「保守サービスの現場が持つ力」を諏訪良武氏に聞く
インフラが止まらない、機械が壊れない、システムが落ちない——。その「何も起きない日常」を支えているのが、現場のエンジニアたちだ。ところが、その価値は評価されにくく、かつて、メンテナンス部門はキャリアの終着点と見なされた時代もあった。
しかし、現場には想像以上の力が眠っている。それを証明した人物がいる。オムロンフィールドエンジニアリング(OFE)常務取締役として抜本的な改革を通じ、業界標準を塗り替え、サービスサイエンスという学問の体系まで打ち立てた諏訪良武氏(ワクコンサルティング 常務執行役員 エグゼクティブコンサルタント/Cercle Partners サービスイノベーションパートナー/元多摩大学大学院客員教授)だ。「保守サービスの現場が持つ力の本質」を、諏訪氏の改革の軌跡とともに読み解く。
メンテナンス会社への異動、
そして改革への奮起
諏訪氏は1971年、オムロン(当時立石電機)に新卒入社。現場ライン部門の開発支援スタッフに着任し、部品表システムの構築やマイコン組み込みソフトウェアの開発環境システムを構築していった。その後、「製品開発期間を1/2にする」巨大プロジェクトをリードして目標を実現するなど、相次ぐ困難なミッションにも屈せず、輝かしい結果を残していった。その1つが、日本のソフトウェア産業の変革を目指した通産省(現:経済産業省)のΣ(シグマ)プロジェクト。名だたる企業の部長クラスの人材がプロジェクトに参画する中、若くして抜擢された諏訪氏は中核メンバーとして重責を担った。
以降も着実にキャリアを重ね、最終的にはオムロンの情報システム部門のトップとして、グローバル情報共有基盤を整備。その後、一段落して下った辞令は「オムロンフィールドエンジニアリング 常務取締役」への異動だ。
当時の製造業では傍流と見なされていた、メンテナンス会社への出向。出世コースから外されたという気持ちも拭えなかった。
一方で、さまざまな業務改革を手がけてきた自負がある。メンテナンスを依頼する立場で低いサービス水準を目の当たりにし、課題が多いと感じていた会社。「会社の経営陣として大改革を託されたからには、やってやろう」という意気込みで改革に当たることになった。
ワクコンサルティング株式会社
常務執行役員 エグゼクティブコンサルタント
Cercle Partners
サービスイノベーションパートナー
元多摩大学大学院 客員教授
諏訪 良武 氏
最前線を支えるスタッフ組織がメンテナンス会社を強くした
諏訪氏が最初に取り掛かったのが、一般的に利益を生まないと考えられているスタッフ組織のコールセンターの改革だ。
コールセンターの部屋は薄暗く、50歳前後の男性が10数名、古い机に向かっていた。パソコンも寄せ集めの旧型機ばかり。当人たちは「電話番をやらされている」という意識が強く、つまらなそうに仕事をしていたと諏訪氏は振り返る。
「メンテナンス会社にとって重要な組織は、あらゆるメンテナンス情報が集まり、現場に指示を出すコールセンターだとすぐに気づきました。ところが本人たちにその自覚がなく、ライン部門もその価値を認識できていませんでした」
最初に手をつけたのは、コールセンターのデスクとパソコンを入れ替え、壁紙を貼り直し、間接照明へ切り替え。そして肘掛けのついた椅子の導入を、「肘掛けは課長職以上」という本社ルールがあるなかで実現させた。職場環境の改善を通して、改革の意志を示したのだった。
さまざまな施策により1年後、コールセンターの問題点は、その約8割が解消した。ここに情報を集約し的確な指示を出せるようになれば、メンテナンスの対応力が上がる。電話のつながりやすさや応対品質は、その時点で顧客満足度を大きく左右する。ビジネスの根幹を担っていると言っても過言ではない。
同社のコールセンターは、保守サービスのすべてをマネジメントする役割だ。さらに定期点検や各種工事もマネジメントするようになった。
その一環として、NTTドコモの iモードサービスを活用した現地対応支援も実現。コールセンターと地方拠点と現場エンジニアの情報共有により、サービス品質の向上をもたらした。
「過去のメンテナンス情報などを携帯電話の画面から照会できるのですが、登場して間もないiモードの先進活用事例として注目を浴びました。そんな使い方があることは知られていなかったので、顧客から『仕事中に携帯電話で遊んでいて感じが悪い』とクレームが来たこともありますね(笑)。それからはまず携帯電話を見せて、先進的なメンテナンスに取り組んでいることをアピールするようにしました」
諏訪氏がもう1つ注目したのが、リペアセンターだ。工場の片隅、薄暗いところに追いやられている同部門。現場へ向かうエンジニアの仕事は基本的に交換作業のみで、故障の真の原因には触れない。だがリペアセンターには、なぜ壊れたか、設計のどこに問題があったかといった情報が蓄積されていく重要な組織である。現場のメンテナンス作業は1日2件程度だが、リペアセンターは1日10件以上も扱う。若手を短時間で育てるのに絶好の組織である。そこで諏訪氏は、知識と技能が組織に蓄積される、事実上の研究所のような組織へと変えていった。
「がむしゃらに頑張ったら3年で劇的に改善しました。結果的に国内メンテナンス業界ではベンチマークとして注目される会社に成長しました」
一人の堅実な仕事がトップの決断を覆した
