上田直子さん、40代、女性
職業:事務系団体職員(海外へのボランティア派遣管理)
勤務先:独立行政法人国際協力機構(開発途上国支援、常勤職員数1845名)
健康保険:経済産業関係法人健康保険組合

1990年8月、24歳で悪性リンパ腫が発見され、約10ヶ月の化学療法の後、1991年6月に残存病変摘出外科手術を受ける。以後、再発はなく24年間経過観察中。

・自分の状態を明解に周囲、上司、人事に知らせたことで、不在時・復帰時などにこまやかな対応を受けることができた。

・さまざまな意味で健康を取り戻したと考えられるまでは、出張、残業などを可能な限り控えて、自分の体調第一で過ごすよう心がけた。

・職場内での患者会立ち上げ、ホスピスでのボランティアなどを行うことを通して、他者を支える努力をすることで、自分自身も力づけられた。

ひとりひとりを大事にするのが仕事という職場

 上田さんは、24歳のときに職場の健康診断で肺に影が見つかった。当初は結核が疑われたが精密検査の結果、悪性の非ホジキンリンパ腫と判明。国立がんセンター(現・国立がん研究センター)で治療を受けた。

 それまではとても健康で、自分ががんになるとは夢にも思っていなかった。東京に住み、要精密検査の指示を受けすぐに最高の医療機関を受診できたことは、とても運がよかったと思う。

 90年8月、生検の翌週に両親と一緒に告知を受けた。そのとき医師が、上田さんの肩に手を置いて「希望はあります」と励ましてくれたおかげで、その後、病と闘えた。ただ、当時は若かったので、病気の深刻さをなかなか実感できなかった。化学療法で髪が抜けるときいて、それだけが悲しかった記憶がある。

 上田さんは1988年から独立行政法人国際協力機構(JICA)に勤め始めて、発病時は就業3年目だった。

 病気のことを職場にどう伝えるかは、まったく悩まなかった。告知の翌日に出勤して、ごく自然に悪性リンパ腫になったと上司や人事、周囲の人に伝えた。病名が聞き慣れないため「それは何ですか」と聞かれたが、「血液のがんだそうです、どうせなら白血病のほうが美人っぽくてよかったです」と冗談を言ったりした。

 病院で治療スケジュールについて詳しい説明を受けたので、それを元に職場でどのくらい休むという説明ができた。

 抗がん剤治療が始まると、がんはみるみる縮小したが、副作用として、猛烈な嘔吐、倦怠感、脱毛、むくみなどに見舞われた。肝機能や心肺機能が低下し、白血球数が激減して、免疫力が低下した。90年末から91年初めには、免疫力の低下による肺炎で命の危険にさらされた。

 最終的には5月に治療が終わり、6月に残存病変摘出外科手術を受けた。

 その後、定期検査を受けながら、4、5年の間は、何か異変があると「再発かもしれない」と不安になったが、元来の楽観的な性格もあり、幸い再発はなく、時が経過し、私生活でも仕事上でも変化があって、しだいに不安は薄れていった。

細やかな配慮をしてもらえて、仕事で苦労した記憶はない

 治療中、抗がん剤治療のスケジュールに合わせて、何日か休んでは出勤して、また何日か休んでという繰り返しだった。朝に近所のクリニックで血液検査をしてそのまま出勤したら、「白血球数がとても低いので、すぐ帰って来なさい」と呼び戻されたこともある。

 3日間コンスタントに投薬を続けることがあり、そのときは前後2週間ほど入院した。副作用で91年の年明けに肺炎を起こしたあとと、6月の手術の前後は、しばらくまとめて入院した。

