは社外秘の機密データで、オンプレミス環境で厳格に管理している。一方、ReflexAgentはMicrosoft Azureでの運用を考えていた。安全・安心の担保と利便性を両立させるため、仮想的なデータ統合環境を構築した。その仕組みについて、渡辺氏は次のように説明する。
「弊社のセキュリティポリシーに則り、ReflexAgentにプライベートエンドポイントを付与して、インターネットから接続できないように設定し、加えて、生産データのある工場側のネットワークとReflexAgentのネットワークを分離し、安全性を担保しました。その上で、工場ネットワーク上にある生産データを必要な分だけReflexAgent側に定期的にアップロードする仕組みを構築しました。こうすることで、ReflexAgent上にある全てのデータを、安心して利用できる環境を整備いたしました。」
2024年12月、ロームはReflexAgentの現場活用を開始した。これにより、生産データを「分析したくてもできなかった」状況が大きく変わった。以前は、改善したいテーマがあっても、データ収集や解析にかかる工数が大きすぎて、現場で手を付けられないケースが少なくなかった。さらに解析できる人材も専門のドメイン知識を持つ数名のエンジニアに限られていたという。
それが現在は、生成AIに自然言語で指示するだけで、データ解析から原因の考察まで行えるようになった。「現場には百数十人のエンジニアがいます。それぞれがアイデアを持ち寄り、改善に向けて積極的に挑戦しています」と澤井氏は話す。その結果、歩留まりが改善し、生産量も増加した。ReflexAgent導入前と比べ、QCDは大幅に向上している。
ReflexAgentの革新性と成果は、社内にとどまらず外部からも高く評価された。半導体分野で世界的に権威ある国際学会「ISSM 2024(International Symposium on Semiconductor Manufacturing)」において、最優秀賞(Best of the Best Paper Award)を受賞している。

ReflexAgentの成功要因について、大森氏は次のように整理する。ポイントは大きく3つあるという。
1つ目は、2023年という早い段階で生成AIの可能性に着目し、一気通貫の仕組みを構想したこと。2つ目は、製造工程にまたがる膨大なデータを整備し、生成AIの進化を捉えながらPoCを段階的に進めたことだ。そして3つ目が、新しい技術を積極的に取り込む企業マインドと、それを支える全社的な支援体制である。
ロームのコーポレートカラーは「ベンチャーレッド」だ。創業時のベンチャー精神を、情熱を象徴する赤で表現している。「社内データを外部生成AIサービスで活用することは原則禁止されていますが、外部への漏えいや学習データとして再利用されない仕組みを確立していることを説明し、承認してもらえました。新しい技術は積極的に取り入れ、ベンチャーのようにチャレンジする企業マインドがあるからです」(渡辺氏)。
この取り組みを支えたGenerativeXのサポートも高く評価している。「必要なデータ整備は我々で行いましたが、『どのデータの何を見て、どう解析すべきか』を生成AIに理解させるには専門家の知見が欠かせません。AIが理解しやすい構造に変換して活用させる技術力は非常に高い」と澤井氏は語る。
生成AIの進化を捉え、柔軟に対応していくことも重要なポイントだ。「今はできないことも、数カ月後にはできるようになる。生成AIはそれぐらいのスピード感で進化しています。PoCの時は“できること”を検証するのと同時に、到達を目指す“遠いところ”にも点を打ち、現状の課題を洗い出す。モデルの進化やアプリの開発・改善によって、その課題が“できること”に変わっていきます。2軸の構えでプロジェクトを進めることが肝要です」と大森氏は主張する。
ReflexAgentの進化は今も続いている。現在のデータ解析は半導体チップを集積した円盤状の「ウエハ」単位だが、中央部分と周辺部分のチップでは抵抗値に違いが出ることもある。「チップ単位で不具合をチェックし、バラつきをなくせば、さらなる品質向上につながります」と澤井氏は期待を込める。また、エンジニアとの対話を通じて、AIがより自律的に解析する仕組みづくりも進めている。
「例えば、製品の良品率を高める要因解析を行う際、AIは既にあるデータを単に解析するだけでなく、異なる温度での特性値の差分を解析に加えるなど、半導体理論に基づくアプローチを自ら計画・実行します。最大の凄みは、一度の解析で終わらず、見つけ出した重要因子に物理的なメカニズムを組み合わせて新たな着眼点を生み出し、さらに解析を深める…という『探索のループ』を自律的に回し続ける点です。エンジニアはその過程を適宜レビューし、自らの専門知見を反映させ、共に最適解に迫っていく。その相乗効果は非常に大きいです。」(澤井氏)
こうした新たな取り組みは、今年度中の現場実装を目指す。「ReflexAgentの仕組みは他の製品の製造ラインにも適用できるでしょう。稼働環境の整備を含めて活用領域を広げていき、全体的なQCD向上につなげたい」と渡辺氏は前を向く。
今後もロームはReflexAgentの機能強化を進め、SiCパワー半導体をはじめとする電子部品の製造革新に取り組む。生成AIを“現場の知”として生かし、産業と社会の発展に貢献していく考えだ。