櫛田さん(仮名)、40代、男性
職業:技術系会社員
勤務先:製造業及び化学品商社(事業所20名、全社60名)
健康保険:東京薬業健康保険組合

直腸がん、罹患時ステージⅠ、再発時ステージⅣ
直腸全摘手術後、約5年で多発肺転移(切除不能)、前立腺・精嚢・膀胱近傍再発。2週間のインターバルで抗がん剤治療を20か月継続中。

・罹患時は、手術前後に上長・職場のメンバーにがんの状況、合併症の状況(便漏れを含めて)をできるだけ正確に伝えることで、必要なサポートを得ると同時に必要以上に心配させないように心がけた。

・再就職先では、排泄障害のみ上長及び経営陣に伝え、長期出張等の業務からはずしてもらった。

・再発・抗がん剤治療開始時に、事業所全員が集まった席で、抗がん剤治療をすること、治療スケジュール、起こりそうな副作用とそれらによる業務への影響の予想などを伝えた。

・治療開始後は、経営陣に治療経過を定期的に伝え、がん治療の面と仕事の面からできることとできないことを話し合いながら、仕事の内容を微調整していった。

・できるだけ定時に仕事を終えて、早めに就寝し、体に負担をかけないようにした。

「後悔しないように働ききってくれ」と言われた

櫛田さんは、現在、東京に妻を残して松阪に単身赴任中だ。仕事は、製造技術開発と事務所運営業務を担当している。製造技術開発は、20代で経験し、離れるのがつらかった大好きな仕事だが、転職して再びできるようになった。肩書きは副部長で、治療や副作用の影響を考えて、部長への昇進打診を断っている。仕事のペースは、以前から自分で決められる状況だった。

直腸がんの再発後、20か月にわたり抗がん剤治療を続けて来た。生存期間の中央値が20か月ということで、20か月の業務計画を立てたのが、ちょうど先日終わったところだ。主治医と相談して、次は6か月単位で仕事を組み立てていくつもりだ。

抗がん剤は2週間のインターバルで行っている。月曜日に点滴を開始して、リザーバーで3日間持続点滴をする。最初の点滴の日に半日休暇を取り、それ以外は休まない。祝祭日で自宅にいたときにはとてもつらくて、働いている方がはるかに楽だと感じている。点滴の翌週に血液検査等で通院が必要だが、出勤・退勤時間を1時間半前にずらして対応している。

点滴をした週の木曜、金曜は頭が働かなくて、デスクワークがつらくなる。点滴の翌日と翌々日には強い吐き気があるが、吐き気止めがよく効く。身体はきついのに元気そうに見えるので、周囲に現在の状況を伝えていくようにしている。

がんに罹患後、転職

2007年に直腸がん(ステージI)が見つかり、翌年に手術で直腸を全摘した。手術後から、排泄障害(頻便、漏便)の後遺症が続いている。当時は東京の大企業に勤めていたが、手術直後にリストラがあった。1回目の転職はうまくいかなくて、2010年4月にいまの会社に再転職し、松阪で単身赴任を始めた。そのため三重大学病院に転院し、経過観察を継続してきた。

転職時には会社には排泄障害を伝えなかったが、業務に大きな支障はなかった。その後、トイレ事情が悪い地域への長期海外出張が度々入る可能性がでたため、会社にがんの既往歴と排便障害を打ち明けた。オーナーの会長から「ハンディを持っている人のほうがいい仕事ができる」とはげまされ、海外出張からは、はずしてもらった。

2012年10月にマーカーが上昇し、肺小結節膨大が見られたため、三重大病院で「再発で抗がん剤治療が必要」と言われた。最初に手術をした国立がん研究センター東病院では、当初「再発ではないのでは」と言われたが、最終的には2013年4月に多発肺転移(切除不能)、前立腺・精嚢・膀胱近傍再発との診断を受けた。

診断が確定せずにいらだっていたときに、三重大の医師から暖かい対応があり、「自分の病気だから自分がやらねば」と、治療に前向きになれた。また、それまでの対応を通じて、三重大病院の医師もがんセンター東病院の医師も、謙虚で信用できると思った。