 休暇は、有給休暇と病気休暇を使った。「欠勤扱いになってもかまいません」と言ったが、ぎりぎりで欠勤にはならなかったと思う。

 若かったのでそれほど重大な職務はまかされていなかったが、若手なりに責任がある担当業務はあった。休むときは当時の直接の上司がほとんど代行してくれて、出勤すると、仕事の状況をていねいに説明してくれた。負担にならないようにサポートしつつ、仕事を取り上げたりはせずに「早く戻っておいで」というメッセージを常に出していてくれた。いま自分が部下を持つ身になって、それがどれほど大変だったか痛感する。当時の上司には感謝してもしきれない。

 JICAは、開発途上国への支援を一元的に行う組織だ。職員は日常的に海外出張があり、新卒で入職すると定年までに3回くらいは海外赴任がある。赴任先のほとんどは途上国だ。

 上田さんは、手術が終わった直後は、出張も残業も少ない職場に異動させてもらった。肝機能が回復したと自信が戻るまでには数年かかり、海外出張時には必要な抗マラリア薬を服用してよいのか悩んだりした。

 幸い、最初に異常が発見されたときから、同じ産業医に25年間相談に乗ってもらっている。女性医師なので、女性ならではの悩みも相談できて、とても助かっている。

 JICAで仕事をしていく上で海外赴任は必要だったが、途上国は医療事情が悪い上に、暑かったり食事が違ったりして、ストレスが大きい。上田さんは、復帰数年後に、先進国のフランスに赴任させてもらった。先進国の拠点はきわめて少なく、特別な配慮だったと感謝している。

 がんセンターで紹介状を書いてもらって、赴任中はフランスの病院で検査を受けられた。日本人医師もいる病院で、とても安心だった。

 それ以降は、特に仕事への影響はなく、病気のために、仕事でとても苦労したという記憶はない。とても運が良かったと思う。

 25年間勤務を続けて、現在は青年海外協力隊事務局のアジア・大洋州課課長として、約30カ国のボランティア派遣を担当している。他に職種別の担当があり、保健医療職種を担当している。

 仕事の現場である途上国では、簡単に予防できる病気で命を落とす人々を目の当たりにする。自分ひとりがこれまで受けてきた医療資源が、途上国の子どもたちの命の何人分にあたるのかと考えると、胸が痛む。

現在は、勤務地限定の制度がある

 当時は制度があまり整っていなかったが、とても細やかな配慮をしてもらったと思う。全体の職員数が少なく、また、がん患者がさらに少なかったので、様々な工夫をしてもらえたのだろう。

 いまは、時差出勤、勤務地限定などの制度がある。

 勤務地限定は、年に1回申告して、妥当な理由があると認められれば、勤務地を選択できる。病気のほか、育児、介護、自己研鑽などでも認められる。理由に応じて、給料の減額幅が大きくなることがあるが、勤務地限定(転勤免除)を希望できる。

 JICAではボランティアやコンサルタント、専門家の方々を開発途上国に派遣しているが、これらの方々は業務と期間を定めた契約に基づくものであるため、常勤職員とは制度が異なっている。

 また、最近は組織も大きくなり、病気だけではなく、育児や介護など制約のある働き方をせざるを得ない職員が増えているので、1人1人に同じような細やかな配慮をするのは、難しくなってきているかもしれない。

 上田さんが細やかな配慮を受けられたのは、職場の風土もあると思う。JICAは人の命のために仕事をする組織だ。営利追求ではなく、ひとりひとりを大事にするのが仕事だから、病気になった人は要らないといった発想はない。また、JICAでは、自主独立の気概があり、自分の考えをはっきり主張する人が多いように感じる。そういう人たちが集まっているので、病気になった人への対処は、他の組織とは違うかもしれない。

少しでもいいから、お返しをしたい

 上田さんは病気をするまではとても健康で、本当に恵まれていたと思う。同時に、キャンサーギフトという言葉があるが、がんになったことも大切な贈り物だと思っている。

 病気のときにお世話になった分を、少しでもいいからほかの人にお返ししたい。そう考えていたとき、がんで闘病中の上司、山下良恵さんに、「がん患者のために職場のサポートグループを作りたい」と声をかけられて、一も二もなく参加した。もうひとり白血病を患っていた職員と共に、3人で2010年に「JICA癌罹患経験職員の会」(通称:がんともかい)を立ちあげた。上田さんともうひとりの職員が世話役となった。ずっとお世話になってきた産業医にも賛同を得た。

