THE・タフ列伝 Vol.3

THE・タフ列伝

2015年8月25日公開

「タフでなければ勝ち残れない」をテーマに、様々な分野のタフな名言・行動をピックアップしてご紹介する「THE・タフ列伝」。今回はスペシャル編として、なんとあの新日本プロレスのエース・棚橋弘至選手にインタビュー! 低迷していたプロレス人気を復活させるために、棚橋選手は何を考え、どのように行動したのか、本人の口からじっくり語ってくれた。日々、厳しい状況の中で闘い続けるビジネスパーソンの胸にもグッとくること間違いナシの内容だ!

「プロレス人気復活への道のりは、“過去の記憶”や“伝統”との闘い。タフじゃなければ勝てなかった」THE・タフ列伝 棚橋弘至選手スペシャルインタビュー<前編>

「強くなりたい。自分に自信を持てるようになりたい」。
だからプロレスラーを目指した

—— まずは棚橋選手がプロレスラーを目指した経緯を教えてください。

棚橋 高校時代、野球をやっていたんですが、正直あまり上手くなかったんです(笑)。1試合に1回はエラーをして、チームメイトに迷惑をかけて。自分になかなか自信を持てない人間でした。

 そんな時、テレビでプロレスと出会って、「これは!」と思ったんです。プロレスって見るからにハードですが、それでもレスラーたちは、年間120〜130試合も、平気な顔をして闘っている。肉体的にも精神的にもタフじゃないと務まらないですよね。自分もこの人たちみたいに強くなりたい、そうしたらもっと自信が持てるようになるんじゃないか、と考えたのが、プロレスラーに憧れたきっかけです。

 ただ、当初はあくまで「憧れ」で。高校卒業時は体重も65kgくらいしかなかったので、プロレスラーなんて夢のまた夢という感じでした。けれども、大学に入ってから本格的に筋トレを始めたら、1年で体重が80kgまで増えたんです。プロレスラーでもジュニアヘビー級なら85〜90kgぐらいの選手もいるんで、「おっ、これはもしかしていけるんじゃない?」と。さらに筋トレに励んだら、90kgくらいにまでなって、新日本プロレスの入門テストに合格できました。肉体の変化が夢に近づけてくれましたね。

—— 入門は1999年3月ですね。当時、プロレス界はどういう状況だったんですか?

棚橋 入門当初はまだプロレス人気も高かったんです。闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)もいて、地方会場も満員で。ところが2000年代に入ってから、総合格闘技ブームに押されたり、団体を離脱する選手が相次いだりして、人気に陰りが出てきた。

 これはやはりショックでしたよね。入門時は、スター選手たちの姿を目の当たりにして、「このまま頑張っていれば俺もいつかスターになれる」と思っていた。それが「あれ、ちょっとマズイな」と。スター選手が生まれるには“土壌”が必要なんです。その土壌がなくなってしまった。

 ファンの人は、会場に楽しみに来てくれている。なのに、試合直前に対戦カードが変更になったり、タイトルマッチがあっという間に終わったりと、期待を裏切ることが多かった。「今日は楽しかった!」と感じて帰ってもらうという、エンターテインメントとして当たり前のことができなくなっていたんです。試合をしても、なかなか思うような反応がお客さんから返ってこない。もちろん僕自身の実力不足もあったと思います。「(退団した)武藤敬司だったらきっと盛り上げていたんだろうな」などと考えて、落ち込むこともしばしばでした。

 何とかしなくちゃいけない。でもどうしたらいいか何も思いつかない。そんな葛藤に苦しむ日々が続きました。けれども2006年に初めてIWGPヘビー級のチャンピオンになってからは意識が変わりましたね。「俺が何とかするしかない」「俺しかいない」と、念仏のように繰り返していました。土壌がなくなってしまったなら、自分の手でもう一度作らなくちゃいけないと心に決めたんです。

プロレスに対する「負の先入観」を取り払い、間口を広げる

—— 「土壌を作る」ために、どんなことが必要だと考えましたか?

棚橋 プロレスに対して一般の方々が抱いているイメージを変えることが何より大事でした。それにより、プロレスから離れてしまった人に戻って来てもらうのではなく、まだ観たことがない人に「こういう面白いジャンルがあるんだ」と知ってもらい、新しいファン層を開拓していかなくてはならないと考えたんです。

 当時、プロレスファンというと男性がほとんど。女性からのイメージは、「痛そう」「怖い」「デカいおじさんがやっている」といった感じで最悪でした。そういう負の先入観を取っ払って、間口を広げていく必要があるなと。僕も何度か遠征に行ったことがあるメキシコでは、プロレスは「ルチャ」という国技になっていて、会場に行くと、老若男女みんなが楽しんでいる。そんな方向を目指していくべきと思いました。

 それはある意味、ファンの方々の「過去の記憶」や、新日本プロレスの「伝統」との闘いでもあったんです。従来からのファンの方々は「新日本のプロレスとはこうあるべきだ」という想いを抱いていて、そこからちょっとでもズレると、批判を受けたりする。実際、僕自身、「棚橋は新日本のチャンピオンらしくない」ということでブーイングを浴びたこともありました。

