白血病で離職後に求職を続け、乳がん治療の傍ら再就職

山内千晶さん、40代、女性
職業:事務員
勤務先:訪問看護ステーション→福岡県立香椎高等学校(生徒数1200名、教職員数約70名)
健康保険:福岡県医師国民健康保険組合→家族の健康保険の被扶養者

2004年1月に急性骨髄性白血病と診断され、入院。寛解導入療法により、3月に寛解。3月~6月に抗がん剤治療。6月に侵襲性アスペルギルス肺炎に罹患し、自家末梢血幹細胞移植を中止。8月退院。2006年1月に再発。骨髄バンクに登録して、自宅療養。10月に白血病細胞が爆発的に増殖して、入院。寛解導入療法により第二寛解後、通算2回の抗がん剤治療。HLA※フルマッチのドナーが見つからず、2007年3月に一座不一致移植に変更。6月に骨髄移植を受ける。9月退院。移植後3年間は免疫抑制剤を服用。2016年2月に両方の乳房にがんが見つかり、3月に手術(左はリンパ節郭清を伴う乳房全切除、右は部分切除)。2016年5月より抗がん剤治療(3種類を週1回)を開始。2016年9月から、右胸のみ放射線治療を25回受ける。終了後に抗がん剤治療を再開(3週間ごとに1種類)し、2017年8月に終了。現在は、経過観察中。治療の影響により、心臓へのダメージ、リンパ浮腫、味覚障害(軽微)、皮膚障害、全身関節痛、拘縮、ドライアイ・ドライマウス、脱毛、閉経による更年期障害などの症状がある。
※HLA ヒト白血球型抗原の略。骨髄の型にあたる。

・再就職時に、病気のことや治療計画のこと、配慮が必要なことを話すと同時に、自分ができることを具体的に説明してアピールした。

・説明が必要なことは自分からきっかけを作り、相手に「話してもいいんだ」と思ってもらえるようにした。

・患者会やボランティア活動に積極的に参加し、社会とのつながりを保つようにした。

がんでマイナスになったキャリアに、ひとつずつプラスを付け加えていった

 山内さんは、大学を卒業して養護教諭を目指したが、採用枠がなく断念。印刷会社や社会保険労務士事務所勤務を経て、医師会が運営する訪問看護ステーションで働いた。当時は介護保険の導入時期で、介護保険関係の事務手続きや相談業務を行い、仕事にやりがいを感じていた。

 ところが勤続5年になり2004年1月に、急性骨髄性白血病と診断される。直ちに入院し、寛解導入療法により寛解。薬剤を切り替えながら抗がん剤治療を行った。自家末梢血幹細胞移植を予定していたが、6月に侵襲性アスペルギルス肺炎にかかって移植中止。この時点で、復職は無理だと判断して退職した。

 いま考えると、辞める必要はなかったと思う。職場から退職勧奨はなく、直属の上司には戻ってほしいと言われていた。主治医も「働けるんだから、全然辞める必要はない」と言ってくれた。しかし、経営者が「いつまで休むかわからないと困る」などと上司に話していることを知り、職場に迷惑がかかるというプレッシャーから、退職を選んでしまった。

 8月には退院したが、主治医には移植治療をしていないので再発の可能性があると告げられた。その言葉の通り、2006年1月に再発。寛解導入療法を受けて第二寛解期に入った後、抗がん剤治療を受けた。今回は骨髄バンクに登録したが、HLAフルマッチのドナーがなかなか見つからない。翌年、一座不一致に変更してようやくドナーが見つり、2007年6月に骨髄移植を受けた。9月に退院したが、移植後3年くらいは免疫抑制剤の服用が必要だった。また、移植によって免疫がゼロに戻ってしまったが、当時は予防接種を受け直せないとされていて、感染に気を配る必要があった。

社会とのつながりを保ちたくて、ボランティアとして活動

 山内さんは、がんになって、それまでのキャリアが50ポイントくらいマイナスになってしまったように感じた。仕事を辞めたことを後悔し、再就職したいという思いが常にあった。しかし、ドナー待機中や移植直後に働くことは、難しいだろう。将来再就職するために、何か準備をしておこう。そのためには、マイナスになってしまった自分のキャリアに、少しでもプラスのものを付け加えたい。そう考えて、ドナー待機中に母校の大学で科目履修生になり、司書資格を取る勉強をした。

 移植後には、どこかで社会とつながっていたいと思い、血液疾患の患者会「リボンの会」に参加した。また、骨髄バンクの骨髄ドナー登録説明員として活動するようになった。骨髄ドナー登録説明員は、献血会場などでドナー希望者にドナーについて説明し、登録作業を行うボランティアだ。いわゆる有償ボランティアで、交通費とわずかだが謝礼が出る。額は少なくても謝礼が出ることで、自分は社会の役に立っているんだと心の支えになった。いろいろな場所に行き、健康な人たちと話すことで、隔離された病人ではないと感じられた。

