40代以上の約2人に1人が抱えるひざの不調。
そこには、世界的な老化研究で注目される「慢性炎症」が関わっていることがわかってきた。
治療の現場にも広がりつつある慢性炎症への新アプローチが、
老化への向き合い方を大きく変えることになりそうだ。
井戸田整形外科
名駅スポーツクリニック 医師
井戸田 大 氏
医学博士。日本整形外科学会専門医。日本整形外科学会認定スポーツ医。日本スポーツ協会公認スポーツドクター。日本整形外科学会認定運動器リハビリテーション医。日本膝関節学会 関節鏡技術認定医。日本人工関節学会認定医。専門領域はひざと足。複数のスポーツのチームドクターとしても活躍する。
東京理科大学 研究推進機構総合研究院
老化分子生物学寄附研究部門 准教授
早野 元詞 氏
慶應義塾大学 医学部 整形外科学教室 特任講師、山陽小野田市立山口東京理科大学 薬学部 客員准教授、東京科学大学 難治疾患研究所 非常勤講師、順天堂大学 眼科学教室 非常勤講師、北里大学 非常勤講師を兼務。2024年より(財)ASAGI Labs代表理事、(株)ASAGI Labs代表取締役。基礎研究の推進と社会実装を目指している。
加齢に伴い身体機能が衰えるのは自然現象で、どうしようもないこと──「老化」をこのように捉えている人は多い。40代頃から多くの人が抱えるひざの不調も、「年齢には抗えない」と諦めていないだろうか。
実は近年、こうした「諦め」は世界的に覆りつつある。老化は治療や介入の対象になり得るもの、という考え方が研究の世界で広がっているのだ。老化を専門に研究する東京理科大学の早野元詞准教授は「生活習慣病や心不全、腎不全といった疾患だけでなく、認知機能や骨、関節、筋肉といった運動器の機能低下なども、老化のメカニズムを解明することで治療や介入につながる可能性が高まっています」と語る。
老化は複数の要因が絡み合って進行するが、特に病気との関わりが深い重要なファクターが「慢性炎症」だ。炎症が全身に長く続くことで、血管や臓器が継続的にダメージを受け、老化が進み、病気を引き起こす。
慢性炎症の要因として喫煙や不適切な生活習慣などが知られるが、近年の研究では新しいメカニズムも分かってきた。加齢とともに体内に蓄積した老化細胞から分泌される炎症性物質が周囲の組織に炎症を起こし、そのまま慢性化していくのだ。

2025年10月、全国の40~79歳の男女1万2123人を対象に調査。
52.7%が「ひざの痛みや違和感を感じたことがある」と回答した。
(セルソース調べ/調査機関:ネオマーケティング)

多くの人を悩ませるひざの痛みが主症状の一つである「変形性膝関節症」にも、慢性炎症が深く関わる。
「そもそも体重を支える部位であるひざには、加齢とともに荷重ストレスが蓄積されやすいのです。さらに筋力の低下や、ひざのクッションとして働く半月板の変性といった要因が重なり、軟骨が摩擦によってすり減って炎症を引き起こします」と、井戸田整形外科 名駅スポーツクリニックの井戸田大医師は説明する。
すり減った軟骨の破片が、ひざの「滑膜」に接触し、炎症が生じるのだ。
「初期段階では歩き始めや椅子から立ち上がる時など、動き始めに痛みが出ることが多いですね。突然歩けなくなるほど悪くなるわけではないので、医療機関の受診が先延ばしになり、じわじわと症状が進行してしまうケースも少なくありません」(井戸田氏)
痛みの放置は悪化を招く。痛みをかばうような歩き方を続けることで関節への負担が積み重なり、やがてひざの変形も進行。さらに炎症が起こりやすくなる、という悪循環に陥ってしまうのだ。井戸田氏は「ひざがパンパンに腫れたり、痛みで日常生活がかなり制限されたりしてからようやく受診する方もいらっしゃいます」と懸念する。

実は、ひざをはじめ運動器の機能低下は、老化研究においても非常に関心の高いテーマだと早野氏は言う。
「自分の足でいつまでも歩けることは、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)に最も資することだからです」
近年は、加齢に伴う慢性炎症の引き金となる骨髄由来のマクロファージ(白血球の一種)の性質をコントロールして全身の老化制御につなげるための研究や、慢性炎症を引き起こす老化細胞を選択的に除去する薬剤(セノリティクス)の開発なども国内外で進められている。
いずれもまだ研究段階だが、痛みなどの症状が出ている部位だけでなく、その背景にある慢性炎症に目を向けるという発想は、治療の考え方そのものを変えつつある。

関節で続く炎症に着目した治療が、すでに選択肢として登場しているのが整形外科だ。
「変形性膝関節症の治療においても、従来の薬物療法や手術療法に加え、『再生医療等』が新しい選択肢に加わっています」(井戸田氏)
ひざ治療の現場では、患者自身の血液から抽出した成長因子などの成分や、脂肪などから採取して培養した幹細胞を患部に投与する「再生医療等」という治療法が用いられている。
「軟骨や半月板などは、人体においても自然修復されにくい組織です。従来は痛みを抑えたり、低下した機能を補うことを目的とした治療でしたが、再生医療等であれば、炎症を抑制し、組織そのものの修復を促すことが期待できます」と井戸田氏は今後の発展に期待を寄せる。
「再生医療等を治療の選択肢のひとつとして提案すると驚く方も多い半面、積極的に情報収集し、自ら再生医療等を希望して来院する方も以前より増えてきました。変形性膝関節症治療の新しい選択肢として、手応えを感じつつあります」(井戸田氏)

ただし、症状がかなり進行してしまうと、できる治療には限界がある。
「大切なのは、早い段階から医療機関を受診し、医師とよく話し合って治療の選択肢について理解することです。それが、自分の体の変化や老化に対して適切な働きかけを可能にすると考えています」と井戸田氏。
また、ひざの痛みだけではなく、あらゆる病気について「何か症状が起きてからではなく、そうなる前から健康を維持する意識を生活の中に組み込むことも、これからの時代は必要です」と早野氏はアドバイスする。
昨今は、寿命を延ばすだけでなく、心身ともに健康で、自分らしく生きる時間を長く保つ「ロンジェビティ」が世界的なトレンドにもなっている。ひざ関節を含む運動器の機能維持は、ロンジェビティの観点からも重要だ。
「歩行や階段の上り下りなどがスムーズにできて日常生活を難なく送れる、人と食事や遊びに出かけられる、旅行を楽しめるなど、運動器の機能は自分の人生に幸福感をもたらす根源的な要素でもあります。そういう意味でも自分がどう生きたいのか真剣に考え、健康や治療に関する情報を自分から取りに行く姿勢が必要です」(早野氏)
ひざ関節の治療においても、「これからもスポーツを続けたいなど、自分がどんなライフスタイルを送りたいのかによって、治療のゴールも大きく変わります。自分の目標や将来の人生設計から逆算して、自分の体に向き合ってみるのも方法の一つです」と井戸田氏は語る。運動器の機能を維持し、健康寿命の延伸を実現できる時代はすぐそこまでやってきているのだ。