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研究とは、物事について深く考え、探求すること。その道を究めれば、より良い未来を築くための道筋が見えてくる。
帝京大学には、そんな未来への扉を開こうとする研究者たちがいる。
- 棚本 哲史たなもと てつふみ
- 帝京大学理工学部情報電子工学科 教授
1991年東京大学大学院理学系研究科博士課程中退、1995年博士号取得。1991年、株式会社東芝に入社。物理乱数生成回路などの開発、量子コンピュータなどの研究に携わる。2019年より現職。主な研究分野は、物理学、電子デバイス、半導体。量子コンピュータの実現を目指して、物理と工学の学際領域からの理論的アプローチで研究。
近年、国内外から実用化の話題が
多く聞かれるなど、
「量子コンピュータ」に対する
世の中の期待が高まっている。
一方で、現在の量子コンピュータには
まだまだ多くの課題があり、
十分なパフォーマンスは発揮できていない。
量子コンピュータについては
さまざまなアプローチで研究が展開されているが、
帝京大学理工学部情報電子工学科の
棚本哲史教授は、
半導体を使うことで
物理と工学の両面から取り組み、
広く社会で使える量子コンピュータの実現を目指した研究を進めている。
“粒子”であり “波”でもある
量子を利用した量子コンピュータ
身のまわりに存在するあらゆるモノの運動や物質の性質は、力学(いわゆる古典力学)によって説明できる。例えば、ボールを蹴ったときの軌道やモノが落下したときの速さ、太陽の周りを回っている惑星の軌道までも計算可能だ。このとき物体は“点”として捉えられている。
ところが、電子や原子のように物質が極限まで小さくなると、目に見えるものの世界とはまったく異なるふるまいをする。それが「量子」といわれる世界だ。量子の世界では、物体は“粒子”でありながら“波”の性質も持ち、波の状態にあるときは空間に広がっている。
そのような量子の性質を利用した「量子コンピュータ」は、従来のコンピュータが0か1かの二進法で演算するのに対して、0と1を同時に扱う「重ね合わせ状態」という複数の状態を「量子もつれ状態」として持つことができる。そのしくみを利用することで演算速度が劇的に早くなることがあるため、産業界をはじめとしたさまざまな分野で大きな期待が寄せられ、世界では盛んに研究開発が進められている。
「1と0のデジタル信号を処理するIC(集積回路)がどんどん小型化し、スマートフォンという小さなマシンでさまざまな機能が実現できるようになりました。そうやって小型化、高速化を突き詰めていった結果、辿り着く形の一つが量子コンピュータです。しかし、現時点では多くの課題があり、まだ十分な演算能力を発揮できていません」と棚本哲史教授は語る。
トランジスタの微細化
コンピュータに搭載されるトランジスタの微細化が進み、もはやこれ以上小さくできないというところまで達したため、さらに小さな量子の世界に踏み入ることになった
カギとなるのは「量子ビット」
どのタイプが一番集積化に向いているか
まだ研究開発の段階にある量子コンピュータだが、この10年ほどで進展が見られ、IBMやGoogleなどで実験的ではあるが実用化に至る例も出てきている。カナダのD-Waveが開発した量子コンピュータは特定の最適化問題を解くことに強く、すでに販売が開始されている。
本格的な実用化に向けては、量子計算の最小単位である「量子ビット」をどれだけ集積できるかにかかっている。量子コンピュータは0と1の重ね合わせ状態と量子もつれ状態を用いて計算を行うことで、従来のコンピュータをはるかに超える演算能力を発揮する、というのが理屈だ。
量子コンピュータとは?
