人間の手による運用作業をいかに最小化するか。それを実現する「NoOps(ノーオプス)」という概念が世界的に広がりつつある。NoOpsとは、“No Operations”の略。IT人材不足の中、DX加速に伴う運用負荷増大の解決策として脚光を浴びつつある。JR東日本ではNoOpsの実現を目指し、インシデント管理分野グローバルリーダーのPagerDutyのブラットフォームを採用。インターネット予約サービス「えきねっと」の運用基盤にPagerDutyを導入し、ダウンタイムの短縮、運用負担の削減といった成功モデルを確立。それをベースに「Suica」関連サービスを含むB to Cサービスの統合監視・インフラ共通基盤を構築し効果の最大化を図る。
執行役員 イノベーション戦略部 エグゼクティブディレクター 吉川 真之氏 1993年JR東日本情報システム入社。以来、JR東日本の基幹システム、販売系システムの開発に従事。経営企画部門、JR東日本のIT部門への出向を経て2020年より「えきねっと」や「ダイナミックレールパック」を駅サービスシステム部長として担当。2026年7月より現職。JR東日本グループ経営ビジョン「勇翔2034」実現に向け、「ビューカード」「モバイルSuica」「JRE POINT」などが融合した新たな「デジタルプラットフォーム」の構築に努めている。
海外ではNoOpsの潮流が急速に強まっている。人間によるシステム運用・保守作業を極限まで最小化する概念だ。IT人材不足の中、DX加速に伴う運用負荷増大の解決策として、世界的に標準となりつつある。
内製化中心の海外とは異なり、外注の多い日本ではNoOpsの推進が遅れているのが現状だ。そうした中、JR東日本ではNoOpsを目指した取り組みが進む。「最初は、人の介在を減らす自動化できるツールはないかと考えていました」と、JR東日本の執行役員イノベーション戦略部エグゼクティブディレクターの吉川真之氏は話す。
考え方が変わるきっかけとなったのが、PagerDuty日本法人の代表取締役社長、山根伸行氏からの提案で訪問した米国本社での議論だった。PagerDutyは、システムのインシデント管理・自動化をはじめとするデジタルオペレーション・プラットフォーム分野のグローバルリーダーだ。
「JR東日本様は、鉄道を軸に社会インフラとなるB to Cサービスを展開されています。エンドユーザーは多くのお客様であり、現場のエンジニアさんの負担の大きさも深くご存じでしたので、私たちのサービスにも高い感度で共感していただけたのだと思います」と山根氏は振り返る。
現場と経営を深く理解している吉川氏は、山根氏の言葉が胸に響いたという。
NoOpsで
ミッションクリティカルを守る
代表取締役社長 山根 伸行氏 2004年日本IBMに入社。一貫してエンタープライズ営業として通信業界、運輸業界の大手法人担当営業に従事。2012年日本マイクロソフトに入社。流通サービス営業統括本部にて小売、消費財メーカー、総合商社業界の大手法人担当営業に従事。流通サービス営業統括本部 第一営業本部長を経て、業務執行役員 流通サービス営業統括本部長として流通サービス業界全体における数々のDX支援を中心としたセールスとマーケティングをリード。2022年PagerDutyに入社、代表取締役社長に就任。
PagerDutyは、様々な監視ツールやアプリケーションと連携してアラートを集約・整理し、インシデントに関する通知や運用フローの最適化を実現する。その実力はFortune 100企業の70%近くが採用したという事実にも表れる。2022年に日本法人設立後、国内導入企業は460社以上に及ぶ。日本の商習慣に合わせたローカライズにも積極的だ。
海外ではNoOpsを実現する統合プラットフォームとして、PagerDutyを導入する企業が増えている。2023年初め、吉川氏は山根氏とともにPagerDuty米国本社を訪れた。当時のPagerDutyのCEOからは「“究極のNoOps”でミッションクリティカルを守る」との話があった。