再発で死が現実のものになり、それが家族を傷つけてしまうことに自分も傷ついたりと、眠れない日が続いた。不安を打ち消すために仕事に打ち込んだことが、働きたい気持ちにつながっていった。通院で治療可能とわかり、会長に相談したところ、自分が心臓病で死にかけた体験を語り、「後悔しないように働ききってくれ」と言ってもらった。この言葉は、櫛田さんの生きる方向性を決めた。また、会長には「別れの悲しみは味わいつくせ」とも言われた。櫛田さんは、悲しみが深いほど、その人と一緒に過ごした時間の重さや深さになるということだと考えている。

自分らしい生き方をするにはどうするか

どう働くか、自分らしい生き方をするにはどうするかをいろいろと検討して、東京では主治医が変わること、通勤時間の長さ、松阪での仕事は大好きであることなどを考えて、松阪での単身赴任を続ける決意をした。家族はとても大切だが、「同居」=「一緒の時間を過ごす」ことではないと判断した。

実際にはいろいろ悩んで決めたので後付けになるが、プライオリティ(優先順位)として、第一に治療、次に家族、その次が仕事と考えた。一番大事なのは家族だが、自分らしく生きるには、治療は重要。そのためには、いままでの仕事中心の生活を変えようと決めた。

治療が第一なのでまずは治療日を決めて、それにあわせて寝る時間を早め、定時に退社する。できるだけ家族と過ごすために、再発前は1、2か月に1度くらいだった東京への帰宅を月に2回にして、2か月に1度は妻に松阪に来てもらう。また、妻とは毎日電話で話をする。そして、空いている時間で、できるだけ充実した仕事をする。

中小企業の経営陣は非常に身近な存在なので、しっかりコミュニケーションを取れた。医学的な情報は、関係者全員にメールでいっせいに送信し、自分が働きたい気持ちや、これができるというアピールは、1対1で口頭で伝えた。同僚には、病歴や症状、治療予定、副作用について、パワーポイントを使って説明した。無用な心配はいらないものの、必要な心配はしてほしいと考えた。

誰でも人生には限りがあり、残り時間をある程度示されるのは、逆に幸せなのかなと思うようになった。『死後のプロデュース』(金子稚子著)という本の「もし大切な人が死んでも、その人との関係性は、死んだ後まで続く」という言葉に支えられるようになった。

経済的には、単身赴任の二重生活で、ぎりぎりの状態だ。健康保険組合で高額療養費の付加給付があり、医療費が月に2万5千円(2015年 6月時点では3万5千円に増額)までしかかからないことは、とても助かっている。後に残す妻への心配は、終活として、いろいろな手続きをリストアップしてみたところ、かなり不安が減った。

医療関係者、妻、親友、上司らの支えが、自分らしく働きながら治療することにつながった。制度だけではなく、気持ちのつながりが大切だと思う。

・転職時には伝えなかったがん罹患告知や後遺症について、業務に支障がでるとわかった時点で会社に伝えた。

・治療に関わる医療情報などを経営陣や同僚に詳しく伝えた。伝える内容によって、伝え方を工夫した。

・自分らしく生きるためにはどうするか、プライオリティを考えた。

仕事が大好きだという櫛田さん。
発病、リストラによる転職、再転職、再発、その後の仕事の進め方・・・。それぞれの場面で熟慮と試行錯誤を繰り返し、与えられた条件の中で可能な限りの工夫をしてこられたことが強く伝わりました。プライオリティ(優先順位)を変えたとのことですが、結果的に、治療・ご家族との暮らし・仕事という3要素が最大限の調和に至っているように感じました。予後が厳しいとわかったときに「いかに自分らしく生きるか」。これは、がんに限らないことです。「働く」という行為を通して、櫛田さんの生き方そのもののお話を伺った時間でした。

勤務時間の組み替え、社内への情報開示、転職時の情報開示、プライオリティ

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