悪性リンパ腫を治療の傍ら、自営業を継続

龍田邦彦さん、70代、男性
職業:自営業
勤務先:龍田電子工業株式会社(電子機器の設計製造販売、従業員数1名)
健康保険:国民健康保険

2008年2月、びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫※(肺原発、ステージIVb)と診断される。約4カ月間のR-CHOP療法を受けた後は経過観察となり、2013年に完全寛解。2014年秋に脳転移のため入院し、2週間間隔でメトトレキサート・ロイコボリン救援療法を6回受けて退院。その後は3カ月ごとに約1週間の入院によるメトトレキサート療法を継続。現在は、左手に若干の痺れを感じ認知機能がやや低下しているが、大きな体調不良は感じていない。

※びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL, NOS:diffuse large B-cell lymphoma, not otherwise specified):悪性リンパ腫の種類の1つで、リンパ球の中のB細胞から発生する非ホジキンリンパ腫

・顧客に不安を感じさせないために、病状をすべて開示した。

・受注中の仕事は、家族や顧客の協力を得ながら病院内で作業をするなど、完成させるように最大限の努力をした。

・抗がん剤治療中は、感染症を防止するために、なるべく外出しない、やむを得ず外出するときにはマスクを着用、手洗いを励行するなどして、気を配った。

受注した製品は、なんとしてでも完成させる必要がある

 龍田さんは、30代で独立し、電子機器の設計製造販売会社を立ちあげた。一時はパートタイマーを雇ったこともあったが、1人のほうが自由に仕事ができると判断し、長年、すべての業務をひとりでこなしてきた。得意分野はマイコンで制御する検査機器で、主力商品には、カメラの組み込みストロボの検査機器がある。工場の生産ラインで検査に使用する装置で、納品するのは一機種につき多くても10台ほどだが、カメラの機種が替わるごとに異なる装置が必要になる。検査機器がないと生産ラインが動かないため、期日通りに納品できないと影響は重大だ。

 2007年の秋頃から、趣味のテニスのときに息切れをするようになり、風邪のような症状が2カ月以上続いた。近くのクリニックを受診したところ、血液検査で異常な数値が出たため大きな病院で診てもらうようにと、埼玉医科大学総合医療センターを紹介された。すぐには診断がつかずに通院して検査を受けているうちに息が苦しくなったが、入院して酸素マスクを着けると呼吸ができて楽になった。

 急な入院だったが、仕事をひとりでやってきたので代わってもらえる人がいない。製作中の検査機器は、なんとしてでも期日通りに完成させる必要がある。幸いハード部分はできあがっていたので、先方に事情を話して、ソフトが完成しないまま、いったん発送。その後、病院にノートパソコンを持ちこんでソフトを完成させ、あとからメールで送るという対応をした。

 以前から小さな規格変更には、できるだけソフトで対処できるようにしていた。海外工場で使用する機器で急な仕様変更に対応するためだったが、それが急な入院でも役立った。

 入院してから病名が確定するまで半月もかかり、いつまで入院するかもわからないため、顧客はかなり不安になったと思う。電話とメールで連絡を取り、病状についてわかったことは、すべて開示した。

効率的に仕事をこなすための体制作りが、急な入院時にも役立った

 入院後半月経って、やっと肺原発のびまん性大細胞型B細胞性非ホジキンリンパ腫という診断が確定した。ステージIVbで、何も治療をしなければ予後2カ月と言われて、ある程度死を覚悟した。それでも、受注済みのものはなんとしてでも完成させなくてはならない。病気になったから仕事をどうしようという発想はなく、治療の合間をぬって目の前の仕事をこなしていった。

 龍田さんは、長年組み込みストロボの検査機器を手がけてきたため、効率的に制作する体制を作り上げている。装置の基本的な部分はあらかじめ作ってあるので、新たな注文が来ても、そこに手を加えるだけで完成できる。通常は1、2カ月、急ぐ場合は1週間で作ることもある。同様の機器を製作できる業者はたくさんあるが、一から作る場合には、半年くらいはかかるだろう。病気で迷惑をかけても発注が続いているのは、そういう他社にはまねのできない納品スピードなどが評価されているのだと思う。

 診断後、すぐにR-CHOP療法を開始した。治療開始から2週間後に退院し、その後は通院で治療を続けた。2週間ごとにR-CHOP療法を受け、毎日白血球減少を防ぐためのノイトロジン注射を行った。約4カ月の治療は、6月頃に終了した。

 R-CHOP療法では、通常は食欲不振や吐き気が起こるが、龍田さんの場合は手にしびれが出たほかは、ほとんど副作用が現れなかった。ただ、手のしびれは、4カ月の投与が終わったあとも、半年くらい続いた。また、白血球数が減少したため、感染を防ぐために退院後6カ月間は極力外出を避け、人とも会わないようにした。どうしても外出するときにはマスクを着用し、帰宅後には手洗い、うがいを欠かさなかった。

 そのため、その間は出張はできなかったが、仕事が来ると引き受けて、自宅で作業を行い、製品を宅配便で送った。6カ月後には白血球数が元に戻り、遠方への出張や1カ月にわたる長期出張もこなせるようになった。

 治療終了後、5年間は定期的な血液検査を継続し、5年後の2013年に完全寛解を告げられた。5年生存率が25%という病気だったので、4分の1に入れたことを喜んだ。

さまざまな形で、家族や顧客に助けてもらった

 以前から、突然の事故死などの場合でも、取り引き先への迷惑を最小限にするための方策を考えていた。仕事の内容はプロジェクトごとにファイルにまとめて、万一の場合は顧客へそれをすべて渡すようにと、家族に伝えている。それがあるので、治療中でも短期の仕事は、それほど気にせずに仕事を受注できた。