また米国滞在中に、PagerDuty導入企業の運用担当者とも会話したという。「どのような運用をしているのかと尋ねられ、オペレーションセンターで人が張り付いてシステムを監視している絵を描きました。それを見た担当者からは、『こんなに人は必要ないのではないか。欧米ではNoOpsが標準スタイルになっている』と指摘を受けたことを覚えています。米国訪問で様々な人と会話する中で、NoOpsを抽象的な概念としてでなく、具体的に理解できました」(吉川氏)
2018年に、JR東日本はグループ経営ビジョン「変革2027」を発表。「ヒト」を起点とした価値創造へと、会社のあり方の転換を目指した。その実現に向けて重要なテーマとなるのが、インターネットやスマートフォンを使ったB to Cサービスだ。なかでもインターネット予約サービス「えきねっと」は中核サービスとなる。お客様の利便性向上と窓口混雑解消の両方を実現するからだ。
「えきねっと」は生活者の乗車に関わるため、システム障害に伴うサービス停止時間の極小化が求められた。それを実現するために、担当者には大きな負荷がかかっていた。人的資本経営の観点から大きく2つの課題があったと吉川氏は説明する。
「1つめは、開発に専念できるリソースを生み出したいこと。2つめは、土日祝日深夜でもずっと気が張ったまま、スマホを確認しないといけないなど、精神的な不安をどう解消するかです。この2つが課題でした」
サービス品質でも課題が生じていた。土日夜間にアラートを確認した担当者が関係者に連絡しようとしても電話がつながらず、別の人の連絡先を手動で探す必要があった。そうしている間に、1分、5分、10分と時間が過ぎていく。重要度の高いケースでは、数分たりとも無駄にできない。
「NoOpsを視野に入れ、PagerDuty導入の第一弾として『えきねっと』を選択しました。課題解決のインパクトが大きいB to Cサービスで成功モデルをつくりたかったからです」(吉川氏)
一つひとつ導入価値を
積み上げていくことで共感を醸成
2023年4月から1年間をかけて、「えきねっと」に対しPagerDutyのPoC(概念実証)を実施。既存の監視を残しながらPagerDutyを部分的に導入し検証を進めた。PoCの最初の半年は、担当者に自動で電話をかけるオートコールに要する時間差や、アラートの詳細情報を見て担当者が判断できるかなど、異常検知の初期段階を検証。次の半年間は、緊急性や属性、目的などに分類して本質的なアラート対象か、または警告レベルか、グルーピングに取り組んだ。
PoCの結果を受け、2024年12月からPagerDutyによる統合監視を本格始動。しかし当初は、管理者や現場担当者から共感を得ることが難しかったと吉川氏は話し説明する。「結局、異常を検知した後に電話がかかってくるわけです。運用担当者もすぐには効果を実感できず、コスト観点でもどこが効率化されたのかが分かりませんでした」
PagerDuty導入に対する共感をいかに醸成してきたか。「徐々にグルーピングやフィルタリングの精度向上に取り組むことで、オートコールや担当者から関係者への伝達回数が減っていきました。また軽微なアラートに関しては、動作確認だけで完了できるものは、あらかじめ定義した自動の動作確認(画面遷移)をシステムが自動で実行するところまで連携しました。確認が自動で走っていれば、サービスに影響がない限り、夜間に担当者が都度対応しなくてもシステムが健全性確認を完結させます。一つひとつ価値を積み上げていくことで、共感が広がっていきました」(吉川氏)
運用監視の効率化では、アラートの最適化がベースとなる。山根氏は、「他社導入事例によるベストプラクティスに基づき、アラートのグルーピングの仕方などを中心にご支援させていただきました」と振り返る。
PagerDutyは、AIがアラートを選別するAIOpsを牽引する。大量に発生するアラートを、サービスに影響のない軽微な問題や重複通知などを分類し、人間が今すぐ対応すべき重大インシデントだけを絞り込む。
「AIOpsを実践すると、過去事例を学習し自動再編してくれます。人手をかけることなく、グルーピングの幅が広がり最適化が進みます。グルーピングに加え、不要な情報を排除するフィルタリングをAIに任せることができます。AIを活用したアラートの絞り込みや業務効率化に期待し、現在試行中です」(吉川氏)
