小児がんの後遺症を抱えながら就職し、上司、産業医のサポートにより業務を継続

岩間ゆかりさん、30代、女性
職業: 会社員(事務職)
勤務先:富士ゼロックス首都圏株式会社(従業員数654名)※
健康保険: 富士フイルムグループ健康保険組合

※所属は富士ゼロックス東京株式会社(オフィス機器販売、従業員数1500名)だが、2012年に設立された富士ゼロックス首都圏株式会社に出向中。

1988年、2歳のときにウィルムス腫瘍(腎芽腫)※と診断される。抗がん剤治療と放射線治療の合併症のため慢性腎不全となり、腹膜透析、人工透析を経験。1991年に5歳で父親から提供され生体腎臓移植。寛解し、通院と服薬を継続しながら通学、就職。2014年に27歳で慢性腎不全を再発。人工透析を経て、2016年2月に伯母から提供され2度目の生体腎臓移植。6月に復職し、現在は月1、2回の通院と免疫抑制剤の服薬を継続。長期間のステロイド剤服用によると考えられる高音域の難聴がある。身体障害者手帳1級取得。

※小児の腎臓内にできる腫瘍の約90%は、胎生期の腎芽(じんが)細胞由来の腎芽腫あるいはウィルムス腫瘍と呼ばれる悪性腫瘍で、3歳前後に多く発症する。米国では年間約500例が診断されているが、日本における発生頻度は低く、年間70〜100例程度と推測されている(「小児がん情報サービス」の腎腫瘍のページより)。

・就職活動時は、身体障害者枠での応募、学生職業総合支援センターの利用など、使える制度をフル活用した。

・就職時や再発時には、職場に事前に伝えておくべきと判断した情報は、すべて伝えた。

・復職当初はフルタイム勤務だったが、時短勤務を認めてもらい勤務を継続した。

社会に出て働けるのは、大きな喜び

 岩間さんは、2歳半のときにウィルムス腫瘍(腎芽腫)と診断された。抗がん剤治療と放射線治療を受けたが、合併症のために慢性腎不全になり、腹膜透析と人工透析を経験した。20歳までは生きられないかもしれないと言われたが、1991年、5歳のときに父から提供を受けて生体腎臓移植。その後は、月に1、2回の通院と免疫抑制剤服用のほかは、通常の生活を送れるようになった。

 小学生のとき、腸捻転で1年半学校に通えなかったが、プリントの提出などをこなして進級。学校に戻ったあとで、いじめにあい転校したものの、その後は大きな問題はなく、中学、高校へと進学できた。

 障がいがあっても働きやすいだろうと地方公務員を目指し、高校卒業後に専門学校へ進学。しかし、公務員試験の競争倍率があまりに高くなったため、一般企業への就職を目指すビジネスコースへ変更。

 専門学校は、訪問したときの温かそうな雰囲気にひかれて選択した。期待に違わず教職員はやさしく、通院で遅れた分を補習してくれるなど、柔軟な対応をしてもらえた。

 就職活動は厳しかったが、せっかく20歳まで生きられたのだから、社会に出て何かやりたいと強く感じた。障がい者枠での採用試験を利用したり、当時六本木にあった学生職業総合支援センター(新卒応援ハローワーク)や同じ建物内にあるハローワークの障がい者相談窓口を利用したり、使えるものは何でも利用して就職活動を続けた。

新卒応援ハローワーク(学生職業総合支援センター)

>>新卒応援ハローワーク(学生職業総合支援センター)

わざわざ声をかけてくれたことに、やさしさを感じた

 50社くらいにエントリーシートを送って、10社くらいの面接を受けた。身体障害者手帳1級を見せると、内部障害はわかりにくいのか「本当に病気なのですか」と言われたり、逆に「病気なのに働けるのですか」と言われたりした。「そのような重い障がいの人は採用したことがない」と断られることもあった。理解されないことに傷ついたが、他人の言葉にとらわれず、前向きに考えることにした。「チャレンジしていれば、きっと誰かが見てくれる」と信じて、就職活動を続けた。

