国家戦略として半導体産業の復興に挑む日本。資金投入もさることながら、戦略を遂行するうえで欠かせないのは、やはり人材だ。とくに日本は、世界の半導体競争をリードする米国や中国に比べ、「設計人材」が圧倒的に不足している。そこで今求められているのが、産業と行政、教育が一体となった早急な人材育成だ。いち早く大手半導体ファウンドリーとの共同研究などの取り組みを始めている東京大学 教授の池田 誠氏と、PwCコンサルティングの近藤芳朗氏、吉本 晃氏に、半導体領域における産学連携の重要性について聞いた。
1980年代まで世界をリードしていた日本の半導体産業。それがこの40年で停滞したのには、日米半導体協定の締結をはじめ、様々な要因が複雑に絡み合っている。
「日本の半導体産業が伸び悩んだ本質は、産業と教育の関係性が断絶され、『知の循環』が回らなくなってしまったことにあります」と語るのは、東京大学 工学系研究科 教授で半導体設計を研究し、東京大学が開設したシステムデザイン研究センター(d.lab<dラボ>)のセンター長も務める池田 誠氏だ。
東京大学 教授 工学系研究科
システムデザイン研究センター(d.lab) センター長
総長特任補佐(産学協創推進・半導体戦略)
池田 誠 氏
1991年、東京大学工学部電子工学科を卒業。1996年、同大学院博士課程を修了し博士(工学)の学位を取得。2013年、東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻の教授に就任。東京大学が開設したシステムデザイン研究センター(d.lab)のセンター長も務める。主な研究分野は、知的情報処理・センシング、ハードウェアセキュリティ、サイバーフィジカルシステムなど。
「日本の半導体産業に勢いがあった80年代は、資金面や人材面で余裕があり、大学との人材交流も盛んでした。ところが、90年代から2000年代にかけて産業が勢いを失い始めると、交流はほとんど途絶えてしまいました。その結果、アカデミックな研究成果を産業に還元する『知の循環』が断ち切られ、ますます半導体産業が“停滞”するという負のスパイラルが生まれてしまったのです」(池田氏)
かつての日本の半導体は、家電メーカーが自社製品に搭載するために開発するといったように、垂直統合モデルの中で作られるものが大半であった。
「そうしたモデルから脱却し切れなかったことも、日本の半導体業界が自らアイデアを生む力を弱めたり、新たな知見の獲得を目指し人材を社外に出して学ばせるのをためらったりする要因になったのではないでしょうか」と、PwCコンサルティングのシニアマネージャーで半導体領域を専門とする吉本 晃氏は推察する。同社は、単一企業の支援にとどまらず、産学官連携や企業間連携のバックアップ、将来の半導体業界の活性化に資する半導体人材の育成やスタートアップの設立なども積極的に支援している。
PwCコンサルティング
シニアマネージャー
吉本 晃 氏
経営者は、時間がかかり、どれだけの成果が上がるのかも読めない大学との共同研究に人を派遣するよりも、社内にとどめて短期的に成果を上げてもらいたいと思いがちである。
「この時期、事業の停滞によって少しでも早く業績を上げることを株主から要求されていた経営者たちは、なおさら『貴重な人材を大学に行かせてどうするのか』という思いが強かったと想像します。一方で、韓国や台湾などは、国家戦略としてアカデミアと産業との融合を推し進め、今日の競争力を手に入れました」と語るのは、同じく半導体領域を専門とするPwCコンサルティング ディレクターの近藤芳朗氏だ。
「今、日本もようやく半導体産業の復興に取り組み始めています。その勢いを加速させるには、一度断ち切られてしまった『産学官』のつながりをどうやって結び直すかが重要だと言えるでしょう。
PwCコンサルティングも産学官のつながりをとても重要だと考えており、産学官連携に注力するTechnology Laboratoryという組織を立ち上げました。Technology Laboratoryは、主に3つの機能で構成されています。
1つ目は、半導体を含む先端技術を社会実装するためのリサーチ機能です。
