薬学部卒業後から神経科学に携わり
ドレブリンの研究がライフワークに
――関野先生のこれまでのご研究を含め、略歴をご紹介ください。
関野 1980年に東京大学薬学部を卒業したあと、東京女子医科大学で脳の研究を始め、細胞外アデノシンによるシナプス可塑性の制御機構の検討で1991年に医学博士号を取得しました。その後、国立生理学研究所で開始した海馬CA2領域の研究成果により、1993年に国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の独創的個人研究に採択されました。さらに1996年から、神経科学/神経薬理学の権威でおられる群馬大学の白尾智明先生のもとで、脳におけるシナプス可塑性に関与するドレブリンと呼ばれる蛋白質の研究に携わりました。白尾先生は、この蛋白質を発見された方です。ドレブリンは認知症の診断と治療に新たな道をひらく脳内タンパク質であり、この研究は私のライフワークになっています。
――脳や神経の研究をずっと続けられているわけですね。
関野 はい。2005年に東京大学医科学研究所に准教授として異動したあとも、扁桃体神経回路の研究をしていました。そうした中、薬学部の出身者として基礎研究に長年携わってきたことが評価され、2010年に国立医薬品食品衛生研究所の薬理部長に招かれ、ヒトiPS細胞の創薬応用プロジェクトを統括しました。それ以降も、政府の食品安全委員会専門委員、米国の環境保健科学研究所(HESI)の理事などを経験し、2021年からは厚生労働省の薬事関係の部会で部会長を務めています。
――国の施策にも携わられるようになると、ご研究にも変化がありますか。
関野 大学では研究に明け暮れているので、その成果を社会に実装する仕組みはわかりません。そういう意味では、国のプロジェクトに参加することで、自分の研究を産学連携やスタートアップにつなげるための方法などを学べます。そうした経験をもとに、現在は東京大学のヒト細胞創薬学寄付講座の特任教授として、産学官のさまざまな団体にご支援いただきながら研究を続けています。特にドレブリンの研究では、本日久しぶりにお会いできたエッペンドルフの大山さんに多大なお力添えをいただいています。
蛍光標識したドレブリンを
FemtoJet®で神経細胞に注入
――大山さんとは長いお付き合いとお聞きしていますが、出会いのきっかけを教えてください。
関野 米国ニューヨーク州ロングアイランドに、コールド・スプリング・ハーバー研究所という生物学・医学の最先端研究の拠点があります。大山さんとはそこで開かれたイメージング技術のセミナーでお会いしました。私にとっては初めての海外出張でしたので心細く、英語のストレスもあって身の縮まる思いでした。そのとき、大山さんが現地駐在の日本人の方の家に連れて行ってくださり、一緒におにぎりとお味噌汁をごちそうになりました。異国で受けた思いがけないご厚意に、涙が出るほど感激したことを今も覚えています。
大山 そんなこともありましたね。それで日本に帰国してから、関野先生がおられる群馬大学にお邪魔して、FemtoJet®という弊社の電子マイクロインジェクターが先生のご研究に活用できるのではないかとお話ししたのですが、覚えておいでですか。
関野 もちろんですよ。私はあのセミナーのあと、神経細胞を薄い密度で播種する低密度培養という手法を米国の別の研究所で学び、それを日本で初めて群馬大学に導入しました。神経細胞の樹状突起にはスパインと呼ばれるトゲ状の構造があるのですが、先にお話ししたドレブリンはここに集積します。大山さんに提供していただいたエッペンドルフのFemtoJet®を用い、蛍光標識したドレブリンを神経細胞に注入すると、ドレブリンの分布がきれいに観察できました。ドレブリンが集積していく様子もビデオ撮影しましたが、ドレブリンの動きをライブイメージで捉えられたのはそのときが初めてでした。まさに、FemtoJet®がなければできなかった実験でした。
大山 イメージングの質は顕微鏡の性能や操作技術はもちろんですが、何よりも培養細胞の状態に左右されます。FemtoJet®の画期性には絶対の自信を持っていますが、関野先生が培養された神経細胞は、過去に見たことがないほど素晴らしくきれいな細胞でした。そのために、FemtoJet®の性能が最大限に生かされたのだと思います。
関野 大山さんは確かにあのとき、私たちの作った神経細胞をピカイチにきれいだと褒めてくださいましたね。この実験で、低密度培養が私たちの研究室を代表する技術として定着するとともに、ドレブリンが記憶のメカニズムに直結する極めて重要な蛋白質であることがわかりました。
認知症の診断と治療の糸口を見つけ
協力を得た研究者や企業に恩返ししたい
――関野先生のライフワークといわれるドレブリンの研究は、その後どのように進展しているのでしょうか。
