帝京大学の研究が拓く未来 知の探究者たち

研究とは、物事について深く考え、探求すること。その道を究めれば、より良い未来を築くための道筋が見えてくる。
帝京大学には、そんな未来への扉を開こうとする研究者たちがいる。

絵の技巧だけでなく作品と文字史料で読み解く美術史

狩野探幽筆「不二」(帝京大学総合博物館所蔵)

鎌田 純子かまた じゅんこ
帝京大学文学部史学科 准教授

2003年学習院大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士後期課程単位取得退学。2006年京都造形芸術大学非常勤講師、2010年学習院大学史料館助教、2015年東海大学教養学部芸術学科非常勤講師などを経て、2015年帝京大学文学部史学科講師。2018年より現職。主な研究テーマは、江戸時代の学問興隆と絵画製作の関係について。

文学部史学科の鎌田純子准教授は、
江戸時代に描かれた絵画作品を研究対象とする美術史研究者。
現代の価値基準だけで作品を見るのではなく、
製作された時代の社会的背景やその絵に関わる人々の意図を読み解く研究手法を特徴とする。
その研究成果は、美術作品の新たな魅力の発見につながっている。

現代の価値基準にとらわれず
美術作品を研究する意義

「美術史では、その作品が『上手いか下手か』という視点で作品の価値を判断しがちです。しかし、今の専門家が感じる上手さは、現代の価値基準でしかありません。そのような評価の在り方に対して、私はずっと疑問を抱いていました。誰もが客観的な基準でモノの歴史的価値を判断し、鑑賞できる美術史の在り方を探る研究に取り組んでいます」

そう語るのは、文学部史学科の鎌田純子准教授。江戸時代の主に御用絵師によって描かれた絵画を研究テーマとする鎌田准教授は、絵の技巧よりも、その時代に特徴的な“絵の変化”に着目して研究を進めている。

鎌田純子准教授の写真
鎌田純子准教授

江戸時代はおよそ250年にわたって大きな戦乱のなかった平和な時代として知られている。江戸中期以降は公家や武家たちにも余裕が生まれ、自然物や歴史への関心が高まった。鎌田准教授は、「そのような興味関心が絵画の中に表れている」という。わかりやすいものとしては、絵画に描かれた植物の種類の違いがある。それまでの絵画では季節ごとに決まった植物しか描かれなかったが、江戸時代中期頃になると多種多様な植物が描かれるようになった。

山水花鳥絵鑑の写真
山水花鳥絵鑑の写真
探幽の養子・狩野益信筆「山水花鳥絵鑑」(帝京大学総合博物館所蔵)

「そのきっかけを作ったのが当時の将軍、徳川吉宗でした。吉宗はとても知識欲が高く、鎖国の最中にありながら外国の書物や図鑑を積極的に輸入する政策をとりました。それに影響を受け、国内で日本各地に生息する植物や生物の図鑑などが作られるようになり、当時の博物学的関心にもとづいて多種多様な植物が絵の中に描かれるようになるのです」(鎌田准教授)

歴史学への関心の高まりが
絵画に反映されはじめた江戸後期

江戸後期に描かれた絵画には、歴史学への関心が反映されたものも目立つ。鎌田准教授の研究対象の中では、京都御所の「賢聖障子」けんじょうのしょうじが特に象徴的である。「賢聖障子」は、京都御所の中でももっとも格式の高い紫宸殿ししんでんに安置された、天皇の玉座「高御座たかみくら」の背後に置かれている障壁画。中国のいんから唐までに活躍した32名の賢人・聖人たちを題材に、平安時代から江戸時代末期まで、絶えることなく描き継がれてきた伝統ある絵画である。

江戸時代には火事で紫宸殿が焼失するたびに描き直され、賢聖障子は計8回も製作されることになった。当時の絵画は基本的に決められた型通りに描かれており、1回目(慶長度)の狩野孝信と、2回目(寛永度)の狩野探幽は画風こそ違うものの、同じ下絵に基づいてほぼ同じ服装で描かれている。しかし、7回目(寛政度)に住吉広行が描いたものに大きな変化が見られる。32名それぞれの時代、職位に合わせた服装に描き分けられたのだ。

賢聖障子の写真
現在も京都御所に飾られる「賢聖障子」(住吉広行筆)

「殷から唐の時代といえば約2000年もの開きがあるというのに、寛政までの作品では32名の賢人・聖人はほぼ同じ服装で描かれています。頭に被っているものも同じですし、身分を示すような装飾品も描かれていないので、人物の判断がつきにくいのです。ところが、寛政度からはそれが大きく変わり、例えば、唐初期の名臣である房玄齢はこの時から進徳冠を頭に被り、腰には身分を示す印を下げた姿で描かれています。ほかの人物についても、時代考証に則ってその時代に相応しい服装で描かれました」(鎌田准教授)

