アフリカ
──すべての始まりは、偶然の出会いから
塩はこんなに大切なものなのか──。片平氏が、最初にそう気付いたのは、1970年1月、西アフリカの国マリだった。地理や地学、地球科学に関心を持つ彼が、サハラ砂漠を撮影するため同国を移動する中でたどり着いたニジェール川のほとりに、塩を運ぶキャラバンがいた。30頭近いラクダの背には板状の岩塩が積まれ、片平氏は彼らがどのような旅をするのか、塩はどのように大地から姿を現すのかなど、産地への思いが募ったという。その2年後に、約700キロにわたり、西アフリカ・ニジェールの塩キャラバンの旅に同行する機会を得た。
太古には海だった北アフリカのサハラ砂漠には、塩の生産地が点在する。砂漠のただ中にあるニジェールのビルマ村では塩害で作物が育たないため、塩を作り、キャラバンが運ぶ生活必需品と物々交換する。片平氏は塩キャラバンが、そこから約700キロ離れた西の町・アガデスに移動する行程を共にした。止まるとラクダが座り込んでしまうため、朝から夜中まで休むことなく移動が続く。携帯できる水の量は限られ、井戸から次の井戸まで最短の日程で進まなければならない。途中、力尽きたラクダは死んでいく。町にもたらされるのは、命の重みを持つ塩なのだ。
片平氏はアフリカに幾度となく渡り、現場を訪れた。エチオピアもその一つ。ケニアと国境を接するサバンナに暮らすボラナ族の採塩場「チュベット」(塩の家の意味)があるのだ。黒い塩の池で、底の泥に塩のほか、様々なミネラルが含まれ、命の糧となっている。
戦闘機のような小型機で撮影した石灰の塔
さらに驚く光景が、東アフリカの大地を3000キロにわたり切り裂く大地溝帯。プレートの裂け目が南北に走る地帯である。「プレートの境界は普通、海の底にあって見えないのですが、ここではそれが地表にあり、大地が裂けて陥没している。地殻が薄く、地中の物質が噴出し表面に現れる。その中に塩も含まれるのです」(高梨氏)
大地溝帯のうちエチオピアとジブチの国境に位置するアッベ湖を写した片平氏の作品には、夕日を背景に、石灰が堆積することでできたトラバーチン(石灰華)が、塔のように並ぶ。辺りを薄っすら白く塩が覆うが、片平氏は上空からこの作品を撮影した。「撮影のために飛行機をチャーターしたら、飛行場にあったのは戦闘機のような小型機だった。国境付近を飛ぶため、セスナのような遅い飛行機では撃ち落とされると言われこれに乗り、急旋回したときに捉えた風景だそうです」(高梨氏)。彼の「塩の旅」は、目的のためなら危険地帯にも赴く旅であった。
採掘場から命がけの
塩キャラバンの旅へ
2003年、片平氏は念願の旅を実現する。1970年の出合いから30年以上の間、外国人が立ち入れなかったタウデニの岩塩採掘場を訪れ、ここを起点とし、終点のマリの古都トンブクトゥまで塩キャラバンと共に750キロ余りの道を進んだのだ。自らも塩を積んだラクダに乗って進む、過酷な旅だった。
採掘場は、干上がった太古の塩湖の底だ。数百年前から変わらない手掘りの採掘で、ツルハシで大地を掘り下げる。塩の板になる岩塩層が現れるのは3層目だが、1層目にたどり着くまでに1カ月以上かかると片平氏は記録する。3層目からはぎ取った原石は外側の不純物を削り落とし、純度の高い中央部のみが塩の板になる。これらの塩の板は、かつて、塩の取れない地域では金と交換されるほど高価だった。今も現地では貨幣の役割を持つという。
タウデニからトンブクトゥへは、砂漠をひたすら南に向かう行程となる。日中は真正面にある太陽に向かって、毎日13時間、1日50キロ余りを移動したという。目線ぎりぎりまでずり下げたターバンが唯一の「日陰」だ。この命をかけた塩キャラバンは、ニジェールのキャラバンと共に今も続いている。