 社会とのつながりを広げるために、母校の高校の同窓会で評議員を引き受けた。2013年から4年間国立がん研究センターの患者・市民パネルを務め、福岡がん患者団体ネットワークがん・バッテン・元気隊の副代表にも就任した。

がん患者になりキャリアが50ポイントくらいマイナスになってしまったと感じたため、勉強したりボランティア活動をしたりして、ひとつずつプラスのものを足していった。

 ボランティア活動の幅を広げつつ、求職活動はずっと続けていたが、なかなか再就職はできなかった。面接までこぎつけても、治療歴を話しただけで不採用になる。

 移植して7年、以前勤めていた医師会の人から、「以前とは違う部署に欠員が出たので戻りませんか」と声をかけられた。骨髄ドナー登録説明員で山内さんが活躍する様子をテレビで見て、元気そうだから大丈夫だと思ってくれたようだった。さっそく応募して最終面接までいったが、最後の段階で不採用になった。理事の中に、病歴を問題にして、強固に反対した人がいたためだと聞いた。

 不採用はショックだったが、かえっていままでもやもやしていたものが、吹っ切れた。それまでは、「あのとき辞めていなければ」という後悔がずっとあったが、「このような理解がない職場は辞めてよかった」と心にけりをつけられた。がんになったことをマイナスとして見られる職場では、楽しく働けない。ゼロからキャリアを積み上げてほしいとか、がんであることを逆にプラスだと受け止めてくれる職場で働きたいと考えた。

乳がんが見つかり、治療を開始したが、治療中に再就職が決まる

 移植後ほぼ10年経った2016年2月に、両側の乳房に乳がんが見つかった。左右で異なるタイプだったため、手術、化学療法、放射線治療をすべて実施することになった。「いまごろどうして」と思ったが、生きるためには治療をするしかない。

 3月に左胸乳房全切除とリンパ節郭清術、右胸部分切除術を受けて、5月から抗がん剤治療(3種類を週1回)を開始した。9月からは右胸のみ放射線治療を25回受け、終了後に抗がん剤治療を再開(3週間ごとに1種類)。抗がん剤治療は、2017年8月まで続いた。

 乳がん治療が続いていた2016年7月に、母校の高校から、同窓会事務局で働かないかと打診があった。前任者が急に辞めることになったため、後任を探しているという。山内さんの白血病の病歴は知っていたが、問題ないと思ってくれたようだった。

 ようやく巡ってきたチャンスだが、乳がん治療を続ける必要がある。山内さんは、白血病のことを知っていて声をかけてくれたのだから、乳がんのこともきちんと話さなければならないと考えた。

 乳がんで手術をしたことや今後の治療計画を詳しく説明した。重い物が持てないこと、激しい運動ができないこと、通院が必要であることなど、できないことや、配慮が必要なことをできるだけ具体的に話した。それと同時に、自分には何ができるかを話した。教員免許やその他の資格があること、パソコンの操作ができること、電話応対はできるし、生徒と接触することは問題ない、銀行に行くこともできるなど。そして、「治療はいつか終わります。元気になったら倍くらい働いて恩返しをします」とうったえた。すると、それでもよいからきてほしいと言ってもらえた。

 前任者は、臨時職員で月水金の週3日勤務だった。身分は臨時職員だが、希望するならフルタイム勤務でもよいと言ってもらえた。ただ、治療のこと、体力的なこと、ボランティア活動の継続などを考えて、週3日勤務を選択した。社会保険料の負担を考えると、夫の被扶養者でいられる週3日勤務は、経済的にも都合がよかった。

自分から話しかければ、相手が「聞いていいんだ」と思ってくれる

 8月から、治療の傍ら働き始めた。週3日、月水金の午前8時半から5時までの勤務で、学校行事があるときなどは週末などにも出勤する。基本的に週30時間、年間140日勤務という約束だ。

 事前にかなり話し合いをしたが、いざ働き始めると、想定外のことが次々出てきた。

 抗がん剤の副作用が思いのほか強く、心臓に負担がかかってしまった。階段を上がることが大変で、3階の事務所まで上がるのに20分くらいかかる。しかし、仕事に直接関わることではないし、時間をかければ上がれると思って、大変だと言い出せなかった。踊り場で休んでいるところを見かけた同僚が「大丈夫?」と聞いてくれて、「そんなに大変なら、1階に事務所を移してもいいのよ」と言ってくれた。他の部署に書類を持っていくため廊下で休んでいるのを見かけて、「言ってもらえれば元気な人間が取りに行くから」と言ってもらえたこともあった。

