Emotional Future Map vol.1 「身体知」で読み解く人間らしさの源泉 感動は制約があるからこそ生まれる

三菱総合研究所が発行する書籍『フロネシス No.27』(2026年11月24日発売) の最新号のテーマは「感動の未来地図」。テクノロジーの進化は、私たちの暮らしを便利にするだけでなく、これまで想像すらできなかったような新しい体験を生み出しつつある。技術革新の先に、どのような未来が広がっているのか。そこにはどのような感動があるのか――。本連載では全2回にわたり、『フロネシス No.27』から記事を抜粋して紹介する。初回となる本記事では、元陸上選手で「身体知」の研究者である為末大氏とともに、「感動」を掘り下げていく。

藤本 敦也氏(左)と為末 大氏(右)

三菱総合研究所 未来共創推進グループリーダー

藤本 敦也氏

「SF思考」を活用し、人や社会の変容を織り交ぜた未来社会像の構築に携わる。顧客やSF作家と共に、非連続で挑戦的な未来像を考えるスタイルを実践。2021年より横浜市立大学研究・産学連携推進センター特任教授、2024年より慶應義塾大学SFセンター空想科学コミュニケーショングループ連携所員。著書に、『SF思考』(ダイヤモンド社)、『ディープリスク・ダイビング』(KAGUYA BOOKS)

東京大学先端科学技術研究センター 教授

為末 大氏

1978年広島県生まれ。1993年から2012年まで陸上競技のアスリートとして活動。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2026年8月現在)。2026年4月から東京大学先端科学技術研究センター附属包摂社会共創機構教授。「身体から新しい人間観を記述し、より包摂的で人間の可能性が拓かれる社会の実現」を目指して研究を進めている。著書に『熟達論』(新潮社)など。

フロネシスについて

由来は古代ギリシア語 “PHRONESIS(フロネシス)” から。アリストテレスが説いた「実践的な知(実用知、実践に資する知)」という概念を借り、情報や知見を単に知って終わりではなく、それを使って現実の社会課題を解決する「知」に転換していくことを目指している。2026年11月24日発売の最新号で27号を迎える。

『フロネシス』23号〜27号の表紙

本記事で取り上げるのはこの3つ

  1. ❶ アスリートから「身体知」の探究者へ
  2. ❷ 「普遍的な感動」と「文脈依存の感動」
  3. ❸ 「予測する未来」と「望む未来」は違う
  4. ❹ 身体感覚を伴う強いイメージが人を動かす
  5. ❺ 感動は「自分との接点」から生まれる

アスリートから「身体知」の探究者へ

為末 34歳までの約25年間、陸上競技を続けてきました。同じスポーツでも、チーム競技と個人競技では方向性が大きく違います。チーム競技は対戦相手や勝敗、チームワークなどに意識が向きますが、個人競技は記録との戦いであり、自分の身体を動かすことに集中します。究極的に個人競技は他者に勝つことよりも、自分の身体をどれだけ精密に感じられるかが焦点になります。意識は内側へと向かい、「内受容感覚(身体の内部状態を感じる感覚)」や「固有感覚(身体の位置や動きを感じる感覚)」を研ぎ澄ませていきます。

現在はその経験を生かし、東京大学先端科学技術研究センターで「人間が身体で学ぶとはどういうことか」をテーマに、身体知や身体性について研究しています。

藤本 研究の道に入られたきっかけは、何でしょうか。

為末 大氏

為末 神経科学者のアントニオ・ダマシオ氏の研究です。彼は、知能テストでは何ら問題がないにもかかわらず、社会に出ると詐欺に遭ったり、ささいなことに引きずられて適切な判断ができず、生活が破綻してしまったりする患者を研究していました。

その研究から見えてきたのは、人間は論理だけで判断しているわけではないという事実です。私たちは相手を見た瞬間、まず身体が反応して「何となく怪しい」「どこか違和感がある」と感じます。先に身体が反応し、その理由を後から脳が意識的に解釈しているのです。