 最初の入院では、インターネット回線の確保に苦労した。当初は、娘にメールのチェックと返信を頼んだが、そのうち病院で携帯電話が使えるようになり、携帯電話のデータ通信機能を利用した。最近は、モバイルWi-Fiルーターを使えるので、入院中でもインターネットの接続には困らない。

 入院中には、さまざまな形で家族の助けを借りた。発送する部品を見つけるために、妻と携帯電話で話しながら作業所の中を探してもらい、写真をメールしてもらって確認したりした。息子にハンダ付けを手伝ってもらったこともある。

 2013年に完全寛解したものの、2014年秋に脚がもつれるなどの症状がでて、検査でははっきりしなかったが、症状と病歴から脳転移と診断された。埼玉医科大学国際医療センターに入院して、2週間間隔でメトトレキサート・ロイコボリン救援療法を開始。6回実施後に退院し、その後は3カ月ごとに約1週間入院して、メトトレキサート療法を継続している。

 メトトレキサート療法でも、副作用はとても軽くて済んでいる。治療開始後、1年くらいは手に強いしびれを感じたが、だんだんおさまってきて、現在は左手の指にやや残っている程度だ。食欲はあり、入院中には、病院の食事は常に完食している。

 ただ、メトトレキサート治療では、認知症のリスクが高くなると言われている。実際に、認知症のテストを受けると、認知力がやや落ちているようだ。打ち合わせの記録を見てもまったく覚えがなかったり、家族に記憶違いを指摘されることがあり、確かに認知機能が落ちていると思う。そこで、仕事では記録をしっかりと取り、できるだけ電話ではなくメールでやりとりをして、打ち合わせ内容を残すようにしている。

 再発時には、検査機器を仮テストのために納品したところで入院してしまったため、先方には大きな迷惑をかけてしまった。先方でのテスト結果を製品に反映させるため、今回もソフトで対応できるところはやったが、どうしてもハードを直す必要が出てきた。そこで、機器を病院に持ってきてもらって、談話室でハンダ付けなどの作業を行った。それでもうまくいかないところがあったが、幸い退院予定が決まったため、それに合わせてプロジェクトのスケジュールを調整してもらった。顧客には迷惑をかけたが、できるだけのことはやったので理解してもらえたようだ。その顧客とは現在も取り引きが続いている。

 予後2カ月と言われたことを含めて、病状はすべて顧客に開示したが、病気のために仕事が来なくなったという印象はない。やや減っている感じはあるが、以前から仕事には波があるので、病気のために減らされたのかどうかはわからない。

 ただ、顧客に迷惑をかけたくないので、長期に渡る仕事は受けないようにしている。積極的にこちらから働きかけることもしなくなった。また、再発したときのために、なるべくわかりやすく記録をとるようにしている。おそらく、顧客のほうでも長期の仕事は発注しないようにしたり、今後の他の発注先を検討したりはしているだろう。

わくわくする仕事を続けたい

 入院中はどうしても仕事量が減り、収入も減ってしまった。医療費がかなりかかったが、高額療養費制度を利用して、後日還付を受けた。生命保険のがん特約に入っていて、診断給付金を受けられたのは助かった。また、70歳になったので医療費の自己負担が減り、助かっている。

 がんになったからといって、社会から隔絶して暮らす必要はないと思う。龍田さんは、仕事を続けるほか、退院後は、週に2~4日、以前からの趣味のテニスを楽しんでいる。

 独立してから、ずっと先まで安定して仕事があるということはなかった。非常に忙しくても、1カ月先はどうなるかわからない。そんな状態が続いてきたので、あまり先のことを思い悩んだりせずに、いま目の前でできること、やらなければならないことをやってきた。それが、がんになっても変らず仕事を続けている理由かもしれない。

 以前は、仕事がたまたま途切れて時間に余裕があるときには、新しい技術の勉強にあてていた。その成果が新しい製品につながり、新しい仕事を生み出してきた。病気になってから勉強する余裕は減っているが、仕事を続けていくためには重要だ。

 あまり先のことを考えて悩みすぎないことと、将来のために備えておくことと、2本の軸のバランスをとることが、個人事業をうまくやってこれたコツかもしれない。

 電子機器をいじることが好きで、仕事をつらいと思ったことは一度もない。勉強も先のためにしておかなければというよりも、新しいものが出てくると、これで何ができるだろうと考えて、わくわくする。体調が許す限り、これからもわくわくできる仕事を続けて、社会と関わっていきたい。

龍田さんの事例から学ぶこと

・病気になる以前から実行していた、リスク回避や業務効率化のための体制作りが急な入院のときにも役立った。

・自営業者として、他者には簡単にはまねできない長所があったこと、長年の顧客との信頼関係があったことから、病気になっても仕事を引き上げられずに済んだ。

対応が難しいと言われる自営業。全作業を一人でこなし、代行を頼める同業者もいない状況での進行がんの診断は、非常に厳しかったことと思います。しかし龍田さんは、ご家族のサポート、ネットや携帯電話の活用、顧客への細やかな説明などの工夫を駆使して、仕事の継続を実現してきました。そこには、診断前からの仕事の工夫(取引先への迷惑を最小限にするための情報共有の段取りなど)が大きく役立っています。自営業者として「1カ月先はどうなるかわからない」ことを引き受けて仕事をしてきた龍田さん。「あまり先のことを考えて悩みすぎないことと、将来のために備えておくこと」というスタンスは、自営業以外の就労者にも重要な示唆を与えてくれます。

顧客への情報開示、民間医療保険

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