木田泰史さん、30代、男性
職業: 会社員(営業職)
勤務先:SCSK株式会社(ITサービス業、連結従業員数約12000名)
健康保険:一企業運営の健康保険組合 (SCSK健康保険組合)

2006年10月に血痰、背中痛が発生。2007年6月に28歳で肺腺がんステージ4で、多発脳転移、多発リンパ節転移、心嚢水貯留、胸水貯留と診断される。手術は不能で、ガンマナイフ、心嚢ドレナージ(40日間)、抗がん剤(パクリタキセル+カルボプラチン)により治療。その後、2015年までに、転移、原発増大等により7回のガンマナイフ治療、パクリタキセル単剤、イレッサ、アリムタ+カルボプラチン、アリムタ単剤、ドセタキセル、タルセバ、治験薬A、治験薬Bと変更しながらの抗がん剤治療を実施。2014年8月には両脈絡膜転移のため眼窩への放射線治療、2015年5月には胆管炎発症のため胆管ステント留置などの治療を行う。

・自分を特別視せず普段通り周囲と接するようにした。

・通院等で稼働時間が少なくなる分、仕事の生産性を向上させ、パフォーマンスを低下させないようにした。

仕事を続けたいという意思を、はっきりと周囲に伝えた

 木田さんは、2007年6月、28歳のときに肺腺がんと診断された。2006年10月頃から不調を感じていたものの、なかなか診断が確定せず、6月に肺腺がんステージ4と診断されたときには、多発脳転移、多発リンパ節転移で、肺、リンパ節、心嚢に水がたまり、呼吸をほとんどできない状態だった。

 診断は国立がん研究センター中央病院で受けたが、一刻も早い心嚢ドレナージ治療が必要で、紹介を受けたNTT東日本関東病院に転院。抗がん剤(パクリタキセル+カルボプラチン)4クール、ガンマナイフ、心嚢ドレナージ(40日間)の治療を受け、終了後は経過観察となった。7月に退院後は両親と共に実家で自宅療養し、仕事はあわせて4か月半休業した。

 2007年10月より職場復帰し、その後は働きながら治療を続けた。

 2007年12月、2008年1月、3月、12月、2009年12月、2010年9月、2014年3月に脳転移再発によるガンマナイフ治療。

 2008年3月には抗がん剤(パクリタキセル単剤)治療を再開して17クール実施。2009年5月に原発増大のため、パクリタキセルを中止してイレッサ連日服用開始。2010年9月に頸部リンパ節多発転移、肺炎併発のためイレッサを中止し、アリムタ+カルボプラチンを3クール実施。11月にアナフィラキシーショックを起こしてカルボプラチンを中止し、アリムタ単剤で40クール実施。2013年12月に原発増大のため、アリムタを中止してドセタキセル2クール実施。2014年2月にはドセタキセルが無効のため中止し、タルセバ連日服用を開始。3月に治験参加のため国立がん研究センター中央病院に転院。治療開始前の検査で、両脈絡膜転移、多発骨転移、肝転移、膵転移等が発覚し、タルセバを中止。

 2014年8月に眼窩への放射線治療を実施し、治験Aを実施。幸い脈絡膜転移は消失した。

 2015年5月に閉塞性黄疸に伴う胆管炎を発症し、胆管ステント留置。治験Aを中止し、治験Bに移行した。

 これまで2014年8月に治験に伴い入院するまで、抗がん剤治療は外来で続けて来た。

ネガティブな気持ちは1週間で切り替える

 木田さんは、新卒でITサービス業の株式会社CSKに入社して、金融機関向けの営業職として働いてきた。CSKは2011年10月に住商情報システム(SCS)と合併してSCSKとなり、木田さんもSCSKの社員となった。

 木田さんには、仕事を続けたいという思いが強い。仕事を続けることで人の役に立てる喜びがある。それに、外で身体を動かして、いろいろな人と出会うほうが、自宅で療養しているよりも気持ちがまぎれて、がん治療にもいいと思うからだ。そこで、その意思を医療機関、勤務先、家族などにしっかり伝えて、協力を得るよう努めてきた。