私はこのような、身体が発する「何か嫌な感じがする」「できる気がする」といった、言語化できない感覚を研究しています。スポーツの現場では、瞬間的な判断が求められます。例えば、バドミントンのシャトルが飛んでくる時間は0.5秒以下。頭で考えていては到底間に合いません。人間には、意識的な思考とは別の回路があるはずだと、ずっと考え続けてきました。

私はスポーツの現場で培ってきた経験から、人間はまず身体で大まかな方向性を捉え、その後に知性が検証して最終判断を下すと考えています。そして、その身体的な賢さをどう磨き、育てるかについて研究してきました。

藤本 AIやロボットが進化する中で、人間を特徴づけるものの核心は、身体知にあるとお考えですか。

為末 はい。身体は外界とやり取りしながら、常に情報を更新しています。それを脳がサポートして反応している。それが、私たちの意識体験の正体だと思います。

藤本 AIやロボットと対比する形で人間らしさを考えるとしたら、その特徴は何でしょうか。

為末 2つあると思います。1つは「死」です。人間には時間やリソースに限りがあるからこそ、何が重要であるかの選択と判断ができていると思います。もう1つは、身体を持つことによる物理的な制約です。私たちは壁や物を通り抜けられませんし、肘や膝の関節も決まった方向にしか動かせません。

こうした身体的な制約は、私たちの言葉やものの見方と深く結びついています。人間にはまず身体があり、その身体経験を通して言語が生まれ、その言語を通じて概念が作られていく。私はそう考えています。

「普遍的な感動」と「文脈依存の感動」

藤本 感動も、人間が身体という制約を抱えているからこそ生まれるものかもしれません。スポーツ観戦で私たちが心を動かされるのも、選手たちが自らの限界に挑み、それを乗り越えようとする姿を見るからではないでしょうか。

為末 重要な指摘です。感動には「普遍的な感動」と「文脈依存の感動」の2種類があります。例えば、義足のアスリートが42.195キロを走ってゴールする。このシーンには、多くの人が同様に感じ取れる感動があると思います。これが普遍的な感動です。

一方、110メートルハードルという競技では、スタートしてから1つ目のハードルまで8歩で走るという常識がありました。ところが、私が引退して数年後、7歩で走る選手が現れたのです。それを見た瞬間、私たちはみな驚嘆しました。そんなことがあり得たのかと。

一般の人から見れば、どうでもよい話です。しかし、25年間ずっと8歩で走ることを常識としてきた人間からすれば、まさに革命でした。それ以降、多くの選手が7歩で走るようになり、世界記録も日本記録も大きく塗り替えられました。

これは、文脈依存の感動です。その世界に長くいて、常識というものを刷り込まれた人間でなくては感じられないような深い感動です。プロレスを見て感動したり、サッカーのメッシ選手に感動したりするのも、かなり文脈に依存しているように思います。

藤本 敦也氏

藤本 AIの進化は速いです。機械が急速に人間に近づいているからこそ、近年、人間にしかできないことや人間そのものについて考える機会が増えているのでしょうか。

為末 今のAIに身体性はありませんが、フィジカルAIのような技術が発展すれば、不可能を可能にできるかもしれません。AIがどこまで進化するかは未知数です。

これから人間とAIを分けるのは、「賢さ」ではなく「脆(もろ)さ」かもしれません。例えば、心の痛みを感じて傷つくことがあるか。執着し過ぎてやめられないものがあるか。そうした弱さや不完全さこそが、人間らしさを示す新たな基準になっていくように思います。

同じことは、感動にも当てはまります。AIは正しい答えを返してくれますが、人の心に響くのは必ずしも正解ではありません。例えば、居酒屋でたまたま隣に座った人が、自分の失敗や後悔を踏まえて語る何気ない一言だったりします。その言葉がなぜ響くのか。そこに人生経験がにじんでいるからです。