 現在勤務する富士ゼロックス東京株式会社の就職説明会に参加したとき、受付で身体障害者手帳のコピーを提出したところ、帰り際に声をかけられた。その説明会は一般向けだったが、障がい者向けのコースがあること、給与など雇用条件は一般と同じだが、通院時の休暇取得や配属先を配慮してもらえることなどをていねいに説明してくれた。わざわざ声をかけてくれたことがうれしく、やさしさを感じた。応募すると幸い採用されて、2007年に入社した。

 入社前に人事との個別面談があり、所属部署の上司にどの程度情報を開示するか、事前に伝えてほしいことはないかなどを尋ねられた。人事の担当者に、「何かあったら相談に来てもらっていいですよ」と言ってもらえて、安心できた。

 岩間さんは、薬の副作用のため、高音域の難聴がある。会社側の配慮で、慣れるまで1年半くらいの間、電話応対から外してもらえたことは、非常にありがたかった。

 仕事は、総務部品質管理グループで、品質改善活動の広報や進捗管理などを担当している。就職説明会のときにも感じたが、職場は家庭的な雰囲気で、親しみやすい。月に1、2回の通院は、休みを取りやすいように配慮してもらえた。また、月1回健康推進センターで産業医との面談がある。入社以来同じ産業医にお世話になっているため、安心して相談できる。

 2012年に3つのグループ企業の本社機能をまとめる形で富士ゼロックス首都圏株式会社が設立され、富士ゼロックス東京から出向の形となったが、同じ職場の人たちがまとまって出向しているため、環境に大きな変化はない。

突然、慢性腎不全が再発し、頭が真っ白に

 順調に社会人として働いていたところ、2014年、27歳のときに、突然腎機能が急激に落ち、慢性腎不全が再発した。まったく予想していなかったことを定期検査でいきなり告げられて、頭の中が真っ白になった。その足で午後から出勤したものの、仕事がまったく手につかない。目の前の仕事をともかくこなしていたら、上司に「今日は何かあったの?」と声をかけられた。気に懸けてくれたのはありがたかったが、気持ちの整理がつかずきちんと話せる状態ではなかったので、「1週間くらい待ってください」と伝えて待ってもらった。

 主治医には、既往歴などから早めに再移植を考えた方がよいと勧められ、腎臓バンクに登録した。

 ある程度気持ちが落ち着いてから、上司に慢性腎不全が再発したこと、1年以内くらいに腎臓移植の可能性があること、そのときには長期間休むこと、いまは体調に波があることなどを詳しく伝えた。上司も驚いたようだったが、とりあえず仕事をどうするか尋ねられたので、抱えている仕事の一部は担当者を変えてもらうことにして、引き継ぎを打ち合わせた。

 一緒に仕事をしているチームには、週1回のグループミーティングで、慢性腎不全が再発したことを打ち明けた。岩間さんが話したあと、上司がフォローして説明し、「みんなでサポートをしてあげてください」と言ってくれた。

 腎移植が決まるまでは、体調によっては休みながらも、勤務を継続した。当初は腎不全症状を抑える薬である球形吸着炭(クレメジン)でしのいでいたが、2年くらい後には人工腎臓透析を受けるようになった。だんだん尿毒症が進み、お腹が張って倦怠感が強くなった。朝からつらくて起き上がれずに、常に横になっているような状態が続いた。

 出勤できるときに行き、体調が悪いと早退させてもらうという毎日だった。いつ出勤できなくなるかわからないため、何ごともできるだけ早めに段取りをつけるようにした。また、これまでパソコンに保存しておいた連絡事項をサーバーに保存するなど、自分がいないときでもチームメンバーにフォローしてもらえるように環境を整えた。

