前田留里さん、40代、女性
職業: 医療機関職員(人間ドック業務他)
勤務先:(医療法人、従業員数は関連施設を含めて約700名)
健康保険:協会けんぽ

2011年11月に乳がん(17mm、ホルモン(+)、HER2(-)、ステージI)の診断を受け、12月に手術。病理検査で増殖の速いタイプと判明し、2012年2月より抗がん剤治療(タキソテール(一般名ドセタキセル)とエンドキサン(同シクロホスファミド)を組み合わせた乳がんのTC療法を実施)、5月より放射線治療を30回実施。5月よりホルモン療法(ノルバディックス)を5年間の予定で開始したが、副作用がつらかったため2013年4月に主治医の了承の下に中止。その後、再発等はなく、定期検査を受けながら経過観察中。

・手術日を比較的時間のとれる年末にして、退院後は年末年始休暇で療養した。

・どうしても自分が対応しなければならない業務以外ははずしてもらって、自分の体調に合わせて仕事をコントロールした。

・自分が担当している仕事のマニュアルを作成し、他の職員に申し送りをした。

有益で楽しい情報を発信していきたい

 前田さんは2011年11月、38歳のときに、乳がんと診断された。幸い早期発見ということで、12月に温存手術を受けた。手術は比較的時間のとれる年末に行い10日間だけ休暇を取った。退院後は年末年始休暇で休めるようにして、年明けからは通常勤務に戻った。

 手術のみで治療終了と思っていたが、病理検査で増殖能の高いタイプと判明。2012年2月から抗がん剤治療、5月から放射線治療を受けることになった。

 前田さんは、当時高校2年と中学3年の子どもを抱えるシングルマザーで、一家の家計を支えている。今後の教育費などを考えると貯金を崩したくはなく、働き続けるしかなかった。

 あとで健康保険に傷病手当金制度があることを知ったが、治療はほぼ終わりかけていた。最終的には使わなかったが、「いざというときにはこれがある」と考えると、心強かった。最初から知っていたら、休職という選択肢もあったかもしれない。しかし、周囲には若い世代のがん経験者などがおらず、役立つ情報を教えてくれる人もいなかった。

 抗がん剤の副作用はかなりつらかったが、受け入れるしかなかった。朝に起き上がれず、寝ているしかない日が2日だけあったが、あとはなんとか乗り切った。

 身体がつらい間も、仕事の他に子どもの三者面談、保護者会、修学旅行の準備などの予定がどんどん入ってくる。病気だからといって、子ども中心の生活を変えられない。あれもしなければ、これもしなければと毎日が過ぎていくと、悩んでいる暇がなかった。

放射線治療で有給休暇を使い切る

 放射線治療は、受診先で時短勤務を勧められたが、職場では前例がないと認められず、半日休暇で対応せざるを得なかった。

 前田さんの職場では、公休が月に8、9日あり、そのうち4日ほどが日曜日など病院指定の休日になる。それ以外は比較的自由に休む日を選べるので、公休と有給休暇を半日ずつとり、治療にあてることにした。公休を半日ずつとる例はないと言われたが、他に方法がないため、頼んでとらせてもらった。

 月曜日から金曜日までは午前中出勤して、午後は放射線治療。土曜日は1日出勤する。休みが日曜1日しかない状態が6週間続き、放射線治療終了と同時に有給休暇がなくなった。その後は、診察を受けるのも公休を半日使った。連続した休みがとれないと体力が回復せず、翌年に新しく有給休暇がもらえるまでの5カ月間は、本当につらかった。

 予想外に抗がん剤治療をやることになり、気持ちも体力も休暇のやりくりも、大きな負担になった。病状、体調、治療計画には変更がつきものだと理解し、予定通りにいかない場合には、その都度職場と話し合うことが大切だと思う。

 前田さんは、業務推進室の所属で、罹患前は健康診断や人間ドックの総合的な対応、病院の総合案内窓口、外部への営業など、様々な業務を行っていた。抗がん剤治療を始めるときに、立ち仕事の総合案内業務ははずしてもらい、他の人でもできる仕事は、できるだけ他に割り振ってもらった。