つまり、私たちは言葉が伝える情報そのものではなく、「誰がどんな経験を経て、その言葉を発したのか」という背景に価値を感じているのです。そう考えると、AIに対しても同じ問いが生まれます。AIが放つ言葉の背後に、傷や葛藤を感じ取れるのでしょうか。傷ついたことのない存在から語られる正論は、どこか心に届きにくい。今のSNS空間を見ていても、そう感じることが少なくありません。

藤本 人間の身体は、一人ひとり異なります。身体知も一人ひとり違うのでしょうか。

為末 そう思います。私が考える身体知は、一般に語られるインテリジェンスやナレッジとは少し違います。そこには、その人が歩んできた人生の来歴が刻まれています。

例えば、日本人の中には、ある風景を見て「正座したくなった」と感じる人がいます。しかし、正座の習慣がない文化圏の人には、その感覚は届かないでしょう。私たちの身体には過去の経験や感動が積み重なっていて、それが無意識の反応や振る舞いとして表れています。私は、人生を通じて身体に刻まれてきたそうした記憶や感覚を、身体知と呼びたいのです。

そこには成功体験だけでなく、失敗やトラウマも含まれます。過去の痛みや葛藤も含めて、その人ならではの味わいや個性が形成され、何に感動するかにも影響していると考えます。

「予測する未来」と「望む未来」は違う

藤本 企業活動とは、究極的には「売れるかどうか」が問われる活動です。技術や機能に優れた製品が必ず売れるわけではありません。「よいものを作ること」と「売れるものを作ること」は別だからです。そうした中で登場したのがデザイン・シンキングでした。性能やスペックだけでなく、ユーザーの体験や身体感覚に注目し、一人ひとりの身体知やストーリーに寄り添うという考え方です。機能だけでは差別化が難しくなってきた時代には、有効なアプローチでした。

最近は、その流れがさらに進化しています。テクノロジーの進歩が想像以上に加速し、さらにコロナ禍を経て多くの人が「未来は思うほど予測できない」と実感したからです。予測の精度を高めること以上に、不確実性を受け入れながら行動することが求められるようになりました。

為末さんは著書などで「分からないことに悩み続けても仕方がない」と述べていますが、私も全く同感です。私は仕事で、10~50年後の未来を考えるプロジェクトに携わることがあります。以前、「2070年の社会」を構想する仕事があり、過去に出た未来予測に関する文献をたくさん調べました。しかし、その大半は外れていました。

そこで気づいたのは、「実現可能な未来が、望ましい未来とは限らない」ということです。未来予測には限界があります。重要なのは未来を当てることではなく、どんな未来を望み、どう実現していくかを考えることではないでしょうか。私たちは未来を「当てる」ものではなく、「つくる」ものとして捉えるようになりました。

為末 過去の延長線上で未来を予測するのではなく、「こちらの方がワクワクする」と思える未来を描く。未来から逆算するバックキャストも、どんな未来像を描くかによって大きく変わります。

藤本 その通りです。では、バックキャストの前提となる未来像は誰が描いているのでしょうか。

多くの場合、一部の研究者や発信力のある人が「こういう未来が望ましい」と提示し、それに共感した人たちが、そこへ向けて研究や事業を進めます。だから私は、未来を予測すること以上に、「未来像は誰がどう生み出しているか」が重要だと考えています。

その点で興味深いのが、士郎正宗氏のSFコミック『攻殻機動隊』です。この作品に描かれた、身体拡張や人と機械の融合などのコンセプトに刺激され、それを実現したいと考える研究者やエンジニアが数多く現れました。

例えば、東京大学先端科学技術研究センター教授の稲見昌彦氏も、その影響の大きさを語っています。稲見氏自身が光学迷彩の研究に取り組むなど、同氏の研究室には、SFが提示した未来像の実現に本気で取り組むメンバーが大勢いました。

