乳がん治療の傍ら個人事業所を継続

瀬戸川加代さん、40代、女性
職業:自営業(行政書士事務所経営)
勤務先:行政書士瀬戸川法務事務所(従業員数1名 (本人以外))
健康保険:国民健康保険

2013年6月に乳がんと診断され、7月末に左乳房全摘出、腋窩リンパ節郭清手術を受ける。9月中旬より抗がん剤治療(3週間に1回×4クール)とトレミフェン(フェアストン)内服によるホルモン治療を開始。10月上旬に高熱を発し、約1週間の緊急入院。2014年5月から2015年10月にかけてホルモン治療にゴセレリン(ゾラデックス)の皮下注射を追加。

2016年2月に左鎖骨骨折により、左鎖骨と甲状腺脇リンパ節への転移が判明。ホルモン治療をゴセレリンからレトロゾール(フェマーラ)に変更。3月上旬に急に激痛と共に背中が動かなくなり、緊急入院。骨強化のため月1回ゾレドロン酸(ゾメタ)点滴を開始。当初原因不明だったが、後に背骨、骨盤など8カ所の多発骨転移が判明。3月中旬より放射線治療を開始(2グレイ×30回)。5月下旬から7月中旬頃まで、放射線性食道炎により固形物が食べられなくなり、体重が8kg減少。

5月下旬に放射線治療終了後、抗がん剤治療を開始(週1回×3+1週休みを12回)。8月上旬に放射線性肺炎により1カ月自宅療養。9月中旬に抗がん剤治療が終了し、現在はホルモン治療(レトロゾール)とゾレドロン酸を継続中。

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・入退院を繰り返すため隠すことはできないと判断し、顧客にがんであると公表した。外注先への委託など対応法を説明したところ、ほとんどの顧客が理解してくれた。

・仕事を休むときにも事務所を稼働させ、スタッフの対応と外注先への委託で業務が滞らないようにした。

・体重減少や脱毛で外見が変わったときも相手に不安を与えないように、元気そうに見えるメイク方法を研究した。

・「もしものときリスト」「顧客カレンダー」「今週の予定」「やることリスト」により、業務の効率化を進めると同時に、もしものときの事業継続計画を整えた。

がんは、ハンデにすぎない。抱えながら生きていくしかない

 瀬戸川さんは個人事務所を経営し、行政書士として許認可申請の代理業務をするほか、経営相談、会計記帳、税理士・司法書士など他の士業との連携や仲介といった中小企業の経営支援業務を幅広く手がけている。

 2006年に開業後、家庭の事情で2010年に転居。新しい土地では2年ほど自宅で開業していたが、2012年に仕事仲間の中小企業診断士と合同事務所を開設。パートタイマーのスタッフを雇用して、順調に業務を拡大してきた。

 ところが約半年後の2013年6月中旬に乳房に異物を感じて受診。6月末に乳がんと診断された。

 7月末に腋窩リンパ節郭清を伴う左乳房全摘出手術を受け、8月上旬に退院。1カ月ほど自宅療養をした後、9月上旬に仕事に復帰した。瀬戸川さんが休んでいる間も事務所は稼働させ、電話やメールでスタッフに指示を出し、同業者へ外注するなどして乗り切った。瀬戸川さんは、当時、行政書士会の支部役員だった。地元では行政書士同士の仲が良く、他の士業とも普段から仕事を紹介し合うなど、つながりが強かった。そのため、信頼できる仲間たちに分担して仕事を委託することができた。その後も同様に、瀬戸川さんが出勤できないときでも事務所を稼働させ、業務が滞らないようにしている。

 個人事業なので、顧客が不安を感じたら取り引きを打ち切られるかもしれない。しかし、治療で休みが増えると、とても隠しきれないだろう。そこで、すべての取引先に病気のことを公表。会える人には会って直接話し、会う機会がない人はメールで伝えた。瀬戸川さんがいないときでも、仕事を協力先に振り分けるなど対応を説明すると、ほとんどの顧客が「瀬戸川さんだから頼みたい。早く治して復帰して」と励ましてくれた。当時約50社の顧客のうち、取り引きがなくなったのは1社のみだった。