2つ目は、テクノロジーを解析し、ビジネスインサイトを瞬時に導き出す独自のAIソリューションの提供です。ビジネスや技術に関する課題について、AIで網羅的に分析し、解決につながる結果を抽出します。
3つ目は、産業をデザインし、ルール形成として根付かせるまでの産業のグランドデザイン機能です。
これら3つの機能について、PwCのネットワーク内の各ファームやラボと有機的に協働しながら、産学官連携を推進し、半導体業界における産学官のつながりを結び直すことに貢献しています」(近藤氏)
PwCコンサルティング
ディレクター
近藤 芳朗 氏
大学などが生み出すアカデミックな知と、産業の現場から生み出される実践的な知を循環させる産学連携は、あらゆる産業において、競争力と成長力を高める重要なファクターだ。中でも、技術の高度化や複雑化が著しい半導体産業においては、「知の循環」をいかに活発に回していくかが問われている。
半導体領域において、このような循環創出の取り組みをいち早く始めているのが東京大学だ。2025年6月には、世界最大の専業半導体ファウンドリーである台湾のTSMCと、先端半導体の研究・教育・人材育成を推進することを目的に「TSMC東大ラボ」の運用を開始した。世界トップクラスの半導体製造技術を持つTSMCと、半導体素材やデバイスの研究に関する“知の宝庫”である東京大学が、互いの強みを掛け合わせることで、半導体技術における最先端の研究開発を促進し、有能な半導体人材を育成することを目指している。
「欧米では、最先端の半導体企業が大学と人材交流や共同研究に取り組むことは、ごく当たり前に行われています。このラボによって、日本もようやく世界の潮流に追いつけるようになるのではないでしょうか」(池田氏)
また、東京大学は学内における半導体研究の成果を外部に積極的に発信する活動も行っている。その役割を担っているのが、池田氏がセンター長を務める「d.lab」だ。同氏はこの活動においても企業とのコラボレーションが実現できないかと期待している。
「とくに国内では人材が不足している半導体設計の技術を共同開発し、業界に広く発信していくことを考えています。設計人材の育成についても、企業の知見を吸収しながらメソッドを確立し、外部に広げていきたい」(池田氏)
交流を通じて優秀な人材が育つのは、さらなる成長のために世界中から人材を求め続けている企業側にとっても願ってもないことだ。一方、人材育成を重視するのはPwCコンサルティングも同じだ。
近藤氏は「半導体企業の競争力は、優秀な人材をいかに数多く確保できるかにかかっています。産学連携の強化は、半導体人材を輩出する仕組み作りに貢献し、自社の未来を担う人材の獲得にもつながるわけです」と説明する。
東京大学はこの他にも、次世代の半導体人材を育成するための様々な産学官連携の取り組みを行っている。
その1つが、2024年4月に開始した学部横断型教育プログラムである「SPIRIT」だ。「Semiconductor education Program for Interdisciplinary Research and InnovaTion(半導体教育プログラム)」の略称で、文字通り、半導体に関連する素材やプロセス、デバイス、回路、プロセッサ・アーキテクチャなど、広範な知識を総合的に学べるプログラムである。
このプログラムの大きな特徴は、半導体の開発や製造技術に関する専門的な知識だけでなく、世界との半導体競争に勝ち抜くためにどのような国家戦略や事業戦略を描くべきかといった考え方や、知財保護、経済安全保障などについて学べる科目も用意していることだ。
「東大の全学部・学科で行われている科目の中から、半導体に関連するものを集めて総合的なプログラムを作り上げました。実践的な内容もできるだけ多く盛り込みたいと考え、経済産業省の半導体政策の担当者や、ファウンドリーの経営者などを講師に招いた科目も設定しています。まさに“産学官連携”のプログラムです」(池田氏)
このプログラムについて、かつて半導体企業でキャリアを積んだ吉本氏は、「企業の立場から見ても非常に実践的かつ網羅的で、なおかつアカデミアの知見もふんだんに盛り込まれた有意義な内容だと思います」と語る。
