TOEIC® Programと私 英語を学び、自由に話せたからこそ出会えた人が、仕事がある

自ら英語を学ぶ人もいれば、生活していく上で英語を使う環境の人もいる。フリーアナウンサーの新井麻希さんは、父親の転勤で2度の海外移住を経験した。そんな状況の中、「話したい」という情熱から英語をモノにし、自信とキャリアを獲得した高い志の持ち主でもある。英語を学んだことで広がる仕事や人生の可能性について、新井さんに伺った。

自ら英語を学ぶ人もいれば、生活していく上で英語を使う環境の人もいる。フリーアナウンサーの新井麻希さんは、父親の転勤で2度の海外移住を経験した。そんな状況の中、「話したい」という情熱から英語をモノにし、自信とキャリアを獲得した高い志の持ち主でもある。英語を学んだことで広がる仕事や人生の可能性について、新井さんに伺った。

――お父様の転勤で3歳から7歳までをオーストラリアで過ごされています。英語にはすぐになじめましたか。

小さかったので、英語だとか日本語だとか意識せずにふつうに話していましたね。例えば、「緑」であっても「green」であっても示す色は同じなので、自分の中では同列の単語。どちらの言語ありきではなく、自然に2通りの言い方を覚えていったんだと思います。むしろ、お弁当のおにぎりを珍しがられたり、それまで当たり前だと思っていたものがそうじゃないんだというカルチャーショックの方が大きかったですね。

――小学校時代を日本で過ごしたあと、今度はニューヨークへ。

また海外に行けるのがうれしかったですね。日本の小学校は楽しかったんですが、英語はきれいさっぱり忘れてしまって、ESL(English as a Second Language=現地の語学学校)で一から勉強をやり直しました。子供の頃に体で覚えたことをもう一度思い出しながら理論的、体系的に学ぶことができたので、今思えばこのときの学習経験がのちのTOEIC® Listening and Reading Test(略称TOEIC® L&R)受験に役立ったのかもしれません。

――言葉を学び直しながらの学校生活で苦労されたことは?

英語で行われる授業についていけないのがもどかしかったです。また、アメリカの学校は選択授業ごとに教室を移動するため、クラスで休み時間を過ごすという習慣がなく、友人づくりにも苦労しました。でも問題が言葉にあるのなら、勉強すればいい。英語を学びたい、話したいという意欲は人一倍あったので、下手な英語でも自分から話しかけたり、分からなければ何度も聞き返したりしていました。黙っていては何も伝わらないから、とにかく思ったことは口に出して言う。それを心がけているうちに、いつの間にかよく話す性格になっていました(笑)。

英語で広がる仕事や出会いのチャンス

――アナウンサーになる夢はその頃から?

声を使って放送の仕事がしたいという思いはありました。そのきっかけとなったのが、高校時代に担当していた校内放送。アメリカはスポーツが盛んで、私は毎シーズンの試合予定やその結果を英語で全校に伝えていたんです。マイクの前で話すことも楽しいけれど、何より聞いてくれた人のリアクションがうれしかった。また私自身も中学からずっとサッカーをやっていたんですが、大学で日本に戻ってきたら、女子がサッカーで活躍できる場がほとんどないんですよね。日本の女子サッカーの競技人口を増やすためにも、放送の世界を通じてスポーツの魅力を伝えたいと考え、最終的にアナウンサー希望で就職に挑みました。

――英語が話せることは、就職でも有利に働きましたか。

スポーツアナウンサー志望だったので、12球団を英語で説明したことは面白いと思ってもらえたかもしれませんが、英語力が決め手ではないと思います。アナウンサーは傾向的に帰国子女が多いんですが、それは英語スキルそのものよりも、英語圏で暮らしてきた人特有のパーソナリティーによるところが大きいと思います。でもいざ仕事を始めてみると、英語が話せてよかったと思える場面はたくさんありましたね。

――例えば、どんなときにそれを実感されていますか。

分かりやすいところで言うと、海外のスポーツ選手や俳優、企業トップにも自分の言葉でじかにインタビューできるということ。トッププロゴルファーが来日したときは、通訳兼リポーターとして一緒にラウンドを回ったこともあります。また、スポーツ取材の現場でも、監督の指示をダイレクトに聞き取ってリポートに生かすこともできる。どれも英語が話せたからこそできた仕事であり、会えた人たち。その出会いに感謝するたびに、英語を学ぶことは仕事のチャンスや可能性を広げることにつながるんだなと実感しています。

1 2 NEXT