 移植時期がなかなか決まらないため、次第に不安やいらだちを感じるようになった。このような状態では、移植して職場復帰をしても、戻る場所がないのではとも考えた。

 入社以来顔なじみの産業医が相談に乗り、人事や病院との橋渡しをしてくれたのはありがたかった。人事からも、労政グループが間に入って、さまざまなところと橋渡しをしてくれた。

 母が腎臓の提供を申し出てくれたが、医学的条件で断念せざるを得なかった。そのとき、小さい頃からかわいがってくれた母方の伯母が提供を申し出てくれて、2016年2月に2度目の生体腎移植を受けた。

若年性がん患者団体や移植者の会で、仲間と出会えた

 岩間さんは、4年ほど前に病院でチラシを見て、若年性がん患者団体STAND UP!!の存在を知った。年齢が近い仲間がいて、お互いの悩みを聞いたり将来のことを話しあったりできるのが、とても心強い。再発時にはメンバーがお見舞いに来てくれて、大いに励まされた。

 医療スタッフと臓器移植経験者が交流する東京女子医大あけぼの会(移植者の会)にも参加している。あけぼの会は同世代の人は少ないが、勉強会で医師から移植に関する知識を得たり、医療スタッフや同じ移植体験者らと話し合って、貴重な体験談を聞いたりできる。

STAND UP!!

>>STAND UP!!のホームページ

フルタイム勤務はつらかったが、時短勤務で継続可能に

 移植のために2015年12月14日から2016年3月7日まで入院し、6月22日から復職した。9時から5時45分までのフルタイム勤務で復職するのは体力的にきついと思ったが、産業医に相談しても、岩間さんが利用できる時短勤務の制度はないという。やむなくフルタイム勤務を試してみたが、夏場の暑さがこたえて、非常につらかった。

 あまりにもつらいので、受診して医師に相談したところ、「それはやめたほうがいい」と言って、「通常の就業時間の勤務は難しいと判断する。午後3時か4時くらいまでの勤務時間が望ましい」という意見書を書いてくれた。会社に意見書を提出すると、9時から3時までの時短勤務にしてもらえた(※)。現在は、時短勤務で仕事を続けている。

※岩間さんの会社には傷病による時短勤務制度はなかったが、主治医意見書により「特例」として認められたケースである。会社に制度が整備されていない場合、もし主治医から「時短勤務が望ましい」(すなわち「フルタイムの勤務は無理」)という意見書が出ると、「労働契約で定められた勤務が不可能であるため雇用継続が困難」と会社側に判断されるリスクもある。意見書で勤務時間に言及する場合は、会社の制度や対応の幅を確認するなど、主治医も注意する必要がある(NCC高橋部長談)。

 岩間さんは、20歳まで生きられないかも知れないと言われた自分が、社会に出て働けることに大きな喜びを感じている。自分と同じように若いときにがんにかかった人たちが、みんなこの喜びを味わってほしいと願う。

岩間さんの事例から学ぶこと

・就職活動では、利用できる制度をフル活用し、チャレンジを続けたことが役立った。

・同世代のがん体験者や同じ臓器移植者との交流は、情報入手ができたり、大きな励ましになったりする。

小児がんは治療の進歩により7〜8割が治るようになってきました。その結果、就学の先にある就労が重要テーマとして浮上し、「社会に出て貢献したい」という声が多くの小児がん経験者から聞かれています。就職活動において、岩間さんは一般学生のリソースも使うとともに、障害者相談窓口も活用し、多角的に動きました。その甲斐あって入職した会社では人事の細やかな配慮もありました。その矢先の腎不全再発は非常に大きな衝撃だったと思います。社内のさまざまな部署の関係者の支援や「橋渡し」に感謝するとともに、若年がん経験者の会や臓器移植者の会の仲間からも力を得たと語る岩間さん。問題を自分だけで抱えない開かれた姿勢が、周囲からの支援を呼び込んでいるように感じました。

社内への情報開示、時短勤務、産業医、企業風土、患者会

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