従来のコンピュータは0と1で演算処理を行うが、量子は0と1を重ね合わせた状態で存在するので、量子もつれ状態を利用して高速計算になる場合がある。
しかし、量子コンピュータは波の性質があるが故にノイズに弱い。現在、有力視されている超伝導量子コンピュータは絶対温度零度(-273℃)に近い極低温環境で作動させることでノイズの干渉を減らすことができるが、従来のコンピュータと同じ基板上で接続して使えない。また、集積技術の問題もあって、十分な量子ビット数に至っていない。
もしも実用化できたとしても、どんな計算でも高速でできるわけではない。量子コンピュータには大きく分けて、量子ゲート型とアニーリング型という2種類があり、それぞれに得意分野がある。量子ゲート型は検察アルゴリズムなどを高速化することを得意としており、アニーリング型は交通渋滞や新薬の候補タンパク質探索、従業員のシフト作成などといった組み合わせ最適化問題を得意とする。
「主に実用化されているのはアニーリング型です。例えば、材料開発では膨大な量におよぶ素材や加工法などの組み合わせを一つひとつ試すことになり、昔は、最終的には経験と勘でなんとか乗り切っていたことが多かったのではないかと思います。量子アニーリングはそのように大量の組合せがある問題に対して、最適な解を短時間で導き出すことができる場合があります。実際に、量子コンピュータとAIを組み合わせて、リチウム含有率を大幅に削減した新しいバッテリーを開発するための技術の絞り込みに成功した事例も海外では報告されています」
歴史が古くノウハウが蓄積された
半導体を使うことで社会実装に近づく
棚本教授が研究対象としているのは、半導体をベースとした量子コンピュータだ。
「微小な半導体素子に1個の電子を閉じ込めて、電子スピンを量子ビットとして使うのが半導体量子コンピュータです。もっとも重要な量子ビットの集積化という点において、多くの集積技術を持っている半導体はかなり有利だといえるでしょう。原理的には狭い空間に量子ビットを並べれば多ビット化できます」
電子スピン
電子にはスピン(向き)があり、スピンを量子情報として使うこともできる
棚本教授の研究の特徴は、従来の半導体のシリコンテクノロジーをできるだけそのまま使おうとしているところにある。量子コンピュータのために半導体工場を新たに作ろうとすれば、数百億から1兆円以上のコストがかかるであろうが、既存の製造工程を利用すればそのコストをかなり減らすことができる。熟練の技術者やノウハウ、開発に関するソフトウエアが充実していることも、量子コンピュータ開発をするうえで大きなメリットになる。こうした視点は、電機メーカーの研究開発部門に長年勤務してきた経験を持つ棚本教授が特に大切にしていることだ。
研究では、半導体を使った量子コンピュータの実現を目指して、仕組みを理論的に考え、回路設計を行い、シミュレーションを繰り返している。実用化において大変重要なセキュリティ技術も重要な研究テーマの1つだ。
「現在は、3次元構造を作り上げることにチャレンジしています。最先端のトランジスタのトレンドである3次元構造を量子コンピュータにも取り入れることで多ビット化しようというもので、3次元化できれば演算能力を高めて、さまざまな機能を付加できるようになります。そうなったときのノイズを防ぐ精密な回路設計を練っているところです」
理学と工学の両方向から
未来を見据えた研究開発を進める
量子コンピュータの実現のためには、量子力学や情報科学だけでなく、基礎的な物理の知識や半導体などの工学的知識など、幅広い知識が学際的に混ざり合うことが重要だと話す棚本教授。
「すでに各分野から専門家が集まった国内プロジェクトがいくつも立ち上がっていますが、私のように学際的に混じりあった領域の研究をしている方は少ない印象です。また、学生にとっては量子力学は難しい学問だと思うので、はじめに量子力学や量子コンピュータを身近に感じてもらえるような話題を提供して、少しずつ量子コンピュータに興味を抱いてもらえるよう意識しています。その上で、楽しく学び、研究してくれることが理想です」
ここから先は、コンピュータ上のシミュレーションを行いつつ、企業と共同研究を進めるなど、より具体的な開発を進めることになる。半導体を使って新しい仕組みを開拓することにやりがいを感じているという。
「すでにその兆しは見えていますが、量子コンピュータが実現したら、おそらくどこかのデータセンターに量子コンピュータが導入されてAIと協調することになるでしょう。そうして学習速度が格段に速くなり、とても賢いAIができると思います。ただし、そこに量子コンピュータがあると、一般の人たちに気づかれることはないはずです。新しいスマホを買ったり、アプリのアップデートをした人は『すごく速くなった』『すごい機能が追加された』といったことで驚くかもしれませんが、そんな風にすっと生活の中に入り込んでくるのだと思います」
世界的な開発競争がさらに激しくなっていく中で、物理学と工学の両面からアプローチする棚本教授の研究が強みを発揮できれば、量子コンピュータの社会実装に貢献することになる。そうすれば、量子コンピュータが日常の中にある未来は、思いの外すぐに訪れるのではないだろうか。
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