山田京さん、50代、女性
職業:事務系会社員(人事)
勤務先:ロック・フィールド(お惣菜製造販売業、正社員・契約社員1520名、パートタイマー8000名)
健康保険:外食産業が加入する健康保険組合(診断時。パート社員になって以降は、被扶養家族として夫の健康保険に加入)

直腸がん、多発肺転移(ステージⅣ)
ストーマ手術を受けるが、がんは手をつけられず。2週間のインターバルで抗がん剤を継続投与し、報告時は80回。一時、放射線治療も実施

・抗がん剤治療と仕事を両立させるため正社員からパート社員に雇用形態を変更。

・ストレスが大きくかかる仕事(管理的業務)、体に負担がかかる出張はしない。

残された時間で、やりたいことをやりたい

これまで4つの会社で、計30年ほど人事の業務をやってきた。いまの会社には2001年に転職。5年前から腸の不調があり、内視鏡検査を受けたが、異常は発見されず。不調のために自分から管理職を降りた。1年半後、腸閉塞の疑いで緊急入院し、直腸がんと多発肺転移が見つかった。即日ストーマ手術を受けたが、腫瘍は手が付けられなかった。翌月から抗がん剤治療に入り、現在まで続いている。手術の日から10か月ほど休職し、翌年の1月から治療しながらパート社員として復職。週2日、1日4時間勤務している。

抗がん剤は標準治療で、2週間おき。病院で3時間ほど点滴した後、自宅でインフューザーポンプで46時間点滴を続けて、終わったら自分で針を抜く。3日間は完全にダウンして、4、5日目から動き出す。そのあとは、かなり元気に生活ができる。

3年ほど点滴治療をしたが、薬の耐性が出てきたため、1年前には放射線治療をした。そのときは、朝の8時半頃に病院に行き、20分後には治療を終えて会社に行く生活を30日間した。今年に入ってからは飲み薬の抗がん剤に変わったが、副作用の手足症候群で、手が赤く腫れ切れて血が出たりして、生活上はむしろ大変だった。いまは、もう少し楽な薬で治療を続けている。

現在、直腸の腫瘍の影響で左の腎臓が機能を停止し、右の腎臓1個のみが働いている。両肺には20個ほど腫瘍がある。ときどき微熱がでたりするほかは、ほぼ自覚症状はない。ストーマは特に行動の制限はないが、お手洗いに行きにくいところでは動きづらく、以前好きだった山歩きやマラソンはできなくなった。それ以外は食事の制限などはなく、普通に生活できる。

「早く帰って来てください」という言葉に、戻りたい気持ちがつのった

自分はずっと仕事をするんだと意気込んできたため、退職は考えなかった。会社も理解してくれた。人事スタッフには、病名を知らせた。手術から3週間後に私物整理で出社したときに、担当役員に「私は必ず戻る」と決意を書いた手紙を送った。しばらくして、人事のメンバー全員の写真とメッセージが届き、「もうとにかく早く帰って来てください」という言葉が胸にささり、戻りたい気持ちがつのった。

大腸がんステージⅣの平均余命が16か月、5年生存率が13%と聞いて、もうダメかと思ったが、4か月目くらいに治療が軌道にのってきて、戻れるかもしれないと思った。そこで、自腹で神戸本社に行き、職場の仲間に元気な顔を見せた。この時点で、抗がん剤治療をしながらの生活が続くのだと腹をくくり、「残された時間でやりたいことをやりたい。そのためには早く職場に戻りたい」と思った。

傷病手当金は1年半もらえるが、全部はもらわず早く戻ることを選んだ。

復職までに何回も面談を受けて、自分の価値観を整理できた。おかげで仕事への執着心を少し手放せた。会社からは複数の条件提示があった。永久ストーマとして身体障害者手帳を取得し、年間約90万円の障害厚生年金をもらえるので、パート社員で夫の扶養の範囲内で働くことにした。障害者としての扶養の限度額年収は、180万円。実質的な収入があまり変わらないのなら、自分の時間が多い方を選択しようと考えた。

採用教育業務をやってきたので、専門性を活かしたポジションで働くことにした。ストレスを避けるために、出張はせず、夜の宴会は出ない。主治医に「何をしてもいい」と太鼓判を押してもらって、非常に自信になった。

出勤日は、副作用の軽い日を自分で選んで決めて、前月中に提出している。緊急連絡先を上司に伝え、職場には病院の連絡先も伝えている。

患者会で合唱と出会った

何もすることがないと、ずっとがんと向き合うことになるので精神的につらいと思う。治療と調和をしながら、やりたいことをやりたい。以前は仕事中心だったが、患者会で合唱と出会った。いまのプライオリティは、治療、仕事、患者会と合唱の順だが、実際には合唱に費やす時間がいちばん長い。昨年は、障害者団体の合唱団と共にニューヨークのカーネギーホールで第九を歌った。抗がん剤治療をしながらでも、「やった!」と思えることができて、自信を持てた。また、病気になってから産業カウンセラーの資格を取り、いまもカウンセリングの勉強を続けている。職場の仲間、患者会の仲間、家族の支えがあって、明るく生活できている自分がいると思う。

人事として休職者の対応をしてきたが、がんによる休職者の過半数が職場復帰している。超労働集約産業なので、戻れる人は戻って欲しい。産業医には非常に積極的に活動していただいている。疾病で休職や就業制限が必要な従業員は産業医の面談をした上で、会社が社員の処遇を決める。休職者対応では、本人の意思が一番だ。

がん患者が働き続けるためには、本人の説明能力は重要だ。がんについて勉強しないと、自分の病状を客観的に説明できない。抽象的なコミュニケーションではなく、「リンパ節をとって、重いものは持てない」など、具体的な説明が必要だ。また、不調の際にフォローしてもらうには、職場の理解が大切だ。だから出勤の際は、同僚に自分から声をかけ、いまの状況をこまめに伝えるようにしている。

・復職までに何度も面談をしたことで、自分の価値観を整理できた。

・正社員からパート社員に雇用形態を変更することで、治療を継続しながら復職できた。

・これまでの専門能力を活かす形のポジションで復職した。

他の事例にも共通しますが、状況が決してあなどれないとわかったとき、「自分はどうしたいか」をじっくり考えるのは本当に大切です。山田さんの場合、会社に対して仕事を続ける意思をはじめに明確に示し、それに人事が応え、復職までに何度も面談が持たれました。会社とご自身の双方が納得できる働き方ができているのは、山田さんの病状把握や説明力の賜物でしょう。加えて、人事畑を歩んでこられただけに、ご自身がその状況で会社にどう貢献できるかを冷静に見極める視点もあったものと思います。「仕事への執着を少し手放す」「専門性を活かしたポジションで働く」・・これらの言葉は、働くことは決してイチゼロではないことを教えてくれます。

雇用形態の変更、傷病手当金、障害年金

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