関野 現在は、認知症の原因はアミロイド・ベータ(以下、Aβ)の蓄積にあり、Aβを除去することが治療につながると考えられています。しかし、Aβの蓄積が記憶障害につながるメカニズムについては解明されていません。実はAβが蓄積するモデルマウスの実験で、Aβが増えてくるとドレブリンが減っていくことを私たちは確認しています。またFemtoJet®を用いた先の実験では、ドレブリンが減少すると樹状突起スパインの構造が細くなり、弱体化することもわかりました。それらのことから、ドレブリンは神経細胞の構造を作る蛋白質と推察されます。認知症の方は、普段していることは普通にできますが、新しいことを覚えられなくなるのが初期症状です。そうした少し前の記憶がなくなる原因が、神経細胞の構造の不安定化にあるとの仮説を、私たちは立てています。そこで次は、減少するドレブリンがどこに行くのか、脳脊髄に出ているのか、血液中に排出されているのか、それを解明するための研究を今行っています。ドレブリンが認知症のバイオマーカーになれば診断に応用できますし、ドレブリンを増やす物質を特定できれば治療薬につながります。私は新たな取り組みとして、群馬大学でお世話になった白尾先生が立ち上げた産学連携のスタートアップと共同研究を開始しています。ドレブリンにフォーカスした創薬を実現し、これまで協力してくださった研究者やエッペンドルフなどの企業の方々に恩返しをしたいと考えています。
エッペンドルフの製品は
KAIZENの繰り返しで完成する
――先生のご研究ではエッペンドルフの製品が重要な役割を果たしたとのことですが、その過程で感じられたことなどお聞かせください。
関野 基礎研究では、小さなものでは細胞培養のためのさまざまな実験用品の品質や使いやすさ、大きなものではイメージングやスクリーングの装置の精度などが重要になります。たとえば、プラスチック製のピペットチップやコニカルチューブなどの消耗品には、プラスチックの主原料や添加剤の毒性が残存していることがあるので、培養する細胞によっては使いにくい製品もあります。また、容器の溶出物のせいで細胞が弱ってしまうと正確な実験結果が得られないこともあります。その点で、エッペンドルフのプラスチック製品は溶出物が非常に少ないと伺っているので、安心して使っています。
大山 購入直後のプラスチック製品は、ふたを開けると何か臭うことがあると思います。あれは溶出物の臭いです。たとえばホットケーキを焼くときに油を引くように、プラスチックを成形するときは金型から外しやすいように何らかの化合物を使用します。そうした化合物には毒性があるものが多く、培養する細胞に悪影響を与えるリスクがあります。そこで、弊社のさまざまなプラスチック製品には溶出物を最小限に留める工夫をしています。製品の検査は一般的に同じ企業内で行いますが、弊社の製品はすべて第三者機関による検査を受けています。精度、安全性、信頼性のいずれも、常に最高水準にあると自負しています。
関野 品質だけでなく、製品そのものの使いやすさも感じています。96穴のマイクロプレートを例にすれば、アルファベットが縦に8つ、数字が横に12あるため、非常に読みにくいことがあります。エッペンドルフの製品は白地に黒で印字されているのでとても読みやすいですね。そのほか、こぼれにくく、重ねても滑り落ちにくいシャーレ※なども、実験の経験が浅い若手の研究者には大きな助けになっています。
大山 弊社ではカスタマーフォーカス、つまりお客さまの使い勝手を最優先に考えています。ドイツの工場を訪問すると、必ずKAIZENという言葉が掲示されています。それは日本語の「改善」です。製品は、改善することで完成に近づいていくという考え方です。この姿勢を最も大切にしていることが、エッペンドルフの強みだと思います。
※現在は販売を終了しています。
人の暮らしをサポートする研究を
できる限りサポートしていきたい
――最後に、エッペンドルフがどのような理念で研究者をサポートされているのか教えてください。
大山 エッペンドルフの理念は、Improving Human Living Conditions(IHLC)、すなわち「人の暮らしをサポートする」企業であることです。たとえば、関野先生たちが研究されている認知症は、高齢化社会が拡大する中でだれもが気にかけている、あるいは自分自身や自分の身内の悩みとして抱えている難題だと思います。まさに弊社の理念に合致する研究テーマですので、今後もしっかりサポートさせていただきます。
関野 エッペンドルフからいただいている助成金は、使途の枠組みが柔軟に設定されているので、幅広く研究に活用でき助かっています。
大山 関野先生と米国で初めてお会いしたとき、「日本の研究者の多くは同じ方向を向いて研究している。米国の研究者は、リスクはあってもだれもしない研究に挑戦する。日本の研究者もそうあってほしい」とおっしゃっていました。未知の領域に勇気をもって踏み込んでいただけるように、支援体制のさらなる拡充を図っていきたいと思います。
関野 私は今研究者としての再出発と考えていますので、今後もエッペンドルフのサポートに期待しています。