天皇の御所に描かれた
最も古くて最も新しい絵画

このように時代考証を反映した賢聖障子が描かれた背景には、寛政の改革を実施したことで知られる当時の老中・松平定信の存在がある。松平定信が、幕府新任の儒官だった柴野栗山に徹底した時代考証をさせ、御用絵師である住吉広行に描かせたものなのだ。

このような背景は、当時の人々が書き記した多数の文字史料を読み解くことでわかった。鎌田准教授が読み込んだ日記やメモなどの文字史料の中には、時代考証を行った人物や人物間のやりとり、松平定信の意向なども克明に残されていた。

賢聖障子の写真
京都御所 紫宸殿に飾られた賢聖障子。写真は、住吉広行が寛政度に描いた絵をもとに、昭和時代に模写されたもの。
協力:宮内庁京都事務所

ある史料には、「多少絵の完成が遅れても、後世の鑑になるものを残さなければいけない」という松平定信の言葉が記録されており、天皇の玉座に飾る絵として相応しいものにするために一切の妥協をしなかったことが窺える。また、幕府の儒官と京都の学者(文章博士)とが交わした往復書簡からは、両者がかなり激しく議論を重ねた末に絵を完成させていった様子を読み取ることができる。

「賢聖障子は、平安時代から続くもっとも伝統ある絵でありながら、当時の最新の知見にもとづいて描かれた最先端の絵画なのです。ところが近年までの美術史研究では、住吉広行の描いた賢聖障子について『絵に面白みがない。以前のもののほうが良い』という評価を下してきました。確かに時代が遡る狩野孝信や狩野探幽の作品のようには輪郭線に勢いがないかもしれませんが、寛政度の絵に求められたことは時代考証に則った正確さです。こうした絵こそ現代の価値基準によって評価するのではなく、歴史的価値を認めるべきだと思います」(鎌田准教授)

徹底して絵画と文字を読み解き
当時の人々の価値観を知る

鎌田准教授の研究手法は、まずじっくりと絵を観察し、その中で他と違うものを見つけ出すところから始まる。そして、具体的に何が違うのか、その違いがなぜ生まれたのかといったことを絵画そのものの中から引き出す。その上で、日記や手紙などの絵画製作に関連する文字史料を隅々まで調べて、読み解き、その絵が生み出された理由や背景を見つけ出すということを繰り返している。

「美術史の世界ではあまり文字史料を読むことが重視されてきませんでした。しかしこれでは作品の歴史的価値を見落とすことになりかねません。特に私の所属は、帝京大学の文学部史学科なので、作品の歴史的な意味を伝えることを大切にしています。学生には、絵画そのものを深く読み込むポイントを学びながら、絵以外の文字史料から得るものも数多くあることを知ってもらいたいと考えています」(鎌田准教授)

実習の風景
鎌田純子准教授の写真
実習では、日本の古美術関連の史資料を読むためのくずし字の読み方、作品調査のポイントや解説の書き方なども学ぶ。

最近では、自身の研究を進めつつ、歴史的価値の高い作品を保存するための“デジタル・アーカイブ”にも積極的に取り組もうとしている。鎌田准教授が研究対象とする日本の古美術品は、絵巻物や画帖のように長大な原本をすべて公開することが難しい作品も多い。また、日本の古い作品は、細心の注意を払っても公開すれば多少なりとも傷んでしまう。そのような作品をデジタル化すれば、作品を傷めることなく公開でき、さらに全体をスクロールして眺めることもできれば、見たい箇所をクローズアップして見ることもできる。文化財保存という点や、教育普及や研究においても、大変有益な手法だと期待が高まっている。

「柳楊観音像」を手にしている鎌田准教授の写真
下村観山筆「柳楊観音像」(帝京大学総合博物館所蔵)。鎌田准教授が手にしているのは「柳楊観音像」の手本となったと考えられる狩野芳崖作「悲母観音像」(東京藝術大学所蔵、重要文化財)
柳楊観音像の写真

「デジタル化は簡単なことではありませんが、かつての人々がその当時の貴重な作品や史料を遺してくれたように、私にも自分の研究成果を後世に伝える使命があると感じています」と鎌田准教授は語る。美術史研究を通じて歴史的背景やそこにある人の思いなどの物語を伝えることは、美術作品への親しみやすさを増すことにもなる。古い作品を後世に受け継ぐことにとどまらず、未来の作品を生み出す原動力にもなるに違いない。

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