彼らは単に作品を理解したのではなく、その未来像に魅了されたのだと思います。だからこそ実現したくなりました。実際に、彼らの研究がテクノロジーや社会を進化させています。

つまり、未来とは予測されるものではなく、そうした人たちによって実現されていくものだと思うのです。そのために必要なのは、未来を論理的に理解することだけではありません。その世界を身体で感じることです。ある未来像に強く惹かれる人は、すでにその世界を身体感覚として先取りしているように見えます。未来へのオーナーシップを持つためには、「未来を考える」だけでなく、「未来を身体で感じる」ことが重要だと思います。

(対談の続きは「フロネシス No.27」でお読みください)

まとめ

本記事では『フロネシス』最新号の一部を紹介した。次回は11月17日配信で、テーマは「宇宙を知るほど、地球が見えてくる」。宇宙から見た地球を「生きているように感じた」と語る宇宙飛行士の山崎直子氏と、三菱総合研究所理事長の小宮山宏氏が、宇宙研究の最前線を語り合う。技術革新の先に、どのような未来が広がっているのか、そこにはどのような感動があるのか。さらに深く知りたい方は、11月24日発売の『フロネシス』最新号をぜひ手に取っていただきたい。

11月24日発売:『フロネシス』最新号のラインアップ(一部抜粋)

  • [特別対談]

    宇宙を知るほど、地球が見えてくる
    持続可能な未来への鍵は宇宙技術

    宇宙飛行士 山崎 直子氏
    株式会社三菱総合研究所 理事長 小宮山 宏氏

  • [対談]

    「身体知」で読み解く人間らしさの源泉
    感動は制約があるからこそ生まれる

    東京大学 先端科学技術研究センター附属 包摂社会共創機構 教授 為末 大氏
    株式会社三菱総合研究所 未来共創推進グループリーダー 藤本 敦也氏

  • [対談:防災]

    平時にも使う、災害時の「オフサイト建築」
    被災者に必要な尊厳ある住まい

    立教大学大学院 社会デザイン研究科 教授 長坂 俊成氏
    株式会社三菱総合研究所 防災・レジリエンス政策本部 レジリエンス戦略 グループリーダー シニアマネージャー 東穗 いづみ氏

  • [対談:AI]

    AI時代に残る人間の価値
    「感動」が示す人間との「微妙な差異」

    北海道大学大学院文学研究院 教授。北海道大学 人間知・脳・AI研究教育センター(CHAIN)センター長
    株式会社三菱総合研究所 先進技術センター 主任研究員 飯田 正仁氏

  • [対談:ヒューマン・デジタルツイン]

    人の反応をデジタル上でシミュレーション
    本音を可視化してより良い社会をつくる

    NEC SIサービスCOE部門 デリバリープロセス統合統括部 上席プロフェッショナル 塩谷 幸治氏
    株式会社三菱総合研究所 先進技術センター 主任研究員 但野 紅美子氏

  • 生命に根ざした心の動き
    人の「感動」はどう生まれ、どこに波及するのか

    NOSIGNER株式会社 代表 太刀川 英輔氏
    株式会社三菱総合研究所 先進技術センター長 関根 秀真氏

『フロネシス No.27』感動の未来地図 表紙

技術革新の先に広がる未来とは。
そこには、どのような感動があるのか――

世の中を良くするヒントを長期的な視点で探る、三菱総合研究所の書籍『フロネシス』。今年(No.27)のテーマは、「感動の未来地図」。研究員による解説や識者との対談をもとに、「安心して暮らせる社会基盤の未来」や「自分らしく生きられる環境」など「感動が生まれる条件」を探る。宇宙、防災、経営、AI、食、海洋、量子コンピューター、モビリティー、医療、デザイン、ヒューマン・デジタルツインなど、多様な領域を取り上げている。

お問い合わせはこちら