 がんを公表したおかげで、周囲が体調を気遣ってくれるようになり、無理をしなくてよくなった。みんなから励まされたことは、純粋にうれしかった。

 9月中旬より通院で抗がん剤治療(3週間に1回×4クール)とトレミフェン(フェアストン)内服によるホルモン治療を開始。仕事は、抗がん剤投与後1週間は休んで2週間働く形で継続した。10月上旬に白血球数減少のため歯茎の炎症で高熱を出し、約1週間の緊急入院をした。しかし、それ以外は何とか乗り切った。

 12月には抗がん剤治療を終了したが、ホルモン治療を継続。2014年5月から2015年10月にはトレミフェンに加えてゴセレリン(ゾラデックス)の皮下注射を追加した。

転移と副作用に苦しんだが、医師チームと周囲のサポートで乗り切る

 2016年1月に左肩に痛みを感じて2月に整形外科を受診すると、左鎖骨の骨折が判明。骨シンチグラフィー検査を受けて結果を待つ間の3月上旬に、急に激痛と共に背中を動かせなくなった。腕が上がらず箸も持てない状態になり、緊急入院。激痛の原因はよくわからなかったが、鎮痛剤の投与を受けて、痛みは数日でおさまっていった。骨シンチグラフィーの結果では背骨に異常はなかったが、その後、MRI検査で背骨・骨盤など8カ所の多発骨転移が見つかった。骨強化のため月1回ゾレドロン酸(ゾメタ)の点滴を開始。検査の結果、甲状腺脇リンパ節と左鎖骨への転移が判明し、3月中旬から放射線治療を開始(2グレイ×30回)した。4月上旬に退院。通院治療を続けながら、仕事は早めに切り上げる形で継続した。

 退院したころから放射線性食道炎による症状が出始めた。喉に違和感と痛みがあり、水を飲んでもつらい。固形物がまったく食べられず、ヨーグルトやゼリー飲料を飲んでしのいだ。また、声帯が腫れて、1週間くらいは声が出なかった。仕事の電話に出られないため、できるだけメールを使い、かかってくる電話はスタッフや母親に応対してもらった。食道炎は7月頃まで続き、体重は8kg減少した。

 副作用として放射線性食道炎は一般的だが、瀬戸川さんのような強い反応は珍しかったようだ。命に関わるがんを治すためには、強い副作用に耐えるのもやむを得ないのだろう。しかし、そのことを理解するには、かなり時間が必要だった。その後CTでは鎖骨にがんが映らなくなり、骨折は医師が驚くほどきれいに治った。大変な目にあったが、放射線治療をやった価値はあったと思う。

 放射線治療終了後、5月下旬から抗がん剤治療を開始した。週1回の投与を3回続けて1週間休みをとる形で12回投与した。仕事は週休3~4日で出勤した。

 8月上旬には、放射線性肺炎で1カ月の自宅療養を余儀なくされた。咳がひどいので同じ病院の内科を受診すると、内科医から、「すぐに入院してステロイド投与を開始しましょう」と言われた。しかし、何の準備もせずに入院してしまっては、顧客や委託先に大変な迷惑がかかる。「せめて明日からにしてください」と訴えたところ、主治医と放射線医が内科医と話し合い、そこまで重症ではないので自宅療養でよいということになった。

 骨折のときには、骨シンチグラフィーの読影医と当時の主治医がただの骨折と判断したものを、整形外科医が骨転移と見破ったことがある。複数の医師がチームで判断してくれることは重要なのだろう。また、何か疑問に思ったら、自分の考えを主張したり、別の医師に相談したりすることは大切だと思う。

 9月中旬に抗がん剤治療が終了。ホルモン治療(レトロゾール)とゾレドロン酸を継続し、現在に至っている。

元気に見えるメイクを工夫し、様々な知人の協力で動画を作成

 抗がん剤治療や放射線治療の副作用では、身体のきつさと同時に見た目の変化も悩みのタネだ。体重の激減で目元がくぼみ、人に会う度に「大丈夫ですか?」と言われるようになった。会う人に不安を与えると、仕事に影響が出るかもしれない。そこで、副作用による脱毛や体重低下があっても、元気に見えそうなメイクの方法を研究した。

