理念を尊重し、「統制」と「自律」のバランスを見極める
河氏 テルモはこれまで、クロスボーダーM&Aを成長戦略に生かしてきました。M&Aでは買収後のPMIをいかに成功させるかが非常に重要です。どこまで統制し、どこから相手の自律性に委ねるか──テルモのPMIには統制と自律性のバランスの良さを感じます。
足立氏 「統制と自律のバランス」は、前もって精緻に設計するのではなく、ケースごとに見極めます。テルモの軸は、患者さんや医療への“想い”です。M&Aではデューデリジェンスなどを通し、「同じ想いを共有できる会社か否か」を精査します。「できる」と判断すれば、全面的な統制よりも、自律性を尊重して統合を図るほうがプラスに働きます。
河氏 「患者さんや医療への想い」という軸を、自社の「理念」「価値観」として全社で共有していますね。
足立氏 「医療を通じて社会に貢献する」という企業理念を実現するための5つの「コアバリューズ」──Respect(尊重)、Integrity(誠実さ)、Care(患者さんへの想い)、Quality(品質)、Creativity(創造力)が浸透しています。いずれも、言語化して掲げる以前から受け継がれてきた想いです。
テルモ株式会社
経営役員
チーフヒューマンリソースオフィサー(CHRO)
足立 朋子 氏
赤間氏 M&A成立後に相手企業のトップが交代する場合、後継トップがテルモの理念や価値観を継承することについては、どう担保していますか。
足立氏 トップ人事にはテルモ本社が関与します。理念を引き継げる人を選び、「想いを共有できるか」をスクリーニングして、理念・価値観の継承を図っています。
ビハインドからの逆転にも奏功――テルモ流「with respect」
河氏 日本企業の意思決定のあり方に関し、クロスボーダーM&Aの相手企業が戸惑うケースがあるともいわれます。テルモにもそうしたことはありますか。
PwCアドバイザリー合同会社
パートナー ディールズ・ストラテジー
河 成鎭 氏
岩井氏 あります。医療業界のM&Aで買収される側の企業がイメージするのは、一般的に米国企業のPMIで、標準的なパッケージに基づく方針をPMIチームが提示し、統合を推し進めるプロセスを想起されるのではないかと思います。しかしテルモでは「今日からこれで進めます」と決まった型をDay1に示すようなことはしません。一定の規律は持ちつつ「柔軟に考えましょう」と提案するケースも多く、そんな対応に驚かれることはあります。
足立氏 「相手を尊重する」「相手に寄り添う」という姿勢は、当社が常に重んじてきた価値観です。相手企業がそれを知り、「この会社となら共に歩める」と思ってくださるところから、シナジーは生まれます。
岩井氏 患者さんに対し「中長期的な視野で」寄り添う姿勢も、米国企業との違いです。実際、この「差」が決め手となり、買収金額でビハインドを負っていた当社を選んでもらえたこともありました。
後藤氏 加えて、M&Aの背景や狙いが相手企業の社員にきちんと伝わることも極めて重要ですね。経営陣が「自社が目指していることを重視してテルモを選んだ」と社内向けに説明できれば、とてもポジティブなメッセージになります。
足立氏 相手企業の社長が印象的な話を披露してくれたことがあります。統合について当社の社長が言明した「with respect」のひと言に強く共感し、安心したというのです。テルモが常に大切にしている想いがあってこそ、その言葉が対話プロセスで自然に出たのだと思います。
人事部門の早期関与で相手企業の“今後”を見通し、
M&Aの価値をシェア
後藤氏 「テルモは人を大切にする会社だ」と相手企業に伝え、また、新たに加わる社員がテルモの企業文化にフィットするか否かを見極めるためにも、人事部門が早めに関与することは重要なポイントなのではないでしょうか。
岩井氏 ご指摘の通りです。例えば、交渉の早期に相手企業のトップに対し、買収後の進退の意向を尋ねます。共通の「想い」を持つ会社や経営者を選ぶからこそ、引き続きその想いを持って、経営を担っていただきたいと考えているからです。
テルモ株式会社
グループ人事戦略部 部長
岩井 知子 氏
河氏 人事チームが早い段階で関わることには、M&Aに伴う人材流出のリスクを最小化したり、組織の混乱を未然に防いだりする「守り」の効果がまずあります。同時に、相手企業の組織力や人材力をその後のグループ全体で存分に生かす「攻め」の効果にも通じませんか。
岩井氏 守りと攻めの両方につながることですが、M&Aで人事を含め常に意識しているのは、「相手企業が患者さんに今、提供している価値」を損なわないことです。この考え方は人事考査にも貫かれています。
赤間氏 その考え方は、PwCとも共通するものがありますね。例えば私たちが支援する案件でも、法務担当・税務担当といった複数チームがいる中で「これがベスト」と考える選択肢がそれぞれ異なるケースがあります。そんなときに私たちが帰着するのは「クライアントにとって結局、どの選択が最もメリットになるか」です。それを踏まえて、「ではそこに向けて、各チームが協力し、共に力を発揮しましょう」と改めて結束するのです。
各国のグループ社員が「医療で社会貢献」の理念で結束
河氏 クロスボーダーM&Aでは、新たに獲得した海外人材を、日本にヘッドクオーターを置くグローバル組織がいかに登用・活用するかが、その後の成長を左右する鍵の1つですね。
