日本企業は、高品質の製品・サービスを「現場の改善力」で生み出してきた。しかし、その強みは個々の部門の最適化(個別最適)に偏り、全社規模の迅速な経営判断を妨げる側面もある。SAPは、AI時代における未来の企業運営モデルとして「Autonomous Enterprise(自律型エンタープライズ)」を掲げている。人が方向性を定め、AIアシスタントとAIエージェントが業務の調整・実行を支援することで、企業が一つのつながったシステムとして、より速く、より確実に動く姿を目指すものだ。同社の堀川嘉朗社長と本名進氏に、AIが企業活動の前提となる、新しい経営の姿を聞いた。

社内ERPデータの個別最適を解消
全社での標準化でAI分析を高速化

SAPジャパン

代表取締役社長

堀川 嘉朗

 AIやデジタル技術の進化で経営環境が急速に変わる中、全社視点での迅速な意思決定ができないケースが増えてきた。「統合基幹業務システム(ERP)を世界規模で提供し、企業における“人・モノ・お金”のデータ活用を支援してきた当社から見ると、日本企業は海外と比べて“全社改革”という視点が弱く、AIを活用した経営判断のスピード感で大きな差が生じているように見えます」と、SAPジャパン 代表取締役社長の堀川嘉朗氏は警鐘を鳴らす。

 ERPを導入済みの企業であっても、部門ごとの要件に合わせて、自社の強みとなる業務プロセスをカスタマイズで作り込むことで、個別最適が進み過ぎる傾向が日本では強い。すると、同じデータであっても定義や意味合いが部門ごとに異なり、部門をまたいだ円滑なデータ活用が難しくなる。結果として、必要な情報を人手でつなぐ“バケツリレー”のような状況に陥ってしまう。こうした問題を解決してスピーディーな企業改革を支援するため、SAPは「Autonomous Enterprise」というビジョンのもと、Joule、SAP Autonomous Suite、Industry AI、SAP Business AI Platformなどを通じて、企業の業務プロセスにAIを組み込み、全社横断での意思決定と実行を支援しようとしている。

 SAPがこれまで提供してきたERPは、財務、調達、サプライチェーン、人事、顧客管理など、あらゆる業務領域を網羅している点が特徴だ。Autonomous Enterpriseが目指すのは、これらの業務領域を分断されたシステムとしてではなく、AIが業務文脈を理解し、部門をまたいで連携できる一つのつながった仕組みとして機能させることだ。その上でAIがデータを分析し、必要な解決策を提示することで、スピーディーな経営判断を支援する。「顧客は、SAPが26業種で培ってきた豊富なソリューションを通じて、世界レベルの経営課題における解決ノウハウを享受できます」(堀川氏)。つまりSAPは、顧客の経営判断の実行支援に事業の軸足を移したということだ。

SAPジャパン

代表取締役社長

堀川 嘉朗

個別最適から全体最適へ。データの一元化がAI活用の精度とスピードを高める基盤となる

世界中の業務・業種知見をAIに生かす
人とAIの役割分担でガバナンスを確保

SAPジャパン

APACカスタマーアドバイザリー統括本部
SAP Business AI Japan Lead

本名 進

 日本企業は従来、事業の強みとなる工程をERPシステムにカスタマイズで追加し、競争力を維持してきた。これに対してAIを全社規模で活用するには、ERPの中心部(コア)を標準状態のまま維持する「Clean Core」の考え方が重要になる。「SAP Cloud ERP」は、統合された業務プロセス、ビジネスデータ、ガバナンスを支える基盤として、AIが業務文脈を理解し、信頼性の高い判断や実行を支援する土台となる。

 このため、独自要件や差別化につながる機能は、コアに直接作り込むのではなく、「SAP Business AI Platform」上でカスタマイズ機能を追加する。「顧客企業にはまず、Clean Coreの考え方に基づき、SAPが世界中の企業変革で培ってきた業務知見を活用して、変革のスピードを高め、競争優位性について再定義していただきたいです」(堀川氏)。その上で、「データ分析によって業務プロセスを変革する経営判断にERPを活用する、という新しい流れを作っていきたい」と期待を込める。

 「Autonomous Enterprise」の実現に向けては、「SAP Cloud ERP」をはじめとする業務アプリケーションの価値が、AIエージェント時代に一層重要となる。SAPジャパンでAIビジネスを統括する本名進氏は、「自律化を任せたAIが作成した改善策を経営層が承認するには、AIエージェントと人の権限分担や承認プロセス、実行内容の監査証跡など、社内のAIガバナンスに関わる項目を自動管理する仕組みが不可欠です」とその重要性を強調する。そして、それら業務アプリケーションに加えて、AIエージェントの精度と信頼性、運用のガバナンスを担保するための基盤が「SAP Business AI Platform」だ。

SAPジャパン

APACカスタマーアドバイザリー統括本部
SAP Business AI Japan Lead

本名 進

Autonomous Enterpriseを支える5つの仕組み。JouleからSAP Business AI Platformまで、業務・データ・ガバナンスが一体で連携する

 この「SAP Business AI Platform」のAIエージェント基盤があるからこそ実現できるのが業務を実行するAIエージェント層の「SAP Autonomous Suite」だ。社内の中核業務をつなぎ、AIアシスタントとAIエージェントによる業務実行を支援する仕組みである。通常業務は200以上のAIエージェントが、定型的・反復的な業務を処理し、社員との対話やエージェント群の統括はAIアシスタントが担う。一方、重要な決定事項や例外的な処理はAIに任せず、人間が介入して判断していく。