棚橋氏

言葉を深く考え、真摯にインタビューに応じてくれた棚橋選手。自身が経験した“タフな状況”を存分に語ってくれた。

棚橋弘至選手プロフィール
1976年11月13日、岐阜県大垣市生まれ。1998年、入門テストに合格し、1999年、立命館大学を卒業後、新日本プロレスに入門。2006年7月、IWGPヘビー級王座を初戴冠。以後、新日本プロレスのエースとして常にトップを走り続ける。キャッチフレーズは“100年に1人の逸材”。

—— かなり厳しい状況だったと思いますが、あきらめそうになったことはなかったんですか?

棚橋 僕は覚悟を決めていましたから。トップに立つ選手は、全ての批判を矢面に立って受け止めなくてはならない、そうしなければ誰もついてきてくれない、と。

 プロレスをもっとカジュアルに楽しんでもらう雰囲気をつくりつつ、試合内容としては従来からのファンの方々にも「お、やるな」と納得してもらえる高いレベルのものを見せる。そして「対世界」「対過去」、どんなものと比べられても絶対に負けないものを生み出す。確かにハードルは高かったですが、これはもう意地ですよね。タフじゃなくてはできなかったと思うし、また、そうした「闘い」を続けるうちに、心が鍛えられ、タフさに磨きがかかっていったと感じます。

精力的な情報発信で「脱・殿様商売」に挑む

—— 新しいファン層の開拓に向け、具体的にはどんなことをしていったのでしょう?

棚橋 とにかくプロモーションを積極的に展開することから始めました。オフの時も、営業の人と一緒に地方を回り、地元の新聞、ラジオ、タウン誌と、出してもらえるところにはどこにでも足を運んで、大会のPRをする。また、プロレス雑誌にコラムを連載したり、ブログを毎日更新したりと、コツコツとこちらから情報を発信することも心掛けました。

 情報って、1回告知しただけでは伝わらないですよね? 地方会場で試合をして、夜、コンビニに買い物に行った時に、ファンの方から声を掛けられて、「ところで棚橋さん、なんでここにいるんですか?」なんて言われることもあるんです。プロレスが好きで、棚橋のことも知っている。でも、その日、その街で大会があったことは知らない。街にはポスターも貼ってあるだろうし、ホームページやブログ、ツイッターなどでも情報発信をしているにも関わらず、です。もしかしたらそのファンの人も、地元で大会があることを知っていたら会場に観に来てくれたかもしれない。だからとにかく何度でも、繰り返し繰り返し、情報を発信することにこだわりました。

—— かなり根気がいりますよね。

棚橋 まあ、僕はそういうことがあまり苦にならないので(笑)

 また、プロモーションの際には、プロレスの話は極力しないようにもしました。プロレスって、口で説明して理解してもらうのは時間がかかるんですよ。けれども百聞は一見に如かずで、観に来てもらえば絶対に楽しんでもらえる自信はある。ならばそこをどうクリアするかということで、プロレスというよりも、棚橋弘至という人間に興味を持ってもらうことに重点を置きました。「あの棚橋ってなかなか面白かったな。じゃあ一度試合も観に行ってみるか」となることを狙ったわけです。

棚橋氏

パナソニックの頑丈タブレット「タフパッド」を前に。後編ではタフパッドの感想も聞いてみたぞ!

 プロレス業界って、以前は頑固親父の飲食店みたいに、「好きな人だけが来てくれればいい」みたいな面があったと思うんです。でも、もはやそれでは通用しない。脱・殿様商売ですよ。

 今、新日本プロレスのリングにはさまざまなタイプのレスラーがいて、それぞれが自分の持ち味を発揮してお客さんを楽しませることができる。また、レスラーの体つきもしっかりシェイプされ、アスリート的なイメージに変わってきた。そんなこともあって、会場には女性ファンや家族連れも増え、華やかな雰囲気になっています。すごくうれしいですね。(後編に続く)

タフなビジネスを支える!
過酷な状況でも動き続ける頑丈タブレット

TOUGHPAD

 時に人生は過酷で、リスクに満ちたものである。それはビジネスの現場も同じだ。今やビジネスにITの力は欠かせないが、「こんなところでも?」と思うようなハードな現場にITを持ち込み、業務を遂行しなくてはならないシーンも出てくる。

 そうした中でもガンガン使えるのが、パナソニックの頑丈タブレット「タフパッド」シリーズだ。120cmからの落下など米国国防省基準の試験を実施した高度な耐衝撃・耐振動性能をはじめ、埃や水滴の侵入を防ぐ防塵・防滴性能、マイナス10℃の低温からプラス50℃の高温まで幅広い温度環境で利用できる耐環境性能といった、強力な「頑丈性能」を実現。棚橋選手と同様、厳しい状況下でも決してへこたれることなくミッションを成し遂げてくれる!

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