 当初は午前中に抗がん剤治療をして午後から出勤していたが、予約をしても、病院では予定がずれることがある。出勤が遅れて申し訳ないと思っていたところ、事務長が「午前に出勤して、午後から通院したらよいのでは」と提案してくれた。また、「水曜日が受診日なら、出勤日を木曜日に変えればいい」と言って、受診日と出勤日を変えてもらった。

 抗がん剤治療で強い味覚障害があり、一時期は普通に食事ができなかった。学校の事務職員は、昼食時に1カ所に集まって、一緒に食事をする慣例がある。食べられないことはきちんと説明したが、みんなが食べているときにひとりだけ食べないでいると、ほかの人が食べにくそうだった。かといって、ひとりだけ交流の輪に加わらないのも、都合が悪い。そこで、昼休みになったら、しばらくは事務所で仕事を続けて、みんなが食べ終わった頃に出かけて行って、会話に加わるようにした。

 味覚障害が軽くなったので、いまは一緒に昼食を食べている。ただ、学校行事で、みんなで弁当をとるときなどは、自分から「メニューはなんですか?」と聞くようにしている。そして、食べられそうになければ、頼んで自分だけ別のメニューにしてもらう。

 コミュニケーションを上手にとるには、何でも自分から話しかけるのがコツだと思う。病気のことをどこまで聞いていいのか、職場の人も悩むだろう。自分から話題にすれば、相手が「これは聞いてもいいんだ」と思って、「それじゃあ、これはどうなの?」と突っ込んでくれる。すると、山内さんも、すごく話しやすくなる。

「患者とは、病気を持つ生活者なんですよ」

 一緒に仕事をする人たちには、病気のことは隠さず話したが、仕事で直接関わりがない人には、あえて話してはいない。関わりができて、必要があると感じたときに、その都度説明している。知っている人も協力してくれるので、余計に気を遣ったり、気を遣わせたりしないで済み、助かっている。

 生徒にも隠してはいないが、話すときは、きちんとケアができるような状態で話す。親ががんで治療中の生徒や、がんで親を亡くした生徒もいる。もし、中途半端に病気のことが伝われば、いろいろな憶測や感情のこじれを生むかもしれないからだ。

 ときには、親ががんになった生徒への対応を先生から相談されたりすることがある。そんなときには、がんになったことが、むしろプラスになったと感じられるようになってきた。

 医療関係者が、山内さんが仕事をすることに常に協力してくれるのは、ありがたい。再就職後は、いろいろな検査や治療を一度にできるように、受診日をまとめてくれたり、待ち時間が長いときは、できるだけ効率よく進めるように気を配ってくれたりする。心臓へ負担がかかっていたときでも、山内さんの希望をきいて、入院せずになんとか外来で治療ができるように取り計らってくれた。「仕事をしないと治療費も稼げないよね」と生活者であることに理解を示してくれることがありがたい。

 山内さんは、あちこちで活動するうちに、患者の立場での講演を頼まれるようになった。医療者の集まる学会、看護学校、労務管理者など、さまざまな人たちに、がんになった体験を話す。講演を聴いた人から「ぜひうちでも」と頼まれたりして、次第に機会が増えてきた。いまは月に1回程度は講演している。

学会、看護学校など、さまざまな人たちにがんになった体験を講演する

 講演のときには、「患者とは、病気を持つ生活者なんですよ」と必ず話す。ほとんどの人は、がんになったからといって、専属患者になれるわけではない。仕事をしなければ、生活費も治療費も払えない。そんな当たり前のことが、まだまだ多くの人に理解されていない。

 がんになったことで、いろいろな人とつながり、いまは自分が必要とされていると感じられている。がんになった当初は大きなマイナスと思ったキャリアが、いまはプラスにできたかなと思えるようになってきた。

山内さんの事例から学ぶこと

・ボランティア活動を続ける姿を見て、「元気だから仕事をしても大丈夫だろう」と声をかけてもらえた。

・病気のことを自分から積極的に話すと、相手が「聞いてもいいんだ」と思って、質問してくれるようになった。

無職の間に資格取得や有償ボランティア活動を通じて社会復帰の準備をした山内さん。再就職後も病状の説明を続け、症状との折り合いをつけるため人に頼める部分は無理せず頼み、職場関係者とのコミュニケーションを工夫する等、その働き方からも多くのヒントが得られます。再就職自体がゴールなのではなく、その後の試行錯誤やサポートを受け入れるスタンスが、無理のない勤務や職場の理解にもつながっていると感じられました。

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