 その際にAIと人の役割分担が大切な検討項目になる。「今までとは考え方を根本的に変える必要があります。人の業務をAIで効率化するのではなく、AIが考えた解決策を人が判断した後にAIが実行するといった分業を考える時代が来たと思っています」(堀川氏)。

 個々の社員がAIアシスタントに業務を指示する際には、「Joule Work」という共通のユーザーインタフェース(UI)を通じてAIとやり取りできる。社員が必要な情報の画面をAIが生成したり、適切なアプリケーションへ誘導したりといった支援も行う。所属部署が異動になってもAI活用で戸惑うことはないわけだ。

経営者主導で“北極星”を実現
まず使ってみることが変革の第一歩

 「Autonomous Enterprise(自律型エンタープライズ)」の実現に向けて、SAPは、導入企業に経営者の参画を必須と位置付けている。「これまでのERP導入とは大きく異なる点です」と堀川氏は強調する。企業の変革プロジェクトを成功に導く5つの要素として、SAPは人、組織、業務プロセス、データ、システムを挙げる。「これらを五位一体で見直し、自社が目指す姿を“北極星”として明確にすることが重要です」(堀川氏)。つまりシステムは最後の1ピースに過ぎず、北極星として掲げた目指す姿を実現するには、経営者がまず人と組織を変革し、業務プロセスの一部をAIエージェントに移譲した上で、データの活用方針を定める。この順序を踏むことで、成功の確率が飛躍的に高まると見ているのだ。

日本企業の競争力を高めるために必要な5つの視点

 その上でSAPは、経営者の負担を下げるために、変革プロジェクトをAI活用で短期化することにも取り組んでいる。具体的には、システム要件定義をヒアリングから始めるのではなく、現状プロセスをAIで分析し、業務変革後の新プロセスとの差分を出力。システム開発はSAPのAIアシスタント「Joule」に委ね、導入テストや社員への定着にもAIを活用する。「こうした取り組みでプロジェクト工数が半分以下になったり、インフロニア・ホールディングスのように3カ月で実装を終えたりといった事例も出ています」(堀川氏)。短期で成果を出し、業務プロセスを最適化してまた次の3カ月で検証する。この繰り返しがスピードアップを確実に達成できる体質になっていくという。

業務文脈の学習でハルシネーションを抑制
AI経由のデータ漏えいを防ぐ仕組み

 AIの企業利用が進む中、業務プロセスをAIに理解させるための「業務文脈」の整備が重要とIT業界では認識されている。SAPは従来から多様な業務領域の自動化を推進してきたため、あらゆる業務プロセスのデータが既につながっている。「例えば、製品の需要が変われば販売戦略も変わり、生産工程、調達、物流の戦略にも影響が出ますが、各事業のデータが既に連携しているSAPであれば、AIに業務文脈を容易に理解させることができます」(本名氏)。

 SAPのERPが最終的に担うのは顧客の財務諸表の出力であるため、AI導入を巡る昨今の不安要素であるハルシネーション(もっともらしい誤答)は許されない。そのためにはAIに業務プロセスの知識と正確なデータを与えることが肝になる。この役割を担うのが前述した「SAP Business AI Platform」だ。

 SAPは数千の業務プロセスを管理し、約700万件のデータ項目がある。「例えば、製品の利益率が落ちている原因や需要予測をAIが出力する場合、汎用のAIでは必要なデータがどこにあるかは正確に学習されていない。これらの業務トピックに関連するSAPプロセス・データを構造化した“ビジネスのコンパス”をAIに理解させることで、正確なデータにアクセスすることができ、ハルシネーションを最大限減らす仕組みになっています」(本名氏)。併せてAIが判断した根拠も人間が確認できるようにして、AI出力の精度を担保している。

 生成AIの利用が企業に普及し、AIに自社データを渡す必要があるという認識が広まる中、AIに学習された自社データが漏えいしないかと心配する経営者が増えている。SAPはこの点を明確に否定する。「生成AIに入力した顧客データは推論結果の出力後に削除される設定で、LLMベンダーとパートナーシップを結んでいます」(本名氏)。これによりLLMが顧客データを再学習することを防止している。さらに、「プロンプト(指示文)に個人情報が含まれるケースでは、SAP Business AI Platformで匿名化や、マスキングした上でLLMへ送信する機能を実装しています」(本名氏)。

 SAPは主要なLLMベンダーと連携し、業務内容に応じて複数のLLMを使い分け、常に最適なものを選択する仕組みを備えている。「LLMの技術革新は日進月歩ですので、顧客がLLMの選択で悩まなくて済むように実装した機能です」(本名氏)。

 中にはデータが完全に整っていないという理由で、AI導入を先送りする企業もある。こうした企業に対してSAPは、「まず使い始めて、AIの回答から自社に必要なデータや業務プロセス上の課題を見極めていくことも重要」とエールを送る。AI活用は単なるシステム刷新ではなく、人、組織、業務プロセス、データ、システムを一体で見直し、企業運営のあり方そのものを進化させる取り組みだ。「まずは自社が目指す姿、いわば“北極星”を明確にすることが大切です。その上で、SAPは、その変革を支えるパートナーとして、お客さまがAIを前提とした企業運営への第一歩を踏み出すことを後押ししていきたいと考えています」(堀川氏)。

SAPジャパン株式会社

電話:03-6737-4463(受付時間:平日 9:00~18:00 日本語対応)

SAPジャパンは2026年7月29日(水)、「SAP NOW AI Tour TOKYO」を開催します。
本記事で紹介したAI時代の経営と業務の進化を、ぜひ会場でご体感ください。

記事中の肩書きやデータは公開時点の情報です

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