広告業界転職最新動向
ヒットを支えるプロフェッショナル
前編 成長するため自分と向き合い、新たなステージへ 後編 ヒットのヒントは「生活者」を深く知ることから
前編 成長するため自分と向き合い、新たなステージへ

映画そして小説のプロ・川村元気氏、出版のプロ・品田英雄、そして広告会社の博報堂に所属する広告営業のプロ・相良泰至氏が、ヒットを生み支える秘訣と難しさを語り合う。同業他社への転職経験を持つ相良氏が、博報堂への入社秘話も明かす広告マン必読企画。

相良泰至 氏

品田お二人は今何歳ですか。

相良36歳です。

川村37歳です。品田さんは僕らと同世代のとき、どんな仕事をしてたんですか。

品田新しい雑誌の開発です。日経エンタテインメント!は、僕が40歳のときに創刊したんです。38歳くらいからこの雑誌づくりの準備に入っていたはずです。

川村相良さんは、博報堂には中間入社していますよね。その前はどんな仕事をしていたんですか。

相良別の広告会社で働いていました。今と同じく営業職ですね。

品田広告業界は学生の頃から目指していたんですか。

相良いいえ。大学に入った当初は特に考えていなくて、学生時代は準硬式野球というマイナーなスポーツにずっと打ち込んでいましたね(笑)。レギュラーというよりかは、宴会部長として活躍していました(笑)。その中で、はやっているものや人気のあるものをどこが面白いのか、なぜウケているのかなど、自分なりに分析して、部員が楽しめるカタチにつくり変えることが好きでした。大学3年のときに、そういうことを仕事にできる広告業界というものがあるらしいと知って、前職の広告会社に入りました。

品田川村さんは最初から映画業界でしたよね。

川村そうですね。東宝で、最初の2年間映画館の営業やチケットのもぎりをしていました。その仕事自体は楽しかったですけど、映画製作に携わりたくて本社に企画書を送っていました。それで3年目に企画のセクションに呼ばれ、今に至るといった感じです。

品田1作目が『電車男』でしたよね。いきなりヒットメーカーの本領発揮でした。

川村25歳のときに考えた企画で、公開したのが26歳だからプロデューサーとしてのスタートは早かったですね。映画をつくり始めて、もう10年がたちました。

広告マンとして自分を成長させてくれた前職
川村元気 氏

品田相良さんは、前の会社でどんな仕事をしていたんですか。

相良大手飲料メーカーさんを担当して、プロモーションの仕事をしていました。例えばペットボトルのキャップに付くフィギュアなど、おまけを企画するようなチームにいました。毎日13時間にもおよぶ企画会議をしたり、ときには中国の工場にフィギュアの完成度をチェックしに行ったりするなど、大変なことも多かったですが充実していましたね。それが3年くらい続きました。

品田他にはどんなプロジェクトに携わったんですか。

相良その後は大手通信会社さんの担当になりました。そこで印象に残っているのは、初めて自分が人選した理想のチームと仕事ができたことです。自分が信じるスタッフの方々と一緒に仕事させてくれと上司に頼んだら最初は反対されて、もう1つ上の上司に直談判してようやく認めてもらいました。何が正しいか分からないような状況で、自分の嗅覚を信じ、スタッフを導き、プロジェクトをきちんと向こう岸までたどり着かせるという、自分の営業スタイルの基本形ができた瞬間でした。

川村プロデューサー的な立ち位置だったんですね。やりがいがあったと思いますが、なぜ転職を考えたんですか。

相良博報堂ほど規模が大きい会社ではなかったので、優秀な人材が当たり前のように辞めていきました。長く在籍していると、私でさえ「なぜ残っているのか?」と同僚などから質問されることもありました。

川村実力があるんだから、もっと大きな会社に移りなよってことですよね。転職の生々しい実態を聞いている気がする(笑)。

相良その「なぜ?」の問いには今の環境だからこそできる面白い仕事があるとか、育ててもらった会社に恩返しができていないとか、別の広告会社に行くのは不義理だと答えていました。そういう意味では、博報堂を転職先から最も遠いところに置いていました。

四月になれば彼女は

『世界から猫が消えたなら』『億男』に続く、川村元気氏の2年ぶり3作目の小説。100人以上へのインタビューをもとに、恋愛する気持ちを失った男女の葛藤を描くラブストーリーだ。昔付き合った恋人から手紙を受け取った青年。過去の記憶がつづられたその手紙をきっかけに、結婚を1年後に控えた彼が、失った恋に翻弄される12カ月を描く。

転職に対する自分の視野を広げ、博報堂へ
品田英雄

品田そのとき働いていた会社への愛着も強かっただろうしね。

相良でも、そんなときに妻が2人目の子供を妊娠したんです。それまで共働きでしたが、ひょっとしたら妻は今後働けないかもしれないという状況になって。そこから以前よりも客観的に、広い視野で、守るべき家族を中心とした自分のキャリアについて考えるようになりました。

川村本当はどうしたいのか、何を求めているのか。自分と向き合うのは怖いけど、成長するうえでは大事なことですよね。なぜ転職先が博報堂だったんですか。

相良実は親しい知人が博報堂のグループ会社に転職していて、「働きやすい環境だよ」という評判を以前からよく聞いていました。そこで、改めて3人の社員の方と個別に飲みに行ったんです。入るかもしれないと思って聞く博報堂の職場環境はどの話も魅力的で、「スタッフが強者(つわもの)ぞろいだから、営業力が磨かれているよ」と聞き、今からでも成長できる環境があるんだ、と興奮しました。3人目と飲む頃には、中間採用で入りたくて堪らない状況になっていました。

品田実際に博報堂に入社してみてどうですか。

相良ありきたりですが、想像以上にいい会社でした。いちばん驚いたのが、「こういうことに詳しい人いないかな?」と思って社内を探したら必ずいること。「何なんだ、この会社は!」とうれしくなりました。様々な能力を持った一人ひとりが真剣に仕事に向き合っているからこそ、チームになったときに博報堂は強い力を発揮できるのだろうと感じています。同年代も多くて、彼らが活躍すれば当然意識しますし、誰かがいい仕事をしたと聞いたら僕も頑張ろうと思える。その人材の豊富さが魅力だし、だからここで自分も成長できると確信しました。

瀧川千智 氏
デジタルシフトにより変わる博報堂の仕事

最前線で働く立場を代表してお話すると、特に若いスタッフを中心に、中間入社者が増えています。彼らの意見もどんどん使われるので、会社全体が活気づいているように思います。

その背景には、デジタル化による広告ビジネスの高度化、高速化の進展があり、仕事のスタイルも変化しています。例えば以前は少し時間をかけてもいいアイデアを生もうとしていましたが、今は日々アイデアをアップデートしていく思考力と行動力の高さが求められています。それをみんなで共有して最終的なアウトプットにつなげていくスピード感、ネットワークの活用力といったものも重要です。

私は博報堂でマーケティングを経験したのちに、今は博報堂DYグループの総合メディア事業会社・博報堂DYメディアパートナーズに異動(出向)し、メディアのプラニングやバイイングをしています。以前はマーケティングや、プロモーション、メディアなどを切り離して考えていたのが、今はアイデアやデータを一気通貫にできる体制が求められるので、様々な領域に柔軟に取り組めるような、熱意を持っている人が活躍できる場だと思います。

後編 ヒットのヒントは「生活者」を深く知ることから
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