きっかけはコロナ禍
必要な情報をより早く提供したい
「サイエンスの限界に挑み、患者さんの人生を変える医薬品を届ける」をパーパスに掲げるアストラゼネカ。世界125カ国に医療用医薬品を届ける、研究開発型のバイオ医薬品企業である。
患者様への貢献を第一に考え、サイエンスの限界に挑戦する企業風土は、数々の革新的医療用医薬品を生み出している。事業領域として、「オンコロジー(がん治療薬)」「循環器・腎・代謝疾患」「呼吸器・免疫疾患」「ワクチン・免疫療法」に展開し、積極的な投資で研究開発を進めている。さらには、早期診断による治療など、患者様が病と向き合う過程「ペイシェントジャーニー」に対し、それぞれの医療課題解決に向け取り組んでいる。「患者様中心の医療を実現するためには、医療用医薬品を届けるだけでなく、患者様のおかれている病気への理解や環境など、様々な課題と向き合っていく必要があると考えています」。こう話すのはアストラゼネカの日本法人でチーフインフォメーション&デジタルオフィサーを務めるハーシュ ガンディ氏だ。

アストラゼネカ株式会社
チーフインフォメーション&デジタルオフィサー
ハーシュ ガンディ氏
アストラゼネカは以前からデジタル活用を推進しているが、その重要性を再認識させたのが新型コロナウイルスによるパンデミックだったという。
「有効な治療法や医薬品情報を医師に届けるのは私たちの務めです。その際にデジタルテクノロジーを活用すれば、情報提供のスピードや正確性がアップします。それが患者さんの早期診断と適切な治療にもつながります。未曾有の事態に直面し、私たちはその大切さを痛感しました」とガンディ氏は振り返る。この教訓から、2022年に「エンタープライズ検索エンジン」の改善プロジェクトを立ち上げた。
イントラネットには各国が多言語で作成する膨大な情報が蓄積されている。学術論文や臨床データなどの医療文書だけでなく、ファイナンスや営業・マーケティング情報など種類も幅広い。その情報はグローバル共通の「エンタープライズ検索エンジン」で検索可能だが、日本語では検索結果が空白になったり、関係ない検索結果が返ってくることがあった。「日本語はコンテクスト(文脈や背景)に大きく依存する言語。言葉そのものだけでなく、コンテクストに沿って、その裏側にある意味まで理解しないと、正しく解釈できないからです」とガンディ氏は説明する。
この課題解決のために採用したのが、AWSの「Amazon Kendra(機械学習を活用したエンタープライズ検索サービス)」である。アストラゼネカ日本法人のITプロジェクトチームとAWSの米国技術チームが連携し、一部の機能をカスタマイズして日本語のコンテクストを理解した検索ができるようにした。
イントラネットに情報をアップロードしてから検索結果として表示されるまで、以前は48時間以上かかっていたが、導入後はそれが2秒~5秒程度と劇的に短縮された。すぐに最新バージョンの文書がヒットするため、検索結果のミスマッチが激減。日本語の認識能力も大幅に向上したことで、正しい情報にたどり着ける時間が55%から60%も短縮できたという。
本システムの適用領域は社内のイントラネットの情報検索に限られる。プロンプトやそのアウトプット情報が外部に出ることはない。いわゆるエンタープライズAIとして活用しているわけだ。
「製薬会社である当社が扱う情報は非常にセンシティブで、各種のガイドラインに沿った適切な管理と運用が求められます。検索の利便性を高めるだけでなく、コンプライアンスとガバナンスの徹底が不可欠。日本語対応能力が向上したことで、この2つを両立する仕組みを実現できました」とガンディ氏は話す。
情報のバリューアップを目指し、
生成AIの活用も推進
顕在化していた課題の一部は、今回克服できたが、同社は新たなイノベーションにもチャレンジしている。それが生成AIの活用である。「生成AIを活用することで、より高度な使い方が可能になると考えました」とガンディ氏は狙いを語る。
例えば、あるキーワードやトピックで検索しても、それが含まれるドキュメントは1つとは限らない。膨大な数のドキュメントがリストアップされたら、ユーザーがそれを一つひとつ確認し、内容を理解しなければならない。「生成AIを使えば、該当する文書を生成AIが読み込んで、その内容を要約することも可能です。Excelの中に記載されているテキスト情報なども読み込んでくれるので、一つひとつ文書を開いて中身をチェックしなくても、ポイントを押さえることができます」とガンディ氏は続ける。
生成AIもクローズドなエンタープライズAIとして利用していく。その実行基盤の1つにはAWSクラウドを採用し、Amazon Bedrock(AWSの生成AIサービス)やChatGPTなど複数の生成AIを使い分けている(図1)。
図1 アストラゼネカにおける生成AI基盤イメージ