 治療を長期間継続できているのは、ひとつには、切迫した状況にも関わらず余命宣告を受けなかったからだと思う。もし「あと3か月」などと言われたら、例えそれが過ぎても「ああ、半年も長生きできた」という考えにとらわれてしまっただろう。また、当時の主治医からの「インターネットなどで病気について調べないように」というアドバイスを守ったのもよかったと思う。ネット情報は、玉石混淆だ。ある程度経験を積んだ患者ならともかく、病気になりたてのときには、どの情報が正しいのかはわからない。

 木田さんは、がんは自分で治すものだという思いがある。医療スタッフのサポートを受けるが、最終的に治すのは自分だ。だから、それ以外の周囲からの情報流入は、極力シャットアウトした。それは、裏返すと主治医をはじめ、自分を支えてくれている人たちを信頼しているということだ。信頼できる主治医と出会えたこと、また長期間主治医が変らなかったことは、とても恵まれていた。

 長期間継続できているもうひとつの理由は、例え病勢が悪化しても、ネガティブな気持ちは1週間で切り替えて、次に進むようにしたことだ。落ち込んでいても、何も変らない。事実は事実として受け止めて、冷静に次は何をするか考えることが、大事だと思う。

重要な仕事や個人的な予定にあわせて、治療スケジュールを調整

 木田さんは、自分の意思をはっきりと伝えることにこだわった。そのため、主治医には、仕事を続けながら治療をしたいこと、だから化学療法では効果が見込まれることは当然として、副作用が仕事に支障ないくらいのものを優先したいこと、治療は外来で受けたいことなどをしっかりと説明した。

 抗がん剤治療では、点滴にかかる時間や投与間隔を詳しく聞いて、投与や体調悪化で、いつどのくらい休む必要があるかを考えた。また、副作用によるリスクを自分で調べ、納得がいくまで説明を受けた。その上で仕事の予定や個人的な予定とすりあわせ、重要なイベントが投与日や体調悪化日と重ならないように、主治医と話し合って治療スケジュールを調整した。

 副作用については、個別に対応していった。

 木田さんは営業職なので、外見をそれなりに気にする必要がある。タルセバで皮疹がでたときには、毎日クリームを塗るのがおっくうで減薬したが、幸い効果が減らずに継続できた。

 吐き気は制吐剤、末梢神経のしびれは身体を温める、味覚異常は亜鉛サプリを服用するなどして、対応した。下痢は下痢止めを使ってもコントロールが難しかったが、勤務中は緊張しているせいか、不思議に症状が軽減された。また、鎮痛剤のオキシコドンで眠気を発したときは、勤務に影響しない夜間限定で使用することにした。勤務中は痛みを感じづらいため、それで問題なかった。

 副作用でいちばん問題だったのは、脱毛だった。頭髪はウィッグでごまかせたが、眉毛は毎朝描く必要がある。眉毛を描いたことなどなかったので、うまく描けずに苦労した。

 おそらく放射線か抗がん剤治療の副作用と思われるが、治療開始後5年目くらいから、言いたいことがすぐに言葉として出てこないことが多くなった。以前に比べて文章の作成が苦手になり、ストレスを感じることがある。これは解決策を見いだせないが、半ば開き直って気にしないようにしている。

 あまり周囲の目を気にせずにマイペースを通す性格が、治療と就業の両立に役立っているかもしれない。

自分にできない部分は、割り切って人にまかせる

 勤務先は2011年に合併し、いまは豊洲本社に通勤している。ここにはオフィス内に健康相談室があり、医師、看護師、保健師などの医療スタッフが常駐している。がんに関わる話は、職場でも家庭でも話しづらいが、健康相談室では、医療関係者を相手に気楽に話せるので、とても助かっている。それに、体調が悪くなったときのことを考えると、心強い。