現場のチカラが、経営トップの意思決定を覆した瞬間がある。
同社は当初、オムロン製品のみのメンテナンスを担っていたが、やがて他社製品のメンテナンスもビジネスの柱となっていった。
あるとき諏訪氏は、通信機器の代理店のトップに売り込む機会を得た。メンテナンスサービスの優位性を一通り伝えたところで、相手の社長は遠慮がちに口を開いた。
「実は先週、メンテナンス部隊再構築のキックオフをやったばかりだから…」と上手に断られた。
すぐには案件にはつながらなかったものの、それからひと月後、その社長から電話がかかってきた。自社のメンテナンス部隊を鼓舞するためにも、レベルの高いOFEに一度頼んでみたいというのが理由だ。
社長がたまたま手の空いていた日のこと。社員の執務フロアを回っていると、そこにパソコンを修理しに来たエンジニアがいた。OFEがメンテナンスを請け負っているメーカーだと気づき、最初の挨拶から作業完了まで熱心に観察してみたという。
その作業ぶりに「感動した」と諏訪氏に伝えたという。
調べると、その作業員はOFEの社員ではなく、協力会社のスタッフだった。だがOFEは会社単位ではなく個人単位でスキル認定をしていた。認定を受けていれば、協力会社であってもOFEのクオリティで仕事をすることが証明された事例だ。
名前も知られていない現場スタッフの仕事ぶりが、雄弁にトップの心を動かしたのだった。
現場改革の知見を
サービスサイエンスとして昇華
OFEの改革が一段落した頃、諏訪氏は情報処理学会から日本初のサービスサイエンスのシンポジウムで基調講演を依頼された。「サービスサイエンス」という言葉を初めて聞いたという諏訪氏が、論文を読んで驚いたという。これまで積み上げてきたOFEの現場での営みが、この学問の体系とほとんど重なっていたのだ。
別の講演では、日本IBM元CEO・北城恪太郎氏の関心を引き、共著「サービスサイエンスによる企業改革の実践」の刊行につながった。同書はサービスサイエンスの定番テキストと位置づけられるようになった。体で覚えていたことが、学問の言葉で裏付けられた。
サービスサイエンスとは、それまで勘や経験に頼りがちだったサービスを科学的に捉え、品質向上につなげる研究や実践を指す。
その重要性が増している背景に、製造業における「モノからコトへ」の潮流がある。諏訪氏は「メンテナンス部門こそがサービス化の入り口」だという。顧客が何に困っているか、つまりサービスとして何を提供すれば喜ばれるのかを、誰よりもよく知っているのは現場だからだ。
物流業界の機器を扱うあるメーカーでは、外部の成功事例をいくら聞いても経営陣の反応は薄かった。ところが自社のメンテナンス改革の成果が全社経営会議で報告されたことで、「本気でサービス化を実践する」という意志が固まり、会社全体に広がった。身近な現場の変化に触発されて、会社の舵を大きく動かしたのだ。言い換えれば、現場を知ることが、新事業の設計図を描く力となる。
そんなサービスの難しさを諏訪氏が解説する。
「製造業は材料を自社で選べて、自社のやり方で製造して提供します。一方でサービスの材料は、顧客が抱えている課題です。そこからサービスを作る工程も顧客と一緒に進めます。材料と作り方、この2点がサービスを本質的に難しいものにしています」
例えば美容院。「もっと綺麗になりたい」という課題に、顧客の希望に添いながらサービスを提供する。プロから見て「それは違うのに」と思っても、言うことを聞くしかない。そしてその場では満足していても、帰り道に会った友人から「前のほうがよかった」と言われれば、満足は音を立てて崩れる。
諏訪氏はサービスを、「人や構造物が発揮する機能で、お客様の事前期待に適合するもの」と定義する。ゆえにサービスの設計においては、感覚に頼るのではなく「事前期待」の概念を理解しておくことが重要だ。事前期待に合っていないサービスは、どれほど丁寧に対応しても「余計なお世話」に過ぎない。メンテナンスの現場であれば、自身が知識をつけたい顧客には作業しながら「今こんな作業をしています」と説明することが満足度の高いサービスになる。逆に「終わったら連絡してくれればそれでいい」という顧客にとっては作業内容の説明は迷惑行為だ。
現場の力は、想像の先まで届いている
かつてメンテナンス部門やコールセンターなどのスタッフ組織は、確かに軽んじられていた。そこに異動することで出世コースから外れたという認識もあった。そう語る諏訪氏が、過去の話であることを証明している一人として挙げるのが、当時OFEにてコールセンター改革を指揮した関戸隆明氏の栄転だ。
「関戸さんはOFEの現場からコールセンターに異動しました。本当に嫌がっていましたよ。ただ、そのときは自覚することが難しくても、それが実は製造業にとって重要な広い視野を育める期間でした。その後はオムロンで新規事業に携わり、OFEに社長として戻ってきました。現在はオムロン株式会社 IT革新本部で活躍されています」
かつてメンテナンス部門やコールセンターなどのスタッフ組織は、軽んじられる存在だった。しかし、顧客に最も近い現場には、サービスを変え、時には会社そのものを動かす力が眠っている。
OFEの改革は、その可能性を示した一つの実践だった。そして現場で培われた知識や経験は、メンテナンス品質の向上にとどまらず、サービス化や新たな事業づくりへとつながっていく。
現場を知ることが、経営を動かす。そのことを、諏訪氏の歩みは示している。