 せっかくだから、同じ悩みを持つ人たちに情報を伝えたい。動画配信を思いついて知り合いの美容師やカメラマンに相談すると、たちまちプロジェクトが立ち上がり、何人もの人が無償で協力してくれた。動画「がんでもキレイに」をシリーズで作成してYouTubeで公開したところ、多くの人に見てもらうことができた。

瀬戸川さんが作成した動画のひとつ「『がんでもキレイに』 Vol.1
メイクとウィッグでおしゃれにお出かけ編」。

新たに事務所を借りて、合同事務所から独立

 再発して1、2カ月経った頃、主治医に「治りますよね」と質問したら、「うーん。長くかかると思うけどね」と言われた。治療に長くかかるということは、つまり長く生きられるということだ。それならば、仕事はこのまま続けようと考えた。

 実は再発がわかったのは、合同事務所から独立しようと準備を整えていたときだった。仲間とは仕事の方針が合わないため、合同事務所でそのままやることはできない。再発をきっかけに仕事を辞めるか、自宅事務所として続けるか、新たに事務所を借りて独立するのか。瀬戸川さんは、選択を迫られた。

 自営業をやめる場合は、債権・債務を精算し、書類を顧客に引き渡し、事務所を引き払うといった後始末が必要だ。ある程度の余裕を持ってやめないと、周囲に大きな迷惑がかかってしまう。それでも、子どもを養っていくためには、仕事を続けなければならない。治療をしながら仕事を続けるにはスタッフが必要だから、自宅事務所では難しい。それならば、新たに事務所を借りてやっていくしかない。

 主治医に「仕事を続けてもいいですよね」と相談すると、「人を雇って動いてもらうなら、大丈夫でしょう」と言ってもらえた。瀬戸川さんは決断し、新たに事務所を借りて移転した。

「もしものときリスト」を作成するなど、BCPと業務効率を改善

 BCP(事業継続計画)については以前から考えてきたが、病気になってから、より確実に実行できるように、業務体制を見直した。

 まず、瀬戸川さんに万一何かあったときの連絡先を「もしものときリスト」として作成した。もしものときに業務を引き継ぐときの連絡先として、提携する外注先や同業者の名前、担当者、電話番号などを記載して、事務所の壁に貼ってある。

 毎日の業務予定を記載した「やることリスト」は以前から作っていたが、チェックマークと名前をマークして業務日誌を兼ねることにした。業務を効率化して、スタッフの負担を減らすことを考えた。

やることリスト

「やることリスト」は毎日の業務予定を記載すると同時に業務日誌を兼ねている。

 瀬戸川さんの業務は、許認可の更新や決算時の経理作業など、決まった間隔で顧客に案内したり、準備をしたりするものが多い。年間予定の「顧客カレンダー」と1週間の業務予定を記載した「今週の予定」、それに毎日の「やることリスト」を合わせると、いま何をやらなければいけないかが見通せる。また、瀬戸川さんがいなくても、ある程度はスタッフが対応できる。

告知でパニックになった状態で、自分で情報を集めなくてはならない

 がんになると、治療のほかに、仕事のこと、お金のこと、日常生活のことなど、対処しなければならないことは多い。しかし、医師は医療の説明はしてくれるが、生活のことまでは説明してくれない。がんと告知されてパニックになった状態で、自分で情報を集めなくてはならないことには困惑した。瀬戸川さんは、多くの情報をインターネットでひとつずつ拾い上げるようにして、見つけていった。

 主に役立ったのは、同じがん患者の体験談だ。リンパ節郭清手術を受けた後、腕のひりひりした痛みに悩まされたが、医師はそれがいつまで続くのかを明確に説明してくれない。経験談が書かれた患者ブログは、大いに参考になった。

 情報収集や仲間作りで特に役立ったのは、Facebookの「話そう!乳がん breast cancer (ブレキャンコミュ)」というグループと、再発後に参加した「キャンサーペアレンツ」だ。「ブレキャン」は乳がんにかかった女性が集まるグループで、キャンサーペアレンツは子どもをもつがん患者の集まりだ。どちらもネット上で活発な情報交換があり、実際に集まって話すこともある。自分の悩みを聞いてもらったり、悩みに対してヒントをもらったり、逆にほかの人にヒントをあげたりして、不安や悩みが解決していった。