 がんとも会は、まずは自分たちの経験を話し合いシェアすることから始めた。会員名簿を作って罹患経験の情報を共有し、連絡したいときには各自で声をかけあって、話をしたり、メールでやりとりをする。たったそれだけの、ゆるやかな集まりだ。

 誰ががんにかかったかは個人情報なので、人事からは教えてはもらえない。ただ、人事部が発行する福利厚生に関する社内向けニュースレター「ふくふく◎」に、「がんともかい」の紹介や、自分たちのがん体験を掲載してもらったところ、「実は私もがんです」と声がかかるようになった。

 産業医からもがん患者を勧誘していただけるかもという期待があったが、会の趣旨にはとても賛同だが、新たな会員を勧誘するのはとても難しいという。がんに罹って大変な人の目には、元気で活躍している人がどう映るかわからない。相手が落ち込んでいるときには言えないし、調子がよいと来なくなるので、切り出すタイミングが難しいとのこと。確かに、それはやむを得ないだろう。

 山下さんはとても聡明な人で、がん患者のための職場環境整備など、いろいろな構想があったようだ。彼女はそれを果たせないまま、2年前に亡くなった。でも、彼女が始めた「がんともかい」は、ゆるやかながら、いまも続いている。

 「今後、会をどう続けていっていいかわからない」と会員にこぼしたところ、メンバーの女性から「会の性格から、あまり大々的に宣伝して勧誘するものではない。かといって静かにしていすぎると気付かれない。兼ね合いが難しいですね」という返事をもらった。本当にその通りだと思う。ゆるやかでも、ゆるやかなりにつながりがあり、続いている。それがいちばん大切なことかもしれない。

 現在、会員は7名で、さらに数名が入会の意思表示をしてくれている。いまは上田さんともうふたりが世話役をしており、2015年10月には、再び「ふくふく」に紹介が掲載されたため、また新たな連絡や参加希望がありそうだ。

 がん患者の集まりは外部にもあるが、JICAは開発途上国と日常的に行き来するという、外部の人には理解しにくい事情がある職場だ。そんな中で、職場仲間で情報を共有することは、意義がある。自分たちは医療者ではないし、ピアカウンセリングとまではいかないが、話をするだけでも少し気が楽になったり、同じ職場で元気そうにしているのを見守るだけでも、続けて行けたらいいなと思う。

・治療スケジュールの説明を詳しく受けたことが、職場への説明に役立った。

・制度があまり整っていなかった当時でも、細やかな配慮があったので苦労なく仕事を続けられた。

・組織内のがん体験者の集まりは、特殊な職場で情報を共有し、理解し合うのに役立っている。

25年前に20代前半で診断を受けた上田さん。当時は若年がん経験者のネットワークも少なかったので、情報収集や仲間づくりは今より大変だったはずです。にもかかわらず、不思議なほど自然体でがんと向き合ってこられた印象を受けます。
おそらく、主治医からの詳細な情報提供、それに基づいて職場対応を検討した産業医や職場関係者の技量、そして周囲の納得と支援を引き出す上田さん自身の説明力が総合的に功を奏したのではないでしょうか。
社内患者会の存在は、JICAのような社外の人が理解しにくい業務を担う方には、大きな助けになったことでしょう。貴重な人材を途上国に派遣する人事にとっても、留意点が明らかになれば対応のノウハウを蓄積できます。このような業務特有のノウハウを様々な業種ごとに共有できれば、本人と会社の双方が助かりますね。

社内への情報開示、業務内容変更、産業医、勤務地制限、企業風土、職場内患者会

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