PagerDutyはインシデントに関する通知を電話だけではなく、メール、Teams、スマートフォンへのプッシュ型メッセージなど、その人が受け取りやすい手段で届ける。スムーズな情報伝達は初動の迅速化につながる。
異常を検知するまでの時間が
数十分から分単位に短縮
「えきねっと」の運用監視基盤へのPagerDuty導入では、明確な効果が表れた。「デジタルサービスでは、利用停止時間の発生は信頼とビジネス機会の両方の損失をもたらします。導入前と比べて、人が異常を検知するまでの時間が数十分から分単位となりました。復旧までは従来、オートコールを受けた担当者から関係者へ電話し、確認の手順を聞いて実行のち、健全性を確認するといったプロセスが発生していました。一連のプロセスが不要となるため、劇的に復旧までの時間を短縮できます」(吉川氏)
PagerDuty導入効果に関して吉川氏のコメントが印象に残っていると山根氏は話す。「障害復旧時間の短縮に伴うビジネスインパクトの改善はもとより、従業員のエンゲージメント向上にメリットを感じるとのお話をしてくださいました。IT人材が不足する中、採用や定着のために、夜間に起こされにくくなり、エンジニアの方々が安心して働ける環境をつくることはとても重要だと考えています」
これを受けて吉川氏が続ける。「大事なのは、運用の改善に取り組む時間を生み出せたことです。障害が起きてから通報を受けて対処し、反省するだけでは、永遠に変わりません。製品を入れたことで、検知の仕方をもっと良くしよう、自動での対応パターンを増やせばもっと楽になる、と選択肢が増え、その作業に精力的に取り組めるようになりました。そうした機運が醸成されてきたと感じています」
「えきねっと」へのPagerDuty導入は、NoOpsに向けた第一歩だ。今後の展望について吉川氏は話す。「Suica関連サービスを含むB to Cサービスを監視する統合監視・インフラ共通基盤を構築します。『えきねっと』で得られた成功モデルを他サービスに展開することで、効果の最大化を図っていくことが狙いです。さらにオペレーションセンターの管理下からB to Cサービスを外すことで、コスト削減、リソースの有効活用を実現したいと思います」
B to Cサービス統合監視の重要性について吉川氏は言及する。「例えば『えきねっと』で出ている事象がJRE POINTで起きた事象の影響を受けている可能性もあります。アラートの仕分けも複雑です。また、クラウド、オンプレミス、マルチクラウドの中でアラートを最適化できるか。PagerDutyへの期待は大きいです」
PagerDuty開発基盤では、毎日膨大な量のアラートを受けている。17年間この領域に特化し、累積したデータがその強みだ。「複合サービス監視の場合、同じアラートが別のサービスにも飛んでおり、原因究明に時間がかかることがあります。こうしたケースでPagerDutyは、『今見ているアラートが他サービスに影響を及ぼしている可能性』といった関連情報も合わせて通知します。クラウドかオンプレミスか問わず、あらゆる監視ツールと連携できる。どんな環境でもアラートを集約して、対応に繋げられるのが強みです」(山根氏)
PagerDutyでは、AIエージェントによる新サービスの展開を加速。「AIエージェントは、障害対応の右腕として、すぐ横にいるような存在です。人が担っていた作業の一部を担える割合を、今後さらに高めていきます」(山根氏)
2025年5月に、JR東日本では新しいグループ経営ビジョン「勇翔2034」を発表。「安全」を経営のトッププライオリティとして堅持する中で、「安心と感動を、未来へつなぐ」というコンセプトキーワードを掲げた。
一方PagerDutyは、2026年に新ブランドメッセージ「LIGHT THE UNSEEN―止められない世界を、照らす光。」を発表した。両社のメッセージは、互いに共鳴する。JR東日本のB to Cサービスをはじめとする、社会インフラを担うシステムやサービス。PagerDutyは見えない場所でミッションクリティカルを守る現場を支えていく。