 ただ、前田さんの勤める病院では、VIP向けにコンサルティング型の人間ドックを実施している。長年利用していただいてる顧客には、その人のことをよく知っている前田さんでなければ、細やかな対応が難しい。そこで、約70名の顧客は、治療中も引き続き前田さんが1人で対応した。平均して月5名ほどなので、体調がよい時期に合わせて予約を入れるなどして、乗り切った。

楽しく充実して生きたい

 放射線治療の終了後は、5年間の予定でホルモン治療を受けた。ところが、副作用でだるさ、集中力の低下、うつ傾向、ホットフラッシュ、貧血などが起こり、仕事のミスが目立つようになった。あってはいけないミスをして、さらにうつ傾向になった。

 そんな頃、他の部署の管理職が職場でぼんやりしている前田さんを見て、前田さんの上司にその話をした。それを上司から聞いて、前田さんは治療を止めようと決断した。

 主治医からは、ホルモン治療をやれば再発のリスクが10%くらい下がると説明を受けていた。しかし、仕事は続ける必要がある。また、例え人生が多少短くなったとしても、楽しく充実して生きたい。そう考えて、2013年4月に主治医の了承の下にホルモン治療を中止した。中止をしてから体調が戻るまでには9ヵ月くらいかかった。

 いま考えると、ダブルチェックをしてもらうなどの工夫をすれば、仕事のミスは防げたかもしれない。うつ傾向で判断力がにぶっていたため、性急に判断してしまった可能性はある。ただ、当時は精神腫瘍科を受診するといったことは、思いつきもしなかった。

職場では、上司を通じて情報開示

 職場には診断を受けた時点で、がんになったことを公にした。関係部署へは上司から各部署の長に報告してもらったため、手術前に長期不在の挨拶回りをしたときには、にこやかに対応してもらえた。直接伝えると驚きや戸惑いでお互い気まずいので、上司を通したのはよかったと思う。ただ、上司に正しい情報をきちんと伝えないと、間違った情報が広がってしまうので、注意が必要だ。上司は最初驚いたようだが、仕事のことよりも、真っ先に身体を気遣ってもらえたのは、とてもありがたかった。

 休む理由を内緒にすると憶測が広がるので、がんで治療することをはっきりと伝えてよかったと思う。

 顧客には、体調が悪いときには明かさず、抗がん剤治療で髪が抜けたときには、ウィッグをつけて応対した。一通りの治療が終わって体調も安定したときに、ウィッグをとってベリーショートのヘアスタイルで出勤した。そこで、「どうしたの?」と聞かれて、がん治療のことを打ち明けた。その際には、表情や化粧を明るくして、身だしなみを整えるよう心がけた。「がんの経験をしても変らない」と思ってもらいたかった。

体調の波を利用して家事をこなす

 子どもたちには、手術の予定が決まった時点で知らせた。がんを怖い病気だとは思わなかったらしく、「治るんでしょ?」とすんなり受け入れてくれた。前田さんの父親が喉頭がんを患ったが、放射線治療で完治していたのがよかったのだろう。

 抗がん剤治療を始めるときには、改めて、身体がつらくなるので、家事ができなくなることがあると説明した。「できなくてごめんね。家のことは何もしなくていいから、自分のことは自分でやってね」と話した。自分の食べるものを買ってきて食べるくらいのことはできる年齢だったので、それだけで助かった。

 子どもの担任の先生には、あらかじめ「行き届かないことがあるかもしれないがよろしく」と伝えておいたので、子どもの様子に気を配ったり、書類の提出が遅れても大目に見てもらうなど、配慮してもらえた。

 体調には波があるので、調子がよいときに食事を作り置きするなどして、調子が悪いときに備えた。掃除は行き届かなくても割り切って、体調がよいときにやればいいと考えた。また、本当につらいときには近所に住む母にも少し手伝ってもらった。