 キャンサーペアレンツの会員は家族を扶養する現役世代だ。同じような環境で抱える不安や悩みは似ているので、共感できることが多い。がん患者で親であるという以外はがん種も職業も異なるため、異なるがん種の人から貴重な情報を得たり、一種の異業種交流会として機能したりすることもある。

【役に立ったサイト】
「キャンサーペアレンツ~こどもをもつがん患者でつながろう~」
「話そう!乳がん breast cancer (ブレキャンコミュ)」

使える制度は、できるだけ活用

 がんにかかると、仕事ができなくなって収入が減るのに治療費はかかる。身体障害者手帳、傷病手当金、休業補償、障害年金など、使える制度はいろいろあるが、あまり知られていない。もし、がんと告知をするときに医師がさまざまな制度や相談窓口について書かれたチラシを1枚渡してくれれば、患者の負担がかなり減るのにと思う。

 瀬戸川さんは親族に身体障害者手帳を持つ人がいたため、ひょっとして自分も該当するのではと考え医師と相談したところ、左手の筋力低下で身体障害者手帳5級を取得することができた。5級では、所得税・住民税の控除などが受けられる。

 障害年金は、診断時に厚生年金加入者であれば3級(労働に制限がある状態)から給付があるが、瀬戸川さんは自営業者で国民年金なので2級(日常生活で制限がある状態)以上でなければ給付されない。給付を受けることは難しいと考えて、あきらめた。

 ひとり親家庭等医療費助成制度により、医療費の自己負担分には補助が受けられた。民間のがん保険や医療保険にも加入していたため給付を受けられ、以後の保険料を免除された。

 がんに限らず、病気はさまざまなものを奪っていく。それまで培ってきたスキルを活かせる場、安定した収入、家族やペットと過ごす時間など、当たり前だった日常が一変する。がんになって、瀬戸川さんは数カ月は落ち込んだ。しかし、何度か大泣きをして感情を出し切ったあとに、少しふっきれたと思う。

 がんは、育児や介護といったハンデのひとつにすぎない。急に取り去ることはできないけれども、抱えながら生きていくしかない。もちろんハンデがない方がラクだが、それでも進歩し続ける医療という分野で闘える分、まだ希望がある。それに、がん患者が増えて世間の理解が広まって来たために、これまでの「がん=死」というイメージに直結しない、自分を活かせる場を持つチャンスも増えている。

 そう思うようになってから、大掃除をしてきれいな部屋で、ほっこりお茶を飲むといった小さな幸せを、改めて感じられるようになった。幸せとは何か、それを取り戻せる方法は何か、それらをゆっくりと見つけていき、やれるところからやっていけばいい。そうすれば、新たな自分を活かせる場所や方法が見つかるかもしれない。どんなときでも、自分を大切に、幸せにしてあげようという気持ちを持っていきたいと思っている。

瀬戸川さんの事例から学ぶこと

・顧客との信頼関係があり、入院中の業務の代行者を手配するなど精一杯の対応をすることで、顧客は離れていかなかった。

・医師の説明に納得できない場合は、他の医師に相談するなどして、状況を改善できた。

・インターネットを活用して、情報交換をしたり励ましあったりできる仲間を得た。

・個人事業でも、スタッフの支援や同業者とのつながりを利用すれば、事業を継続しやすい。

次々と生じる医学的難題に立ち向かいながら、再発のタイミングで新たな事務所を立ち上げた瀬戸川さん。その決断力、そして困難なときも状況に応じた対応を見出す力に感銘を受けました。病気を公開して顧客の理解を得たこと、仕事の見える化、もしものときリスト、仕事を振り分けた自営業仲間たちの協力、その仲間のネットワークを日ごろから育てていたこと。これらは、多くの自営業者の参考になるでしょう。一方、医療機関の情報提供が課題であることも痛感します。がんは、育児や介護と同じく、抱えながら生きていくハンデのひとつにすぎないという言葉は、特にこころに残りました。

自営業、社外への情報開示、情報収集、身体障害者手帳、障害年金、外見の変化

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