「かつてこの業界に身を置いた経験を振り返ってみても、日本の半導体企業が海外勢に追い越されたのは、技術だけでなく戦略面の問題があったからだと言えます。半導体は『作る・売る・使う』だけではなく、知財戦略や標準化戦略などによっても多くの成果が出せる領域です。そうした多角的な視点や発想とその面白さを実感できることが『SPIRIT』の大きなメリットではないでしょうか。
PwCコンサルティングは半導体のサイバーセキュリティ強化や特許化戦略・既存技術の横展開による半導体業界参入の支援も行っていますので、その知見を生かして協力できるところがあるかもしれません」(吉本氏)
日本の半導体産業を復興させるには、それを支える優秀な人材を輩出できる仕組み作りが重要だ。
東京大学はその仕組みとして、誰もが半導体を開発できる技術を創出できるように半導体開発の“民主化”を後押しする「Agile-X(アジャイルエックス)」というプロジェクトを始動した。
今、日本では半導体を設計できる人材が圧倒的に不足している。その大きな原因の一つは、開発に多大な時間とコストがかかり、失敗すると大きな損失を生みかねないため、そもそも企業が設計そのものにあまり力を入れていないことにある。それでは人材は育たず、海外企業の製品に引けを取らないような先端的半導体を生み出すことは夢のまた夢である。
「面倒で時間がかかる半導体の開発は、担い手にとっても魅力に欠けた仕事に感じられるようです。そこで、設計した半導体の性能や機能がすぐに分かり、何度でも試行錯誤できるようにするため、開発期間やコストを10分の1以下にする開発手法の構築を進めています。それが『Agile-X』の取り組みです」(池田氏)
Agile-Xが目指す10年後の成長の姿。半導体の民主化拠点を形成してデジタル半導体人材を10倍以上に増やす。ハードとソフトを融合させ、開発・改良のサイクルを高速で回すことで成長を加速する
出典:東京大学「『Agile-X〜革新的半導体技術の民主化拠点』プロジェクトページ」
誰もがスピーディーに半導体を設計できるようになれば、いろいろなアイデアを持つ経営者やビジネスパーソンが、その発想をすぐ形にした半導体を作ることができる。技術や性能だけでなく、戦略面でも優れた最先端の半導体を生み出せるかもしれない。半導体設計の“民主化”は、日本の半導体産業の復興を促す起爆剤となる可能性を秘めているのだ。
もう1つ、東京大学が半導体設計の“民主化”推進のために取り組んでいるのが、「ADIP(Advanced SoC Design Talent Incubation Program:最先端デジタルSoC設計人材育成プログラム)」である。経済産業省の外郭団体であるNEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の委託事業で、文字通り最先端のSoC(システム・オン・チップ)を設計できる人材を育成するためのプログラムだ。
近藤氏はこのプログラムについて、「日本で圧倒的に不足している設計者の裾野を広げ、日本の半導体産業の競争力向上に貢献する官学プログラムだと言えます」と述べる。
この他にも東京大学は、より若い世代からの半導体教育を支援するため、有明工業高等専門学校(有明高専)との連携を通じて、全国の高専における半導体設計教育の普及活動を行っている。「高専から高校、中学校と、さらに若い世代に教育の機会を広げ、次世代を担う半導体人材を1人でも多く育て上げたい」と池田氏は力強く語る。
日本の半導体産業を復興させる原動力となる人材の育成。産学連携はその大きなきっかけとなる。
池田氏は、「一度失われてしまった『知の循環』や人の交流をよみがえらせ、日本の半導体産業の発展を促していきたい。民間企業にも、ぜひ我々の想いに共感してもらい、連携強化を図っていけたらと思っています」と呼び掛けた。
「大学との連携で得られる知見や相乗効果の大きさに改めて気づかされました。中長期的な大学との交流は、企業にとって相対的に効率の良い投資と言えます。PwCコンサルティングも、支援先の企業に『知の循環』へと飛び込んでいく仕掛けを引き続き提供していきます」(吉本氏)