生成AIの導入は小規模実装ではあるものの、特定の部門では既に業務利用を開始している。その1つが、MRのメール作成業務だ。顧客へのメール作成に生成AIを活用している。「これにより、メール作成の時間を30%削減できました。しかも人が作成したメールより、生成AIでつくったものの方が、メールの開封率は10%から12%も高かったのです」とガンディ氏は話す。
営業やマーケティング部門でも活用が進んでいる。医学系論文などの医療文書は専門性が高く、サイエンスや法令、ガイドラインなどの知識が求められる。営業やマーケティング部門は新しく開発される疾患領域や、最新のテクノロジーについて、最新の論文を読み解き、知識をアップデートしていくことが求められる。「最新の医療の知識を学ぶことは、簡単なことではありません。生成AIを使うことで、文書の読み解きや要約が大幅にスピードアップしました」(ガンディ氏)。
生成AIを活用することで、社員の生産性向上を実現し、同時に提供する情報の正確性とスピードも大幅に向上したわけだ。単なる効率化にとどまらない、大きな価値を生み出すことに成功している(図2)。
図2 生成AI活用による成果
コンテンツの作成スピードは30%向上し、マーケティング部門における文書の要約作業にかかる時間も80%削減。医師向けに提供する医療・医薬品情報は、人がまとめたものより、生成AIで整理したものの方が、開封率が最大12%も高い
文書の要約や
コンテンツ作成などによる成果
このように既に様々な成果を上げつつあるが、同社はさらなる高みを目指している。重点施策と位置付けるのが、ハルシネーション(誤った応答)の軽減だ。生成AIといえどもその精度は100%ではなく、問い合わせに対して誤った情報を返すこともある。アウトプットの正確性はかなり上がってきているが、それでもまだハルシネーションのリスクが残っているという。それをいかに100%に近づけるか挑戦が目下の課題だ。
「ハルシネーションのリスクはありますが、人が作業した場合でもヒューマンエラーのリスクはあります。重要なのはAIとの向き合い方です。そこでハルシネーションをゼロに近づけるシステム的な改善アプローチとともに、リスクを前提にその穴を埋める対策も推進しています」とガンディ氏は説明する。
リスク軽減の取り組みとしては、生成AIのアウトプットにリファレンスを付与することを考えているという。ソースドキュメントは何で、どの個所を参照したかを分かるようにし、人によるチェックプロセスをルール化するわけだ。「そのためにチェックスキルの向上を支援していく。プロンプトの設定によってアウトプットも変わってくるため、そのためのトレーニングも必要でしょう」とガンディ氏は語る。学習データをクレンジングし、正しい形式でAIにデータを提供する。運用基盤にはデータセキュリティーを考慮した信頼性・安定性の高いプラットフォームを使う。こうした視点も重要になる。
「生成AIを使うこと自体は決して難しいことではありません。大切なことは、誰もが安心してビジネスシーンで使えるようにすること。これは当社だけの問題ではなく、業界に対する大きなチャレンジです。これからも『責任あるAI』をブラッシュアップするため、ハルシネーションの軽減とユーザーの“学び”に継続的に取り組んでいきます」とガンディ氏は前を向く。
将来的には生成AIを組織の隅々まで利用できるようにする。「学習を重ね、ユーザーのスキルも高めていけば、定型的な文書なら生成AIが作成することが可能でしょう。ファイナンスの情報もダッシュボードで確認するのではなく、チャットボットに判断や予測・分析を聞く。そんな使い方も考えています」とガンディ氏は展望を述べる。
「私たちは 新しいやり方に挑戦します」。これはアストラゼネカが掲げる企業バリューの1つである。今後も同社はこの方針に基づいて新たなイノベーションを推進し、患者の健康と医療の発展に大きく貢献していく考えだ。

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