足立氏 M&Aを経て当グループに加わった人材も含め、全社員が「テルモで働けば、患者さんにとっての“最良”を実現しやすい」と感じてくれること、その“軸”を担う人材を育てることが、人材のフル活用につながります。テルモが提供する価値には、「日本」「日本人」という枠を超えて世界で通じる普遍性があるのですから。
赤間氏 他社での職務も経験してきた足立さんですが、価値観や理念の浸透という点で、他社・他業種との違いをお感じになることはありますか。
PwCアドバイザリー合同会社
パートナー
赤間 穏子 氏
足立氏 業界の構造上、米国企業を強く意識せざるを得ない点は、他業種との大きな違いです。テルモの特徴の1つは「米国系医療機器メーカーとの違い」にあり、それは人事面での「Employee Value Proposition」(EVP)、つまり「従業員に提供する価値をどう提案するか」にも反映されます。「テルモで働くことの価値は中長期の視野で患者さんや医療に向き合えること、そして自分自身も長い時間をかけてより成長できる」という点も、他社との違いだと認識しています。
加えて、理念の「分かりやすさ」も、浸透の理由の1つです。シンプルかつ明確に「自社の製品で救える命がある」「患者さんの苦しさを和らげられる」と考えると、誰もがわが事として自らを励ませます。
河氏 人命や健康に直接関わる業務ならではの責任感であり、同時にそれが組織の強みにもなっているわけですね。
後藤氏 クロスボーダーM&Aを今後さらに進める中で、人事の関わり方にも変化が生じるのではないでしょうか。直近の案件で、従来と異なっていた点は何かありますか。
岩井氏 直近の複数のM&Aでは、人事も本格的にPMIを行いました。PMIを行う前提でデューデリジェンスに入り、Day1から実際に動いたのです。従来の「自律性の尊重」に加え、「どの部分をテルモに合わせてもらうか」の対話をより丁寧に重ねました。相手企業の既存価値を最大化し、グループ全体の力をどう効率的に生かすかを、自社の現状を俯瞰して探るためです。
グループ・ガバナンスの違いを超えて、共通する「組織の価値観」へ
河氏 テルモの現在の取り組みには、多くの企業の人事課題と重なる側面がありそうです。PwCの後藤さんは、足立さんと同じCHROの立場から、どんな共通項を見いだしましたか。
後藤氏 「EVP」のお話がありましたが、PwCでもグローバルで共通の「People Value Proposition」(PVP)を打ち出しています。
従業員にどんな価値を提供できるのか──そこでの重要なキーワードは「自己の成長」だと考えています。私たちのPVPではまず、PwCが個人の成長を可能にし、さらなる高みを目指せる企業であることを掲げます。また、働く国・地域を問わず、PwCでの仕事が普遍性のある経験と自己の価値につながることにもコミットしています。さらに、これらの価値を実現するために求められる行動のあり方を定義しています。
PwCは、グループ各社が強い本社にぶら下がる構造の組織ではなく、ネットワークでつながり合っている組織です。だからこそ、共通の価値観や行動が極めて重要になります。その意味で、足立さん・岩井さんのお話とも通じる部分があると感じました。
グローバルな広がりの中で働く多様な背景や専門性を持つスタッフ一人ひとりが、最大限の力を発揮することで成長できる環境を目指している点を、私たちも改めて打ち出そうと考えています。
PwCアドバイザリー合同会社
パートナー/PwC Japanグループ
チーフ・ヒューマン・リソース・オフィサー
後藤 孝江 氏
赤間氏 共通点の一方で、異なる側面があることも感じます。PwCは「パートナーシップ型の組織」です。本社や社長が全責任を持つ形式ではなく、メンバーファーム間でのネットワークや信頼関係を前提にガバナンスを執行する──つまり、トップダウンの「強い統制」はありません。テルモも「緩やかな統合」を進めていたとのお話でしたが、その中でも「ガバナンスのかたち」に関しては、PwCとはまた違った面があるのではないですか。
足立氏 テルモでは、予算であれ評価であれ、最終的な意思決定者がいてエコシステムが成り立っています。今のお話を伺い、PwCのエコシステムがどう成立しているのか、大変興味を引かれました。そうした組織を支える要因はどこにあるのでしょうか。
後藤氏 AIなどによる環境変化が加速する中、組織力の源泉は「人」そのものです。PVPとともに再定義した「PwC Professional」という行動の浸透をハード・ソフト両輪で進めています。
赤間氏 PwCには、国を含め、会社組織や法人格が別々でも、「いざ、案件」となると必要な人材が素早く参集する特徴があります。税理士法人や弁護士法人も参画する組織横断的なチーム編成が求められる案件でも、レスポンスが非常に速い。その背景には、「クライアントにとって何が最適なのか」「自分の専門性の観点から、どのように“最適”に貢献するのか」を追求するカルチャーがあるのだと思います。いろいろな垣根の低さ、風通しの良さも相まって、「人が良い」ことが組織を支える要因になっているといえるかもしれません。
足立氏 価値観や文化が組織を支えている点は、テルモと同じですね。
河氏 本日はクロスボーダーM&Aに関し、多くの有意義な視点を交換できました。ありがとうございました。