 ひとり親家庭等医療費支給制度により、医療費は全額支給を受けられた。しかし、ウィッグなど医療保険外の費用は負担になった。2016年度からは下の子が18歳を超えてひとり親家庭の対象外になるので、今後の検査や再発時の治療費を考えると不安になる。

 がん保険には入っていなかったが、全労済に加入していて、入院、手術、放射線治療で20万円くらいの支給を受けられた。

就労世代の患者会を立ちあげる

 がんになって2年くらいは、生きている間にやりたいことをやろうと思い、いろいろなことをやった。しかし、やりたいことにはきりがない。とりあえずやれることをやってしまうと、次は自分の経験を活かして人を助ける活動をしたいと思い始めた。そんなときに、国立がん研究センターの患者・市民パネルをみつけて、登録した。

 患者・市民パネルで委託状の交付式に出席し、全国のメンバーが様々ながん患者支援をしていることを知った。他のメンバーに触発されて、帰ってからは地元の京都府の活動を調べてみた。そして、患者サロンに参加したり、ピアサポーター養成講座を受けたりした。

 京都の患者サロンは高齢者が中心で、働く世代の自分が参加したいものはない。そう思っていたところ、京都府がん患者団体等連絡協議会の副会長から、「若い人のためのサロンを立ちあげませんか」と声がかかって、「そうか、自分が参加したいサロンがなければ作ればいいのだ」と思った。

 どうしたら作れるのかを考えているうちに、会合などで知り合った社会保険労務士と臨床心理士が、参加してくれることになった。また、取材で知り合った健康関連企業に場所の提供を持ちかけると、快諾してもらった。そこで、まずは3人で京都ワーキング☆サバイバー(KWS)を立ちあげた。

 KWSは、働くがん患者を応援する患者会だ。2015年9月から月1回のペースで会合を開き始めた。実際に開いてみると、悩みは本当に多様なので、同じテーマをみんなで話し合うことが難しい。どういう形で話をするかは、今後検討していきたい。

 まだ2回しか開いていないが、キャリアカウンセラーやがん看護認定看護師の参加があり、頼りになる仲間が増えてきた。いまのところは女性限定にしているが、男性の信用できる仲間を見つけて、1年後くらいには男性にも門戸を開きたいと考えている。

 患者・市民パネルに参加するまで、セミナーやピアサポートの情報は、まったく入ってこなかった。インターネットで検索すると、患者ブログや体験談ばかりがヒットする。しかし、人気があるブログは末期患者のものが多く、見ていて気分が重くなる。

 働くがん患者には、もっと情報が必要だ。前田さんは、がん患者にとって有益な情報、がんになっても楽しめること、がん患者のための楽しいイベントなど、自分が欲しかった情報をできるだけ発信していきたいと思っている。

・治療で休職する場合は、健康保険の傷病手当金制度がある。しかし、制度はあっても、情報を知らないと使えない。

・病状、体調、治療計画には変更がつきものだと理解し、予定通りにいかない場合は、その都度職場と話し合うことが大切。

・職場で情報を開示したため、休む理由を理解してもらえた。ただ、抗がん剤治療のつらさは理解してもらえたが、ホルモン治療については、理解してもらえなかった。

・家事は体調の波を利用して、できるときにできないときの準備をした。また、どうしてもできない部分は、できるときにやればよいと割り切った。

治療方針変更への対応、業務調整、情報開示と周囲への説明、そして治療も含めた暮らしの優先順位の見極め・・・。「悩んでいる暇がなかった」という前田さんですが、場面に応じて根気よく周囲に説明し、理解と対応を得ていたことが印象的です。それでも「あれを知っておけば」「あの時期は本当に辛かった」と振り返ることはあり、その経験が働くがんサバイバーに向けたいまの社会活動につながっています。がん患者のニーズは多様ですが、体験にもとづいて「自分が参加したいサロン」をつくることはきっと楽しいはず。京都発の新たな活動は、全国各地を触発する可能性も秘めていると思います。

社内への情報開示、顧客への情報開示、業務内容変更、傷病手当金、勤務時間の組み替え、就労世代の患者会、インターネット情報

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