 産業医とは定期的に面談して、相談に乗ってもらう。必要に応じて産業医から就業制限の指示を出してもらっている。いまは、残業と出張が禁止の状態だ。ここ数年、SCSKは健康経営に取り組んでいて、残業をせず、有休は取得するのが当たり前の企業に変った。木田さんにとっては、より働きやすくなり、ありがたい変化だ。

 仕事は大手金融機関向けの営業で、お客さま向けの窓口としてサービスを提案したり、ニーズに合わせて社内外のコーディネートを行ったりする。仕事はチームで動いていて、木田さんがリーダー役を務めることもある。ただ、チームなので、木田さんができないところは、上司、同僚がサポートしてくれる。できないところは割り切って人にまかせ、自分ができる部分や得意な部分で、パフォーマンスを上げようと考えている。

 木田さんは、がんと診断されたことを即座に職場で公表した。「手術不能で厳しい状況ですが、必ず戻ってきます」とメールを送った。復帰して以降、周囲には配慮してもらっていると思う。職場の宴会で、喫煙席と禁煙席が分けられていたのは、とてもありがたかった。

 復帰して1年くらい経った頃に、後輩社員のOJTを頼まれた。単に仕事を教えるのではなく、後輩が将来の目標にできるような先輩につけるのだという。そんな大切な仕事を、将来が見えない自分が引き受けていいのかと迷ったが、「君でなければできない」と上司に言われて引き受けた。おかげで、「後輩のためにも10年、20年とがんばらないと」という気持ちにさせられた。

 キャリアのために資格を取ろうと勉強を始めたが、試験日と治療日が重なって受験できないことがあった。先が見通せないと、新規のインプットは難しい。そこで、いまは自分がこれまで蓄えてきたノウハウのアウトプットを意識している。

木田さんにまかせて支えてくれる家族に感謝

 2007年の退院当時は両親と共に暮らしたが、2008年に結婚して、住宅を購入した。妻は当初からフルタイムワーカーで、子どもはいない。いわゆるDINKSの状態なので、経済的にゆとりがあって助かっている。妻は余計なことは言わずに、治療方針などは、木田さんにまかせてくれている。自分を信頼して、必要なところはしっかり支えてくれているのが、とてもありがたい。

 生命保険と民間医療保険には、罹患前から入っていた。住宅を購入するときに、住宅金融公庫からは、団体信用生命保険に加入しなくても借りられた。しかし、万一のことを考えると、保険がないのはやはり不安だ。罹患以前に生命保険に加入していたので、安心してローンを組めた。また、がん保険からも定期的な給付があって、助かっている。

 世の中には、がんは死に直結するというイメージがある。しかし、自分のように治療を続けながら、元気に働いている人もいる。自分も病気になるまでは知らなかったのだが、世間のイメージと現実とのギャップには、苦労している。普通に働いていると「治ったんですね、おめでとう」と言われることがあり、つらい状況のときなどは、かなり落ち込むこともある。がんに対する正しい認識がもう少し世間に広まってくれればと思う。

・自分が何をしたいのかという意思をはっきりさせて、それを周囲にしっかり伝えた。

・病勢が悪いとき、事実は事実をして受け止めて、気持ちは早期に切り替えるようにした。

・仕事では、できることや得意なことをやって、できないところは人にまかせた。

・治療スケジュールを詳しく聞いて、主治医と話し合い、仕事や個人の重要な予定と重ならないように調整した。

治療のプロセスを伺って、まず、これだけ複雑な内容を理路整然と伝えられる木田さんの把握力に驚きました。自分の意思を周囲に伝え続けることにはエネルギーが必要ですが、その方向性がぶれないことにも感銘を受けました。一方、木田さんが、主治医、産業医、職場関係者ともよく相談し、その折々の条件下でもっともパフォーマンスの高い働き方を見出していたことも印象的です。特別扱いではなかったから周囲も応援できたのではないでしょうか。木田さんの働き方を、ご本人の能力と周囲の支援に恵まれた「特殊ケース」と言うのは簡単です。しかし、おそらく木田さんも周囲の方々も特別なことをしたとは思っていないでしょう。そこに、大きな希望と可能性を感じます。

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